2021/09/19 - 2021/09/19
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xiaomaiさん
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台湾では、2021年9月18~21日は4連休。その中日を利用して、砲隊に所属していた元軍人と基隆にある砲台跡地を巡ってきた。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- バイク
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当日朝急遽決めたため、集合時間は11時半。人気のない基隆駅北口。
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和平島へ向かう途中にある「正濱港口彩色屋」。スクーターで駅から15分ほど。
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「正濱港口彩色屋」のすぐ近くにある「阿根納造船場遺跡」。
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まずは旅の安全祈願のため、基隆天后宮へ。
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1747年に創建された、天上聖母(媽祖)を主祭神とする廟。
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現在の建物は2000年に再建されたもの。
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見どころの多い立派な廟。
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台湾人にとりとても大切な女神である媽祖婆。旅の安全と新型コロナウィルスの早期収束を願った。
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主殿に天上聖母が祀られるほか、主殿両脇に文昌帝君、關聖帝君が、後殿には千手観音、薬師如来、孚佑帝君、水仙尊王、清水祖師などが祀られている。
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他に参詣客が一人もいなく、ゆっくり参詣と廟内参観ができた。
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お参りの後は、天后宮からほど近いところにある排骨麺の店で昼食。
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冬瓜の入った排骨麺。久しぶりの排骨麺で懐かしさを感じた。麺がたっぷり入り、80元。
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茹でた野菜、30元。細かく刻んだニンニクと焦がしたネギが入れられ、程よい風味。
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お参りと食事を済ませ、砲台跡地巡り出発。和一路2巷には多くのシーフード店が並ぶ。連休中であったため、大繁盛。以前、3人で利用した時は、3000元を超えたと記憶している。
https://4travel.jp/travelogue/11548088 -
社寮東砲台へ向かう途中にあった原子住民集会所。このエリアにはアミ族が暮らしている。
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台湾人には親しみのある土地公。遺棄されていたものを地元の人がお祀りしたのだろうか。雨露をしのぐ簡易屋根が取り付けられていた。
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猫がミャーミャー鳴きながらこちらへ向かってきて、そして足に擦り寄ってきた。
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甘えん坊なのかと思い、抱き上げた。猫、抵抗せず。
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でも、この猫の細さは異常だった。もしかしたら、甘えん坊なのではなく、ただ単に苦しいほどの空腹を訴えていたのかもしれない。後方に子猫数匹が見え、この猫が母猫なら、十分な栄養を与えないといけないと感じた。そして、一度山を下り、キャットフードを買いに行くことにした。
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嬉しそうに近づいてくる猫。1パックをペロリと食べ終わり、もう1パックも準備した。ところが、猫は動きを止め前方を見ていた。すると、犬を連れたおばあさんがやってきた。その犬はリードに繋がれていなく、猫を追いかけ回し、挙げ句の果てにキャットフードを食べてしまった。本来犬好きなんだけど、この時ばかりはこの犬を憎らしく思った。というか、自分の犬を制止しない老婆を憎んだ。その後、帰り道も含め、猫の姿を見ることはなかった。土地公に猫が無事に生きていけるようお願いした。
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これは社寮東砲台への山道を登る所にあった建物。宿舎として使われていたのだろうか。
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内部
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山道を登る。
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砲台跡地到着。
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内部に入れるけれど、中は真っ暗。
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台湾の夏は暑い。ここで国の守りをされていた方に敬服。現地でたまたま出会った人(元観光解説員)にこれは日本時代の建築物だと教えられた。
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以前どのように使用されていたのかは不明。
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砲台
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舟の先端のような形になっている。偶然出会った元解説員によると。化学処理場があるらしい。
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奥に野柳が見える。
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右手に見える小さな島は灯台がある基隆嶼。基隆港から船で行ける。
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この建物は厨房だったらしい。今では木に乗っ取られてしまった感じだ。台南安平やシェムリアップにも似た遺構がある。
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ここで兵士のための料理が作られていた。
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別の砲台。この周りに細い道があり、草むらを刈って進むようだ。元解説員の人から一緒に行くかと言われたけれど、草むらをかき分けて進むのに安全性を確保できる衣装ではなかったため、ご遠慮申し上げた。「行きそうにないのは面相を見ればわかる」と言われてしまった。以前、地理教師とここで会い、その時は一緒に入って行ったけれど、途中で引き返した(語調としては「引き返しやがった」)と言っていた。なかなかおもしろい御仁だった。
ここの砲台はもっと下の方にも広がっているのに、政府がしっかり管理をして来なかったから、今では行けなくなってしまったと元解説員。哀しいかな、古蹟指定されるかされないかで保護の程度が異なる。 -
その砲台の向かいにあるのが照明室。ここから海に照明を当てていた。これも元解説員の方が教えてくれたこと。
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その後、山を下り、コンビニで水分補給。その後、通りかかった、林温傅三府王爺を祀る社寮島社霊廟。
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疫病を取り除く王爺の廟であるため、王船がある。
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起源を辿ると、1788年にまで遡れる。
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連休中の基隆和平島は大交通渋滞。
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次に行ったのが槓子寮砲台。
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兵宿舎
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兵宿舎の内側
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現在する砲台のほとんどが1900-1908年に取り付けられたもので、主要目的は日露戦争時の防御だったらしい。画像は兵宿舎。
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古井戸
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当然のことだけど、砲台はどこも景観がすばらしい。
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砲台へ向かう道
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今では美しいと感じるこの海原も、戦争当時は激しく大砲が飛ばされていた。
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八斗子ヨットハーバーが眼下に見えた。
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砲台跡。画像で見ると、小さく見えるけれど、この中に50人は軽く入れ、深さも150cmぐらいあった(目測)。
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蛇の脱皮(抜け殻)
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高齢者が孫に「ここからどドカーンと大砲をぶっ放したんだ」と大きな動作を交えて言っていた。経験者であるかどうかは不明。
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幸い天気に恵まれ、美しい景色を堪能できた。汗もたっぷりかいたけれど。
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基隆中元節ではここで大型灯籠が流される。
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最後に手すりのない恐ろしいほどの階段を下りる。元軍人は平気な顔で下りていたけれど、自分は慎重に下りた。
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次に向かったのは二沙湾砲台跡地。地図の看板があるものの、現在地が示されていなく、行き方がわからず、砲台を見ずにここを後にしてしまった。
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2級古蹟に指定されているため、修復が進められている。
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砲台近くに展示されていたF-104G戦闘機(1951年米国製)
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勝利女神力士型防空飛弾。射程距離は140km。
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M48A3戦車
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アームストロング8インチガン
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海軍5インチ戦艦砲
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やはり半日の旅程では、予定していた砲台をすべて廻ることはできず、この日最後に訪れた白米甕砲台。車で砲台まで上がって来られるためか、多くの来訪客。
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砲台が置かれていたところ。17世紀にオランダ人が設営したことから、オランダ城の異名がある。
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この小窓のような物がどう使われていたのかは不明。
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この画像だけだと、ハワイやグァムに行ってきたと思われるかもしれない。
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隣に発電所がある。
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射撃指揮所へと向かう細く急な階段。足腰の弱い人はやめておいた方がいい。60歳ぐらいのご婦人が渋滞を起こすほどの速度で上られていた。
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上っても、このような砲台と...
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このような景色が見えるだけ。
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下りもなかなかきつい。
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基隆出身の元軍人がおいしいものをご馳走してくれるというので、連れて行ってもらった。
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一人前120元の握り寿司。かかっているたれ、わさびが日本人にはあれっと感じられる。シャリも握ったというより、丸めたという感じ。でも、120元であれば、文句は言えない。
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台湾で一般的な薄めの味噌汁なんだけれど、魚の出汁が効いていておいしかった。
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その後、廟口夜市へ。コロナウィルス警戒中ではないような人出。入場時に体温チェックがあり、スマホで実名登録。
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ここにきて食べないことがないアイス。
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この日の旅を無事に終えられることを感謝するために、開漳聖王が祀られる奠濟宮にお参り。この廟の前で売られている名物を買う人の行列ができていた。
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廟口夜市へ来て、トイレへ行きたくなった人の多くがこの廟のトイレを借用する。もちろん、敬虔な祈りを捧げる信徒も多い。
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神明に捧げる金紙を焼く金爐。ここの金爐は使いにくかった。金爐の反対側は屋台の人のキッチン台として使われている模様。
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最後に基隆名物「栄養サンドイッチ」を食べた。
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18時59分基隆発の電車で帰宅。
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最新車両に乗ったのは初めてかもしれない。
砲台巡りはすなわち登山。最近の運動不足を解消できた。今回、行けなかった砲台がたくさんあるから、涼しくなったら再チャレンジしたい。それにしても、あの猫のことが気がかりだ。
(以下、9月21日加筆)
後にその猫を小東と自分が名付け(社寮「東」砲台が由来)、翌々日、基隆在住の友人に現地へ確認に行ってもらったが、その時は姿が見当たらなかったようだ。ますます気になって仕方がない。
(終)
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