2021/11/10 - 2021/11/12
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akitaineさん
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隠岐の島考古学ツアーに行ってきました。
はじめて訪れる隠岐の島。古墳・神社・相撲・断崖絶壁の荒々しい自然・日本最古の岩石が採れる場所・巨大杉、と見どころ満載でした。個人的な旅行もいいけど、見どころを効率的に回るためと専門家の解説付きのツアーはとても便利でした。
2泊3日の旅程でしたが、実際はもっと長い旅だったように感じられました。
後半は、2日目の島前(どうぜん)訪問地2か所と3日目の島後のスポットです。
【訪問した場所】
第2日目(島前):由良比女神社、美田尻古墳
第3日目(島後):水若酢神社、水若酢神社古墳群、隠岐郷土館、白島展望台、玉若酢命神社、玉若酢命神社古墳群、億岐家住宅・宝物館、大城遺跡
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス JALグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
次の訪問地は、由良比女神社です。
海のすぐそばに位置する神社で、入り組んだ入り江~ 由良の浜、カルデラ陥没の内海でもある~の奥にあります。
かつて大量のイカが由良の浜に入ってきて、イカが掬い放題、イカで財を成した人もあったそうです。
由緒書。842年官社となったとあります。中央との結びつきも深かった。 -
神社前から海を撮ります。
左手が由良の浜。 -
拝殿に向かう前の石灯籠にもイカの彫り物。
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拝殿。奥に本殿があります。
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拝殿の天井下にもイカのレリーフ。
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拝殿左側を回り込み、、、。杉が見事。
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こちらが本殿です。
立派な造り。地元の方々がきちんと管理していないときれいに維持できません。 -
神社入口には土俵がありました。
隠岐では隠岐古典相撲が連綿と行われています。
祝い事、神社の葺き替え事業、公共工事の竣工記念などのときに行われ、元々は神様への奉納相撲であり、宮相撲ともいわれていたそうです。
今回も多くの神社にセットのように土俵がありました。 -
マンホールにもイカ!
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フェリーに乗る前に、2日目最後の訪問地、美田尻古墳にまいります。
立派な鳥居の上にあるのは、美田八幡宮。フェリー乗り場のすぐ近くの裏山にあります。地元の中心的存在なのですが、今日のお目当ては八幡宮の上の山頂、写真の右側の山の中にある古墳です。地図にもまったく載っていません。 -
しかし、私たちは考古学ツアーの面々。道なき道を藪をかき分け登り、それらしき墳丘を発見。かなり古い綱が木に結ばれていました。縄が木に食い込んでいるのでかなり前に結ばれたもの。
墳丘の形は、円墳で2段になっており下段のテラスも確認。
講師の先生によれば、6世紀のものだろう、ということ。
先生も感激。 -
地上には、石棺が破損したものと思われる石。その他、葺石か?と思われる石もありました。
ほとんど放置されていて、ひっそりと眠っている古墳でした。
木を取り払えば、丘の上から海もよく見えたことでしょう。 -
古墳の下にある美田八幡宮には、八幡宮の土俵がありました。
屋根が神社のようで、立派です。
夕方になってきました。
フェリーに乗って島後に戻ります。 -
第3日目。
本日最初の訪問地は、水若酢神社。この名前、不明な点が多いのです。古事記や日本書紀には記載がなく、由緒を記す文書は兵火などで失われているとのこと。ワカス=湧かす=造り上げる=国土開発ではないでしょうか。本州では見かけない神様。 -
しかし、拝殿は美しく清々しい。
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本殿。
本殿は神命造りで、屋根は茅葺<20年毎葺き替え>切妻出雲大社造り、向拝は春日造りの混ぜご飯 -
境内には土俵もありました。
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水若酢神社の右側には古墳群があります。
これも神社と古墳のセットのパターン。
覆われていた土は無くなり、石が露出しています。 -
古墳は隠岐最大の11mの横穴式石室。写真の石組は玄室と羨道エンドウ<習慣的にセンドウ>(玄室に至る通路)最後にあたる石は玄室の石でその奥に石棺が二基あったはず。
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横長の羨道を入口から見ました。
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古墳群を左に見ながら少し上がると、平地が現れ、タイムスリップしたように、洋風の建物が出てきました。
次の見学地。隠岐郷土館です。明治初期に建てられたもので、郡役所として使用されていました。1970年、移築し郷土館として開館。
クラシックな建物の中には、郷土の生活用品・用具などが展示されています。 -
建物内部。
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入口のテラスから紅葉を眺めます。
展示物も郷土の様子がわかって面白かったけど、建物そのものが明治を感じハイカラで素晴らしかった。 -
次は白島展望台。550万年前の噴出型流紋岩の柱状節理が浸食され、美しい景観です。
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次の見学地は、大城墳丘墓です。
工事現場から偶然見つかったという弥生墳丘墓。
長方形の形をして各角から登り通路のような足がでています。「四隅突出型弥生墳丘墓」といいます。
木棺や弥生土器片が見つかりました。
古墳時代前の有力者のお墓。
本来は吉備山陰北陸だけの、古墳時代が始まる前の墓型と考えられていましたが、隠岐でも最近発見され、本土との緊密な関係が分かる。ヤマト王権以前に成立していた日本海沿岸王権が想定されます。
講師の先生のお説では、先代の統治者が亡くなり、後継者やその親族が通路から墳丘墓の上に上がり、承継者としての儀式を行ったのではないか。4つの通路は、上がりと下りで1セット。親族とそれ以外の人で分けていたのではないか、とのことです。
後継儀式は先生の実演付きでした。 -
大城遺跡の説明板。
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いよいよ最後の見学地となりました。
玉若酢命神社と玉若酢命神社古墳群、そして神社の隣にある宮司を務める億岐家住宅と宝物館です。
神社入口ですが、後ろの杉がやたら大きいのわかりますか。
大木の支え棒もすごい。 -
これが樹齢2000年といわれる八百杉。境内に堂々と鎮座。
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拝殿。
お詣りした後、神社の裏手の小山を少し登って、古墳群へ。
神社と古墳セットのパターン。 -
神社を通らずに古墳に行く道の案内板。
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こんな感じで、草ボーボーです。倒木もあって、かきわけ、かきわけ、古墳の上まで登りました。ここは前方後円墳です。何となく形がわかりますが、手入れはされておらず、どうでもいい、感じもあります。
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最後の最後の訪問地は、玉若酢命神社の宮司さんを務める億岐家住宅。玉若酢命神社の入口左手にあります。
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現在もご一家がお住まいの住居です。入口が3つあり、立場によって入口が違うそうです。
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隣の宝物館には、大化2年(646年)に作られた駅伝制度に使われた隠岐国駅鈴のレプリカが展示されていました。
中央政府の発行したもので、当時の都と諸国間の交通のため、各地で人馬徴発の証として使われていました。億岐家所蔵。 -
駅鈴を駅で提示している様子。
はるか昔から国として存在していた隠岐国。
来る前は、のどかな島だけの印象でした。確かに人口は2万人以下という規模です。
かつては、より大きな意味を持つ地であったことがわかりました。
海流の関係で交通の要所であったこと、自然と水が豊かな地。
縄文時代には、黒曜石産出地として、弥生時代以降は、すでに国として人を治める体制ができていたということ、外交的にも重要な地であったことでしょう。また海の避難地としての意味もあります。海に囲まれているハンデが逆に、島で産出された杉などの大きな木材などの運搬には有利なこともわかりました。
百聞は一見に如かず、行ってみなければわからない。
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