2021/09/02 - 2021/09/03
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ちいちゃんさん
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私には、いつまでも取っておきたい書籍や雑誌がある。その一冊は、ひめゆり部隊の生存者Nさんの手記「本当の戦争を語る」が載っている、昭和61年8月1日発行の「暮らしの手帖」。折に触れ何度も読み返す大切な一冊。
Nさんが生き延びられたのは奇跡に近い。何度も手榴弾で自決を試みるが不発に終わり、紙一重でつないだ命。今回読み返して私が心打たれたのは、中学生以上の子供たちによる学徒動員のくだりだ。読みながら、時代の不条理と残酷さに、怒りと涙で震えてしまう。
昭和15年8月学徒動員令が下り、師範学校の生徒だったNさんも中学生とともに小禄飛行場(今の那覇空港)の建設に動員された。沖縄はサンゴ礁の島、土を掘るのではなく岩をツルハシで割り、それをもっこで担いで運ぶ。戦時下、広大な小禄飛行場を来る日も来る日も整地していた人たちの中には、10代の少年少女達もいたのだ。配られる昼食はおにぎりからお芋へ、ついには具を探すのが難しいようなおつゆになった。照りつける日差しの下での過酷な作業。それは昭和19年の10.10空襲(10月10日10時ごろ米軍100機が那覇を襲い、那覇の90%が焼けた)まで続いたという。
終戦から76年、あの子供たちが汗を流して整地した空港を見に行こう。6、7、8月と緊急事態宣言下でキャンセル続き。今回こそ行く、那覇空港を見に行く。
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「本当の戦争を語る」Nさんの手記が載っている。
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空港に近づくにつれ海面が近くなる
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車輪がぶつかるんじゃないかといつもハラハラ
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那覇空港、面積328ha。日本で7番目の大きさ。
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昭和8年、旧日本海軍によって小禄飛行場としてスタート。
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グーグル先生に聞いてみても戦時中、学徒動員で10代の子供たちが小禄飛行場で作業していたなんていう記述はありません。日本中どこでも当たり前の出来事だったんだろうな。
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昭和15年滑走路を1500mにする拡張工事が始まる。
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工事に従事していた子供たち。
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過酷という言葉では足りない労働。「子宝」として授かった子供たちを、動員される親たち。
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来る日も来る日もツルハシを振るい、もっこで岩を運ぶ作業
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沖縄が返還されたのは1972年5月15日
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沖縄のイメージは、1975年7月20から始まった海洋博の開催で大きく変わったように思う。
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海上自衛隊
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今は鮮やかなハイビスカスが咲く憧れのリゾート。人気の旅行先。
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今でも有事の印象はあるけど
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観光する人たちは目的地に向かうため、足早に空港を通り過ぎてしまう。
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飛び立つとき凄いGでしょうね。
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またまた有事を連想
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訓練機というより本物ですよね。
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いろいろと複雑な思いがありながらもブルーインパルスには感動してしまう。
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戦闘機と旅客機、スタイルや顔が違う。
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終戦から76年、当時の少年少女達のなかで、ご存命の方はどのくらいいらっしゃるのかしら。
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出版社は、もう一度活字にしてくれないかしら。
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記憶はどんどん薄れていく
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炎天下に作業していた、まだあどけなさが残る子供たち。忘れてはいけない歴史。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 164-165さん 2023/02/24 06:32:47
- ウクライナと
- ちいちゃんさん 台湾のオフ会残念でした。
旅行記を拝見して、ウクライナの子供たちが連想されました。爆撃で住む処もなく、食料も乏しい生活になっているだろうと思われます。地下壕でおびえる子供たちの写真を見る度、胸が痛くなります。
それなのに、ロシアでは普通の生活が営まれていると言います。和平は永遠にないのでしょうか?何も我々はできないのが悔しいです。
【164-165】
- ちいちゃんさん からの返信 2023/02/24 10:20:17
- Re: ウクライナと
- 164-165さん、台湾本当にに残念!たまに見かける「有給いらず週末台湾」旅行記の仲間入りができたかもしれないのに。せめて食事だけでも台湾の雰囲気をと、昨日は中華レストランへ行ってきました。
侵攻から一年、連日新聞で特集を組んでいるのですが目を背けたいような記事が多くて、紙面を開くのがつらい日々です。ロシアの人たちってどこまでこの状況がわかっているのかしら。戦時下の子供達、精神面の影響が心配です。
ちいちゃん
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- ぽぽさん 2021/09/17 14:08:20
- 小禄飛行場
- ちいちゃんさん
察してらっしゃるとおもいますが、15、16日と修行してきました。
ちいちゃんさんの旅行記読んでから向かった那覇空港はいつもと違った気持ちでした。
炎天下の中、お国の為にとツルハシ振り上げて作った滑走路。離発着できるのも貴方が汗水流してくれたからですね。と感謝し手を合わせました。
私もGoogle先生に聞いてみました。空港での学徒労動員の記事見つけられませんでしたが、部隊に分かれて配属された「師範鉄血勤皇隊・一中通信隊」と呼ばれた方達なのかとおもいました。
話は変わりますが、解脱しました。
行き先は久米島です。天候にも恵まれ綺麗な夕陽を見ることができました。夜はひとりでナイトプールも楽しみました。
乗継ぎ待ち時間が長いので、プティマルミットの旅行記作成し時間を過ごしました。
今までお世話になったCAさん達へ解脱のお知らせ&お礼状を送付してから旅行記作成するので9月下旬頃の予定です。
ぽぽ
- ちいちゃんさん からの返信 2021/09/17 15:46:45
- Re: 小禄飛行場
- ぽぽさん、やりましたね!おめでとうございます、パチパチパチ👏
キャンセルしたのかしらと案じていましたが、台風だろうとなんだろうと乗っちゃえばこっちのものです。やはり久米島でしたか。推理力ではなく、乗り継ぎ可能な島をピックアップしただけですが。これからは黒いじゅうたんの上で搭乗手続きができますね。今はこんな状況だから有難味はないけれど、繁忙期で孫を連れていたりすると、JGCでよかったと思ったりしました。
伊丹那覇線がファーストクラス導入です。「飲み放題ですよ」というCAさんの甘い言葉に誘われて、少額の手数料だけでキャンセル可能な予約を見ていたところです。
戦時中の沖縄、軍国主義教育とは死の教育だったんだろうと思います。どのように死ぬか、生き永らえてはいけない。降伏、捕虜になることを認めない皇国の聖戦意識はより沖縄の人を苦しめたんだろうと。それでもわたしは、南国の風とサンゴ礁の海で癒されています。那覇空港に着いただけでテンションがあがり、ありがとうの気持ちだけはいつも忘れないように、鎮魂より感謝かな。
ちいちゃん
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