2021/06/28 - 2021/06/28
265位(同エリア198件中)
T04さん
気分が落ち込んだ時、疲れ切ってしまった時、元気になりたい時、私は早稲田の街を訪ねることにしています。久しく早稲田の街に戻れていない方々にも、2021年6月時点の早稲田を紹介しようと思います。前回は東西線「早稲田」駅から「早稲田大学南門通り商店会」経由で「大隈タワー記念タワー」まででしたので、今回は「大隈記念講堂」から散策します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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さあ、「大隈記念講堂」です…なんて畏まって呼んではいますが、一般的には「大隈講堂」ですから、これからは「大隈講堂」に呼びます。講堂に入ったのは学部入学式の際と…。あれっ!一度っきり?学部卒業式ってありましたっけ?「記念会堂」での卒業式に出席しましたし、そのあと15号館でパーティーがあったことも良く覚えているのですが…。講演会にも縁のないまま卒業してしまったし…。受験生の父親のような顔してオープンキャンパスに参加しちゃおうかなぁ。
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「大隈講堂」は偉大な建築家、佐藤功一先生の作品、この紹介プレートも一際立派なものですね。
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いやぁ、こうして改めて目にしても、やはり美しい建物ですよね。竣工は1927年(昭和2年)ですから、日本が一番輝いていた時代になります。ちなみに話題の渋沢栄一さんからも大口の寄付があったそうですね。
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そう言えば『早稲田学報』に掲載されていたと思いますが、「大隈記念講堂」改修時に、剥がされた外壁の煉瓦が売られていましたよね。台座を付けて1つ10000円?15000円?なんていう値段でしたが、買っておけば良い記念になったなぁ。どなたか購入された方はいらっしゃるのでしょうか?
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よく見れば、このあたり種類の違う石を組み合わせて建てられているんですねぇ。金沢城の石垣(たしか前田綱紀さんの時代の石垣)を思い出しました。大変にお金がかかったことでしょう。
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「大隈講堂」の敷地内には…おっ、こんなところに『早稲田の栄光』の歌碑がありました。見た目もまだ新しそうです。卒業式は、これでお別れでしたね。
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その横にはスクールバスの時刻表。行先は「西早稲田キャンパス」と「先端生命医科学センター」とありました。西早稲田キャンパスって、以前の大久保キャンパスのことですよね。別に大久保キャンパスで良かったんではないかと思いますが、なぜ変えたのでしょうねぇ。地名がキャンパス名になっていて分かりやすかったのに…。それから諸先輩方、「先端生命医科学センター」ってご存じでしたか?どうやら東京女子医大との共同研究施設なんだそうです。医学部設立に向けて外堀を埋めているような雰囲気ですよね、早稲田卒業生による医師稲門会も発足して会員を増やしているそうですしね。
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さて「大隈会館」に向かって左手、つまり「大隈庭園」と「大隈講堂」の間の道、「大隈ガーデンハウス」へ向かう道、その入口には一対の獅子像。
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「早稲田大学 百年記念 中華民国 台湾同学会敬贈」とありました。かねてよりアジア諸国から多くの学生を迎えてきた早稲田大学らしいですね。
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さて「大隈ガーデンハウス」に向かう道、左手は「大隈庭園」の緑、右手は「大隈講堂」東側の植込です。
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「大隈庭園」側に、通路に向かって展示されているのは「童子石」。
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朝鮮後期(19世紀初~中期)の作とありました。ちょうどプレートが隠れてしまって見えませんが、墓前に立てる石像で墓の守り主であり、死者の世話をすると言われているそうです。
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こちらも朝鮮半島の「文人像」です。大隈侯は欧米だけでなく、アジア諸国にも交友関係が広かったことの証ですね。そんなことも、大学時代にもっと知っておけば良かったなぁ…と、ちょっと反省。
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なるほど。この韓国の高麗大学校というのは早稲田、延世大学は慶応に比定されることの多い大学ですね。
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さて、右手「大隈講堂」側にも碑が並んでいます。
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戦禍に散った校友数知れず。あらためて歴史を振り返ることができますね。
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先ほどの場所からは「大隈講堂」東側の回廊を眺めることができますが、実は、この画像の真ん中あたりの回廊には…
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見えますでしょうか?木々の緑と光の具合で見えづらいですが…
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「大隈ガーデンハウス」側に移動しました。こちらの方が見やすいですよね。
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はい、見えましたぁ。大隈重信侯の初代銅像です。大礼服姿の像は、大隈侯の生前(1903年)に制作されたもので、かつてキャンパス中央部に設置されていたのは、こちらの像になります。しかし”民衆政治家”として人気のあった大隈侯が文官の大礼服姿であることに賛否両論があったこともあって、現在の銅像に置き換えられたようです。早大生でも、こちらの像を知らないまま卒業しちゃう人がいるようです。ちなみに「大隈ガーデンハウス」、まだコロナ禍の影響で閉鎖中でした。再開されたら食事しに行きたいな。
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さて「大隈講堂」を背に「本キャン」展望。ただし、まだ「本キャン」には向かいません。
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視線をそのまま右手へ移すとオフィシャルグッズとカフェの複合ショップ「Uni.Shop & Cafe125」。生協で売られているモノが質実剛健、学校生活に欠かせないものとすると、こちらで売られているモノはお洒落系、学校生活になくても困らないものではありますが、そういったモノがあってこそ生活が充実したりしますものね。場所によって売られているモノが違うという豊かさ、いいなぁ。
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しかし、このカフェ、いつも近所の方で賑わっていたりします。地域に開かれた大学らしい風景ですが、学生は利用しないのかなぁ。まぁ、変わったとはいえ早大生、やっぱりお洒落系は落ち着かないというDNAは守られているのかもです(笑)。
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その手前の木造家屋は、空襲で失われた大隈侯の邸宅で唯一残された遺構として知られていますが…
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プレートを読んだ方が正確に伝わりますが、かつて大隈邸の守衛詰所であった木造の建物、戦災を免れた大隈邸唯一の遺構ですから、貴重ですよね。
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その右手には「大隈会館」の門柱。かつての大隈邸の門もこのあたりにあったのでしょう。門を入って右手が「大隈庭園」、中央奥の建物が「大隈会館」ですが、まだ入ったことはありません。まずは「大隈庭園」に向かいます。
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「大隈会館」の門を入ってすぐ右手が「大隈庭園」入口です。学生時代には入った記憶がありません。学費の中に施設拡充費などという項目があったとしたなら、元は取れてなさそうです。
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こうして見ると、まさに早稲田の杜の名残りを留めているかのようです。
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開園時間です。朝の散歩に良いと思いますが、10時頃になると近くの保育園の園児たちで賑やかになるかもしれません。
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園内に一歩入るだけで、とても美しく整備されていることが分かります。とても大学構内とは思えませんね。
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すぐ左手には庭園の由来。へぇ~、井伊掃部・松平讃岐の下屋敷時代もあったんですね。
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さて回遊式庭園の「大隈庭園」、その名の通りに回遊したいと思います。
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小径を少し進むと、右側木立の陰に朝鮮半島系デザインの建物。
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建物は鐘楼でした。鐘の正面には「母校創立百周年紀念」という銘文がありました。
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なるほど、梵鐘が創立100周年、鐘楼が125周年を祝して贈られたものなんですね。梵鐘は…新羅なんですね。百済じゃないんですね。まぁ、この辺りは微妙…ですね。
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小径をさらに少し進むと、右手奥に…
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孔子像がありました。贈り主は中華人民共和国山東省人民政府。山東省といえば、あの忌まわしい済南事件もありましたが、それも第一次世界大戦以来日本との関係が深かったとも言える場所ということですよね。…何か思い出されることは受験生に勉強したことばかり。結局、当時の大学入試では近現代史はほとんど問わることはありませんでしたが、文化的素養を高めるために少し役だったかもしれませんね。
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そして左手はこの眺めになります。奥に見えるのは「リーガロイヤルホテル東京」ですが、その土地も大隈庭園の一部で、早稲田大学が民間企業に信託したものです。土地信託は1994年でしたっけ?西原時代・小山時代・奥島時代かは定かでありませんが、少なくとも私の在学期間に重なっていたので覚えています。当時は非営利事業体であるはずの学校が民間企業のような事業に手を出すのは「けしからん!」という風潮が非常に強かったですよね。ただ、今や大学が経営のために信託事業を行うなど普通のことになりました。そんなことで「リーガロイヤルホテル東京」に宿泊された方は、どうぞ朝の散歩に「大隈庭園」を利用してくださいね。
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さて芝生につくられた小径を離れ、庭園奥の池に向かいます。
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夜間に訪れたことはありませんが、近くにある「椿山荘」のように、蛍がいても何の不思議もない、そんな風景です。
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庭園奥には雪見灯籠がひっそりとあったりして風流ですが…
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目線を上げれば「大隈ガーデンハウス」、間違いなく大学構内です。
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築かれた山の上には2体の銅像があります。
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こちらは大隈候夫人の大隈綾子像、学内唯一の女性の像です。
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もう1体は田中穗積像。早稲田大学第4代総長…お名前は存じてはいるのですが、その実はあまり…。やはり高田早苗・小野梓のように、キャンパス内で見かける機会の多い銅像と違って「大隈庭園」内ですから…という理由にしておきます。
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そして「リーガロイヤルホテル東京」目の前に建つ「完之荘」は、校友(卒業生)の小倉房蔵さん(1908年商卒、元日本石油社長)から寄贈された建物です。飛騨の山村に残っていた家屋ということですが、何と推定600~700年前の古屋とのこと、鎌倉~室町期ということになります。「完之荘」は全て直接礎石上に立っているのが特徴で、いろり・火鉢・自在鈎など昔のままとのこと、建築学科だけでなく、日本文化を学ぶ学生にとっても貴重な存在ですよね。
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庭園をぐるっと回って芝生広場へ出ました。時間は10時過ぎ、今日も保育園の子どもたちが広場で元気に遊んでいます。大学の施設でありながら、地域に開かれているのって良いですよね。さて、今回はここで終わり。次回は正門から校舎に向かいます。
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