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「つづく」と書きながら、長らく続かなかった2018年のジョージアへの旅行記の続きです。<br />この日はトビリシのホテルをチェックアウトし、軍用道路を北へ走りました。<br />まずは、前日入れなかったムツヘタの大聖堂に入って謂れを学び、それからアナヌリ要塞、ロシア・ジョージア友好の碑を通り、目的地のカズベギへ。<br />実は私は2度目だったのですが、カズベギの様変わりには仰天しました。<br />こんな話を写真を中心に記したいと思います。<br /><br />2020年、21年は新型コロナの影響で旅行の回数は激減していますが、私達はこれまでに50カ国超を訪れています。その記録はどうぞこちらから:https://mirandalovestravelling.com/ja/

異空間ジョージアへの旅ー軍用道路を北上する

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2018/07/11 - 2018/07/21

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ミランダ

ミランダさん

「つづく」と書きながら、長らく続かなかった2018年のジョージアへの旅行記の続きです。
この日はトビリシのホテルをチェックアウトし、軍用道路を北へ走りました。
まずは、前日入れなかったムツヘタの大聖堂に入って謂れを学び、それからアナヌリ要塞、ロシア・ジョージア友好の碑を通り、目的地のカズベギへ。
実は私は2度目だったのですが、カズベギの様変わりには仰天しました。
こんな話を写真を中心に記したいと思います。

2020年、21年は新型コロナの影響で旅行の回数は激減していますが、私達はこれまでに50カ国超を訪れています。その記録はどうぞこちらから:https://mirandalovestravelling.com/ja/

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
4.0
  • トビリシのホテルをチェックアウトして、まずは前日入れなかったムツヘタの大聖堂へ。

    トビリシのホテルをチェックアウトして、まずは前日入れなかったムツヘタの大聖堂へ。

  • キリストが磔にされた際に着ていた服の一部を抱いたまま亡くなった女性の墓の上に建てた教会。<br />その墓地に生えたシーダーの木を使って建てましたが、7本目の柱が宙に浮いて、建設が進まなかったとか。<br />聖ニノの祈りに応えて、柱が着地。ようやく建設できたそうです。<br />そして、この柱が様々な奇跡を行い、「命の柱」と呼ばれるようになったという話でした。<br /><br />ジョージアにはこのような、逸話が盛りだくさん。

    キリストが磔にされた際に着ていた服の一部を抱いたまま亡くなった女性の墓の上に建てた教会。
    その墓地に生えたシーダーの木を使って建てましたが、7本目の柱が宙に浮いて、建設が進まなかったとか。
    聖ニノの祈りに応えて、柱が着地。ようやく建設できたそうです。
    そして、この柱が様々な奇跡を行い、「命の柱」と呼ばれるようになったという話でした。

    ジョージアにはこのような、逸話が盛りだくさん。

  • ここに柱が祭ってあるのですが、そのそばに祈りの言葉が記された本があり、ここでずーっと祈っている人の姿がありました。

    ここに柱が祭ってあるのですが、そのそばに祈りの言葉が記された本があり、ここでずーっと祈っている人の姿がありました。

  • 邪魔をしないように、本を撮ってみました。

    イチオシ

    邪魔をしないように、本を撮ってみました。

  • この大聖堂には、そのほかにもいろいろな宝物や物語が詰まっていて、確かに一見の価値あり。<br />前日、ガイドのアナが「ここは外せない」と言ったのもよく分かりました。

    この大聖堂には、そのほかにもいろいろな宝物や物語が詰まっていて、確かに一見の価値あり。
    前日、ガイドのアナが「ここは外せない」と言ったのもよく分かりました。

  • 大聖堂の中で撮った写真をいくつか、並べます。<br />それぞれ謂れがあるのですが、今となってはうろ覚え。

    大聖堂の中で撮った写真をいくつか、並べます。
    それぞれ謂れがあるのですが、今となってはうろ覚え。

  • これは外壁にあった彫刻です。<br />大聖堂が出来上がった時に当時の王様を招いたら、王様がいたく感動し、これと同じ物が建てられないよう、建築家の腕を切断したことに由来する彫刻なのだそうです。

    これは外壁にあった彫刻です。
    大聖堂が出来上がった時に当時の王様を招いたら、王様がいたく感動し、これと同じ物が建てられないよう、建築家の腕を切断したことに由来する彫刻なのだそうです。

  • 美しく装飾された窓。<br /><br />ここを出た外の階段に腰かけて神父と話していた女性が泣いていました。<br />ガイドのアナによると、この国の正教では懺悔室に入ることなく、どこでも懺悔ができるとのことで、この女性も懺悔中だったかも、とのこと。<br />話す勇気がない人は、紙に書いて渡すこともできるそうです。

    美しく装飾された窓。

    ここを出た外の階段に腰かけて神父と話していた女性が泣いていました。
    ガイドのアナによると、この国の正教では懺悔室に入ることなく、どこでも懺悔ができるとのことで、この女性も懺悔中だったかも、とのこと。
    話す勇気がない人は、紙に書いて渡すこともできるそうです。

  • 天気がイマイチだったのが残念なのですが、大聖堂を出た後は、軍用道路を北上し、トビリシの水や電気の供給を担っているという貯水池へ。

    天気がイマイチだったのが残念なのですが、大聖堂を出た後は、軍用道路を北上し、トビリシの水や電気の供給を担っているという貯水池へ。

  • そして、この貯水池のほとりに立っているのがアナヌリ要塞です。<br />この地域の貴族が建てたもので、17世紀後半の教会が主な見どころです。

    そして、この貯水池のほとりに立っているのがアナヌリ要塞です。
    この地域の貴族が建てたもので、17世紀後半の教会が主な見どころです。

  • 教会の外観。<br /><br />ここにも逸話があります。<br />タタール人に攻撃され包囲された際に、この要塞の人々は秘密の地下道を通って得た川の水と魚で生き延びていたといいます。<br />ある日、中の一人が調子に乗って鱒を宙に放り投げたため、敵が地下道の存在に気づきました。<br />敵は地元の女性をつかまえ拷問しましたが、彼女は口を割らず、人々は助かったという話でした。<br />この女性の名前がアナといい、アナヌリのアナは、彼女の名前に由来しているとのこと。

    教会の外観。

    ここにも逸話があります。
    タタール人に攻撃され包囲された際に、この要塞の人々は秘密の地下道を通って得た川の水と魚で生き延びていたといいます。
    ある日、中の一人が調子に乗って鱒を宙に放り投げたため、敵が地下道の存在に気づきました。
    敵は地元の女性をつかまえ拷問しましたが、彼女は口を割らず、人々は助かったという話でした。
    この女性の名前がアナといい、アナヌリのアナは、彼女の名前に由来しているとのこと。

  • 敷地の一角にあった穴。<br />井戸かと思ったら、昔の牢獄なのですって。<br />座る隙間もなく、囚人はずっと立たされていたそうです。

    敷地の一角にあった穴。
    井戸かと思ったら、昔の牢獄なのですって。
    座る隙間もなく、囚人はずっと立たされていたそうです。

  • こんな可愛い宇宙人みたいな天使の彫刻も。

    こんな可愛い宇宙人みたいな天使の彫刻も。

  • 教会にくっついて建てられている塔。<br />公爵が地元の娘に恋をしましたが、娘が断りました。<br />怒った公爵は、娘を塔に閉じ込めました。<br />娘が出られないよう塔を教会にくっつけて建てたという残酷な話でした。

    教会にくっついて建てられている塔。
    公爵が地元の娘に恋をしましたが、娘が断りました。
    怒った公爵は、娘を塔に閉じ込めました。
    娘が出られないよう塔を教会にくっつけて建てたという残酷な話でした。

  • この美しい風景を見るために、崩れかけた外壁に上りました。<br />かなり怖い思いをしましたが、その価値はあったかな。

    イチオシ

    この美しい風景を見るために、崩れかけた外壁に上りました。
    かなり怖い思いをしましたが、その価値はあったかな。

  • これは何かというと、ジョージア人の伝統的な被り物。

    これは何かというと、ジョージア人の伝統的な被り物。

  • こんな風に、闘士の格好をして写真を撮るサービスがありました。<br />アナヌリ要塞は、地元の人にとっても観光地のようでした。

    こんな風に、闘士の格好をして写真を撮るサービスがありました。
    アナヌリ要塞は、地元の人にとっても観光地のようでした。

  • さらに軍用道路を北へ進み、次の目的地はロシア・ジョージア友好の碑です。<br />その前に、スキーリゾートだというグダウリというところのスーパーマーケットで軽い昼食。<br />この際に、ガイドのアナが大事なバッグを置き忘れてきたという理由で、この友好の碑は私達だけで見学しました。

    さらに軍用道路を北へ進み、次の目的地はロシア・ジョージア友好の碑です。
    その前に、スキーリゾートだというグダウリというところのスーパーマーケットで軽い昼食。
    この際に、ガイドのアナが大事なバッグを置き忘れてきたという理由で、この友好の碑は私達だけで見学しました。

  • それは全く良かったのですが、ここまで上ると真冬の寒さ。<br />トビリシが猛暑だったので、夏の出で立ちの我々は凍え上がりました。

    それは全く良かったのですが、ここまで上ると真冬の寒さ。
    トビリシが猛暑だったので、夏の出で立ちの我々は凍え上がりました。

  • 寒さを我慢して見たここからの景色が絶景。

    寒さを我慢して見たここからの景色が絶景。

  • 晴れてたら、もっとすごかっただろうなあ。<br />これぞコーカサス山脈。

    晴れてたら、もっとすごかっただろうなあ。
    これぞコーカサス山脈。

  • この友好の碑は、ロシアとジョージアが初めて条約を結んだ1783年から200年たった1983年に建てられたそうです。<br />ちなみに、ジョージアは1801年にロシアに併合されました。<br /><br />ガイドのアナと運転手のギアが戻ってくる前に大雨が降り出しました。<br />私達は急きょ、近くのしがないケバブ屋で雨と寒さをしのいだのでしたが、ここで一緒になったアラブ人と思われる一団が、雨を楽しんでいました。<br />きっと雨が降らない国から来たのでしょう。

    この友好の碑は、ロシアとジョージアが初めて条約を結んだ1783年から200年たった1983年に建てられたそうです。
    ちなみに、ジョージアは1801年にロシアに併合されました。

    ガイドのアナと運転手のギアが戻ってくる前に大雨が降り出しました。
    私達は急きょ、近くのしがないケバブ屋で雨と寒さをしのいだのでしたが、ここで一緒になったアラブ人と思われる一団が、雨を楽しんでいました。
    きっと雨が降らない国から来たのでしょう。

  • この日の目的地、カズベギに辿り着きました。<br />この村は今は正確にはステパンツミンダといいますが、ソ連時代に呼ばれていたカズベギの方がまだ通りが良いようです。<br /><br />この写真はここで泊ったルーム・ホテルの部屋。

    この日の目的地、カズベギに辿り着きました。
    この村は今は正確にはステパンツミンダといいますが、ソ連時代に呼ばれていたカズベギの方がまだ通りが良いようです。

    この写真はここで泊ったルーム・ホテルの部屋。

  • 部屋のベランダからこんな景色が見られました。<br />晴れていたら、5047メートルのカズベギ山が見られるようです。<br /><br />ところで、私はこの村に18年前にも来たことがあります。<br />当時は豚が徘徊している本物の山奥の村で、こんな瀟洒なホテルなど、あるはずもありません。<br />電気の供給が不安定な民家に泊まって、ヒンガリの作り方を教わったりしたのでした。

    イチオシ

    部屋のベランダからこんな景色が見られました。
    晴れていたら、5047メートルのカズベギ山が見られるようです。

    ところで、私はこの村に18年前にも来たことがあります。
    当時は豚が徘徊している本物の山奥の村で、こんな瀟洒なホテルなど、あるはずもありません。
    電気の供給が不安定な民家に泊まって、ヒンガリの作り方を教わったりしたのでした。

  • 天気は一向に改善しませんでしたが、翌日の予報も良くなかったので、ホテルに荷物を置いて、さっそくゲルゲティ・サメバ教会に向かうことにしました。<br />日本の三菱車の4WDに乗ってガタガタ道を上りました。<br /><br />何でも、この道を改善する資金を世界銀行から得ているそうですが、改善に反対する地元民がいるそうです。<br />というのも、この観光客を乗せる4WDが村民の大切な収入源だからです。<br />特に冬場は閉ざされてしまうので、今が稼ぎ時です。

    天気は一向に改善しませんでしたが、翌日の予報も良くなかったので、ホテルに荷物を置いて、さっそくゲルゲティ・サメバ教会に向かうことにしました。
    日本の三菱車の4WDに乗ってガタガタ道を上りました。

    何でも、この道を改善する資金を世界銀行から得ているそうですが、改善に反対する地元民がいるそうです。
    というのも、この観光客を乗せる4WDが村民の大切な収入源だからです。
    特に冬場は閉ざされてしまうので、今が稼ぎ時です。

  • この教会は特別だそうで、ズボンを履いていたのですが、それだけでは足りず、女性は黒い布を巻き付けて中に入ることになっていました。<br /><br />ここにも逸話があります。<br />この地方に教会を建てることになった時、具体的にどこにするかで悩んだ際、賢人と目されていた人が「牛をと殺して切断し、ワタリガラスがその一片をくわえて飛び立ち、それを落とした所に建てるべし」と言ったそうで、ここになったのだそうです。

    この教会は特別だそうで、ズボンを履いていたのですが、それだけでは足りず、女性は黒い布を巻き付けて中に入ることになっていました。

    ここにも逸話があります。
    この地方に教会を建てることになった時、具体的にどこにするかで悩んだ際、賢人と目されていた人が「牛をと殺して切断し、ワタリガラスがその一片をくわえて飛び立ち、それを落とした所に建てるべし」と言ったそうで、ここになったのだそうです。

  • また、教会の建築家選びについては、軍用道路の最高点(2379メートル)の地点から、ここまで走って一番だった人とする、と決まったそうですが、びっこだった人が馬を使って一番となり、彼に仕事が与えられたそうです。<br /><br />ジョージア人にとって、この教会を含め、三位一体教会は非常に大切なのだそうです。<br />十字の切り方は、親指、人差し指、中指をくっつけて行うそうで、これは三位一体を示しているのだとか。<br />そしてキリストの二面性(神と人)を表す薬指と小指を、人の世界を表す手のひらに置くのだそうです。<br />十字を切る際、カトリックと異なり、上下の後、右から先に手を持って行くのは、右が「善」を意味するからだという話でした。<br /><br />教会の内部は写真不可。イコンがありました。<br />

    イチオシ

    また、教会の建築家選びについては、軍用道路の最高点(2379メートル)の地点から、ここまで走って一番だった人とする、と決まったそうですが、びっこだった人が馬を使って一番となり、彼に仕事が与えられたそうです。

    ジョージア人にとって、この教会を含め、三位一体教会は非常に大切なのだそうです。
    十字の切り方は、親指、人差し指、中指をくっつけて行うそうで、これは三位一体を示しているのだとか。
    そしてキリストの二面性(神と人)を表す薬指と小指を、人の世界を表す手のひらに置くのだそうです。
    十字を切る際、カトリックと異なり、上下の後、右から先に手を持って行くのは、右が「善」を意味するからだという話でした。

    教会の内部は写真不可。イコンがありました。

  • 教会から出たら、うっすら日が差して、虹が。<br />雲がたなびく雄大な景色です。

    教会から出たら、うっすら日が差して、虹が。
    雲がたなびく雄大な景色です。

  • こんな天気でしたが、中国人、ロシア人、アラブ人などの観光客がわんさか。<br />隔世の感とはこのことです。<br />昔話になりますが、18年前に最初に訪れた時には、4WDのサービスさえなく、当時のガイドと運転手と一緒に四つん這いになって山を上り、辿り着いた草地でみんなでウォッカを飲んだのでした。<br />その時には、周りにだーれもいませんでした。<br />当時の写真が出てきたら、そのうち、その旅行をまとめてみたいと思います。

    こんな天気でしたが、中国人、ロシア人、アラブ人などの観光客がわんさか。
    隔世の感とはこのことです。
    昔話になりますが、18年前に最初に訪れた時には、4WDのサービスさえなく、当時のガイドと運転手と一緒に四つん這いになって山を上り、辿り着いた草地でみんなでウォッカを飲んだのでした。
    その時には、周りにだーれもいませんでした。
    当時の写真が出てきたら、そのうち、その旅行をまとめてみたいと思います。

  • 後ろ髪を引かれる思いで、山を下りました。

    後ろ髪を引かれる思いで、山を下りました。

  • ホテルに戻って傘を借り、村の中心へ行く時に見た風景です。

    イチオシ

    ホテルに戻って傘を借り、村の中心へ行く時に見た風景です。

  • 道路には独立心旺盛な牛たちが。

    道路には独立心旺盛な牛たちが。

  • 道中の民家の写真です。

    道中の民家の写真です。

  • これも。<br /><br />18年前に泊った民家はどこだっただろう、とキョロキョロしながら歩きましたが、当然ながら分かりませんでした。<br />気のいい家族だったのを覚えていますが。

    これも。

    18年前に泊った民家はどこだっただろう、とキョロキョロしながら歩きましたが、当然ながら分かりませんでした。
    気のいい家族だったのを覚えていますが。

  • この日の夕食は、ガイドに薦められたレストランがいっぱいだったので、その隣のKheviという名前の店で。<br />入った時には、中国人の団体がいて興ざめ感は否めませんでしたが、彼らはほどなく出て行きました。<br /><br />これは豆入りのハチャプリです。

    この日の夕食は、ガイドに薦められたレストランがいっぱいだったので、その隣のKheviという名前の店で。
    入った時には、中国人の団体がいて興ざめ感は否めませんでしたが、彼らはほどなく出て行きました。

    これは豆入りのハチャプリです。

  • ソーセージ。<br />コリアンダーを除きながら食べました。

    ソーセージ。
    コリアンダーを除きながら食べました。

  • 羊肉のグリル。

    羊肉のグリル。

  • ジョージアの文字が楽しいレシート。<br />67ラリは当時のレートで、3000円ほどだったと思います。

    ジョージアの文字が楽しいレシート。
    67ラリは当時のレートで、3000円ほどだったと思います。

  • レストランの外観です。<br />店の人も感じよく、素朴なおいしさで良かったと思います。<br />ワインも美味しかったし。

    レストランの外観です。
    店の人も感じよく、素朴なおいしさで良かったと思います。
    ワインも美味しかったし。

  • こんな風景を見ながらホテルに戻りました。<br /><br />なかなか盛りだくさんの1日だったので、ちょっと長くなりました。<br />翌日は来た道を南下します。<br /><br />(つづく)

    こんな風景を見ながらホテルに戻りました。

    なかなか盛りだくさんの1日だったので、ちょっと長くなりました。
    翌日は来た道を南下します。

    (つづく)

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