2021/06/26 - 2021/06/26
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かつのすけさん
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https://4travel.jp/travelogue/11699027
の後、少し足を延ばして石岡へ
石岡は江戸時代まで常陸府中と言われ、太古の昔は常陸国の中心、江戸時代も水戸藩の支藩の藩庁が置かれた街でした
昭和初めの看板建築の店舗も残るレトロな町です
【表紙の写真】石岡中町通りのレトロ建築群
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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https://4travel.jp/travelogue/11699027
土浦駅12:30発の電車がようやく来たのが13時過ぎ
35分の遅れでようやく出発
土浦以北の電車は概ね30分毎なので、ほぼ1本分の遅れとなってしまいました
原因は品川での信号機故障だそう土浦駅 駅
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土浦を出た電車は神立、高浜、石岡、羽鳥と停まり岩間駅へ
ちょっと寝不足だったため車内でウトウトしてしまい、神立で目が覚め、高浜で目が覚め、羽鳥で目が覚め、、、ってあれっと思っている間に扉が閉まり、次の岩間で降りました
本当は石岡で降りようと思ったのに、何故か石岡だけ目が覚めなかった~
ということで、岩間駅で待つこと20分岩間駅 駅
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その間に「電車が来ます」と言われて期待したら貨物列車通過
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再び「電車が来ます」と言われて期待したら今度は特急通過
何とこのホームには時刻表も見当たらなかったんで、あと何分待つことか -
13時50分ようやくきた普通電車土浦行
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13時58分 ようやく石岡駅に辿り着いた
もちろん電車の中では寝ないように気を付けましたよ
本当なら12時30分に土浦を出て、12時53分に石岡に到着する予定だったのに1時間遅れとなってしまった~石岡駅 駅
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改札を出たところにあるステンドグラス
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駅前のからくり時計がちょうどからくってました
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この時計、普段はこんな感じです
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からくり時計の下にあるここで街歩き用に地図を調達
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その前にはお御輿が展示されている
ここ石岡で行われる「石岡のおまつり」(常陸國総社宮例大祭)は関東三大祭の一つにも数えられる大きなお祭りなんです -
駅前のロータリーには「みんなのタロー」
ハチ公はあんなに有名なのに、全国的には全く無名のタロー
お話の内容はハチ公とほぼ同じで駅前でご主人様を毎日お迎え
健気なワンちゃんというお話です -
それでは駅を出発します
駅に大きく描かれているのは筑波山ですよね -
駅前の御幸通りを歩くこと5分くらいで突き当り
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まちかど情報センター
地元農産物を使用して創作されている石岡オリジナルスイーツ「石岡サンド」がご好評だそうですが、今は「梅ジャム」と書かれていて、梅が苦手なかつのすけはパスしましたまちかど情報センター 名所・史跡
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続いて神社通りを進むと途中にあるのが雷電山西向院照光寺
浄土宗の寺院です -
御本堂の裏手にあるのがここ石岡に陣屋を構えていた松平氏歴代のお墓
江戸時代まで、ここ石岡は常陸府中といわれ、常陸府中藩の陣屋が置かれていた
藩主の松平氏は水戸藩の支藩
元禄13年徳川頼房五男松平頼隆(水戸光圀の弟)が保内(現在の大子町)から2万石を加増されて立藩 -
そこからすぐそばにあるのが常陸府中藩の陣屋門
ある意味これもレトロな建物です石岡の陣屋門 名所・史跡
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そのすぐそばにあるのが石岡小学校
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小学校の中には箱式石棺
なんと太古の昔からここは栄えてた・・・!?
約1400年前のものだとかで、人類にとってはまさにレトロ -
そして国衙の跡
時代は下り律令国家でもここが中心
常陸国の政治の中心だったのに、時代が下るにつれて廃れていっているような・・・
江戸時代には主藩が水戸になり、現在も水戸が県庁所在地と完全に地位を奪われてしまってます常陸国府跡 名所・史跡
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そのお隣にふるさと歴史館
県外の人お断りだそうです石岡市立ふるさと歴史館 美術館・博物館
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小学校のお隣が常陸國總社宮です
御祭神は伊弉諾尊・大国主尊・素戔嗚尊・瓊瓊杵尊・大宮比賣尊・布留大神と錚々たるメンバー
表参道から進んで行きます常陸国総社宮 寺・神社・教会
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奥へと進んで行くと茅葺屋根の随神門
本殿と同じく寛永4年に造営された境内最古の建造物 -
入ると右手に末社の数々
酒造の神様松尾神社
縁結藍染の神様愛染神社
火伏の神様愛宕神社と厳島神社
氏子町の1つ香丸町の稲荷神社
府中三光宮の1つ星宮神社 -
茅輪くぐり
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境内には倭武天皇(ヤマトタケルノミコト)の腰掛石があります
この神社ができたのは奈良時代(一説に平安時代)だけど~
と思ったら、この石があったからここに神社ができる決め手となったんだとか -
拝殿は表参道から入って正面にはない
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拝殿前にはご神木の楠木
県下第一の大楠ですが、昭和39年の火災で類焼
その後、なななんと幹の周囲から次第に蘇生したというご神木に相応しい神業をなした木なんですねぇ -
金刀比羅神社に来ました
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境内に樹木などもなく殺風景に見える
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二日路は つくばにそふて 日ぞ長き 子規
正岡子規の句碑でした -
「丁子屋」と書かれたこのレトロな建物は「まち蔵藍」
建物は江戸時代末期に建てられた唱歌建築(染物屋)で、現在は観光施設として営業してマスまち蔵藍 名所・史跡
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この中町通りはレトロな建物が並んでいます
1930年台に建てられた看板建築が並び、テレビや映画の撮影に使われることもある通りなんだそうです -
こちら福島屋砂糖店は昭和6年にできた砂糖問屋
木造2階建で、外壁は通常の土壁漆喰塗りではなく、コンクリートを用いている珍しいもの福島屋砂糖店 名所・史跡
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お隣の久松商店 和の雑貨屋は昭和5年にできた化粧品・雑貨店
この辺りは昭和4年に大火災があり、その後に建てられたのがこれら看板建築の建物久松商店 名所・史跡
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さらに十七屋履物店店舗兼住宅 昭和5年に建てられた履物屋で、大火の後この辺りで最初に建てられた建物
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こちらもレトロ風なでもカラフルな建物
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すがや化粧品店 昭和5年に建てられた当時は雑貨店
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栗山呉服店店舗兼住宅
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森戸文四郎商店店舗兼住宅 こちらも昭和5年に建てられた建物
当時は飼料店 現在は生花店だそうです森戸文四郎商店 名所・史跡
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きそば 東京庵 こちらはちょっと遅れて昭和7年にできた建物
この地区では珍しい数寄屋風の洒落た意匠東京庵 グルメ・レストラン
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金丸通りをちょっと入ったところには喫茶四季 当時は大和田家貸店舗
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さきほどの神社通りに平松理容店 大火を免れたためそれ以前の昭和3年の建物だそう
さっきは気づかなかった -
年季の入った蔵もあります
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国府が置かれたころに設置された常陸国国分寺跡
時代は聖武天皇の御代です
現在もここに国分寺があるのに、「跡」と言われているのは、平将門の乱等で焼失して衰退し、中世末期から慶長年間まで無住で、慶長年間に近くの千手院来高寺の住職が国分寺重職を兼務(国分寺が千手院の末寺)し、大正8年に千手院と国分寺が合併(千手院は廃寺)して現在の国分寺となったから
現在の国分寺境内は創建時の国分寺跡の遺構上に位置しています(参考:Wikipedia)常陸国分寺跡 名所・史跡
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中門址
境内に入ってすぐの場所にあります -
弘法大師堂
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弘法大師堂の仏様
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石碑が立ち並ぶ
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梅雨時らしく境内にはあじさい
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色鮮やか
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このお寺のご本尊は薬師如来
この薬師堂は国分寺跡の金堂の位置に建てられています -
中の薬師如来様
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この建物は都々逸坊扇歌堂
都々逸節の創作者として知られる都々逸坊扇歌が嘉永5年に府中で没したことから記念として昭和8年に建立されたもの
都々逸(どどいつ)なんて日曜の夕方の番組くらいでしか耳にしませんが -
現国分寺の本堂
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この山門は旧千手院の山門で、千手院唯一の遺構になります
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突然ですが、石岡市のマンホール蓋は「石岡のおまつり」
関東三大祭の一つに数えられている大きなお祀りは毎年9月に行われ、3日間で約40万人が集まるそうです -
石岡駅に戻ってきました
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16時01分 石岡駅発の上野行電車で東京へ戻ります
日暮里までちょうど80km 17時31分 ちょうど1時間半で到着です
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この旅行記へのコメント (1)
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- yanosonoさん 2022/01/13 15:58:38
- 感想です
- 石岡は川越などより、昔の面影が残る町ですね。
もっと宣伝すればいいのに。
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