2021/11/25 - 2021/11/27
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akitaineさん
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鳥取県内をめぐる考古学ツアーに参加しました。
古墳あり、弥生時代遺跡あり、廃寺あり、で見どころ満載。
今回は弥生編です。
古墳と廃寺跡は、別途書きます。
古墳は全国たくさん見られますが、弥生時代の遺跡となると限られます。
鳥取県内にある代表的な遺跡ー妻木晩田(むきばんだ)遺跡と青谷上地寺(あおやかみじち)遺跡を見学しました。
妻木晩田遺跡は、1995年から1998年にかけ京阪グループ主導による大規模リゾート開発計画の途中で発見され、リゾート計画を中止して保存された史跡公園です。
青谷上寺地遺跡は、遺物が偶然保存に適する水質・泥状態で埋まっていたため、当時の様子が良くわかることで有名です。特に最近、弥生人の脳が発見され、DNA解析により、当時の人が顔が再現されています。
こちらも道路工事中に発見され1998年発掘調査されました。
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まずは、見学した弥生遺跡の場所を確認。
11/25に大山町の妻木晩田遺跡。
11/26に鳥取市の青谷上寺地遺跡。 -
ツアー最初の日11/25、米子市近くの大山町にある、むきばんだ史跡公園に行きました。美保湾(日本海)を一望する見晴らしの良い広大な敷地です。
紀元前1世紀から紀元3世紀前半の弥生人の暮らした場所。
弥生後期に栄えた古代出雲の中心地であったと考えられます。
公園の中心部にある弥生の館むきばんだには、イメージキャラクターが表示されていました。(名前あるか聞きそびれました。)墓地である四隅突出型墳墓丘の形に目鼻が入っていて可愛らしい。職員の方々はこのマーク入りのジャンパーを着ていました。 -
むきばんだ史跡公園は、大変広く156haもあります。
弥生時代中期末(西暦1世紀前半)~古墳時代前期(3世紀前半)にかけての、竪穴住居跡約450棟、掘立柱建物跡約510棟、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓39基や、環壕などが発見されています。
今なお、発掘中で、まだ全体の1/10しか発掘調査されていません。
今回は時間の制約もあり、洞ノ原地区~家や倉庫、墓がある、と妻木山地区~弥生時代集落跡、を見学しました。 -
弥生の館から5分ほど歩くと洞ノ原地区。
半地下の竪穴住居の枠組みを展示してあります。 -
さらに実際の住居を再現した家。
藁ぶきで、土が被されています。草が生えているのがわかりますか。
研究員さんの説明で、発掘した状況からなるべく忠実に再現したとのことです。
入口は東向き。 -
再現した竪穴住居を横から見ます。
右側が入口玄関。 -
中に入りました。かなり天井高い。明り取りの窓をつけていますが、多分こうだったんじゃないか、と考え、つけたそうです。
火をおこした跡も再現。職員さんが交代で火をおこし保存している。かつての状況を維持したいからです。 -
隣には倉庫。高床式。
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倉庫の先は、いくつもの四隅突出型墳墓があります。
その先はなだらかな下りで環濠があります。(環濠は見学せず)
どうやら、このエリアは墓地であったようです。住居と倉庫は墓守用のものか。
はるか先には美保湾が見えます。 -
ちょっとわかりにくいですが、四角く盛り上がり、四隅に足が出ています。大小さまざまな大きさがありました。
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説明板。地上に載せて表示。
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再現された竪穴住居と四隅突出墳墓が集まっているエリアを見学した後は、
弥生のムラのエリアへ移動。徒歩8分くらい。展示施設「弥生のやかた」むきばんだをはさみ、反対側に広がっています。
言ってみれば、このエリアが住宅街。
現実生活と墓地を分けているということで、弥生人の生死観が少しわかるような気がする。 -
広い敷地に点々と建物が建っています。本当にあった場所に建てたそうです。
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これは倉か、と質問したら、多分そうだろうが実際はわからない、とのこと。建物によってはかなり広く、高床式住居としても使えそう。
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かなり陽も暮れてきました。
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土器も作っていました。当然。
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最後に「弥生の館」むきばんだの中にある展示品を見学。
鉄を高温で溶かして、生活用具を作る様子を再現。
まだ、鉄を自前で生産することはできず、交易で得た鉄を大切に加工して使っていたそうです。 -
「弥生の館」内には、当時の人々が食べていた穀物なども展示してありました。クルミ、ドングリなどの木の実は納得ですが、小豆も食べていたそうです。栗の木は食材用のほか、竪穴式住居の木材は栗の木が建築資材として使われました。
多種の木の実、グルメではありませんか。 -
鉄は海外から輸入していました。
と、いうかまだ海外なんていう概念はなかったですね。
海を越えたはるか彼方から鉄を入手し、使っていた。
また、北九州地域と山陰地方との交易があった。
そもそも交易のきっかけはどのようにして始まったのか、想像すると面白い。 -
妻木晩田公園から見えるきれいな山は孝霊山(こうれいさん)。大山は見えません。多分本来の名前は高麗だったんじゃないか。これは私一人が言っているのではなく、地元の方もそのように言っておられました。
日本海からもよく見えるでしょう。
夕陽に映えてきれいです。 -
「弥生の館」にあった説明書き。
交易があったということで、当然半島との鉄や貴石、文化などを交換していたことでしょう。
海からの目印は、「大山と孝霊山が重なるところ」。 -
これは妻木晩田で見たものではなく、米子市淀江町にある伯耆古代の丘公園内にある「上淀白鳳の丘展示館」内に展示してある弥生時代の土器。
淀江平野の遺跡から出土したもの。
講師の先生によると、「この展示館の中で一番価値があるもの」です。
長い階段が描かれています。祭祀を行うための高い建物か。 -
出雲大社にも高い階段を持つ建物の跡が発見されていましたね。
人間って、やはり高いものに憧れるのでしょうか。
出雲大社といえば、平安時代の口遊(くちずさみ)で、雲太(出雲大社が一番高い)(長梯子付切妻式高層建物~2000年巨大柱発見から1248年完成建物48m説は実存、古代32丈<96m>中世16丈<48m>の言い伝え、4世紀後半には出雲で祭祀、弥生時代に作られたと推測できるものも多く巨大勢力の表れで巨大神殿誕生、千家「金輪御造営指図」記載の階段長さ1町=109m)・和二(東大寺が二番45m)・三京(京都御所大極殿が三番)の出雲大社原型が弥生時代に見られたということでしょうか。 -
翌日11/26、米子市から鳥取市へ移動し、もう一つの弥生時代の遺跡、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡見学にやってまいりました。
道路整備工事中に発見され、1998年発掘調査されました。
まずは、鳥取市内の「青谷上寺地遺跡展示館」を見学。
弥生時代の青谷上寺地の位置。(想像図)
集落の前が潟湖となっており、海上交易をしていました。 -
海が近くにある地の利を活かして、交流を行っていました。
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昨日の妻木晩田の集落は丘の上に作られていましたが、こちらは海の近くに作られました。
海と川が接する潟湖に近く、有機物である木製品は泥状土壌が真空状態であったため残存でき、通常なら腐ってしまう木製品や、人の脳まで残っていました。
「地下の弥生博物館」といわれるゆえんです。 -
ところで、弥生人の脳が発見され、世紀の大発見といわれています。
頭蓋骨とDNA解析により当時の顔を復元したものは、現在貸出を行っていて展示されていませんでした。 -
これが復元された顔写真。縄文人と弥生人の混血だそうです。
30代~40代男性の顔。
現在その人に似たそっくりさん募集中、というチラシがあった。www
個人的には、ちょっとイケメンでジャニーズの〇間俊介に似ていなくもないと思った。 -
青谷上寺地遺跡の現在の航空写真。
赤い線のあたりが発掘現場。 -
青谷上寺地の発掘現場。
現在は海から少し離れた場所になっています。 -
さらに遺物の詳細を知るため、鳥取県の「とっとり弥生の王国推進課・青谷上寺地遺跡整備室」を見学させていただきました。
県の意気込みがわかります。名前もすごい。「とっとり弥生の王国推進課」だって。 -
出土品整理作業室。出土したものを、一つ一つ場所ごとにラベルをつけている根気のいる作業。
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ほとんどが破片で見つかっているので、まずは同じ場所から出土したものを記録し、元の形に直すパズルのような作業なのでしょう。
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こちらは発掘された遺物の展示、資料保管室。
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火にかけるものは自立できないものがあるんだね。
熱伝導が早いのかな。
熱くなったものをどうやって持ったのだろうか。タオルがあったわけではないし。 -
手前の波上に削られたものは、階段。妻木晩田遺跡の倉でも使われていました。
木を削って登るようにすれば釘などなくてもしっかりした階段ができる。
同じものを北アルプスの山小屋でも見ました。AD2000年を越えた今でも。
日常生活の品を見ながら、現在に続く私たちの生活と重ね合わせました。 -
その他、木製の盾もありました。戦いがあったということでしょう。
青谷上寺地遺跡から発掘された人骨は、刃物で切られたような跡があるものが集団で埋まっていたそうです。虐殺されたというのが定説。富の奪い合いが始まっていたということでしょう。 -
頭蓋骨に刃物で切られた跡があります。
青谷上寺地遺跡は、奇跡的に残った弥生時代の木製品や脳などから、当時の弥生人を知る大きな発見ができました。そして、戦いがあったことを示す悲しい事実もわかってきました。
人間は何か?と少々哲学的な気分になります。多分、1800年前も現在も人間そのものはあまり変わっていないかもしれません。同じ条件におかれたら同じ行動パターンを取るでしょう。弥生のお兄さん、洋服着て町を歩いていてもちっとも違和感ないし。
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この旅行記へのコメント (2)
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- へびおさん 2021/12/22 21:07:42
- 大山ではありませんでした。
- 考古学ツアーお疲れ様です。
アメーバのような形の古墳は是非見てみたかったです。
そして私が旅行中、大山かと思って眺めていた山は孝霊山でした!
akitaineさんの旅行記を拝見して間違いに気づき、慌てて自分の旅行記を修正いたしました。
大山を見れた!と思って喜んでいたのに違う山だったとは悲しい・・・
でもまた鳥取に行く目的が出来たので、いつか行けたら大山と妻木晩田遺跡、馬ノ山公園に行ってみたいと思います。
- akitaineさん からの返信 2021/12/23 15:34:45
- RE: 大山ではありませんでした。
- へびおさま
伯耆古代の丘公園のブログ、拝見いたしました。同じような時期に訪問してとても親近感わきますね。視点がとても面白くてまた読ませていただきますね!
山が好きで、近畿地方に住んでいるので、山登りー神社ー古墳はどこにでもある、と言っては言い過ぎですが、結構身近なものです。
今回の鳥取は、大和から離れた地で、多分大和より前から栄えていたと思われる地を見られて楽しかったです。
来年も良き旅を!
> 考古学ツアーお疲れ様です。
> アメーバのような形の古墳は是非見てみたかったです。
> そして私が旅行中、大山かと思って眺めていた山は孝霊山でした!
> akitaineさんの旅行記を拝見して間違いに気づき、慌てて自分の旅行記を修正いたしました。
> 大山を見れた!と思って喜んでいたのに違う山だったとは悲しい・・・
> でもまた鳥取に行く目的が出来たので、いつか行けたら大山と妻木晩田遺跡、馬ノ山公園に行ってみたいと思います。
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