2021/12/16 - 2021/12/16
160位(同エリア482件中)
youさん
都心から近くて、自然と歴史ある国指定遺跡の「武蔵国分寺」跡と国分寺崖線に沿ったお鷹の道を歩きました。
武蔵国分寺は、出土した文字瓦や漆紙文書などから天平宝字年間(756年~765年)頃に創建されたと考えられており、その遺跡は、僧寺と尼寺の他に、関連する住居跡などを含めると、東西1.2Km、南北1Kmと広範囲に及んでいます。
国分寺市の名前は、古代の時代に国分寺が置かれたことに由来しています。
(東京文化財ウォーク 府中・国分寺を歩こう 資料より抜粋。以下の本文コメントも同様です) 。
表紙の写真は国分寺本堂。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
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遺跡歩きのスタートは、JR国分寺駅から。
写真は国分寺駅北口広場。駅直結のタワーマンションが2棟出来たり、駅前広場はバスターミナルなどが拡張整備されたりして、ここ数年で見違えるほどに変貌しています。 -
武蔵国分寺跡(付東山道武蔵路跡)周辺MAP(国分寺市教育委員会発行)です。
国分寺駅南口を出て斜め右方向に延びる多喜窪通りを進みます。この通りは野川が造った窪地を横切っており、はじめは下り坂となり、そのあと上り坂になります。 -
坂を上り切った交差点(西元町一丁目)の左側脇に、ご覧のような「武蔵国分寺」跡などが表示された看板があります。
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表示に従って脇道を進むと市立歴史公園の緑地に出てきます。
ここは、「武蔵国分寺」の僧寺の北東地域に当たり、北限溝の展示があります。 -
更に先に進むと国分寺崖線の傾斜面を下る階段があり、ここを下ります。
国分寺崖線は、立川市から大田区まで連続する延長約30Kmに及ぶ「がけ地」(ハケともよばれています)で、樹林地が形成されています。 -
崖の麓付近には、湧水が出ている場所が幾つか見られます。
こちらは、そのうちの一つで、「真姿の池」。848年玉造小町が身体をこの池で洗ったところ、病気が治り元の姿に戻ったと伝えられています。 -
幾つかの湧水が集められて流れ出ている元町用水です。ご近所の農家さんらがここで野菜など洗っているようです。
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湧水で洗われて綺麗になった野菜などが露店で売られています。
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湧水が流れる元町用水路に沿う「お鷹の道」を歩きます。
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湧水が流れる用水路は、ほたるが住む川でもあるようです。
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「お鷹の道」は樹木に囲まれた気持ちの良い散歩道です。
この辺りは、江戸時代に尾張徳川家の御鷹場だったとのこと。 -
お鷹の道沿いに「おたかの道湧水園」(資料館)があります。
ここは、国分寺村の名主であった本多家の敷地で、ご覧の表門は先代当主の隠居所を兼ねて、江戸時代末期に建てられました。 -
表門手前右側に「史跡の駅おたカフェ」があり、ここで「おたかの道湧水園」の入園チケットを購入します(100円)。
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湧水園の敷地内に湧水が溜められた池が見られます。
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こちらは、武蔵国分寺境内にあったとされる「七重塔」の縮小復元模型です。
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表門長屋の中に入ります。
門両側の長屋には、もともと門番が住んでいたようですが、小奇麗な6畳間が2つ繋がり、南側に縁側がある普通の戸建て住宅みたいです。 -
この部屋には掘りこたつがあります。
炬燵に入ってミカンを食べ、その後ここに潜って昼寝を良くしたものです。気持ちよかったなぁ~ あの頃は~。 ハァ~あの頃って何時。。。ああ~今もそうでした。 -
別棟の資料館の展示品たちです。
こちらは、南北に走る古代の国道(官道)、東山路のあったところから出土した銅造りの菩薩像。7世紀前半に制作されたと推測されています。 -
こちらは国分寺崖線の上付近の関東ローム層から出土した石器たちです。
旧石器時代のもので、崖下から湧水が出るので生活に便利ということで、3万5千年~1万年も前から人々が定住していた証です。 -
こちらは薬師堂西方の「多喜窪遺跡」付近から出土した縄文時代の縄文土器たちです。
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「お鷹の道」を更に西に進むとご覧の「国分寺」前に出てきます。
古代に建てられた武蔵國分寺は、分倍河原の戦い(1333年)で焼失してしまいました。
この国分寺本堂は、享保10年(1725年)に国分寺崖線下に再建されたものです。 -
本堂の向拝下の彫刻が素晴らしいです。
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本堂脇の奥は、「万葉植物園」となっています。
万葉集に出てくるいろいろな種類の花や樹木が植えられており、そばに立つ看板には、その花や樹木にかかわる歌が書かれています。 -
本堂手前にある「国分寺楼門」です。
東久留米市の米津寺にあったものを、明治時代に移築したものです。 -
現在の国分寺への参道で、脇に石碑が立っています。
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国分寺本堂前の「お鷹の道」に戻り、西側にしばらく進むと、「国分寺仁王門」があります。
宝歴年間(1751~1764年)に建造された八脚門です。 -
門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた仁王像が安置されています。小さな格子窓越しに撮影しました。
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門を潜った先、国分寺崖線の斜面に設けられたこの石段を上ります。
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石段を上り切った先、崖線の上に新田義貞公の寄進て建立された「薬師堂」があります。江戸時代の18世紀中頃に再建されたものです。
堂内には、平安時代の末につくられた寄木造りの薬師如来坐像が安置されているようですが、例年10月10日に行われるご開帳のときしか見られません。 -
「国分寺仁王門」の脇、真新しい祠の中に庚申塔が見られます。
下の部分に彫られた「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿、風化していてくたびれているように見えるので、相当古いものかも知れません。 -
石段を上った先、薬師堂の隣に八幡神社があります。
更に、この神社の左側公園の片隅に「竪穴住居跡」があります。 -
こちらが縄文時代初期(9000年前)ころの「竪穴式住居跡」。
と言っても、石ころが数個見られるだけで、左側の説明板がないと分かりません。 -
国分寺崖線の麓に下り、国分寺楼門の手前に広がる「武蔵国分寺跡」に来ました。
もともと古代の国分寺は、天平時代の741年、聖武天皇の命で全国60余国に建立された官立の寺院で、僧寺と尼寺とが対で置かれていました。当時武蔵国では、この場所が、武蔵国府(役所の中心で現在の府中市にありました)に近く、水が豊富にあること、道路(東山道武蔵)があることなどから、国分寺を建てるのに最適として選ばれました。 -
こちらは「武蔵国分僧寺」のイメージ図(東京文化財ウォーク 府中・国分寺を歩こう 資料よりから抜粋)。「尼寺」は「僧寺」から西側約400m離れたところ(イメージ図左外側)にあります。
このイメージ図の上から下(北から南)に向かって歩きます。 -
復元された「講堂跡の基壇」です。周囲より50cmほど高く盛られた土台で、36.2m×16.6mの大きさです。
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こちらも。
基壇の側面は瓦で装飾されています。 -
復元された金堂の基壇。
こちらは、周囲より80cmほど高く盛られた土台で、36.1m×16.1mの大きさです。 -
こちらも金堂の基壇。
基壇表面は古代レンガが敷き詰められた仕様になっています。また、基壇表面の中央やや北側に、3間×1間程度の須弥壇(仏壇)が復元されています。 -
金堂と講堂の間の通路表面。
土器の破片が敷き詰められているようです。これらの破片はここから出土した本物の土器の破片たちかなぁ~、それとも、土器の表面の模様が鮮明なものもあるので、修復時に手作りしたものかなぁ~ -
中門跡から見る金堂跡。
設置されている説明版で、基壇の上に造られていた建物の様子など学習できます。 -
僧寺の主要な建物を囲む塀の南側に設けられていた中門跡。
説明版によれば、中央に両開きの扉が付いた八脚門だったようです。
奥に円柱が数本建っていますが、旗竿の遺構です。 -
南門跡。
奥に国分寺崖線上の台地が見えています。武蔵国分寺が広大な敷地に建てられていたことが分かります。 -
こちらは、資料館にあったイメージ模型。
建物などを復元したら、この武蔵国分寺ももっと有名観光地になるでしょう。 -
南門跡から東側に200mほど移動して七重塔跡に来ました。
3間(約10m)四方の礎石建物で、高さは約60mあったと推定されています。 -
僧寺跡を離れて西側にある「尼寺」跡に向かいます。
途中、ご覧の「文化財資料展示室」に立ち寄ります。
ここは中学校の校舎を借用したような展示室なので、最初は通り過ぎてしまいました。 -
展示品たちです。
これらは、武蔵国分寺跡や学校敷地内の竪穴式住居跡、尼寺跡などから出土した平安時代の土器です。他に瓦や板碑などが展示されています(入場無料)。 -
府中街道、JR武蔵野線を横切って「尼寺」跡に来ました。
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中門付近から見た「尼寺」跡。
「尼寺」は、東西約150m、南北160mの範囲内に南門、中門、金堂、講堂、尼坊などがありました。 -
こちらは金堂の基壇面の一部を掘り込んで断面を観察するための施設です。
基壇は木枠の中に土を盛り、一層づつ杵で突き固める版築工法により造られており、全部で30層が残っています。断面を観測する限りにおいて、丁寧な工事が行われていたと推測されます。 -
尼寺跡の北側に延びる「伝鎌倉街道」です。
鎌倉時代に国分寺崖線を切り通した道で、鎌倉から上野(群馬県)や信濃に向かう主要な道路でした。 -
伝鎌倉街道を少し進んだ右手の丘陵地上に、こんもりと盛り上がった塚があります。何か中世の遺跡みたいです。
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高い所に登りたい・・・癖が出て、塚の上に登ってみました。こちらは東側方向の眺望です。
国分寺崖線に沿った樹木林帯、左側奥に2本、中央に1本のタワーマンションが見えています。先ほど歩いた広大な武蔵国分寺僧寺跡は、JR武蔵野線に沿った手前住宅の背後にあって見えません。
この辺りに住んでいた縄文人がこの風景を見たら何と言うかなぁ・・・そして、1000年後ここからの風景はどのように変貌しているかぁ・・・う~ん、想像できません。奥に見える崖線の緑はず~と残っていてほしいなぁ。 -
こちらは塚と反対側の丘陵地にある「伝祥応寺」跡。
手前の石碑説明によれば、広場西側の黒鐘公園寄りに鎌倉時代末頃に建てられた寺院があったようです。 -
伝鎌倉街道の北側端は武蔵台と呼ばれている崖線上の住宅地になります。
公園脇にご覧のような縄文時代中期(4000年前)の敷石住宅跡が見られます。
ず~と昔からこの辺りは、豊かな森と水に恵まれていた土地なので、安定した暮らしを求めて人々が住んでいたのです。 -
史跡通りを北上し、JR西国分寺駅手前を右折し、府中街道を横切って、7世紀~8世紀に整備された官道「東山道武蔵路」跡に来ました。
この東山道武蔵路は、武蔵国府(現在の府中市)から上野国(現在の群馬)まで、幅12mの道路が直線で敷かれていました。 -
こちらは当時の道路造成面を型取りした東山道武蔵路のレプリカです。
両側に側溝があり、中央部が窪んでいます。馬や人の歩行により踏み固まってできたもののようです。また、中央窪みに穴ぼこが並んでいますが、穴に土砂などを突き固めて道路を強化した痕跡だと考えられています。 -
「東山道武蔵路」跡は、高層住宅地の脇を抜けて、国分寺駅から延びている多喜窪通りまで延びています。その多喜窪通りを国分寺駅方向に少し歩くと、ご覧の「武蔵国分寺公園」に出ます。
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この公園は、道路を挟んで国分寺崖線上にも広がっています。
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お鷹の道に戻り、東方向に15分ほど歩いて「不動橋」のある所に来ました。
元町用水と野川が合流するところにあり、野川に架かっています。国分寺崖線から湧き出た水が合流して次第に大きな流れとなっています。 -
こちらは、不動橋の北側崖下にある「庚申塔と不動明王碑」です。
庚申塔は1745年に建立され、不動明王碑は建立年は不明です。どちらも村内に疫病や災厄が入り込むのを防ぐために、国分寺村の人々が建てたものです。今も花が飾られ供え物もありますので、古代より今日まで地域の人達の信仰の対象になっているようです。
この後、坂を上ってJR国分寺駅に戻ります。朝10時からゆっくりペースで歩いて16時前に駅に到着、歩数は19000歩でした。
海外のギリシャやローマ遺跡などと比べたら地味な遺跡たちですが、近場で容易に行かれる自然と歴史に包まれた地域で、古代ロマンに思いを馳せることができました。
最後までご覧いただき有難うございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2022/01/06 06:42:35
- 国分寺
- youさん
明けましておめでとうございます。
冬の風のない日、温かいおひさまの陽を浴びて、のどかな武蔵野の地を歩くなんて
素敵ですね。しかもその地は古代の遺跡が集まる国分寺跡、舞台の条件がそろっています。
国分寺市は発掘や整備をきちんとやっているようですね。
わが市川市にも国分寺や国分尼寺の跡があります。訪れる人は皆無、いえ言い過ぎですが、あまりいません。でも跡とはいえ古代に思いを馳せるには十分な環境です。
19000歩のウォークとはすごいですね。私は毎日その10分の1くらい歩いています(笑)。
今年もよろしくお願いいたします。
pedaru
- youさん からの返信 2022/01/06 17:46:48
- Re: 国分寺
- pedaruさん
明けましておめでとうございます。
早速のコメント、毎度の事ながら有難うございます。
そうでしたねぇ。下総国分寺が置かれていた場所は、現在の市川市でしたね。失礼しました。国分寺が建立された場所は、古くから所謂一等地が選定されますので、pedaruさんのお宅も、噂では遺跡の上に建っているようですし、環境の良い高級住宅地にお住まいなのですね。羨ましい。
今度、地元の歴史散歩ということで、下総国分寺跡を巡ってくださいまし。旅行記楽しみにしております。
今年もどうぞよろしくお願いします。
you
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