2021/11/15 - 2021/11/16
35位(同エリア104件中)
マーさん
「今こそ鹿児島の旅」県民割 プチ旅 2日目です。
昨年、GOTOで利用した「垂水温泉」と比較すると
食事に差が有り過ぎた感が(苦笑) やはりある程度のキャパを
持ってるホテルになると、出来合いモノが多いので 不味くは無い
けど、印象に残るモノがありませんでした・・・・
その点今回の宿は、供される一品一品がほぼ調理を担当されてる
ご主人の手が入っており、量的にも過不足ない丁度いい位
品数で、最後のご飯&汁物まで完食したのは初めての経験でした。
御夫婦のみで経営されてる小さな旅館でしたが、次回
鮎シーズンには再訪したい宿になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
温泉を楽しみに6時に起床 ! 普段ならまだ夢の中(笑)
標高はさほどないのですが、山間部に位置するため冷え込みが
自宅とは違い厳しい感じが・・・それでも、まだ薄暗い中
早朝から温泉三昧って ! 凄く贅沢な気分になれます(^^♪
-
朝食を食べるなんて、1年ぶり(笑) 基本的に我が家は、朝は珈琲
のみなモノですから・・・極め付きは、温泉水で炊き上げたご飯
お替りまでお願いして、おまけに野菜嫌いのワタシがサラダまで
完食してたのにカミさんがビックリしてました(笑)
-
次の目的地、「バレル・バレー プラハ&GEN」の敷地内で撮った
懐かしい画像から紹介いたします。
BS-TBS系列で現在も放送中の「酒場放浪記」のMC「吉田 類」氏
との記念ショット(^^♪ バレル・バレー内では
焼酎や地ビール・マッコリ等を製造しており、酒場詩人である
吉田氏を招いて講演会が開かれたときの一コマです。
会場入り口には、地ビールとマッコリのサーバー(飲み放題)が設置
してあり、講演者である吉田氏もマッコリを片手に、観客側も
地ビールやマッコリを飲みながらの、今このコロナ禍ではとても
考えられない(苦笑) メチャクチャ愉しい講演会だった思い出が・・・・ -
「朱峰」のオーナーと奥さんに見送られて次に向かったのは鹿児島空港近く
地ビール製造会社「バレル・バレー」の敷地内にある
「十三塚原特攻記念館」です。現在の鹿児島空港及びこの会社の敷地一帯
は戦時中、旧海軍国分第二特攻基地として使用されていた
歴史があります。 -
この旧海軍特攻基地からは、1945年3月18日から始まり6月まで
延べ217名の若者が、沖縄の空へと帰らぬ人となりました。
国分第一基地(現陸上自衛隊国分駐屯地) と合わせて427名になります。
県内で一番知名度の高い「知覧特攻基地」の戦没者とほぼ同数です。 -
現在の鹿児島空港とやや東寄りに作られていた旧海軍滑走路跡の位置関係です。
当時使われていた滑走路のコンクリート片が残されています。 -
当時の施設群の地図です。かなり広い敷地だったことが判ります。
ただ 個別の施設は今では殆ど 茶畑に様変わりして
確認することが出来ません。 -
20代の若者達・・・・戦争末期になると成功率僅か12%~15%にも満たない「外道の作戦」
米艦船一隻に被害を与えるのに約80名の搭乗員の命が必要
だったと云う統計もあるくらいです。 -
この基地から主に沖縄へ飛び立った機体は「九九艦爆機」でした。
真珠湾攻撃の頃は「零戦」と並び高性能の急降下爆撃機だった
のですが、大戦末期になると米軍機が高性能化 性能面で遥かに
劣るようになったこんな機体でと思うと・・米機動部隊の
姿を見る前に殆どが撃墜されてしまった事実があります。
-
慰霊碑を過ぎて急こう配の石段を下りていくと画像中央に見えているのが
記念館になります。 -
谷間に降りていくって表現がピッタリするくらいの急こう配の
階段が続いてますが、まだ若い ! を自慢するカミさんは
ヒョイヒョイ下ってます(笑) -
一企業が私財を投じて建立した特攻記念館です。
霧島高原ビール株式会社 代表 山元正博氏の言葉に
感銘を受けました。
-
中は至って質素なのですが、展示してある遺影や当時の状況を知ることが
出来る残された遺族の証言等・・知覧特攻平和会館とは
比べるべくも無いミニ史料館でもありますが、飾らない本音が
展示されています。
よく特攻慰霊祭等で、小中学生が読み上げてる文言にありがちなのですが
「皆様の犠牲があるからこそ今の日本があります」
って?????だと思うのです。 確かに犠牲者には間違いないですよね
あの当時の「日本=大本営」ってアホ国家に自殺を強要された若者達
ですから、ただ特攻作戦のお陰で今の日本があるとは思えません
知覧特攻平和会館の展示の仕方は、その当たりが特攻を美化する
ような方向性があるのを感じて行かなくなりました。
-
この赤い罫線が引いてある部分 ! 読んで これが本音だよなぁ
って思いました。 -
この特攻掩体壕が見つかったのが、この記念館を建立する動機に
なったそうです。 壕は網の目状に数キロに渡って
張り巡らされていたらしく、空襲を避ける為の特攻地下基地に
なっていたそうです。 -
出入口付近は、かなり分厚いコンクリートで造られてます。
-
引いた構図だとこんな感じになります。
かなり高低差があるのが判ると思います。
ワタシも設立された山元氏の言葉
「近年特攻の方々を必要以上に美化する動きがある事に危惧を覚えた」
本当にその通りだと思ってます。
だからと言って、あの特攻作戦で亡くなった若者達はただの「犬死」
だったなんてとても思えません、挙句 最近また観なおした
「永遠の零」って映画の中で主人公(三浦春馬)の友達が
云ってたあれは「自爆テロ」だろ ! って言葉 現実
歴史を知らない若い子たちは、そう思うかもしれないですが
タリバンやアルカイダと一緒にされてもなぁ(怒)
「生きる」って選択肢が、奪われた時代だったワケであり
そんな国家を2度作ってはいけない事だけは確かなのでは
思います。 -
この日の、ランチはここ ! と 決めてましたので
ふたたび霧島方面へとクルマを走らせ
霧島連山の中腹(標高700~800m位)にある炭火焼「古里庵」へ
ここが、オープンして10数年以前はよく通ってたのですが
今回5~6年ぶりの訪問 !
それでも、オーナー氏 ちゃんと覚えてくれてまして
クルマの音で判りましたよ !って(笑) あっでも86じゃ
ないですねって・・・でも5年以上も間があいてるのに、覚えて
貰ってるって 嬉しいですね(^^♪ -
山中にある別荘を改造して、開いてる 地鶏屋さんです。
紅葉も始まり、丁度良い 季節です。 -
このテーブルがレトロで好きなんです。
「以前からすると、テーブル数減らしてますか ?」って聞いたら
「やはり、コロナ禍だから 席数を半分以下にしてます」
との事 -
建物の半周 ベランダがあり とっても雰囲気の良い感じです。
-
夏場は良く、このテラスに七輪を持ってきてもらい
外で炭火焼してました。 下界が30℃以上あっても
標高が高いので、メチャ涼しいのです。 -
調理場で炭火を起こして貰い、地鶏が到着するのを待ちます(^^♪
-
こちらの皿が、地鶏もも肉になります。
通常のブロイラー若鶏からすると、色味自体がかなり濃い色でして
これを炭火で焼いて食すのですが、朝引きで新鮮ですから
半レアでも大丈夫 ! 歯ごたえもありますが、何より
口の中に広がる鶏肉の甘さが凄いです。
鹿児島県は元々、鶏肉を生食する文化がありますが
地鶏でここまで味わいのあるモノを提供してくれる処はないと
思ってます。 -
砂ズリ・ハツ・鶏皮 3種の焼き用 になります。
マスターに「色んな店で食べるけどやっぱり、ここのもも焼き
が最高ですよ」って云うと
「地鶏の肉質が落ちたって常連さんから言われたら店を辞める
つもりです」って その位 鶏肉には自信を持ってるんだなぁ
改めて感じました。 -
久しぶりに、焼きの前に「鳥刺し」も お願いしてみましたが
これも、また絶品 他の鶏肉屋さんや地元のスーパー
で買う「鳥刺し」とは 次元が違います。
鶏肉特有の臭みはまったくないうえに、その味わいときたら(笑)
そのうえ、前日に作った 自家製こんにゃくもサービスで
頂き、ワタシ達には提供の無い 珈琲まで(^^♪
久しぶりに、マスターと色んな話も出来て楽しい時間でした
コロナ禍前は、インバウンド客(中国・台湾・韓国)が
ひっきりなしだったようで・・来店していただくのは嬉しかった
けど、マナーが酷い(特に韓国) とか すぐ近くに「界・霧島」
がオープンしてからは、チェックアウトされランチに
訪れるお客さんとか、従業員も食べに来てくれるからウチ的には
良かったですよ・・とか、一見のお客さんには話さない事が
多くて面白かったですね(笑)
今回の旅テーマは、これでコンプリート出来ました。改めて感じたのは
鹿児島の「温泉」や「食」素晴らしいモノがあるって
事でした。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- mistralさん 2022/01/09 21:33:01
- 知っている名前が。
- マーさん
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
いつもご訪問と投票もいただきましてありがとうございます。
さて、旅行記にありましたバレルバレープラハ、鹿児島空港から帰る折に、
そうでなくても自宅からも良くネット注文していますお店です。
商品の数々は会社のこだわりの感じられるラインナップで、
私のお気に入りです。
山元氏は夫とは同級生だったものですから、会社を知ることとなりました。
会社の敷地内に、特攻隊の記念館があるということは聞き及んでいたのですが
今回マーさんの旅行記にて全貌を見せていただく事ができました。
知覧と同じくらいの数の特攻隊員の方々が、その地から飛び立っていかれ
命を落とされていたのですね。
終戦に至るまでの日本の暗く哀しい歴史の一場面です。
2月には、高尾野にありますお墓の墓じまいにまいります。
なかなか夫はこれまで決心出来なかったのですが、今後のことを考えますと
やむを得ないことと決断しました。
その折は時間的な余裕もなさそうで、観光も美味しいもの巡りも出来そうもない
ことが残念です。
本年もご健康で楽しい旅ができますようお祈りしております。
mistral
- マーさん からの返信 2022/01/10 14:14:44
- メッセージありがとうございます(^^♪
- こちらこそ、今年も宜しくお願いいたします。
なんと !? ご主人様と山元氏 同級生とは !? よくご存じなワケ
ですね~ ここバレルバレーはオープン時、数回訪れて以来でした。
ただ、ここの祖である 河内源一郎商店さんとは菓子原材料や甘酒原料
(麹菌) 扱う会社に勤めていた事もあり、昔から知っていました。
あの一時期日本でもブームになった「マッコリ」もここ河内菌が
発祥でしたし、かのK国はなんでも我が国が発祥だと
日本古来のものに、因縁つけてますが(笑)
鹿児島はmistralさんもご存じの通り、旧陸海軍の特攻基地跡が
多数残されています。ワタシはこの負の遺産とも云える
基地跡 訪ねてきましたが、近年嬉しいことに この戦争遺構を
保存整備していこうと各自治体が力を入れているみたいで
10数年前からすると綺麗に整備され見違えるようになってる施設も
あります。 これって大事な事だと想います。当時の事を語り継ぐ
世代の方々が少なくなりつつ今、忘れてはいけない事として・・・
来月 来鹿されるのですね オミクロン株が第6波となりまた
昨秋以来の「緊急事態宣言」など発令されない事
を願ってます。 お気をつけてお越しください。
- mistralさん からの返信 2022/01/10 15:42:09
- Re: 知っている名前が。
- マーさん
早速のご返信をありがとうございました。
思いがけずのご縁が麹菌を通して?あったようですね。
河内源一郎商店さん(社名は幾つかあるようで、商品によって使い分けておられる?) のマッコリは我が家のお気に入りでもありました。
温度などの管理が難しかったようで、現在では製造中止となっています。
そのマッコリにまつわり、先先代が韓国から来ていた従業員が帰国する折に河内菌を持たせた、という事を知り、
今まで飲んでいたマッコリなるものが本物ではなかったことを知ったり、ある意味カルチャーショックを受けたものです。
鹿児島における負の遺産ともいえる特攻関連施設が、
アウシュヴィッツと同じように保存整備されていって
代々語り継いでいってくれる事を願いますね。
ありがとうございました。
mistral
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