2014/08/05 - 2014/08/05
54位(同エリア148件中)
Tomさん
既に1年以上前のことですが、姉夫婦と私たち夫婦の4人で、7月9日(日本出発)から8月6日(日本到着)まで約一ヶ月、イギリスを旅行しました。
7月30日夕方、一足先に帰国する姉夫婦を見送った後、再びレンタカーを借り、8月5日夕方ヒースロー空港で返却するまで、ヨーク、ハワース・湖水地方、チェスター、そしてストラトフォード・アポン・エイボンをドライブ。
8月5日は30年ぶりにシェークスピアの生誕地を訪問し、夕方ヒースロー空港でレンタカーを返却という行程でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝、宿を出て A51→A34→M6→M42→M40→A46 と辿りストラトフォードへ向かいます。
M6号線はイギリスの高速道路では数少ない有料道路です。
この写真は M6号線の途中にある料金を知らせる看板です。 -
料金所に着きました。
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ほとんどがカード支払い用のゲートです。
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今日の最初の目的地、アン・ハサウェイズ・コテッジに着きました。ここが入り口です。
予め日本で手に入れていたバウチャーをここでパスに交換すると入場無料です。シェークスピアに関する数箇所の施設どこでも交換可能です。といっても当然バウチャーは有料です。パスにも種類があって、訪問に費やす時間や日程を勘案しながら選べばいいでしょう。シェークスピア・バースプレイス・トラストのホームページ(Shakespeare Birthplace Trust: http://www.shakespeare.org.uk/home.html)や日本のイギリス政府観光庁で手に入れることができます。アン ハサウェイの家 建造物
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これが上の写真の建物を出た後に見えてくる建物です。この建物の裏が通りからの通路になっていてチケット売り場や入り口は建物の左側にあります。
30年前はこの写真の右側に入り口があり、通りに面するゲートから敷地内に入り、チケット売り場はこの建物の入り口にありました。
この建物は15世紀中頃に建てられ、1892年にシェークスピア・バースプレイス・トラストに買い取られましたが、1911年までハサウェイ家の子孫が住んでいたということです。
向こう側が東、白壁は南向き、こちらが西になります。 -
入り口に近づいて来ました。こちら側は出口、入り口はもう少し先です。
見えませんが家の向こうの緑の陰には公道が通ってます。
グーグル・アースを見ると駐車場らしきものが建物の裏と、通りに出て右方向に150mほどのところにありますが、AAのルート・プランナーでは公共のものは150mのところのものしかありません。 -
玄関にある暖炉です。玄関と言っても日本のそれとはイメージが違い、入り口(玄関)のドアを開けるとちょっとした空間がありその左側に居間のような広い空間が続いていました。
暗くて手ブレしていますが、そこにあった暖炉です。玄関とされる場所には他に食器戸棚、長椅子、テーブル等がありました。 -
17世紀の食器戸棚です。
アン・ハサウェイはシェークスピアの妻として有名です。シェークスピアは18歳の時26歳のアンと結婚しましたが、妻子を置いてロンドンで作家兼俳優として働きました。その間数々の名作を書き世界中の言語に翻訳されています。
アンがこの家から出てからも当然家財道具が新調されたでしょう。17世紀の食器棚ということなので、アンが使ったものではないようです。 -
若きシェークスピアとアンが並んで座ったとされる椅子です。
椅子の上には何か枯れた植物が置かれていました。訪問者が座らないようにする工夫です。 -
18世紀のテーブルらしいです。
ということはシェークスピアの時代よりは後のものということになります。 -
この部屋は玄関の隣、西端の階段に通じる狭い通路の北側に位置し、食料貯蔵室として使われていました。
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同じく食料貯蔵室。
家事室としても使われていたようで、洗濯板やバターをつくる攪拌機も見えます。 -
食料貯蔵室の隣が冷蔵室です。北西の隅の家では一番寒い場所です。
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こういった部屋には食に関するいろいろなものが貯蔵されました。ビール樽らしきものや獲物の雉が見えます。
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2階へ上がる階段です。
家の西端に位置しています。 -
階段を上がってすぐの部屋(食料貯蔵室、冷蔵室の上)は来客用の寝室でした。藁でできた椅子や17-18世紀の珍しい家具が置かれています。
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客間のベッドや椅子等。
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同じく客間の奥の部分です。
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主寝室に入って来ました。
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主寝室のベッドです。
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衣装箱です。
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主寝室から隣の部屋へ通じる出入り口です。
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主寝室の隅に置かれていた椅子と丸テーブルです。
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隣の部屋のベッドはこうなっていました。
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南側に面した明り取りの窓です。
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屋根を支える構造を見せるため壁の一部を見せていました。
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2階の通路です。3段ほどの階段の向こうが主寝室と来客用の寝室、こちら側が子供部屋として使われていたらしい部屋です。
こちら側は古い部分で、向こう側はアンの兄が増築したとされる部分になります。
左手に持っているのは、日本語で書かれた案内書です。日本語対応のツアーガイドがいないのと、訪問客の数が少なかったこと、ツアーの出発時刻ではなかったことでA4版のラミネートされた紙が渡されたのでしょう。この紙は他の訪問地と同じく出るときに返却します。 -
2階最後の部屋です。この部屋の用途は説明書にありませんでしたので、わかりませんが、居間として使われていた雰囲気がありました。
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同じ部屋の別別な部分を撮ったものです。
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ここから下へ降りて行きます。
東端に位置する階段です。 -
降りて最初にあるのが台所です。
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別な角度から台所を写したものです。
オーブンやグリル等シェークスピア時代の農家の台所の様子が分かります。 -
台所側から降りてきた東端の階段を見上げた写真です。
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出口から南東方向の庭を撮ったものです。木立の向こうは公道です。
傘を差すほどではありませんが雨がぱらぱらと降っていました。地面が濡れています。 -
庭の南端にある東屋みたいなところから撮ったものです。茅葺の屋根とチュダー様式の壁が特徴的です。
左側の一段高くなっている部分が増築されたものです。
その時代の農家としては裕福な家だったようです。 -
私たちが車を留めたところにある駐車料金支払い機です。駐車しようとするときにこの機械からチケットを買って、車内に表示しておきます。
詳しいことは画像を拡大してみてください。
誰も見ていないからといって不正をした場合、見つかるとかなりの出費になります。 -
次に向かったのはここ、シェークスピア・センターです。ここで入場手続きをしてシェークスピアの生家に入ります。といっても入る前にこの建物の中にある博物館の中を巡回しなければなりません。
因みに駐車場はいくつかありますが、近いところに留めることができました。写真とは関係ありませんが、位置情報を載せておきます。 -
これが上の建物の隣に位置するシェークスピアの生家です。
この時間も運悪く小雨が降っていました。
それではシェークスピア・センターに入ります。シェイクスピアの生家 建造物
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シェークスピア作品集の最初のフォリオ版らしいです。「アテネのタイモン」の最初のページだということが分かります。
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シェークスピア家に関わる権利書です。何枚もの書類が一つにまとめられていますが、この書類から生家の位置や所有権が確認されるということです。
シェークスピアは死ぬとき生家を娘のスザンナに残したということも確認されています。 -
「2」はホーン・ブック(Horn Book)で、シェークスピアが子供の頃このような本で勉強したと推測されています。
「3」はコモン・プレイヤーの本(英国国教会で祈りの際に使う本)でシェークスピアのものだったと考えられています。
「4」は金メッキが施された指輪型印章です。シェークスピアは生前これをなくしていたと考えられています。というのも死ぬ約1ヶ月前に彼自身が遺言を書き換えた際に印章ではなく手で封印したと記録されているからです。 -
これは「メタモーフォシス」(天地創造からジュリアス・シザーの時代までの歴史を書いたもの)の本ですが、最初の英語版は1480年に出されておりシェークスピアはこの本の内容を良く知っていたと推測されています。
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シエークスピアの時代のストラトフォード・アポン・エイボンです。
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シェークスピア・クラブの結成(1824)を記念したサイダー用のマグカップ、銀メダル、1827年にシェークスピアの誕生日を記念して行われたパレードで着用されたベスト、1864年の生誕300年記念の飾り板等です。
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1864年の生誕300年記念の様子やスクラップブック等の記念品です。
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シェークスピアの家系図です。
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シェークスピア・センターを出て一旦外に出なければなりません。
プラムらしきものがありました。 -
これは秋明菊ですね。
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一旦外に出てから生家に入るということなのです。
かなり長い列でした。小雨もずっと降っていました。 -
順路は約30年前に来たときとは違って、この家の裏口のようなところから入るようになっていました。
入り口の脇にあった花壇です。 -
記憶が正しければシェークスピアが生まれたベッド。
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上と同じ部屋を別角度から撮りました。
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ダイニング・テーブルですね。
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ダイニング・ルームにある暖炉。
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シェークスピア時代の革製品の作り方を説明していました。シェークスピアの父は皮製品職人でもありました。
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子供部屋だったようです。
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天井の様子です。
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ほぼ各部屋に暖炉があり裕福な家庭であったことが伺われます。
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これも子供部屋だったような雰囲気ですね。
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台所の一角にあったグリルです。
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台所です。
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外に出ました。まだ、雨が降っていました。
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次に向かったのはシェークスピアの孫娘エリザベスとその夫、トーマス・ナッシュが住んだ家です。これも典型的なチュダー様式の建物です。
この家の隣にシェークスピアが1597年に購入し1616年に没するまで暮らしていたニュー・プレイスと呼ばれる大邸宅があったのですが、現在は礎石と庭園が残っています。ナッシュの家とニュープレイス 建造物
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ナッシュの家の居間です。
大きな家具は当時の食器棚です。 -
同じく居間にあるダイニング・テーブルです。
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ダイニングテーブルと食器棚を一緒に撮りました。
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これも居間の一角です。肖像画はトーマス・ナッシュとシェークスピアの孫娘エリザベスのものです。二人はシェークスピアが没して10年後の1626年に結婚しました。
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トーマス・ナッシュは法律家でありワイン商人でもありました。
エリザベスはシェークスピアの長女スザンナ・ホールの一人娘です。 -
裏に出ました。
この辺りがニュー・プレイスと呼ばれている現在では庭園になっている場所です。 -
ニュー・プレイスはシェークスピアの没後他の人の手に渡りました。
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最後の所有者は牧師でしたが、シェークスピアのファンが大勢訪れることと重税に腹を立てて邸宅を壊してしまいました。
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シェークスピアの晩年の家の場所を示す礎石があるということでしたが、庭の美しさに気を取られて探すのを忘れてしまいました。
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これから駐車場へ戻るために、来た道を生家方面へ歩きます。
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生家前で再度写真を撮りました。
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「お気に召すまま」に出てくる宮廷道化師(ジェスター)像です。
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ロンドンのヒースロー空港近くです。これから M4 に入ります。
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ヒースロー空港第2ターミナル内、免税店の様子です。たまたまなのかそれほど人がいませんでした。
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ヒースロー空港を離陸しました。
今回のイギリス旅行もこれで終了です。
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