2021/09/20 - 2021/09/20
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minaMicazeさん
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伊勢崎市東小保方町、「大東神社」のヒガンバナです。と言っても名所とか群生地などではありません。近くを通ったら咲いてるのが見えた、のです。咲き具合は見頃終盤、一部萎れ始めていました。
この「大東神社」、花菖蒲園がある「あずま水生植物公園」の東に隣接しており、道路を挟んだ北側は東消防署です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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伊勢崎市の「あずま水生植物公園」にやってきました。駐車場から北を見ると、水田の向こうに赤城山が見えます。天気快晴、青空に恵まれました。
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駐車場の端には、萎れ始めていますが、ヒガンバナが咲き残っています。
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北西の隅に池があり、その畔にもヒガンバナが咲いています。一部色あせ萎れ始めています。
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「あずま水生植物公園」の花菖蒲畑です。ハナショウブ観賞用の木道(滑り止めのシートが貼ってある)を西(手前)から東(向こう側)へ渡ります。
向こう側の並木は、神社の参道です。 -
花菖蒲畑の東隣に、神社の参道があります。ここは南西角の鳥居です。
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参道脇に咲いていたヒガンバナです。左の写真の奥に、花菖蒲畑が見えます。
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境内の西に咲いたいてヒガンバナです。奥の建物は社務所だと思います。
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萎れ始めた花もありますが、若そうな花も残っています。
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色あせ始めて、元気がなくなってきています。
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色あせた花と、若そうな花が混在しています。
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この辺は、まだ蕾もありますし、でも少しくたびれてきています。
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ちょっと時間が経ってますが、我慢どころでしょうか。
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社務所の横に「東村指定史跡 旗本久永氏陣屋跡」と書かれた標柱が立っています。隣の説明板によると、
・現在の東小保方地区は、江戸時代には東小保方村と呼ばれ、徳川家旗本の久永源兵衛重勝の領地だった。
・久永氏は、ここに陣屋を設けた。陣屋は、明治維新後廃止された。
・その後、一時期、小保方小学校として使われた。
・大正2年(1913)に、周辺の神社を合祀した「大東神社」が置かれた。 -
「大東神社」の拝殿です。
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社殿の東側に「大東神社 遊歩道」の看板があります。この木立の中に、群生したヒガンバナが赤い絨毯のように咲いて、その間の遊歩道を散策する、と言うような場面を作りたかったのかもしれません。
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あるいは、嘗ては、そのくらい沢山のヒガンバナが咲いたのかもしれません。
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でも今は、というか、この日は、ところどころに咲いてるだけでした。
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イチオシ
咲いてるヒガンバナも、色あせたり萎れ始めたりしている花が目立ちました。
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この日は9月20日、ヒガンバナが萎れるには早過ぎます。
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イチオシ
境内の東にも、ヒガンバナが咲いています。
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ここでも傷み始めた花が目立ちます。
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木立の中の遊歩道の東端が、この付近だとおもいます。
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振り返ると、木立の向こうに社務所、右の方には(暗くて分かり難いけど)社殿があります。
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イチオシ
少し左を見ると、鳥居が見えます。東側の参道の二つ目の鳥居です。
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東側の参道の二の鳥居です。
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ここでもヒガンバナは色あせ萎れ始めています。
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東側の参道、二の鳥居から見た東方向です。
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この南側には「弁天橋」があります。
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「弁天橋」は、南側の花菖蒲畑(池)の中の島との間に架けられています。
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イチオシ
東側の鳥居から外へ出ました。
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境内の外から見た、東側の参道の入口です。
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境内の周囲にも、ヒガンバナが咲いています。
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東側の水田です。
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参道の正面、田んぼの畦のヒガンバナです。
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東側の道路から見た「弁天橋」です。右が境内、左の木が繁っているところが、花菖蒲畑(池)の中の島です。
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この島に弁天堂を造って、弁天島にする計画だったかもしれません。
この日は晴天に恵まれ、思いもかけず立ち寄った「大東神社」でヒガンバナを見ることが出来ました。
( おしまい )
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