2021/11/20 - 2021/11/22
4997位(同エリア5562件中)
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SLを訪ねて、北陸から若狭湾に沿って京都府北部を巡りました。
今回は、石川県小松市の尾小屋鉱山資料館にある小型の蒸気機関車と、
福井県大野市にあるJR九頭竜線の九頭竜湖駅そばにある28651、
同じく福井県今庄市にあるD51481、
そして、京都府の天橋立に近い与謝野町にある加悦(かや)鉄道資料館に
設置予定のC-160を訪ねました。
与謝野町には、以前「加悦SL広場」がありました。
たくさんの鉄道車両が展示されていて、びっくりしたものです。
残念ながら閉園してしまい、保存車輛はいくつかの施設にもらわれて
行きつつあります。
まだ、ブルーシートを掛けた状態で往時の姿を留めている車輛が多いので、
見に行って来ました。2007年に訪れた時の写真を添えておきます。
運行本数の少ない九頭竜線に会うことも出来ました。
せっかくなので、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)の由良川橋梁にも
行きました。
今回も盛り沢山です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
石川県小松市から南東の山間部にある尾小屋鉱山資料館の手前に、
鉱山で使われていた蒸気機関車と気動車が保存されています。 -
「ポッポ汽車展示館」
平成14年4月に旧尾小屋駅跡地に保管されていた尾小屋鉄道の蒸気機関車(5号蒸気機関車)・気動車(キハ3)・客車(ハフ1)の3両を移設、保管庫が新築されました。 -
「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」が、公開運転の運営と、
機関車などの修理やメンテナンスと線路の整備を行っています。 -
尾小屋鉱山は、明治37 年に横山鉱業部を設立、日本有数の鉱山として
栄えました。人口は5,000 人を越え、小松の市街地と同時期に
電気が通じたといいます。
鉱山のお陰で電気が設置されるのが早かったという話は、
青森県小坂町でもありました。
小坂町には「小坂レールパーク」があり、寝台特急あけぼのが
保存されています。(旅行記あります)
尾小屋駅から小松町八日市地方の新小松駅を結ぶ総延長16.8km の路線が、大正9 年(1920)、正田順太郎鉄道として開通しました。
開業直後に横山鉱業部鉄道に改称し、昭和4年(1929)に尾小屋鉄道(同年発足)へと譲渡されます -
尾小屋からは主に精錬後の粗銅が、新小松からは採掘・精錬用の物資や
住民の生活物資が輸送されました。
また尾小屋鉄道は、鉱石輸送のみならず、
沿線住民の足としても活躍しました。 -
昭和34~37 年、年間の旅客数は100 万人を超え、
本数も一日14 往復を運行しました。
鉱石輸送の役割を終えていた尾小屋鉄道は北陸鉱山に引き継がれず、
名古屋鉄道の傘下に入ります。
沿線の人口は昭和 40 年頃から急速に減少し、
昭和52 年(1977 年)3 月19 日、尾小屋鉄道は廃止となりました。 -
ポッポ汽車展示館の気動車キハ3・尾小屋鉱山電車(電動トロッコ)は、
年に数回、公開運転が行われ、体験乗車も行われます。
見学、乗車は、いずれも無料です
2021年は、5月4日、6月6日、7月4日、8月21日、10月3日でした。
【運転時刻】10時、11時、12時および13時~15時(30分おきに運転)
この蒸気機関車も、かつては小屋の外に出ていました。 -
昭和22年3月、立山重工業製造。申請時の価格160万円。
自重14.5t。長さ6,380mm、幅1,980mm、高さ2,885mm。
列車の牽引車として導入された蒸気機関車で、1~3号車に比べ、
2.6フィートの狭軌を走る機関車としては大型でした。
輸送手段としての需要がなくなった昭和40年代は
除雪車として活躍していました。 -
動くことの出来る足回りは、もちろん無塗装です。
-
尾小屋(おごや)鉱山は、明治時代に入ってから
本格的に採掘がおこなわれるようになりました。
1879(明治13)年、吉田八十松らが採掘を始め
翌年、「隆宝館・尾小屋鉱山」を創業しました。
1904(明治37)年には、尾小屋鉱山と平金鉱山(岐阜県)を合併し、
合名会社・横山鉱業部を創立し、日本有数の鉱山へ発展しました。
しかし、1920(大正9)年より経営が悪化し、
1931(昭和6)年に宮川鉱業に売却され、
続いて日本鉱業株式会社へ譲渡されました。 -
個体番号はC1511。
日本鉱業は、戦争期の増産やその後の操業中止などを経て、
1955(昭和30)年頃に生産のピークを迎えます。
その後、良質鉱の枯渇、製錬コストの上昇、外国から安価な銅の輸入増大などにより、次第に経営が悪化し、
1962(昭和37)年には尾小屋鉱山本山が閉山しました。
日本鉱業株式会社から分離独立した北陸鉱山株式会社が続けていた
大谷支山(大谷坑・金平坑)を中心とする操業も、
1971(昭和46)年には閉山し、
これをもって尾小屋鉱山の全面廃止となりました。 -
客車ハフ1号
-
車内には入れませんが、水色の塗装がとても綺麗です。
-
イチオシ
なんだか幻想的です。
-
キハ3号(1803)。昭和29年6月汽車製造。定員60名。
遠州鉄道奥山線で使っていたものを、
昭和39年に22万円で譲り受けました。 -
車体は従来のキハ1・2号より長さ・高さ共に大きく、幅がやや狭い。
カーブでも曲がりやすい構造を持ち、
初めてボギー客車を2輌牽引して走行出来ました。
左側のHに1~4の数字があるのは、失われているギアの場所です。 -
キハ3号の車内。こちらは立ち入ることが出来ます。
-
遠州鉄道時代は1803でしたが、尾小屋鉄道では、
180を塗りつぶし、キハ3号として使用していました。 -
ホームの片側には、鉱山鉄道の資料が展示されています。
右側の三角錐のジョウロのようなものは、蒸気機関車の油差しです。
その左が、夜間合図灯。他に、機関車用携帯電話などもありました。 -
新小松から尾小屋までの間にあった14の駅の写真も掲示してあります。
駅名がおもしろいのが「観音下(かながそ)駅」。
列車のすれ違い駅でした。 -
「ポッポ汽車展示館」の裏側には、公開運転が行われる
電動トロッコが置かれていました。
ここから、少し坂を上った所に、尾小屋鉱山資料館があります。
資料館には、かつての坑道を公開している「マインロード」が
付属しています。(閉館時間でした)
鉱山はmine(マイン)であることから、名付けられました。
尾小屋鉱山は、採鉱、選鉱、製錬を行った鉱山です。
以下は、採掘していたものの詳細です。
黄銅鉱:銅を採るための鉱石の一種。
尾小屋鉱山で最も多く産出された鉱石です。
方鉛鉱:鉛を採るための鉱石。
閃亜鉛鉱:亜鉛を取るための鉱石
硫化鉄鉱:硫酸や硫安(農業用化学肥料)の原料となった鉱石。 -
翌日、永平寺に参拝してから、岐阜県郡上市に向かう国道158号線を
東に走って、JR九頭竜線の終着駅九頭竜湖駅のそばの
穴馬民俗館・笛資料館に来ました。 -
ここには、28651が保存されています。
何とも目立つ看板が取り付けられています。 -
この「ハチロク」は、初の国産・量産型として
1919(大正8)年12月5日大阪汽車製造によって造られ、
広島・大阪・名古屋・長野などで輸送に活躍しました。 -
最後は越美北線で福井~大野間の貨物輸送に使われました。
1973(昭和48)年に廃車。当時の和泉村に貸与されました。
走行距離2,820,679.1km。 -
運転室は厳重に閉じられています。
-
後ろのナンバープレートやカンテラは無くなっていました。
-
足元は塗装されていますが、予想外に個体番号が見つけられます。
-
筒の部分に番号があるのは定番ですが、
この車体には、楔部分にも番号が刻まれています。 -
シリンダーの覗き窓にも。
-
こんなところにも。
-
JRの駅のすぐそばにあると言うのに、存在感のない8620型です。
列車からだとちょっと見にくいです。
新橋駅のC11とまでは行かなくても、
もう少し駅の利用者に、存在をアピールしたいものです。
汽笛を自由に鳴らすことが出来れば、注目度も上がりそうだけど・・・ -
JR九頭竜線のエンド。一応ここには待避線があります。
-
おや、列車がやって来ました。
1日5便しかない(うち2便は、5時台と20時台)のに、
ちょうどいいタイミングで来たものです。 -
終点・九頭竜湖駅に到着。
九頭竜湖駅 駅
-
折り返してキハ120205が福井駅に向かって出発したのを
見届けてから、車で国道158号線を走って行きました。
国道158号線は九頭竜線と並走する区間が多いです。
ちょうど美山駅で、上下線がすれ違いをしているのが見えました。
駅まではちょっと距離があるので、
走っている車からでは撮れただけラッキー。 -
国道を逸れて列車を追いました。
ほんのちょっとタイミングが遅かった・・・ -
この道を列車を追って走って行く若者がいました。
彼はここで待ち構えていたのだと思いますが、
何故立ち止まって撮らなかったのか???
私と同じで、ちょっとだけ間に合わなかったのか?次回また頑張れ! -
列車がちょうど車の真横を走っています。
この辺りにもカメラを構えた男性がいました。
明るい時間帯には2往復しか来ない貴重な列車です。
きっと沿線にはあちこちにカメラマンがいるのでしょう。
(福井からは越前大野止まりの便が数本あります) -
今度は車を停めて、待ち構えて撮りました。市波駅付近です。
-
辺りには建物がなく、草地が広がっていたので、
列車が見えなくなるまで、随分長い間、撮り続けられました。
偶然のランデブーでしたが、おもしろかったです。 -
南越前町今庄に来ました。北国街道の今庄宿があったようです。
北国(ほっこく)街道と言えば、昨年、琵琶湖東岸の長浜にある
「黒壁スクエア」に行きました。
長浜宿の古い街並みを見事に利用した新しい観光地になっていました。
「滋賀県の長浜城と「黒壁スクエア」散策」という旅行記を
書いています。今庄の宿 かねおり 宿・ホテル
-
JR北陸本線今庄駅の東側にあるサイクリングターミナルの駐車場です。
今庄の宿 かねおり 宿・ホテル
-
さすがにD51は8620と比べると、大きいです。頼もしい。
-
D51481。どっしりとした美丈夫です。
昭和15年3月18日国鉄鷹取工場製造。
山陽本線岡山・同糸崎・伯備線新見・山陰線浜田機関区所属。
昭和49年廃車。走行距離2,268,615.7km。 -
北陸線の難所で、25‰(パーミル)の急勾配を重連や三重連で貨客車を牽引したD51と所縁の深い今庄に誘致され、昭和49年、今庄町役場
庁舎落成と町制20周年を記念して現在の場所に保存展示されました。
なお、設置は今庄駅より仮設レールを敷設して行いました。
つまり、このD51は分割されていないのです。
大抵は3分割されてしまうので、これは貴重な車体です。 -
足回りは全面塗装されていますが、なんか汚い・・・
-
ナンバープレートは新調されていますね。
今庄だと、どこの機関区になるのかな? -
運転室は檻の中でした。
-
私の好きな速度計と逆転機。そして逆転機の位置を示す目盛。
-
鷹取工場の圧力計
-
こちらの圧力計は、左が鷹取工場です。
ブレーキハンドルは、単独・自動ともにあります。 -
D51の加減弁ハンドル(アクセル)は、
C11に比べると随分上にあります。天井の赤いパイプが目立つなあ。 -
足回りでは見つけられなかった個体番号が、炭水車との境にありました。
別な部品をバリケードに転用しているようですが、
ナンバーが違いました。
部品は天地逆さまに設置されているため、この写真は上下を逆さまに
して、番号が読みやすいようにしています。D51262のようですね。 -
さて、福井県のSLはこれで終わりです。今夜は舞鶴に泊まります。
-
翌朝は大雨でした。それでもなんとかして来たかったのがここです。
京都丹後鉄道の由良川橋梁。撮り鉄の方ならご存知でしょう。
私はつい最近まで知りませんでした。たまたま旅行会社のツアーが
わざわざ数駅だけ列車に乗って、ここを渡ると言うので調べてみました。
その時の売り文句が「海の上を渡る列車」でした。
ここは厳密に言えば、由良川の河口であって、若狭湾ではないのですが。由良川橋梁 名所・史跡
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この橋を渡る京都丹後鉄道を撮るのが、その道のセオリーのようです。
先日もカメラ雑誌に、ここの写真が載っていました。
入賞作品なので、その努力と技術は優れたものなのだと思います。
しかし、私はやたらと劇的に写そうとする
今のデジタル時代の写真が好きではありません。
自然に美しいものを、そのまま撮りたいと思います。由良川橋梁 名所・史跡
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昨日の九頭竜線よりは本数があるにしても、そう都合よくは来ないよなあと思っていたら、向こう岸に青い車輛が見えて来ました。
大雨に祟られたものの、すべての運に見放された訳ではないようです。由良川橋梁 名所・史跡
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さっき列車が見えた場所の先には丹後神崎駅があるので、
少し時間を置いて、現れました。由良川橋梁 名所・史跡
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ああ、本当になんていいタイミングで来てくれるのでしょう。
これだけ長い鉄橋を渡って来るローカル線を、
紅葉を纏った山を背景に、見ることが出来るなんて。由良川橋梁 名所・史跡
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以前舞鶴に来た時、この鉄道は第3セクターの北近畿タンゴ鉄道でした。
宮津に本社のあるWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)が宮舞線として、
列車の運行、乗車券等の販売等の事業を譲受し、
2015(平成27)年より運行を開始しています。由良川橋梁 名所・史跡
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橋梁にはKTR(北近畿タンゴ鉄道の略称)と書かれています。
今回の表紙です。由良川橋梁 名所・史跡
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実は、この後すぐに反対側の列車も通過して行きました。
丹後由良駅ですれ違ったのでしょう。
こちらは動画に収めました。今度は列車に乗って渡りたいです。由良川橋梁 名所・史跡
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近くなので、天橋立を見に立ち寄りました。
天橋立って、どちらかの端から山に登って見ないと、ただの松林ですね。天橋立 自然・景勝地
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雨が小止みになったので、ドローンを飛ばしてみました。
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天橋立の付け根には、珍しい廻旋橋があります。
橋が動くところを見てみたいなあ。 -
京都府与謝郡与謝野町の町役場庁舎前にある「加悦鉄道資料館」です。
この建物は旧加悦鉄道加悦(かや)駅舎です。
「丹後ちりめんの輸送と地域住民の交通の便の向上を目的に、
住民出資により大正時代に開業した加悦鉄道の駅舎。
2001(平成13)年に駅舎は、曳き移転と修理を行いました。」
本来は与謝野町役場加悦庁舎の敷地にありましたが、
180度向きを変えて曳き移転されました。
加悦鉄道は大正15年12月、丹後山田駅(旧野田川町)~加悦駅
(旧加悦町)を結ぶ私鉄として開業、1985年に廃線となりました。旧加悦鉄道加悦駅舎 美術館・博物館
-
元々、月曜日は休館日なので閉館しているとは思っていたのですが、
なんと、2011年11月~2022年3月末まで
臨時休館になっていました。旧加悦鉄道加悦駅舎 美術館・博物館
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コロナのせいもあるでしょうが、主な原因はこちらです。
「旧加悦鉄道車両の車庫を建てています。」令和4年3月31日まで。
玄関にも「施設内で3車輛設置の工事を行います」と書いてありました。
移設されてくる車輛は、2020年3月に閉園した加悦SL広場にある
車輛で「2号蒸気機関車」「ハ4995客車」「ハブ3客車」です。旧加悦鉄道加悦駅舎 美術館・博物館
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2021年11月現在、建物の裏手には、
C-160号蒸気機関車が置かれています。
昭和17年の製造。大江山鉱山から工場までの鉱石輸送に使用され、
戦後は旅客列車として活躍しました。
昭和24~32年には福井県若狭鉄道に貸与され、41年に廃車。
昭和44年、京都市に売却され、京都市北区の大宮交通公園で
展示されていました。
2019年10月から公園が再整備工事のため、休園となったことから、
NPO法人「加悦鐵道保存会」に無償譲渡されました。旧加悦鉄道加悦駅舎 美術館・博物館
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2019年12月に、移設されて来ましたが、
2021年7月、資料館の裏に置かれていた国鉄コンテナが、
機関車を動かさないと移動できませんでした。
そのため、C-160の動輪を整備して動くようにし、
フォークリフトで押して移動させたそうです。
C-160は第二次大戦中の1942年に本江機械製作所
(→立山重工業)で製造された産業用の機関車です。
「立山重工業」の機関車と言えば、一昨日見た
石川県小松市の尾小屋鉱山資料館の5号機関車もそうでした。
保存会のHP「加悦谷だより」に活動の詳細があります。
http://kayatetsu.web.fc2.com/2019/1204.html
2019年12月4日の活動報告には、資料館の上を
クレーンで吊り下げられて移動するC-160の姿があります。旧加悦鉄道加悦駅舎 美術館・博物館
-
さて、こちらは加悦鉄道資料館とそっくりな「旧加悦SL広場」です。
道の駅「シルクのまち加悦(かや)」の真向かいにあります。
「加悦SL広場」は、1996(平成8)年、旧加悦駅構内
「加悦SLの広場」に保存されていた車輌を、
日本冶金専用鉄道大江山線の鉱山駅跡地に移転して開業しました。
入口は旧加悦駅舎を模した建物でした。
残念ながら2020年3月31日に閉園しました。加悦SL広場 美術館・博物館
-
道の駅からは歩道橋があって、
広場のすぐ手前まで歩いて行くことが出来ます。
SL広場の管理・運営は加悦鉄道の後身であるカヤ興産(株)を経て、
宮津海陸運輸(株)が行っていました。
加悦鉄道で活躍した車輌や、国鉄から貸与された蒸気機関車や除雪車、
南海電鉄から譲渡された電車など、計27両を保存・展示していました。
http://kayatetsu.web.fc2.com/cars_index.html加悦SL広場 美術館・博物館
-
右が、C57189です。
1946(昭和21)年に三菱重工三原製作所で造られ、
新潟県の新津機関区に配属されました。
直江津、豊岡を経て1971(昭和46)年に新津機関区で廃車となり、
1973(昭和48)年に加悦町に貸与されました。
左は、C58390です。(無償譲渡先を公募中)
1946(昭和21)年に汽車製造で造られ、北海道の小樽築港機関区に
配属されました。
1975(昭和50)年に北見機関区で廃車となった後、
加悦町に貸与されました。加悦SL広場 美術館・博物館
-
園内の中央には旧加悦駅から移設した転車台があり、
動態保存車輌を運転していました。加悦SL広場 美術館・博物館
-
転車台に向かっていくつもの車輛が並んでいます。
右端はディーゼル機関車のDC351です。
1956(昭和31)年、汽車製造で、動軸3軸のロッド式
ディーゼル機関車です。
青森県八戸市の南部鉄道で使われていましたが、
1967(昭和42)年、日本冶金工業が譲り受け、加悦鉄道が借り入れて使用していました。
SL広場の閉園により、故郷の青森県五戸町の南部鉄道に
里帰りすることが決まっています。 -
DC351の右にいるのが、「キハユニ51」です。
「キハユニ51は日本車輌製造で造られたボギー式の気動車で、機械式のガソリンカー、芸備鉄道(広島県)キハユニ18として登場しました。
山口県の船木鉄道でディーゼル化ののち
1962(昭和37)年に加悦鉄道が譲り受け、キハ51となりました。
車輌の前後にバケットを備えるほか、扉配置も前後非対称で
独特のシルエットです。」 -
右側は不明ですが、左側は車掌車「ヨ2047」です。
-
キ165。ラッセル車。
1938(昭和13)年国鉄土崎工場製造。
福地山・西舞鶴貨車区に配属。山陰本線・舞鶴線・宮津線で
除雪作業に当たりました。
1981(昭和56)年国鉄より貸与されました。
左は、4号蒸気機関車と思われます。
1921年に川崎造船所兵庫工場で造られた動軸3軸(Cタイプ)の
タンク式蒸気機関車で、河東鉄道(現長野電鉄)の3号機として
登場しました。
1934年に長野電鉄から譲り受け加悦鉄道4号となりました。 -
キハ101です。
「キハ101は、1936(昭和11)年に加悦鉄道10周年を記念して
日本車輌製造で造られた気動車です。
ガソリンカーとして竣工しましたが、
1968(昭和43)年にディーゼルエンジンに換装しました。
変速機は機械式と言って、マニュアル式の自動車と同じように
ギアチェンジをして加速します。
全長は12m足らずですが、車輌の前後は荷物置き場となる
「バケット」となっています。
また連結器は水津式を採用し、貨車の連結や客車としての使用も
考慮されています。
この車輌の最大の特徴は、片方がボギー台車、もう片方が1軸という「片ボギー」という珍しい車軸配置で、
現在残っているのは日本ではこの1両のみです。」
2004年に大修理の末、動態復元に成功し、
「加悦鉄道再現列車」として運行していました。 -
屋根の下は、2号蒸気機関車。
1873(明治6)年に世界で最初の機関車製造会社である
イギリスのRobert Stephenson(ロバート・スチーブンソン)社で
造られた、軸配置1-B(先輪+動輪2)のタンク機関車です。
官営鉄道の大阪~神戸間建設に使用され、翌年からその区間の旅客列車に
使われました。
1915(大正4)年島根の簸上鉄道(現JR木次線)に払い下げられ、
1926(大正15)年に加悦鉄道が譲り受けました。
1956(昭和31)年にボイラーの水漏れがひどく休車となりました。
それまでの83年間の走行距離は1,958,596km。
2005(平成17)年、2号機関車は車歴簿(機関車台帳)と共に
国の重要文化財に指定されました。
2号蒸気機関車は、連結されているハ4995木造客車、ハブ3木造客車と
ともに、2022年3月迄に加悦鉄道資料館に移設・公開されます。
2号機関車の隣の黄色い車体はDB202ディーゼル機関車で、
現役で活躍しています。
その右が、DB201ディーゼル機関車で、ブルーシートにくるまれて
います。DB201も1999年に動態復元され、
加悦鉄道再現列車の牽引機として活躍しました。 -
SL広場の入口は加悦駅を模しています。
その向こうにチラッと見えるのが、キハ1018です。
1956(昭和31)年に帝国車輌で造られた国鉄のディーゼルカーで、
当初はキハ48117として福知山機関区に配属されました。
1957(昭和32)年にキハ10 18に改番、
1980(昭和55)年に豊岡機関区で廃車となったものを、
加悦鉄道が譲り受けました。 -
左にモハ1202が見えます。その右側がサハ3104で、
「カフェトレイン蒸気屋」として、営業していました
(2018年9月閉店)。 -
SL広場のある場所は、かつては加悦鉄道の大江山鉱山駅でした。
加悦鉄道は、大江山鉱山のニッケル鉱石を運ぶために、
昭和15年に開通しました。
昭和20年の終戦と共に鉱山は休止されました。
大江山線の跡地は自転車専用道路となっています。
これで、今回の旅は終わります。補足として、2007年に訪れた時の
「SL広場」の写真を掲載しておきます。
14年前のコンパクトデジカメの写真なので、著しく画質が劣ります。 -
2007年4月、SL広場の入口には、頭の上に鉄道模型と線路があり、
遠くからでも目立ちました。 -
施設に入る前の道路脇に置かれていた、明治時代の路面電車。
-
1261とドイツ製木造客車ハブ3
-
C58390
-
C57189
-
103号の向こうに1261(左)と2号(右)、右端にはキハ101。
103号は2021年11月、山口県長門市豊田町の有志団体
「長門ポッポを守る会」に譲渡され、
道の駅「蛍街道西ノ市」で公開を始めました。
「103号は1915年の米国製。
長門鉄道(18.2km、1956年に廃線)が輸入し、
「長門鉄道101号」として18年の開業当時から走ったが、
47年に東洋レーヨンが譲り受けて滋賀工場内で稼働。
プレートは「103号」に付け替えられたという。
64年には宝塚ファミリーランド(兵庫県)に寄贈・展示。
同園が2003年に閉園し、加悦SL広場に移った。」
これからは「101」として保存されます。 -
4号蒸気機関車は、オーバーホール中でした。
-
ハ21客車。台車に加悦鉄道の文字が見えます。
-
DB202ディーゼル機関車と貨車ワブ3
DB202は、この後黄色に塗り直されています。 -
ラッセル車キ165。
-
キ165の内部。北海道名寄市の「北国博物館」前に置かれている
「キマロキ編成(59601+マックレー車+ロータリー車
+D51398)」以外で、蒸気機関のラッセル車の内部に入れるのは、
本州ではほぼ無いと思います。 -
DB201ディーゼル機関車と客車フハ2
これらの貴重な車輛が解体されることなく、新天地を見つけられることを切に願って、今回は終了します。
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