2020/11/25 - 2020/11/28
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mirilinさん
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GoToトラベルを使いまくりの旅第3弾は、相方との別府・湯布院温泉巡り。
以前行きたくて調べたら、横浜から別府への旅はちょっとした海外旅行ぐらいの費用がかかることを知り、結局海外に行ってしまったのですが、その時ネックになったのが宿泊費だったので、GOTOを使えばそこをクリアできるんじゃない?ってことで、再チャレンジ。しっかりGoToの恩恵を受け、温泉ざんまいの旅が実現しました。
にしても、日本の温泉旅館ってなんであんなに高額なんでしょうね?そこまで豪華な料理なんていらないのになぁ…。
別府は、福岡に住んでいた子供の頃に家族旅行で1回、高校生の時の修学旅行で1回、出張で1回の計3回行っていましたが、自分のペースでゆっくり回るのは初めて。GoToを有意義に使わせていただき、子供の頃の憧れ「杉乃井ホテル」の宿泊や、お部屋に温泉ついているオン・ザ・ビーチの旅館宿泊なども楽しみながら、久々の別府温泉を満喫して来ました。
こちらはその後半、鉄輪、別府駅周辺の街廻りや、湯布院の様子を振り返ります。
ちなみに、前半は、別府観光テッパンの地獄めぐりや、あこがれの宿の様子などを振り返っています。
コロナ禍で海外に行けない分、ディスカバージャパン(←古)を楽しむしかない2020年。
まさか、このような国内旅行さえも行けなくなってしまう事態になろうとは、この時は思いもしませんでした。
ワクチンも2回接種完了したんですが、いつになったら大手を振って旅行にけるのでしょうか…
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー JALグループ 徒歩
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おはようございま~す。
波音を聞きながらの目覚め。
オン・ザ・ビーチのホテルってやっぱいいですね~
そ・し・て…お部屋に温泉があるって最高でした。
朝風呂どころか、夜中に目が覚めて、いきなり温泉入ったり…リビングから徒歩3歩で湯船だからこそできる技(笑)
夜中にほの暗い湯船につかりながら、さざ波の音を聞いていたら、癒されない人なんていないですよね。
極楽極楽o(*^▽^*)o~♪別府温泉 ホテル うみね 宿・ホテル
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山々も朝陽に照らされオレンジ色に染まっていました。
今日は鉄輪地区の散策後、あの山を越えて湯布院へ行く予定です。 -
朝食は、1階の海側にあるレストラン「マーレ」でいただきます。
まず、新鮮な牛乳とカボスのジュース。このカボスのジュースを牛乳に入れて混ぜると、あらあら不思議、ヨーグルトになるのですよ~
そのヨーグルトドリンクを楽しんでいると、かごに盛られた素敵な和定食がやってきます。1人ずつ羽釜ごとセッティングされるツヤツヤのご飯は、大分県九重町の契約農家から仕入れるお米「ミルキークィーン」を羽釜で炊いたもの。口の中でとろける湯豆腐まであります。 -
朝食後、目の前の砂浜を少しお散歩してみました。
誰もいないから、マスク外して、おいしい空気いっぱい吸っちゃいましょ。ノー密!
♪今は~もう秋~誰もいない海~♪
て歌いたくなるのは立派な大人(←高齢者?)の証拠ですかね。SPAビーチ ビーチ
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ホテルをチェックアウト後、ブラブラと海沿いを歩きながら、別府駅に向かうことにしました。
と、何処かで見た場所に…
そう、ここはNHKの「ブラタモリ」で、昔の砂湯があった場所と紹介され場所。
タモリと近江アナが寝そべっていたところです。 -
そして、その先には、昔の波止場の跡がありました。
この石垣は、明治の初めに作られた旧別府港の楠木港の名残だと思われます。(ブラタモリでそう言っていたと記憶してますが…) -
その旧別府港の近くには、「地獄めぐり遊覧バス発祥の地」の碑がありました。
子供の頃の家族旅行で、亀の井バスの「地獄めぐり遊覧バス」乗りましたよ~。半世紀ぐらい前ですが (^^;;) エヘヘ・・
確かこの亀の井バスのバスガイドさんが、日本の定期観光初の女性バスガイドさんなんですよね。
あの別府駅前で面白い格好で銅像になってる油屋熊八さんがが始めた偉業の一つですよね。 -
別府西口から路線バスで鉄輪温泉へ。今日も昨日買った2日間バス乗り放題パス大活躍です。
鉄輪温泉は、別府八湯の中でも、別府温泉とともに鎌倉時代には湯治場として利用されていた記録がある歴史ある温泉で、地獄めぐりなど別府観光の中心的存在でもあるので、いたるところに大きな観光MAPが立っています。
なんと、温泉の湧出量日本一の別府の源泉の大半が鉄輪に集中しているそうです。 -
別府の市街地からは程よく離れていることから、今でも湯治場の面影を色濃く残し、レトロな町並みが旅情をそそります。
では、心揺さぶるネーミングの「いで湯坂」を下ってみましょう。いでゆ坂 名所・史跡
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鉄輪温泉には、外湯(立ち寄り湯)がたくさんあります。
まずここは鉄輪バスセンターから近い「上人湯」。いで湯坂を下り始めるとすぐにあります。
入湯料を向かいの「喫茶保月」か「まさ食堂」で支払い「入浴札」を受け取ってから入浴する仕組みになっています。
お湯は別府随一の湧出量と言われる金龍地獄から引いていて、泉質は塩化物泉と書いてありましたが、残念ながら休止中でした。上人湯 温泉
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「上人湯」のお隣は、昨日地獄蒸し料理を食べた「地獄蒸し工房 鉄輪」です。
「地獄蒸し工房 鉄輪」の入口横には鬼の口から飲める温泉が出る「飲泉場」があるのですが、ここもコロナの影響で中止になっていました。 -
そしてその先には「いでゆ坂ポケットパーク」があります。
ここは無料の足蒸し湯で、ブラタモリでもタモリさんと近江アナが体験していました。…が、ここも休止中。休止3連発で、ちょっと心が折れそうです…。地獄蒸し工房鉄輪 ポケットパーク (足蒸し 足湯) 温泉
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そんな心折れかけた私、いで湯坂沿いにある「温泉山永福寺」にお参りして、心を清めることに。
このお寺は、鉄輪温泉の開創伝説に関わるお寺で、時宗の開祖「一遍上人」が、1296年頃に豊後国を訪れ、鉄輪の地獄を鎮めて湯治場を開き、この湯治場に「一遍上人」が自らの幼名「松寿丸」に因んで「松寿寺(松寿庵)」と名付けたのが起源とされる由緒あるお寺。現在のお寺は明治24年にその松寿寺跡に再興された大分唯一の時宗のお寺だそうです。
で、私がご住職に御朱印を書いていただいていた時、なんと相方が門の前で高田純次さんwithロケクルーに遭遇。どうやら「じゅん散歩」のロケで歩いていたようで、1か月後に放映されていました。(相方が登場していないことは言うまでもありません)温泉山 永福寺 寺・神社・教会
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「永福寺」のすぐ下にあるのが、「渋の湯」。鉄輪の歴史ある共同温泉のひとつで、市内で唯一「竹製冷却装置」を備えた共同浴場です。寒暖晴雨でお湯の色が変わることから、「有名湯」「生き湯」とも呼ばれたそうで、泉質は塩化物泉。お肌がツルツル、すべすべになるので天然の化粧水と言われているとか。
100円のコインロッカーを使うことが入浴の条件だそうです。渋の湯 温泉
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「渋の湯」の前は「むし湯ポケットパーク」になっていて、かつて「一遍上人」が発案した「蒸し湯跡」と「一遍上人」の像があります。「蒸し湯跡」の看板には「むし湯は以前この地にあり、蒸し釜がひとつで男女混浴。湯治客の多かった昔は殆どが「むし湯」や「すじ湯」など効能の強い温泉に好んで入った。鉄輪のパワースポット発祥の地」と書かれていました。中を覗きましたが、今は石垣だけが残っていました。
鉄輪むし湯広場 名所・史跡
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鉄輪は地面から熱い湯気や熱湯が噴き出す地獄後だったため、農作物も作れないことに困り果てていた住人たちが、ここを通りがかった遊行中の「一遍上人」に助けを求めた所、なんと「一遍上人」によってその地獄は鎮まったとか。さらに、熱い湯気や熱湯などを逆に利用した「むし湯」なども生み出したことから、「一遍上人」は鉄輪の地の英雄となっているようです。
この「一遍上人」の像に、自分の体の悪い部位目掛けて鉄輪の温泉水を掛けると御利益があるそうですから、今尚私たちを助けてくださっているんですね。
私も、上人様の肩、腰、足にたっぷり温泉かけてきました。
誰です?頭と顔は温泉かけなくていいのかって言ってるのは!! -
そしてこちらが今の「鉄輪蒸し湯」です。鉄輪の中心的な市営の浴場です。
ここの「むし湯」は独特の形式で、1メートル四方の木戸を開けて中に入ると約8畳ほどの石室があります。 温泉で熱せられた床の上には石菖(せきしょう)という清流沿いにしか群生しない薬草が敷きつめられていて、 その上に人が横たわり、10分ほど蒸されるのです。石菖はすばらしい香りで、「豊後鉄輪、むし湯の帰り、肌に石菖の香が残る」と 詩人の野口雨情が詠っているほどです。
これは、実際体験すべきでしょ!ってことで、朝っぱらでしたが蒸されてきましたよ~鉄輪むし湯 温泉
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受付で入浴料を払い、レンタルの浴衣(人間ドックの時に着る羽織りもののような形)も借りて、脱衣所へ。脱衣所にはコインロッカーもあるので、そこに貴重品を入れ、脱いだ洋服はカゴに入れて、内湯で下半身だけ流したら体を拭いて浴衣を着て石室へ向かいます。一連の流れは、脱衣所で係りのおばさんが丁寧に説明してくれるのでそれに従っていれば大丈夫です。
石室には石菖が敷き詰められていて、一歩中に入っただけで、草の蒸される香りに包まれます。なんと前日が休館日だったので、石菖を全部入れ替えたばかりでさらに新鮮な香りが立ち込めていたそうで、一人貸切で草の上に寝ることが出来たし、とてもラッキーでした(ちなみに相方は、全身が倶梨伽羅紋紋のいかついお兄さんたちがいたので、ちょっと待ったそうです)。
10分後おばさんが扉を開けてくれるまで蒸されているのですが、もちろん途中でギブアップしてもいいそうです。でも、薄暗い室内で石菖の香りに包まれていると、サウナが苦手な私でも10分寝ていることができましたよ。(寝ている背中が熱くなっちゃって、何度か場所を移動しましたけど…)
体に付いた草を落とし、シャワーで汗を流して良質の鉄輪のお湯にゆっくり浸かって終了です。
とてもとても気持ちいいので、絶対オススメです。
「豊後鉄輪、むし湯の帰り、肌に石菖の香が残る」…野口雨情の気持ちになれますよ~。今もあの香り忘れられません。
特に休館日後、第4金曜日の午前中が狙い目です! -
蒸し湯の入口横には、温泉マークの前掛けをしたお地蔵さんがいらっしゃいました。
いいお湯いただきました~ -
蒸し湯に入る時間がない方は蒸し湯のお向かいに、無料の「足蒸し」もありますから、そちらで足だけ蒸してみるのもいいかも。
ただ、この時はコロナ禍で、ここもお休みでした。鉄輪むし湯広場 名所・史跡
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さっぱりしたところで、「いで湯坂」から「熱の湯通り」に入り、鉄輪の街を見渡せるという「見晴らし坂」に向かうことにします。
「熱の湯通り」はその名に負けず、道から温泉の蒸気が立ち上っていました。温泉マークがさり気なくマンホールにも付いていて洒落てますね。 -
「熱の湯通り」には、平成8年迄営業していた、鉄輪で唯一の明治建築である「旧富士屋旅館」があります。明治32年に建てられた建物は、今では「富士屋ギャラリー」として、展示会やコンサートなどが開かれているそうです。
冨士屋Gallery 一也百 (旧富士屋旅館) 名所・史跡
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ふと足元を見ると、綺麗な石畳になっていました。
この石畳は、明治時代からある「別府石」の石畳だそうです。「別府石」は、鶴見岳が噴火したときに降った火砕岩だそうで、赤味がかった石と、灰色の斑点まじりが特徴だということです。
そして偶然気づいたこの石畳ですが、どうしても石畳を残したくてガンコに市を説得し残した10mだそうです。別府石の石畳 名所・史跡
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こんな看板もありました。肝入の石畳なんですね。気づいて良かった~
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鉄輪の街はいたるところから温泉の蒸気が吹き出していて、ホント心躍ります。
鉄輪温泉 温泉
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「熱の湯通り」のつきあたりはには、「熱の湯」があります(笑)
鉄輪でむし湯と並んで1番古い共同浴場だそうです。「熱の湯」という名前は、身熱を除去する効果があることから名づけられたと伝えられていますが、「浮湯、怒湯(いかりゆ)、金の湯、兎狩の湯(うさぎがりのゆ)」とも呼ばれていたそうです。その名の通り熱いお湯で、入浴料は無料ということもあり、観光客はもとより地元の方たちも古くからよく利用しているとのことでした。確かにいかにも地元の方風の人がひっきりなしに出入りしていました。
無料で良質の温泉に入れるなんて、地獄ならぬ極楽の地ですよね~市営 熱の湯 温泉
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「熱の湯」の横には歴史を感じるレンガ造りの建物があります。これは「熱の湯の源泉跡」で、赤レンガで囲まれたこの源泉地から、昭和50年代の初め頃までは、「熱の湯」や各地へ温泉が引かれたり、洗濯場の源泉として利用されていたそうです。
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その源泉跡から温泉を引いていた洗濯場がここ。「熱の湯」のお向かいにあります。
元々は大正時代に旧おざ旅館の所有者から寄贈されたそうなのですが、戦前までは「下ん熱の湯」として入浴に使われていたそうです。ただ湯温が低く洗濯に向いているということで、その後洗濯場として使われるようになったとか。洗濯場跡 名所・史跡
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ガラス戸越しに写真を撮ったので、反射しちゃって見にくいですが、戦後は近所の女中さんたちが竹かごいっぱいにシーツなどを持ち寄って、賑やかに井戸端会議をしなたら洗濯していたそうです。
洗濯機の普及でその後廃れてしまったのですが、地元の人の熱意で「温泉遺産」として蘇ったそうです。
建物前の看板の受け売り情報でした。φ(.. ) メモメモ -
ちなみに、当時の賑わいを彷彿とする「鉄輪銀座通り」の石碑が洗濯場の前に立っていました。
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「熱の湯」の脇の坂道を登って行くと、お目当ての絶景ポイントに向かいます。
「別府石」の石垣に掲げられた看板にも「ゆっくりゆっくり登り途中でたびたび振り返れば、目線の高さで変化する湯けむり景色を楽しめる。登りきった場所で見る鉄輪の湯けむりは圧巻」と書かれています。
その名も「みはらし坂」です。 -
看板の教えに従い、途中で振り返ってみると…
確かに目線の高さで鉄輪の湯けむりが楽しめますね~ -
「みはらし坂」を登りきりました!
カンナの花と湯けむりのコラボもいいでしょ? -
登りきったところは幹線道路「県道亀川線」なので、ビュンビュン飛ばす車には要注意ですが、道を渡れば「別府八湯 鉄輪温泉」の看板とともに湯けむりたなびく鉄輪の街の写真が撮れますよ~
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別府湾と高崎山も見えました。
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目線で変化する鉄輪の湯けむりを目に焼き付けながら、再び坂を下って戻ります。
別府の湯けむりは、たしか「21世紀に残したい『日本の風景』」の第2位になったんですよね?
ちなみに1位は富士山、3位は函館の夜景です。 -
鉄輪の名所旧跡には、素敵な案内板がついています。
この案内板の写真を撮って歩くのも楽しそうです。 -
鉄輪のレトロな町並み歩き、まだまだ楽しみたかったのですが、そろそろ湯布院に向かうことにします。
鉄輪バスセンターから湯布院行きのバス「ゆふりん」で直行です。例のフリーパスで乗れちゃいますよ~ -
鉄輪バスセンターには、こんな可愛いフォトコーナーがありました。
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鉄輪から湯布院駅前までのバス旅は、50分ほど。
鶴見岳ロープーウェイ乗り場前や城島高原、由布登山口など、風光明媚な景色を車窓に見ることができます。居眠り厳禁ですよ~
そしてここが旅番組などでも見かける「JR湯布院駅」。バスはこの前ではなくバスセンターに着きます。(すぐそばですけどね) -
荷物をホテルに置いて、湯布院の町をぶらぶらしながら「金鱗湖」に行ってみることにしました。
と、いきなりどでかい鳥居が!でも近くに神社はありません。 -
標高1584mの「由布岳」を見ながら、湯布院温泉観光のメインストリート「湯の坪街道」を進みます。
美味しそうなスイーツの店が並び、誘惑に負けそうでした。
湯布院はロールケーキやプリンが有名なんですよね~湯の坪街道 名所・史跡
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誘惑だらけの道を離れ、「大分川」に沿って小道を進みます。
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途中には「湯のつぼ温泉」という共同浴場もあります。ここは、歴史ある共同浴場で江戸時代の文献にもその名前が残っているという古湯だそうです。男女ともヒノキを使った内湯があり、200円で誰でも入ることが出来るそうですよ。
ゆのつぼ温泉 温泉
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このあたりからは「由布岳」の勇姿もとても良く見えます。
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この風情ある橋は「蛍観橋」。「大分川」と「湯の坪川」が合流するところに架かる橋で、初夏には清らかな水辺に淡い光を点滅させながら乱舞するゲンジボタルの鑑賞スポットとなるそうです。
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「金鱗湖」が近づいてくると、「日本の晩秋」といった雰囲気が出てきます。
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この紅葉グラデーションがお気に入りです。
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「金鱗湖」には「天祖神社」があります。
「天祖神社」は第12代「景行天皇」が豊後国速見郡に住む「速津媛」に勅して「皇祖神霊」を祀ったことが始まりとされています。天祖神社 寺・神社・教会
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「天祖神社」の御利益は主に、
1.健康長寿
2.病気平癒
3.商売繁盛
4.家内安全
の4つです。
そして伝承によれば、「金鱗湖」には龍神様が住んでいて、「金鱗湖」の湖底と「天祖神社」の境内に清水が湧き続けるのは、龍神の力によるものなのだと伝えられています。 -
湖上の鳥居は、かつて湯布院町内の「佛山寺(ぶっさんじ)」に建立されていた「金毘羅宮」のもので、明治の神仏分離政策によって「金鱗湖」の「天祖神社」に移設されたものだそうです。「天祖神社」は「金鱗湖」も含めて神域となっているのだそうです。
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「金鱗湖」は湯布院きっての観光スポットのようなんですが、正直ごく普通の大きめな池って感じでした。でも、お湯が流れ込んでいるために水温が下がらないことから、冬の早朝は朝霧が湖面から湧き上がり、とても幻想的だそうです。
金鱗湖 自然・景勝地
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「金鱗湖」も見たことだし、またのどかな川岸を歩いて宿に戻ることにします。
「由布岳」にちょっと雲がかかり出しました。 -
川を見ると鴨と鷺?がのどかに水浴びしてました。癒される~
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おっと、さらに癒してくれるお馬さんも登場。
ここ湯布院は駅から出る観光馬車も人気とのことです。 -
本日のお宿は駅近で選んだ「ことぶき花の庄」
由布岳側に壁全面の大きな窓があり、見晴らしも明るさも抜群です。そして広い!由布院温泉 由布院ことぶき 花の庄 宿・ホテル
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窓からは、「由布岳」とホテルの庭に設えられた能舞台が見えます。
さて、この日はこれで終了。
え?夕食は?って思いますよね。
実は毎日ホテルの食事とかは飽きるだろうと思い、今日は外のお店で好きなものを食べようと思っていたのですが、コロナ禍のせいで外のお店は夜はことごとくお休み。やっていても予約制だったりで…結局コンビニで調達することになったので、写真はありませ~ん。( ̄_ ̄|||)
温泉は、広々とした露天風呂が1階にありました。 -
てことで、朝になりました。
朝陽に照らされた「由布岳」とその下から立ち昇る湯けむり。部屋の窓から見た景色です。 -
朝食付きにしていたので、夜のコンビニ食とは比較にならない、豪華な朝食を頂くことができました。感染対策も完璧で、私たち二人だけの個室、そして写真でもお分かりのとおり、お殿様のお食事かって感じの相方との距離感。徹底してます。
で、びっくりしたのが、お食事を運んできてくれたのがインド人らしき男性。そして流暢な日本語もさる事ながら、個室の襖を開ける作法が完璧!
私だって出来るかしらって感じの上品な開け閉め。素晴らしい従業員教育で感激しました。 -
さて、今日は別府・湯布院の旅最終日。
帰りの飛行機は19:25発なので、今日も丸一日遊びますよ~。
まずは、ブラタモリでやっていた噴火口が見られる「伽藍岳」中腹の「塚原温泉火口乃泉」へ向かいます。
交通手段は車しかありませんので、GoToトラベルのクーポンを使ってタクシーで行くことにしました。 -
JR湯布院駅前からタクシーで20分くらいで「秘湯塚原温泉火口乃湯」に到着です。
ここは、平安時代に「源為朝」が湯溜りで傷を癒している鹿を見て、温泉を発見したと伝えられているとのこと。看板にも鹿の絵がありますね。伽藍岳火口 温泉
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噴火口を見に行くには、見学料200円を払う必要があります。
こちらの受付で、火口見学や温泉の入湯料などを払います。 -
火口目指して登山道を進みます。
ま、よく整備された道ですからご安心ください。 -
整備はされていますが、少々山を登りますので、歩きやすい靴で行くことをおすすめします。なかなか息も切れますよ。
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ひたすら登ること5分、山肌から昇る噴気が見えてきました。
。('-'。)(。'-')。ワクワク -
そして、噴火口に到着。
あちこちに開く地面の切れ目や穴から、力強く噴気が出ています。
まさに大地の鼓動を感じることができるパワースポットです。 -
シューといった音が聞こえてきそうでしょ。
地獄のエネルギーを身近に感じることができますよ。 -
地獄のエネルギーを浴びながらふと後ろを振り向けば、雄大な塚原高原が広がっています。これはこれで絶景です。
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こちらは内湯と家族風呂。家族風呂の奥に露天風呂もあります。
ここの温泉は強酸性の温泉で、日本三大薬湯と言われているそうです。
なんと、鉄イオン全国1位、酸性度全国2位、アルミニウム全国2位という抜群の泉質です。温泉界の大谷翔平って感じ?
こんな優秀な温泉には入らないわけには行かない…と思ったのですが、ゆっくり浸かる時間もないので、湯冷めしてもなぁってことで諦めました。 -
この日は、由布岳に初冠雪があったほど急に寒くなり、受付のお兄さんが露天風呂に入りたいと言っていたお客さんに、「温度も下がっちゃってるしやめたほうがいい」と言っていました(笑)
で、タクシーが来るまでの間、寒さを凌ぐために内湯の入口で待たせていただいた時に入口だけ写真撮らせてもらいました。
あ、ブラタモリだけでなくヒルナンデスでも紹介されたみたいですね。 -
噴火口見学を終え、湯布院へ帰ってきました。
辻馬車乗り場ではお馬さんがお食事中でした。人気の辻馬車、まだ午前中でしたが今日の乗車券は完売みたいです。 -
JR湯布院駅前バスターミナルから路線バスで別府まで戻ってきました。
別府温泉のランドマーク「別府タワー」は、私が子供の頃家族で行きました。
その頃は飛び抜けて高かったんですが、今はビルに囲まれちゃってますね~
でも、50年ぶりに来ても頑張っている姿、嬉しいですわ。別府タワー 名所・史跡
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明治の頃から温泉地として賑わっていた北浜地区をブラブラしてみます。
今はビルや駐車場になっているあたりもかつては海辺の砂湯として賑わっていたようです。 -
明治の初め、廃藩置県で幕府領別府が日田県となり、初代県知事松方正義が別府を視察し「海上交通の便を図れば別府発展が期待される」として、松方の発案から楠港が着工。その時、築港工事や内海航行の安全を祈願して勧請したのがこの「波止場神社」だそうです。
またこの神社のすぐ前に元西鉄ライオンズ稲尾和久投手の実家があり、境内は子供の時の遊び場で、幼少時から漁師である父の手伝いで伝馬船に乗って櫓を漕いで足腰を鍛えたという話は有名だそうで、携帯にはその絵も飾られていました。
「神様仏様稲尾様」の鉄腕稲尾投手がこの波止場神社に因んで誕生したことから「稲尾神社」とも呼ばれているそうです。波止場神社 寺・神社・教会
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木彫りの扁額は松方正義の筆による字が刻まれ、波の模様も描かれています。
拝殿の格天井には建築当時に描かれた花鳥、十二支が見事に復元されています。 -
「波止場神社」の裏手には、風情たっぷり唐破風造りの建物があります。
これは「別府温泉」の代表的な存在「竹瓦温泉」です。
明治12年(1879)に建てられた当初のものは竹屋根葺きの浴場で、その後改築されたものが瓦葺きであったため、「竹瓦温泉」の名がついたと伝えられています。市営 竹瓦温泉 温泉
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今の建物は、昭和13年(1938)に建てられたものだそうですが、正面は唐破風造の豪華な屋根をもつ温泉となっており、その外観は別府温泉のシンボル的な存在となっています。
建物は立派ですが、市営の温泉ですから入浴料は300円。空港へ向かうまでまだたっぷり時間があったので、憧れの市営温泉に入ってみることにしました。 -
玄関をくぐると、そこはすっかり昭和レトロの世界。天井も高く、湯上りもゆっくりくつろげるスペースがあります。そしてここには砂湯もあります。
今回砂湯は入りませんでしたが、内湯もお風呂と脱衣所が同じ場所にあるという昔ながらの様式で、初めての体験でした。
泉質は塩化物泉、炭酸水素塩泉。「別府八湯」の「別府温泉」制覇!これで「明礬・観音寺・鉄輪・別府」の四湯を制覇しました。 -
「竹瓦温泉」の前の通りは、美しく舗装されて「竹瓦温泉通り」のプレートも埋め込まれています。まさにここが「別府温泉」の中心です。
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そしてここは「竹瓦小路アーケード」
旧別府港(楠港)に着いた観光客が、雨に濡れずに竹瓦温泉に行けるようにと作られた現存する日本最古のアーケードで、1921年(大正10年)12月1日に完成したものだそうです。100年前ですよ!
「竹瓦小路木造アーケード」ともいわれるこのアーケードは、長さ約61m、幅約3mの全蓋式木造ガラス張りのアーケードで、かつては観光客用の土産物店が並び賑わっていたとのことですが、別府港が新港に移ってからは寂れてしまったそうです。でも、2004年(平成16年)に「竹瓦温泉」が登録有形文化財として登録されたこと等をきっかけに、保存・再生のための運動も進められ、2009年に「竹瓦温泉」とともに「別府温泉関連遺産」として近代化産業遺産に認定されたそうです。竹瓦小路アーケード 名所・史跡
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別府駅前通りに、ある意味場違いな雰囲気を出しているこの建物。大正洋館風の外観が印象的です。軽井沢のケーキ屋さん?神戸の異人館?ドイツのB&B?
いえいえ別府の公共浴場「駅前高等温泉」です。大正13年(1924年)に地元の人達の寄付で建てられたそうです。別府高等温泉館 宿・ホテル
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おしゃれな建物ですが、公共温泉ですから入浴料は200円。
「あつ湯」と「ぬる湯」に分かれていて、それぞれ源泉も異なり、「あつ湯」は弱アルカリ単純泉、「ぬる湯」は中性の単純泉となっています。もちろんお湯の温度も「あつ湯」は43~44℃、「ぬる湯」は40~41℃だそうです。観光客は「ぬる湯」にしておくのが無難ですね。
2階には大広間もあり、簡易宿泊もできるそうです。 -
別府市内の道には、美しい花の絵のマンホールがたくさんありました。
みんな同じなのかと思ったら、描かれている花がそれぞれ違っていました。全部で何種類あるのかしら? -
楽しかった温泉三昧もとうとう帰る時間となりました。
大分空港にはこんなかわいいキャラクターがあります。大分空港 空港
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可愛いといえば、これ空港の壁です。
ペンギン君が大分の特産物を運んでいる姿や、飛行機を誘導する姿が描かれています。
これは大分空港のマスコットキャラクターの「マーシャル」君というそうです。「空を飛べないペンギンは誰よりも大空を飛ぶことに憧れを持っているから」ってことだそうですが…誰です?Suicaのペンギンがバイトしてると思った人は(←私です) -
そして、締めの写真はこれ。
さすが大分空港、足湯があるんです。それもこの足湯は、別府原町の湯のかけ流しで、別府から直送という紛れもない「別府温泉」。「別府八湯温泉道」という公式ホームページにもちゃんと載っています。観光客相手に水道水を沸かしてごまかしてるわけじゃないんです。
それに湯船は総ヒノキです。空港での待ち時間にも温泉を堪能できるなんて、大分最高!もちろん、ギリギリまでお湯を楽しませていただきました。そして、旅の疲れを流し、すっきりとした気分で帰路に着くことができました。
最後まで温泉三昧だったこの旅。コロナの中のつかの間のストレス解消でした~
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