2021/11/25 - 2021/11/27
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akitaineさん
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鳥取県内をめぐる考古学ツアーに参加しました。
古墳あり、弥生時代遺跡あり、廃寺あり、で見どころ満載。
今回は飛鳥編です。
飛鳥時代に建立された上淀廃寺について書きます。
上淀廃寺は、妻木晩田遺跡(弥生編)、向山古墳群(古墳編)と同じ地域にあります。
弥生時代から海に近く、交易の要衝であった淀江の地。
1000年にわたり栄えていたという証です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス
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上淀廃寺は、約1300年前(飛鳥時代後期・683年頃)に建てられました。
750年頃に改修工事が行われ、1000年頃に火災によって焼失しました。
昔から地元の人々の言い伝えで、「寺があった」と言われていました。
平成3年寺院が発掘され、仏像片や国内最古級の彩色仏像壁画片が出土。奈良の法隆寺金堂の仏像壁画とならぶ発見でした。
淀江地区は、昔交通の要衝であったため、弥生時代から人が住み、古墳時代、飛鳥時代と栄えていた地です。
上淀廃寺のある地区の隣は、古墳編でお伝えした向山古墳群がある伯耆古代の丘公園です。(写真右が上淀廃寺)
また上淀廃寺の北には、妻木晩田遺跡(地図外)が遺跡があります -
向山古墳群の丘をいったん下り、東側の緩い丘の中腹が上淀廃寺跡です。
後ろの山にも古墳群があります。
上淀廃寺という名前は正式な名前ではありません。
名前は判明しておらず、上淀集落にある廃寺ということでつけられました。
写真右が金堂跡、左側が中塔・南塔跡(いずれも復元)。 -
寺院中核部の上には、付属建物がありました。
背後に見えるたてものは、付属建物があった場所に建てられました。食堂や事務所であったと思われます。 -
金堂跡。壁画が出土した地点に案内板があります。
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金堂跡の説明。
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主に金堂跡から壁画が出土しました。
火災で焼き付けられため、残りました。 -
金堂および中塔、南塔は(北塔は基礎はあるものの建立されたか不明)、寺院の中心部でした。
背後はなだらかな丘。 -
丘の東側に陶器で作られた地域の地図がありました。
淀江地区は、条里制のなごりがきちんと残っており、きれいな碁盤の目の土地割です。 -
丘から西側を見ると、向山古墳群の丘が見えます。
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上淀廃寺の現場を下り、道路に出ました。
これから再び伯耆古代の丘公園方面に戻ります。
公園に隣接する「上淀白鳳の丘展示館」で上淀廃寺で出土したものを再現した展示があります。 -
上淀白鳳の丘展示館。
主に、上淀廃寺から出土した壁画や塑像を復元したものを展示した部屋と、周辺地域で出土した弥生・古墳時代の遺物を展示しています。 -
伽藍配置模型図。
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復元された如来像と菩薩。像を囲む金堂の造りも美しくライトアップされていました。
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壁画。仏像を囲む位置に置かれています。
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これも壁画。図の真ん中が空白ですが、どうやらここに本物の仏像を置いたのではないか、という説が有力。
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壁画。神将の図。本物。はっきりと人の顔が見られます。
目をつぶっているように見えますが、火災のときに目の黒色が失われたため、と言われています。 -
神将の胸甲(むねよろい)。
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迦楼羅像。
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これまで、淀江地区で古墳、上淀廃寺跡、さらに北には弥生集落跡である妻木晩田遺跡を見学して、淀江地区がいかに重要な地であったかを知らされました。
飛鳥時代、交易で力をつけた豪族が建てたとされる上淀廃寺。
地図や方位磁針がない時代、交易のため、淀江に行くための目印が「大山と孝霊山が重なるところ」で上淀廃寺は遠く海からもわかるような丘に建てられました。
それは、建立者の力を見せつけるものでもあったのでしょう。
また、「孝霊山」(高麗山)の名前から半島の韓国とのつながりをこの説話は伝えてくれます。
この説明板は、妻木晩田遺跡にある「弥生の館」にあったものです。
日本の古代史、ますます興味が湧いてきます。
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