2021/06/15 - 2021/07/06
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さいたまさん
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三宅坂の旧陸軍参謀本部、陸軍省の跡を探しに歩いてみました。
海軍軍令部跡及び海軍省跡については、石碑があり、その歴史を学ぶことができますが、三宅坂の旧陸軍参謀本部跡、旧陸軍省跡については、石碑はもちろん関係する資料も見当りません。
国会議事堂の前庭にあっては、現在ある憲政記念館の建て替え、そして国立公文書館が移転して来るため、その建設工事が予定されていて、工事が始まろうとしています。
現存する施設や年とともに散逸しつつある資料の調査を、速やかに開始しなければならないと考えております。
そのため、何回か、三宅坂の高台に足を運びました。旧陸相官舎跡が、地図上では、国会の敷地内にあるはずなのです。
参議院の見学にも、2回申し込み、参加しました。
残念ながら、参議院の見学は、団体行動なので、自分が行きたい東北側にある陸相官舎跡の状況が見れません。残念です。
三宅坂の高台区域については、少し判ってきましたが、旧参謀本部については陸地測量部の建物が残っていますので、多少の名残りや手がかりがあります。
しかしながら、旧陸軍省の跡地については、憲政記念館の新設工事があったせいか、殆ど、手がかりがありません。
国会において、終戦直後は、社会党の議員が多かったこともあり、陸軍が悪者扱いにされ、旧陸軍関係のものは、施設であれ、歴史でもあれ、すべて消し去る風潮があったのではないかと、邪推しています。
<本稿において、明治時代と大正時代の東京名所の紹介の絵葉書の写真を、使っています。旧著作権法下において保護期間が終了したものと考えています。国会図書館に出向き、絵葉書の写真の使用について、問題ないことを確認しました。>
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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皇居の西側のお堀の向かいに、三宅坂があり、三宅坂の西側の高台に旧参謀本部がありました。
明治維新の後、大名屋敷の跡地に、陸軍関係の建物が建てられました。三宅坂 名所・史跡
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三宅坂の高台には、陸軍参謀本部、陸軍省、陸相官舎等がありました。
地図には、有栖川宮の銅像とともに陸地測量部も記載されています。 -
三宅坂の高台は、もともとは、彦根藩の井伊家の上屋敷がありました。
井伊藩主は、江戸城登城に際しては、桜田門を通っていました。
現在、桜田門の傍には、地下鉄桜田門駅があります。桜田門駅 駅
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皇居のお堀と参謀本部の建物です。
桜田門からお堀越しに、参謀本部の建物が見えていました。
東京名所を紹介する絵葉書の恰好の風景となっていました。 -
東京名所を紹介する絵葉書に描かれた皇居と参謀本部です。
帝国劇場の屋上から見ている写真です。帝国劇場 名所・史跡
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三宅坂の高台に建てられていた陸軍参謀本部です。
入口から下った坂の交差点を通り、右側に延びている通りが、三宅坂です。 -
三宅坂の参謀本部の建物です。(一般に販売されている絵葉書の写真です。)
3階建ての瀟洒な建物でした。 -
東京名所を紹介する絵葉書に描かれている参謀本部前に置かれている有栖川宮の銅像です。
有栖川宮は、陸軍参謀総長を勤めています。
現在、この銅像は、有栖川宮記念公園に移設されています。有栖川宮記念公園 公園・植物園
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有栖川宮の銅像です。
乗馬した姿の銅像は、大熊氏広の彫像で、複製品が出身地の鳩ケ谷駅北側の鳩ケ谷民族博物館に展示されています。鳩ケ谷駅 駅
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有栖川宮の銅像の複製です。
大熊氏広作製の彫像で、出身地の鳩ケ谷民族博物館の2階に展示されています。 -
参謀本部の建物は、明治14年に完成しています。
参謀本部の完成の後、46年後に、国会議事堂が落成している流れになります。 -
参謀本部の北側に建てられている陸軍省の建物です。同じ三宅坂の高台にありました。
陸軍省の正門は、皇居の方向を向いています。
東京の名所を紹介する絵葉書の写真です。 -
東京の名所を紹介する絵葉書の写真における陸軍省の入口と建物の写真です。
2階建ての建物です。 -
終戦直後の三宅坂の高台の状況です。
参謀本部、陸軍省の建物は、陸地測量部の日本水準原点標庫を除き、ほとんど残っていません。
国会議事堂は、残っています。国会議事堂 名所・史跡
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参謀本部、陸軍省の西側に、46後、国会議事堂ができました。
しかしながら、終戦後は、参謀本部、陸軍省の跡地は、衆議院が管理することとなり、憲政記念館が造られ、衆議院に寄贈されました。衆議院憲政記念館 美術館・博物館
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国会議事堂の東側は、国会前庭庭園とも称されています。
参謀本部、陸軍省の入口があった付近の国会前庭庭園の東側の入口の様子です。
陸軍省正門には、正面の坂道を、左側に向かって登っていきます。国会前庭庭園 名所・史跡
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憲政記念館の東南側に、石碑があります。
「この地の由来」との見出しで、説明が記されています。 -
「この地の由来」の碑文です。
旧参謀本部の地であったことが記されています。 -
市ヶ谷台の陸軍士官学校を紹介する東京名所の絵ハガキの写真です。
三宅坂の高台にあった旧参謀本部、旧陸軍省等は、昭和16年末に、市ヶ谷台の陸軍士官学校跡地に、移転しました。
現在の防衛省の正門と坂が、今も歴史の一コマを刻んでいます。防衛省 (市ヶ谷台) 美術館・博物館
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国会議事堂前の庭園の中にあり、参謀本部の建物を使用していた陸地測量部の施設です。
地図の作成に必要な標高の原点となる日本水準原点標庫と解説の石碑です。
陸軍参謀本部の陸地測量部の管理する施設になっていました。 -
明治31年以来、参謀本部の建物の一部は、参謀本部陸地測量部が使用していましたが、地震や、参謀本部が昭和41年に市ヶ谷台に移動した関係で、陸地測量部が、全面的に使用することとなりました。
日本水準原点標庫も、陸地測量部の管理する施設になっていました。
地図上の位置と現実の位置に、差異がありますので、注意が必要です。日本水準原点標庫 名所・史跡
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「この地の由来」の石碑の南側の森の中に、石製の建物があります。
国会前庭庭園の南側中央の門からの階段を昇り切った右手にあります。
日本水準原点標庫です。日本水準原点標庫 名所・史跡
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国会前庭庭園の南側中央の門からの階段を昇り切った右手にあるのが、日本水準原点標庫です。
階段を下がっていくと、国会前庭庭園の南側中央の入口です。 -
日本水準原点標庫に関する説明板です。
地図に関する業務は、終戦とともに、参謀本部から国土地理院に移管されたため、説明文の設置等は、国土地理院となっています。 -
日本水準原点標庫は、重要文化財に指定されています。
水準原点標は、日本の水準点の基準になるため、石製の堅固な建物内に納められています。 -
日本水準原点標庫に関する英語の説明文です。
原点標は、地下10mを超える固い岩盤の上のコンクリート、煉瓦、硬石、堅くて丈夫な花崗岩台石、甲州産の水晶板の零位尺からなっています。 -
水準原点標庫の西側に置かれてる説明の碑です。
この建物下部に固定された水準標石の水晶板の零分画線の中点が、水準原点となっているとのです。
原点の礎石は、地下10mあまりの堅固な地層上に固定されているとのことです。 -
参謀本部陸地測量部の施設だけあって、荘厳な感じの建物です。
銅版部分の菊のご紋とともに、日本水準原点標庫の上部、軒先に当たる個所には、菊のご紋とともに「大日本帝国」文字が刻されています。 -
日本水準原点標庫に掲げられた銘版です。
「水準原点」とあります。 -
参謀本部陸地測量部の施設であった日本水準原点標庫の中央部の銅製のレリーフ部分です。
銅版部分の菊のご紋が目につきます。 -
日本水準原点標庫の東側です。
訪れたのは、午後の時刻でしたので、写真上部に、太陽光が見られます。
壁の部分は、日影になりますので、暗くなっています。 -
日本水準原点標庫の西側です。
写真左側に、標庫正面の石柱が見られます。
午後の時刻でしたので、写真左側に、太陽光が当たっているのが見られます。 -
日本水準原点標庫の西側には、電子基準点が設置されています。
GPSを利用した測位システムにおける電子基準点で、水準原点とともに水平位置の座標値で、3次元上の位置情報を正確なものにする基準点です。 -
写真奥の日本水準原点標庫と写真手前の電子基準点の関係が見て取れます。
日本水準原点標庫の周囲には、この他、別の水準点等が置かれています。 -
日本水準原点標庫の近傍の北東の地点にある水準基標です。
国土地理院が設置した基標です。 -
参謀本部の建物があったと目される区画の様子です。
参謀本部の周辺の施設もしくは庭園部、植え込み部分にあった石かもしれません。
大きな石が置かれています。 -
参謀本部の建物があった区域には、大小の樹木が植えられています。
樹々の間には、石が置かれています。
段差に当たる部分には、人工的な石垣が見られます。 -
参謀本部の跡地と思われる区域には、柱もしくは礎石とも思える石が見られます。
憲政記念館の解体及び国立公文書館の新規建設が予定されている関係もあり、建設工事開始前に、調査が必要かもしれません。 -
参謀本部の跡地と思われる区域に、なにか標示らしき小石群そして標石とも思える石が見られます。
写真右上の斜面は、日本水準原点標庫の斜面です。
陸軍省の跡には、憲政記念館が建設されていますので、陸軍省の概要を知る手立ては、無くなっているものと推察しています。
参謀本部の跡の調査が、必要ではないかと感じています。 -
参謀本部の跡と思われる区域にある石垣です。
なにがしかの目的で、施設が造られていたものと推察します。
現在は、新たな器材が置かれています。
写真の奥に、入口の門が見えます。 -
参謀本部の跡と推察される区域に、石が連ねて置かれています。
石を置いた理由は、なにか調査をすべきと思われます。
戦後76年を過ぎ、関係者は老齢化しつつあり、資料は、散逸の一途をたどってます。一刻も早い調査が望まれます。 -
参謀本部の跡の区域には、樹木が通路沿いに並んでいる様な感じを受けます。
また、大きな石が置かれています。
石は、重量及び大きさから、無造作に置かれているとは、考えにくいものがあります。早急なる調査の必要性を感じます。 -
参謀本部の跡と思われる区域内の石です。
かなり大きな石です。
設置には、機械力もしくは多人数の人手を要したものと思われます。 -
憲政記念館の通用門の入口の石垣です。
陸軍省時代の石垣だと思われます。 -
旧陸軍大臣官舎の跡地は、現在、国会議事堂の敷地内になっています。
国会議事堂の参議院側の東北側の敷地内です。
都道府県の樹が植えられている区域です。 -
国会議事堂の北通用口の傍の銅像です。
都道府県の樹の西側にあります。 -
都道府県の樹の区域です。
旧陸相官舎のあった区域です。 -
陸相官舎は、参謀本部の建物の西側、陸軍省の建物の西南側に、ありました。
参議院の東側に当たります。 -
緑濃き都道府県の樹の中に、枯れた幹が立っています。
昔の陸相官舎の樹だったかもしれません。
木間越しの東側に、憲政記念館前の道路が見えます。 -
陸軍の参謀本部、陸軍省及び陸相官舎があった地域は、青線内の区域です。
赤色□線の中には、海軍の軍令部、海軍省、海相官舎がありました。
現在の厚生労働省庁舎(合同庁舎第5号館)付近です。旧大日本帝国海軍 司令部 (海軍省 軍令部) 名所・史跡
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東京の名所紹介の絵葉書の写真です。
築地にあった海軍省の建物から霞が関の海軍省の建物に移転した後の写真です。
日比谷公園の西側です。日比谷公園 公園・植物園
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霞が関にあった海軍省の門及び海軍省の建物です。農林水産省の場所にありました。
建物前には、初代の海軍元帥西郷従道の銅像がありました。
有栖川宮の銅像は、皇族の銅像だったためか、金属供出には出されませんでしたが、西郷従道の銅像は、金属の供出に出されたそうです。農林水産省職員食堂 グルメ・レストラン
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合同庁舎第5号館の東側にある軍令部・海軍省の石碑です。
合同庁舎第5号館の北側にあります。旧大日本帝国海軍 司令部 (海軍省 軍令部) 名所・史跡
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軍令部跡と海軍省跡の石碑です。
海軍省を改組して、第二復員省とされ、その後、厚生省、厚生労働省に業務が移管されました。 -
軍令部跡の文字が中央に、海軍省跡の文字が右側に、記載されています。
揮毫の文字は、中曽根康弘内閣総理大臣です。 -
築地は、海軍発祥の地です。
海軍省の建物も、海軍兵学寮、海軍大学校とともに築地にありました。
海軍発祥の地の石碑が、築地の水神社の遥拝所の入口にあります。魚河岸水神社(遥拝所) 寺・神社・教会
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築地の海軍省に関する錦絵です。
築地の名所だった感じがします。
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