2019/05/30 - 2019/06/02
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クラクフ(Kraków)
チェコ共和国との国境に近い南部ポーランドの都市で、ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であったため、ポーランドの小京都と呼ばれる。
クラクフは、1038年から1569年まではポーランド王国、1569年から1596年までポーランド・リトアニア共和国であった。 1794年からオーストリア帝国領となり、1846年から1918年までオーストリアのクラクフ大公国であった。第二次世界大戦にナチス・ドイツ、戦後はソ連に支配される。
ポーランドの工業、文化の主要な中心地でもあり、中世に栄えた中心街とユダヤ人街は今も当時の名残を残す。ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城を中心として川の両岸に広がっている。プランティ公園と中世の城壁に囲まれた旧市街の中心にあるのが、広々とした風格のある中央市場広場。この広場にはルネッサンス時代に取引が活発に行われていた織物会館や、14 世紀のゴシック様式の聖マリア教会がある。
クラクフは、西スラブ民族のVistulans部族が定住し、その後、モラヴィア王国となる。モラヴィア王国はハンガリー人に倒された。クラクフはボヘミア王国となる。 歴史書に初めて記載されたのは、966年にアンダルス(イベリアの後ウマイヤ朝イスラム帝国)のユダヤ人記録家イブン・ヤクブによると、クラクフはボヘミアの交易都市であると記述されている。1038年、クラクフはポーランド(ピアスト朝)となる。
13世紀にモンゴルの襲撃でいったん破壊された。14世紀よりクラクフは最盛期を迎え、1364年、カジミェシュ3世によってヤギェウォ大学(クラクフ大学 - コペルニクスが大学生として通った大学として知られる。ポーランド最古の大学)が創設され、それからも織物取引所、聖マリア教会などが建てられていった。モンゴルの襲撃による街の破壊と人口減少後、14世紀のカジミェシュ大王は積極的にユダヤ人を招き入れ、当時はヴィスワ川の中州だった、河川を利用した運送に適した広い土地を彼らの自治都市として提供した。後にユダヤ人たちが豊かになるにつれて自治区は対岸にも広がっていった。
16世紀後半、ヤギェウォ朝が断絶すると、貴族(シュラフタ)運営の身分制議会(セイム)勢力が強まり、王権の弱体化が進んだ。16世紀より徐々に王国の中心はワルシャワへと移行していき、17世紀初頭には正式に都がクラクフからワルシャワへと遷された。そうした中、17世紀前半の三十年戦争、18世紀前半の大北方戦争で国土は荒廃した。18世紀後半にはロシア、プロイセン、オーストリアによる3度のポーランド分割によって国家自体が消滅し、クラクフはハプスブルク君主国のオーストリア領ガリツィアとなった。
1815年、ウィーン議定書によりロシア、プロイセン、オーストリアの保護国であるクラクフ共和国となる。1846年2月、クラクフ市民が反オーストリア蜂起・クラクフ蜂起を起こしたが失敗に終わる。オーストリアに併合されてクラクフ大公国となり自治特権は失われた。この蜂起は2年後に起こる1848年ヨーロッパ革命の先駆的運動とも評価される。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ポーランド文化振興の中心地として重要な役割を果たした。第一次世界大戦を経て、1918年にポーランドが独立を果たしポーランド第二共和国となった。第二次世界大戦に際してナチス・ドイツ軍の占領を受けた。ポーランド総督に任命されたハンス・フランクはクラクフのヴァヴェル城からポーランド総督府の統治にあたった。終戦の1945年、ソ連軍の支配下となった。
第二次世界大戦中は占領者のナチス・ドイツにより、カジミェシュ地区から見てヴィスワ川対岸にあるポドグジェ地区にクラクフ・ゲットーが創設された。オスカー・シンドラーが経営していた工場は、クラクフ・ゲットーのユダヤ人を労働者として雇っていた。工場のユダヤ人労働者が強制収容所に連行される時、彼らを連れ戻しモラヴィア地方のツヴィッタウ(独: Zwittau、現スヴィタヴィ(英語版))-ブリュンリッツ(独: Brünnlitz、現ブルニェネツ(英語版))にある自分の工場へと送った。(映画シンドラーのリストの舞台。)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ラウダ航空でクラクフへ。
かつて存在したオーストリアの航空会社。ウィーン国際空港をハブ空港とし、そこからヨーロッパ、北アフリカ、カリブ海と東南アジアへバカンスを過ごす観光客のための航空路線を運航していた。オーストリア航空グループ並びにスターアライアンスに属していたが、日本では往年のF1名ドライバーであるニキ・ラウダが創業(1979年4月)したことで有名である。今は同じLCCのRyanair(ライアンエアー)が買収した。 -
クラクフの空港到着。着陸後、バス移動ではなく、歩いて建物へ移動。一応、国際空港。
ポーランドの歴史も古く興味深い。昔は神聖ローマ帝国と対等に王国として存在していたのが、周囲をロシア、ドイツ(プロイセン)、オーストリア(ハプスブルグ家)の強国に囲まれ、最終的には、解体の憂き目を見る。ヨハネ パウロ2世 クラクフ バリツェ国際空港 (KRK) 空港
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空港から電車で移動。クラクフ駅から徒歩で今回の宿のアパートメントへ。
3~4泊する場合、大体、いつもアパートに泊まる。
今回は3泊。413.10 zł
日本円で一泊4000円いかない程度。 -
シャワー室とトイレ。
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シンプルな内装。オーナーのセンスを感じる。
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こじんまりした内装。最低限必要なものだけ。悪くない。
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アパートの外観。昔の建物の部屋を改装して旅行客用の宿泊用のアパートメントにしている。今日は到着の移動日なので時間があまりないけども土地勘を養う為に、旧市街を散策します。ちょっと雨が小降り。
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聖マリア聖堂
Bazylika Mariacka
まずは、旧市街の中心、中央広場へ。
ヨーロッパの旧市街には必ず、中央広場と大聖堂はセットになっている。
見えているのは聖マリア聖堂。高さや装飾の異なる2つの塔が特徴的。
中に入るのは明日。聖マリア教会 寺院・教会
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Town Hall Tower
Wieża Ratuszowa
同じ広場にある旧市庁舎の塔。
登るのは明日にします。広場から南の方向へ、城を目指します。旧市庁舎の塔 建造物
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聖ペテロ聖パウロ教会
Kościół św. Apostołów Piotra i Pawła
南に延びる道はグロツカGrodzkaと呼ばれ、いろんな豪華な店や教会が並ぶ。聖ペテロ聖パウロ教会 寺院・教会
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ヴァヴェル城に登る道。
ヴァヴェル大聖堂Katedra Wawelskaの裏。 -
Wawel Bernardine Gate
Brama Bernardyńska na Wawelu
ヴァヴェル城の城門。 この門の横に場内の施設に入るためのコンビネーションチケットを売っています。(この時間はさすがにやっておらず、終了。) -
ヴァヴェル大聖堂
Katedra Wawelska
Tadeusz Kościuszko Monument
Pomnik Tadeusza Kościuszk
右下に小さくみえるのはタデウシュ・コシチュシュコの像。ポーランド・リトアニア共和国の将軍にして政治家、アメリカ合衆国の軍人で、1794年の蜂起の指導者としてポーランドとリトアニアでは国民的英雄である。アメリカ独立戦争にも義勇兵として参加し、ジョージ・ワシントンの副官として戦う。
帰国後の1791年、ヨーロッパ初の民主主義成文憲法「5月3日憲法」を制定した4年議会に議員として参加、中道左派の政治スタンスから、4年議会を主導した改革派政党「愛国党」内部の主流派である穏健改革派(「ファミリア」の流れを汲む派閥)と同党の急進改革派(ポーランドのジャコバン派)との間を取り持つ役割を担い、精力的に双方の仲立ちをして、国会対策における巧みな政治手腕を発揮した。
この直後の1792年、新憲法めぐるロシア帝国の干渉と戦った(ポーランド・ロシア戦争)が敗れ、ライプツィヒ、パリで亡命生活を送った。
1793年の第2回ポーランド分割後にポーランドに戻り、主にジャコバン派と農民たちを糾合して、ここクラクフで蜂起(コシチュシュコの蜂起)。最大の戦闘「ラツワヴィツェの戦い」(記念館がヴロツワフにある)でロシア軍に大勝し一時はワルシャワ、ヴィリニュスをおさえたが、やがて兵力を次々と補充してきたロシア・プロイセン連合軍に圧倒された。1794年10月には彼自身も戦傷を負いロシア軍に捕らわれた。コシチュシュコの敗北によりポーランド国家は消滅の憂き目にあい、123年もの間、地上から姿を消した。従来のポーランドの法制度は次第に宗主各国のものに入れ替えられた。一方で、コシチュシュコの蜂起はポーランドと中欧における近代的政治運動の幕開けと考えることもできる。コシチュシュコのポワニェツ宣言を受けて、ジャコビン派はポーランド極左運動を立ち上げた。ポーランドの政治家たちは、国家消滅後も19世紀を通じてポーランド内外で活動を続けた。またポーランドに軍の大部分を縛り付けられたプロイセンはフランス革命(1789?1795年)に十分な対応をとれず、ポーランド分割三国を破ったナポレオン・ボナパルトは、衛星国ワルシャワ公国という形で形ばかりながらポーランド国家を復活させた。ヴァヴェル大聖堂 寺院・教会
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ヴァヴェル大聖堂
Katedra Wawelska
(つづき)
ワルシャワ公国が成立したが、ナポレオンのナポレオン戦争敗退によって王国復興の望みは完全に絶たれた。その後に待っていたのは、ウィーン体制(1814-1856年)によるロシア帝国の圧政であった(ポーランド立憲王国)。ポーランドが独立を回復するのは1918年のことで、成立したポーランド共和国(第二共和国)が成立した。1939年、ナチスドイツとソビエト連邦によるポーランド侵攻によって瓦解しソビエト連邦軍が最終的な占領者となり、ポーランド人民共和国を樹立したが、法的には、ポーランド亡命政府、さらに、このポーランド亡命政府を1989年に継承した現在のポーランド共和国(第三共和国)に至る。 -
ヴァヴェル城(旧王宮)の中庭。この時間だとほとんど人がいない。
ヴァヴェル城
Zamek Królewski na Waweluヴァヴェル城 旧王宮 城・宮殿
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ヴァヴェル大聖堂
Katedra Wawelska
この角度から見るといろいろな様式が混じった教会であることが分かる。ヴァヴェル大聖堂 寺院・教会
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城から眺めるヴィスワ川。
ヴィスワ川(Wisła)は、ポーランドで最長の川である。全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。ポーランド南部のベスキディ山脈の標高1,106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。 -
城から眺めるヴィスワ川。
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ヴァヴェル大聖堂
Katedra Wawelska
振り返ったところ。 -
ヴァヴェル大聖堂
Katedra Wawelska -
ヴァヴェル城の敷地の南側にあるコンビネーションチケット売り場。ここが正式なチケット売り場。
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別の南側の入り口を下りていきます。
見えているのはWawel Thief Tower(Baszta Złodziejska)。 -
ヴァヴェルの竜
Smok Wawelski
伝説の竜。時間がくると炎を吐きます。竜の洞窟 洞穴・鍾乳洞
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ヴァヴェルの竜
Smok Wawelski -
ヴァヴェルの竜
Smok Wawelski
可愛い竜のみやげ。 -
Chłopskie Jadło
フォプスキ ヤドウォ
雨が強くなってきたので、雨宿りを兼ねて夕食にします。
https://www.chlopskiejadlo.pl/pl/
今は閉業しているらしい。 -
Chłopskie Jadło
フォプスキ ヤドウォ
Żywiec Lager「ジヴィェツ」
まずはラガーから。ポーランドのビールは飲みやすい。
ドイツ、チェコとビールを大量消費する隣国にも負けていない。
http://en.grupazywiec.pl/marki/zywiec/ -
Chłopskie Jadło
フォプスキ ヤドウォ
名物ピエロギ。日本でいうと餃子みたいなもので美味しい。 -
Chłopskie Jadło
フォプスキ ヤドウォ -
Chłopskie Jadło
フォプスキ ヤドウォ
Żywiec Porter
黒ビール。 -
Chłopskie Jadło
フォプスキ ヤドウォフォプスキ ヤドウォ 地元の料理
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