高尾・八王子旅行記(ブログ) 一覧に戻る
この所コロナの新規感染者数が少なくなりましたので、youの近場でもある関東屈指の山城と言われている八王子城に行ってきました。<br />八王子城は、小田原に本拠をおいた北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照が築いた山城で、1590年6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて一日で落城してしまいました。<br /><br />今に残る城跡は、城主氏照の館のあった「御主殿跡」と、戦闘時に要塞となった「要害地区」に分かれており、これらを巡ります。<br /><br />表紙の写真は、御主殿入口の門(冠木門)。<br />

国史跡「八王子城」跡を巡る

14いいね!

2021/11/04 - 2021/11/04

852位(同エリア1903件中)

4

53

you

youさん

この所コロナの新規感染者数が少なくなりましたので、youの近場でもある関東屈指の山城と言われている八王子城に行ってきました。
八王子城は、小田原に本拠をおいた北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照が築いた山城で、1590年6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて一日で落城してしまいました。

今に残る城跡は、城主氏照の館のあった「御主殿跡」と、戦闘時に要塞となった「要害地区」に分かれており、これらを巡ります。

表紙の写真は、御主殿入口の門(冠木門)。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩

PR

  • 八王子城跡入口付近にある専用駐車場です。自宅から車で来ました。<br />JR高尾駅からもバスと徒歩で来ることができます。<br /><br />駐車料や城跡への入場は無料。

    八王子城跡入口付近にある専用駐車場です。自宅から車で来ました。
    JR高尾駅からもバスと徒歩で来ることができます。

    駐車料や城跡への入場は無料。

  • 駐車場わきのガイダンス施設でゲットしたパンフレット。<br />本旅行記の説明は、この資料や現地に設置されている説明版を引用しています。<br /><br />

    駐車場わきのガイダンス施設でゲットしたパンフレット。
    本旅行記の説明は、この資料や現地に設置されている説明版を引用しています。

  • 施設内の様子です。<br />ここでは、城の歴史や城主の北条氏照につてい学ぶことができるほかに、トイレや自販機等があります。<br />

    施設内の様子です。
    ここでは、城の歴史や城主の北条氏照につてい学ぶことができるほかに、トイレや自販機等があります。

  • こちらは施設内に展示されているヴェネツィア産のレースガラス器です。<br />御主殿の敷地で見つかったもので、どのような経緯で持ち込まれたかは分かりませんが、戦国大名と言えども文化的な生活もしていたみたいです。<br />

    こちらは施設内に展示されているヴェネツィア産のレースガラス器です。
    御主殿の敷地で見つかったもので、どのような経緯で持ち込まれたかは分かりませんが、戦国大名と言えども文化的な生活もしていたみたいです。

  • 八王子城の概略図です。<br />八王子城は、小田原に本拠を置いた北条氏の三代目氏康の三男氏照が、1582年ごろから築いた関東屈指の山城です。<br />深沢山(460m)の山頂に「本丸」が築かれ、その麓付近に城主氏照の館であった「御主殿」が築かれていました。

    八王子城の概略図です。
    八王子城は、小田原に本拠を置いた北条氏の三代目氏康の三男氏照が、1582年ごろから築いた関東屈指の山城です。
    深沢山(460m)の山頂に「本丸」が築かれ、その麓付近に城主氏照の館であった「御主殿」が築かれていました。

  • はじめに城山の麓にある「御主殿」あとに向かいます。<br />麓を流れている「城山川」にかかる橋を渡った先に大手門跡があります。

    はじめに城山の麓にある「御主殿」あとに向かいます。
    麓を流れている「城山川」にかかる橋を渡った先に大手門跡があります。

  • 戦国時代に御主殿へ入る道として使われていた古道(大手道)を進みます。

    戦国時代に御主殿へ入る道として使われていた古道(大手道)を進みます。

  • 古道の先に城山川にかけられた「曳橋」が見えてきました。<br />かっての曳橋は、簡素な木造で敵が攻めてきたときに橋を壊して、敵の侵入を防ぐ役目をしていました。

    古道の先に城山川にかけられた「曳橋」が見えてきました。
    かっての曳橋は、簡素な木造で敵が攻めてきたときに橋を壊して、敵の侵入を防ぐ役目をしていました。

  • 曳橋を渡ります。

    曳橋を渡ります。

  • 御主殿へと続く虎口の石垣。

    御主殿へと続く虎口の石垣。

  • こちらは築城当時のまま残る石垣です。<br />戦国時代の石積み様式が見られます。城山山中で産出した砂岩を積み重ね、その隙間に小石を詰めて強固な石垣としています。

    こちらは築城当時のまま残る石垣です。
    戦国時代の石積み様式が見られます。城山山中で産出した砂岩を積み重ね、その隙間に小石を詰めて強固な石垣としています。

  • 御主殿のあった曲輪への出入り口(虎口)の石段を上ります。

    御主殿のあった曲輪への出入り口(虎口)の石段を上ります。

  • 虎口の石段先に御主殿への冠木門(かぶきもん)が見えてきました。

    虎口の石段先に御主殿への冠木門(かぶきもん)が見えてきました。

  • 石段上から振り返って虎口全体を眺めています。<br />御主殿の虎口は、曳橋を渡った位置から、高低差約9mを「コ」の字形に折れ曲がった階段通路としていることが特徴で、防御と攻撃の拠点となるように工夫されています。<br />

    石段上から振り返って虎口全体を眺めています。
    御主殿の虎口は、曳橋を渡った位置から、高低差約9mを「コ」の字形に折れ曲がった階段通路としていることが特徴で、防御と攻撃の拠点となるように工夫されています。

  • 御主殿の建っていた曲輪に来ました。<br />右手に発掘調査によって明らかになった建物の礎石や水路跡などの説明板があります。

    御主殿の建っていた曲輪に来ました。
    右手に発掘調査によって明らかになった建物の礎石や水路跡などの説明板があります。

  • こちらはその御主殿跡の整備説明図です。<br /><br />氏照が構想していた城郭は壮大で、池のある庭園を挟んで主殿と会所とが建っていました。落城当時も全体はまだ未完成であったとか。<br />

    こちらはその御主殿跡の整備説明図です。

    氏照が構想していた城郭は壮大で、池のある庭園を挟んで主殿と会所とが建っていました。落城当時も全体はまだ未完成であったとか。

  • 敷地の東西方向に水路遺構が見られます。<br />その左側奥の草むら部分が主殿跡になります。

    敷地の東西方向に水路遺構が見られます。
    その左側奥の草むら部分が主殿跡になります。

  • こちらは道路状遺構。<br />道路の両側に石の列があり、路面は山砂利を多く含む黄褐色土を固めて構築されています。<br />

    こちらは道路状遺構。
    道路の両側に石の列があり、路面は山砂利を多く含む黄褐色土を固めて構築されています。

  • 塀の柱跡。<br />落城の際、柱の根元が焼け残り、その後に根元が腐って空洞化したようです。発掘調査でこのような空洞化した柱穴が7か所一列に並んでいるのが見つかり、塀の柱跡であると分かりました。<br />イタリアのポンペイ遺跡で、固まった灰の空洞部が焼けた遺体あとと分かったのと同じかなぁ。

    塀の柱跡。
    落城の際、柱の根元が焼け残り、その後に根元が腐って空洞化したようです。発掘調査でこのような空洞化した柱穴が7か所一列に並んでいるのが見つかり、塀の柱跡であると分かりました。
    イタリアのポンペイ遺跡で、固まった灰の空洞部が焼けた遺体あとと分かったのと同じかなぁ。

  • 枯山水の庭園があったとされる場所です。

    枯山水の庭園があったとされる場所です。

  • 床が復元されている会所跡。庭園は会所と主殿とに挟まれた形に造られています。<br />会所は主殿で儀式を終えたあと、宴会など行った場所と考えられています。

    床が復元されている会所跡。庭園は会所と主殿とに挟まれた形に造られています。
    会所は主殿で儀式を終えたあと、宴会など行った場所と考えられています。

  • 会所の建物に沿って作られている敷石通路。<br />両側に溝が設けられていますが一つは会所建物の雨落溝と思われます。

    会所の建物に沿って作られている敷石通路。
    両側に溝が設けられていますが一つは会所建物の雨落溝と思われます。

  • 曲輪の西側奥から会所跡と主殿跡全体を見ています。周囲が林に囲まれていますが広大な敷地であることが分かります。

    曲輪の西側奥から会所跡と主殿跡全体を見ています。周囲が林に囲まれていますが広大な敷地であることが分かります。

  • 御主殿のある曲輪から、ご覧の坂を下って城山川沿いに出ます。

    御主殿のある曲輪から、ご覧の坂を下って城山川沿いに出ます。

  • 城山川の下流側に「御主殿の滝」があります。<br />八王子城が落城した際に、御主殿にいた北条方の武将や女性、子どもなどが滝の上で自決して次々に身を投げたとされる場所です。

    城山川の下流側に「御主殿の滝」があります。
    八王子城が落城した際に、御主殿にいた北条方の武将や女性、子どもなどが滝の上で自決して次々に身を投げたとされる場所です。

  • 滝のたもとに御主殿の滝慰霊碑が立っています。

    滝のたもとに御主殿の滝慰霊碑が立っています。

  • 城山川沿いから御主殿跡の石垣が見られます。う~ん。。密林に埋もれつつあった中南米のピラミッドを思い出します。<br />

    城山川沿いから御主殿跡の石垣が見られます。う~ん。。密林に埋もれつつあった中南米のピラミッドを思い出します。

  • つづいて、八王子神社の鳥居をくぐって城の本丸があった山頂に向かいます。

    つづいて、八王子神社の鳥居をくぐって城の本丸があった山頂に向かいます。

  • ご覧のような石段が所々にあります。<br />この道は八王子神社への参道でもあります。途中に旧道との分岐点がありますが、新道と呼ばれている参道側を辿ります。

    ご覧のような石段が所々にあります。
    この道は八王子神社への参道でもあります。途中に旧道との分岐点がありますが、新道と呼ばれている参道側を辿ります。

  • 2つ目の鳥居を潜ります。

    2つ目の鳥居を潜ります。

  • 整備された石段を上ります。

    整備された石段を上ります。

  • 金子曲輪と呼ばれている広場に来ました。<br />

    金子曲輪と呼ばれている広場に来ました。

  • ここに建つ説明版。<br />金子三郎右衛門家重が守備していたと言われており、屋根をひな壇上に造り、敵の侵入を防ぐ工夫がなされていました。

    ここに建つ説明版。
    金子三郎右衛門家重が守備していたと言われており、屋根をひな壇上に造り、敵の侵入を防ぐ工夫がなされていました。

  • 「7合目」標識を通過。<br />

    「7合目」標識を通過。

  • 棚門跡と呼ばれている平坦地に来ました。右から来た旧道とここで合流します。<br />標識に沿って正面の石段を上ります。

    棚門跡と呼ばれている平坦地に来ました。右から来た旧道とここで合流します。
    標識に沿って正面の石段を上ります。

  • 木立の間から市街地が見えています。

    木立の間から市街地が見えています。

  • 九十九折の参道を上ります。

    九十九折の参道を上ります。

  • 9合目のかどを曲がって山頂を目指します。

    9合目のかどを曲がって山頂を目指します。

  • 八王子神社参道の御神木の間を抜けて行きます。

    八王子神社参道の御神木の間を抜けて行きます。

  • 八王子神社へ続く石段を上ります。

    八王子神社へ続く石段を上ります。

  • 八王子神社のある広場に来ました。<br />八王子神社は、牛頭天王(ごずてんのう)とその主神につき従う八人の王子を祀るために、916年(延喜16年)に創建されたと言われています。北条氏照が城の守護神としていました。<br />歴史ある神社なのに屋根の一部が落ちかけていて少し残念。。。。

    八王子神社のある広場に来ました。
    八王子神社は、牛頭天王(ごずてんのう)とその主神につき従う八人の王子を祀るために、916年(延喜16年)に創建されたと言われています。北条氏照が城の守護神としていました。
    歴史ある神社なのに屋根の一部が落ちかけていて少し残念。。。。

  • 神社裏手にカラス天狗像が立っています。<br />隣の高尾山にも天狗様がおりますが、彼とお友達かなぁ。

    神社裏手にカラス天狗像が立っています。
    隣の高尾山にも天狗様がおりますが、彼とお友達かなぁ。

  • 更に石段と坂を上って城の中心、本丸跡に着きました。<br />本丸跡にしては狭いので、天守閣などの大きな建物はなかったようです。<br />ここが標高460mの深沢山の山頂でもあります。麓の入口にあった鳥居から、ゆっくりペースで約1時間かかりました。<br />

    更に石段と坂を上って城の中心、本丸跡に着きました。
    本丸跡にしては狭いので、天守閣などの大きな建物はなかったようです。
    ここが標高460mの深沢山の山頂でもあります。麓の入口にあった鳥居から、ゆっくりペースで約1時間かかりました。

  • 山頂付近にご覧のような根元付近は太く、途中から枝分かれした巨木が見られます。本丸が建っていた400年以上前から、紆余曲折した歴史をず~と見つめてきたのでしょう。

    山頂付近にご覧のような根元付近は太く、途中から枝分かれした巨木が見られます。本丸が建っていた400年以上前から、紆余曲折した歴史をず~と見つめてきたのでしょう。

  •  八王子神社脇の標識に従って松本曲輪に向かいます。

    八王子神社脇の標識に従って松本曲輪に向かいます。

  • 松本曲輪に来ました。<br />ベンチなども設置され、眺望もよい場所なので、ここでランチタイムとします。<br />

    松本曲輪に来ました。
    ベンチなども設置され、眺望もよい場所なので、ここでランチタイムとします。

  • 松木曲輪にある石碑。石段や石柱が傾いていてここも少し残念・・・

    松木曲輪にある石碑。石段や石柱が傾いていてここも少し残念・・・

  • 松木曲輪からの眺望。その1<br />八王子市街地が眼下に広がっています。

    松木曲輪からの眺望。その1
    八王子市街地が眼下に広がっています。

  • 松木曲輪からの眺望。その2

    松木曲輪からの眺望。その2

  • 松木曲輪からの眺望。その3<br />水平線の先に高層ビルなどが霞んで見えています。<br />八王子城は、かなり険しい山道を辿った山頂に、その地形を生かして築かれていたことが分かります。それなのに、敵の攻撃を受けて1日にして落城してしまったとは・・・そして、ここでの落城が決め手となって、北条氏は滅亡しました。戦国時代の歴史とは言え、無念としか言いようがありません。

    松木曲輪からの眺望。その3
    水平線の先に高層ビルなどが霞んで見えています。
    八王子城は、かなり険しい山道を辿った山頂に、その地形を生かして築かれていたことが分かります。それなのに、敵の攻撃を受けて1日にして落城してしまったとは・・・そして、ここでの落城が決め手となって、北条氏は滅亡しました。戦国時代の歴史とは言え、無念としか言いようがありません。

  • ガイダンス施設の裏手にある脇道を進んだ先にあるこの階段を上って、北条氏照・家臣の墓に向かいます。

    ガイダンス施設の裏手にある脇道を進んだ先にあるこの階段を上って、北条氏照・家臣の墓に向かいます。

  • こちらが北条氏照の墓。真新しい花が飾られています。<br />周囲や背後には、氏照の家臣らの墓があります。<br />

    こちらが北条氏照の墓。真新しい花が飾られています。
    周囲や背後には、氏照の家臣らの墓があります。

  • こちらは脇に建てられている説明版。<br />これによれば、氏照の墓と言うのは、彼の死後100年忌に建てられた供養塔とのことです。<br /><br />最後までご覧いただき有難うございました。

    こちらは脇に建てられている説明版。
    これによれば、氏照の墓と言うのは、彼の死後100年忌に建てられた供養塔とのことです。

    最後までご覧いただき有難うございました。

14いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (4)

開く

閉じる

  • かれんさん 2021/11/25 23:52:08
    youさん こんばんわ!
    八王子にもこんな山城があったのですね。驚きです。石垣など しっかり残っていますね。昔の人は栄枯盛衰の中で、しっかりと暮らしていたのでしょうね。写真を拝見する限り、今にも 侍や 当時のお姫様が出てきそうな雰囲気はありますね。貴重な写真をありがとうございました。私も 旅行が大好きなので、行動制限も緩和されたし、そろそろまた旅行を楽しもうと思っています。私の旅行記に「いいね!」をいただき、ありがとうございました。

    you

    youさん からの返信 2021/11/26 22:45:31
    Re: youさん こんばんわ!
    かれんさん

    こんばんは。コメント有難うございます。
    ハイ、八王子の山奥にもかっては立派な山城があったのです。
    豊臣軍に負けていなければ、お城も現存していたかもしれませんし、その後の日本も変わっていたかもしれません。

    かれんさん、ストーンヘンジのビジターセンターまで行き、その裏手の巨石までご覧になったのに、本物のストーンヘンジの場所まで行けなかったとは、本当に残念でしたね。

    youは2017年にストーンヘンジに行きました。八王子城の石垣が築かれた時代とはけた違いに古い時代の遺跡で、実物を見て感動しました。よろしければ、下記の旅行記を覗いて見てくださいまし。
    https://4travel.jp/travelogue/11243240

    you
  • pedaruさん 2021/11/23 06:21:11
    八王子城
    youさん おはようございます。

    今朝一番乗りの旅行記訪問です。
    やー、感動しました、こんなに近場に知る人ぞ知る古城があったとは!旅行記をみるまでは、中世の土塁が微かに残るだけの、城跡かと思っておりました。
    ところが、あの北条氏の立派な山城があったのですね。
    pedaruが無知なのですが、それにしてもこれほどの城が、あまり知られていないというのは謎ですね。
    草深い中に立派な石垣が出現、南米のジャングルのなかで見るピラミッドを想起させるに十分なシーンですね。
    山の上の神社、これほどの由緒ある神社なのに、あの佇まい、栄枯盛衰を感じます。
    私でも登れるか研究してみます(笑)。

    pedaru

    you

    youさん からの返信 2021/11/23 22:59:41
    RE: 八王子城
    pedaruさん

    こんばんは。
    地味な旅行記に感動いただき恐縮です。

    確かに、八王子の町名は知られていても、お城の存在はあまり知られていないようですね。
     それもあってか、城跡入口の案内所には、北条氏や八王子城をNHKの大河ドラマに取り上げてもらおう・・・との署名簿が備えられていました。関東一円に理想的な国家を築こうとしていた北条一族ですから、感動的な戦国時代の歴史ドラマになると思います。

    本丸のあった山頂までは、健脚のpedaruさんならば40分で登れるでしょう。山頂からは素晴らしい景色が見られます。天気の良い日に是非とも訪れてくださいまし。

    you

youさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP