2019/11/18 - 2019/11/27
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giantpandaloverさん
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旅も中盤。愈々、ピエロ・デッラ・フランチェスカの足跡を辿る旅に突入します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11/23(土)午前10時にペルージャ駅から電車とバスを乗り継いで正午過ぎにサンセポルクロに到着。今日の宿はロカンダ・グイディ。1階はトラットリアで、部屋は2階。
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部屋はホテルというよりB&B。
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サンセポルクロの町の中心にあるサン・フランチェスコ教会。1321年創建のゴシック様式。
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サン・フランチェスコ教会前にある地元出身の数学者ルカ・パチョーリ像。少年の頃にピエロ・デッラ・フランチェスカから数学を学ぶ。その後、ペルージャ大学、ナポリ大学、ローマ大学などで数学の講義・執筆を行い、1494年「スンマ(Summa)」と呼ばれる大書を著す。第1部は代数、第2部は幾何で、第1部の中で当時ヴェネツィアで用いられていた複式簿記を学術的に紹介している。
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話は逸れるが、ルカ・パチョーリと言えば、ナポリのカポディモンティ美術館にこんな絵がある。正面は紛れもなくフランシスコ会修道士でもあったルカ・パチョーリだが、右奥の男性は誰?
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と思って調べると、ウルビーノ公爵グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ(Guidobaldo da Montefeltro)だった。ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵でも有名なフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの息子。ラファエッロの描くグイドバルドは先ほどの絵ほどすかしていないが、なかなかの美男子(ウフィツィ美術館)。当時のウルビーノはイタリアで最も洗練され華やかな宮廷であり、ルカ・パチョーリも支援を受けていた。「スムマ」の冒頭には、ウルビーノ公への献辞がある。
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因みに、グイドバルドの父親のフェデリーコと母親のバッティスタ・スフォルツァ(ピエロ・デッラ・フランチェスカ作、ウフィツィ美術館)。あまり似ていない。上が6人女の子でどうしても欲しかったお世継ぎ。
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サン・フランチェスコ教会の隣には、サンセポルクロが生んだ偉大なルネサンス画家ピエロ・デッラ・フランチェスカを記念した公園がある。
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公園に建つピエロ・デッラ・フランチェスカ像。ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1412年 - 1492年)は、イタリア初期ルネサンスを代表する画家。数学者としても有名で、晩年には、「算術論」「遠近法論」「五正多面体論」の3冊の著作を記している。
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公園の向かいにあるピエロ・デッラ・フランチェスカの住まい。内部にはいくつも部屋がある。
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サンセポルクロのドゥオーモ。9世紀にArcanusとGilesが聖地エルサレムへ巡礼し、聖墳墓教会から石棺のかけらを持ち帰り信仰を集め、街の名前もそれに因んでサン・セポルクロ(聖・墳墓)になった。ドゥオーモは2人がエルサレムから帰って修道生活を始めた場所。現在のドゥオーモは1520年に建て直され、法王レオ10世によって司教座教会とされたもの。
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ドゥオーモ内陣にあるシニコロ・ディ・セーニャによる「キリストの復活」の多翼祭壇画(1348年頃)。ニコロはドゥッチォやシモーネ・マルティーニなどの影響を受け、ピエトロ・ロレンツェッティらと同時期に活躍したシエナ派の画家。1300年代の多翼祭壇画がそのまま内陣に飾られているのは素晴らしい。
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内陣の左の小さな礼拝堂には12世紀フランス・カロリング朝時代のVoto Santo(聖なる顔)と呼ばれる木製の十字架が安置されている。
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街中で一際目を惹くオレンジ色の建物。旧フリーメーソンのロッジとあった。
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昼の休館時間も明け、愈々サンセポルクロ市立美術館へ。
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ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「ミゼリコルディアの多翼祭壇画」。1445年に地元のミゼリコルディア会がピエロに3年以内に完成するよう依頼したものだが、多忙なため、ピエロがこの祭壇画を完成させたのは17年後の1462年。
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この多翼祭壇画の内、最初に完成したのは聖母の左側のサン・セバスチャーノと洗礼者ヨハネ。
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何といってもこの絵の一番の見どころはミゼリコルディア(慈悲の聖母)の部分。依頼者の要望により背景を金箔で覆う伝統的なスタイルを踏襲することで奥行感が出にくいところ、聖母の拡げたマントの中に跪く寄進者たちを見事な遠近法で描いている。
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ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「トゥールーズの聖ルイ」のフレスコ画(1460年)。聖ルイはナポリ王アンジュ―家のカルロ2世の次男でフランシスコ会の聖職者となることを熱望していたが、長兄の急死に伴い、ナポリ王を継ぐよう求められた。ルイの豪華な司教の衣服の下にはフランシスコ会の質素な僧衣と「服従」「清貧」「純潔」を象徴する3つの結び目の付いた腰紐がのぞいている。
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ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「聖ジュリア―ノ」(1454年)。元はサンセポルクロのサンタゴスティーノ教会に描かれていたものだが、今は断片しか残っていない。
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大トリはサンセポルクロの至宝ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」(1465年)。これは当時の市役所にあたるパラッツォ・デッラ・レジデンツァの壁に描かれている。サンセポルクロには、ほぼこの絵を見るために来た。
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復活するキリストの左右の木が一方は枯れていて、一方は青々しているのは復活を象徴している。また、前面で居眠りをしている兵士の内、左から2人目はピエロの自画像だと言われている。
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キリストは右脇の傷以外は完璧な肉体で描かれているが、他方で顔は粗野な印象で、よく見るとお腹に3本の皺も寄っている。これらはキリストの神性と人間性の両方を表現していると解釈されている。
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ピエロ・デッラ・フランチェスカの足跡を辿る充実した1日を終えて、夕食はホテルが経営するエノテカ・グイディで。まずは付き出し。
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鴨のラグーのビゴッリ(太目のモッチリ系スパゲッティ)
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キアニーナ牛のカルパッチョ。ルッコラとパルメザンが乗っている。
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スキャンピ(手長エビ)のリゾット。
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牛フィレのステーキ、ローズマリー風味。今日は昼を食べなかったのでペロっといける。
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デザートのオレンジ風味のチーズムース。
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翌11/24(日)は朝早くハイヤーでサンセポルクロからアレッツォに移動。途中、モンテルキに寄ってピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」を見る予定が、何故か閉館中?
今日の宿はコルテ・デル・レ。グランデ広場に面した古い建物。 -
部屋にはルネサンス風の窓も付いている。
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窓からはグランデ広場が見える。グランデ広場ではチロルのクリスマスをテーマにしたフェスティバルが行われていた。
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アレッツォの小高いところに建つサン・ドメニコ教会。1275年に建設が始まり、14世紀に完成。ロマネスク様式の教会。今日は、何故かイタリア人の観光客が大勢町に溢れている。
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サン・ドメニコ教会の内部。単廊式で殺風景に見えるが実は…。
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内陣に架かったキリストの十字架が、1271年に完成したチマブーエの初期の作品。フィレンツェで活躍したチマブーエはシエナで活躍したドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャと並んで、ゴシックからルネサンスへの橋渡しをした偉大な画家。
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この十字架はドミニコ会の依頼により製作されたもので、1271年の完成以来、サン・ドメニコ教会に架けられている貴重なもの。ビザンチン・ゴシックのイコン的表現から抜け出て、より人間らしいルネサンス的表現の到来を予感させる作品。
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教会の壁に残っている地元出身のスピネッロ・アレッティーノによる14世紀のフレスコ画。聖フィリッポら聖人の一生が描かれている。
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ヴァザーリの回廊と呼ばれるアーケード。レストランやショップが軒を連ねる賑やかな場所。「芸術家列伝」を記したヴァザーリはアレッツォの出身。
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ランチはアガニアという老舗のトラットリアに行きたかったが、今日は街中ごった返しているため断念し、隣のサラチェーニというお店に。
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キノコのリゾット。
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猪のラグーのパスタ。
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プロシュート・コット。これは豚の薄切りを温めたもの。名店の隣のお店的な味でした。
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サンフランチェスコ教会。1290年創建。正面ファサードは未完のまま。
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内部は単廊式の広い空間。
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中央礼拝堂に描かれたピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖十字架伝説」(1452-66年)。
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1991年~2000年に大規模な修復が行われ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの明るい色彩が蘇った。
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聖十字架伝説の始まりの「アダムの死」の場面。アダムが垂乳根のイブに看取られながら、白髭の息子セツにエデンの園へ行って大天使ミカエルから「聖油」をもらってくるように頼んでいる。
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アダムの死を悲しむ親族たち。実は大天使ミカエルは「聖油」の代わりにセツに知識の樹の実から取った種を与えこれをアダムの口に植えるように言った。そこから成長したのが聖なる木。それを古代ヘブライ王国のソロモン王がシアロム川の橋とし、後にキリストの磔刑の十字架に使われるというお話。
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聖木に祈りを捧げるシバの女王。シバの女王はソロモン王に会うためエルサレムを訪れるが、途中、シアロム川に架かる聖木を発見する。この聖木が将来救世主の磔刑に使われることを予知した彼女は、聖木の前に跪く。従者達はルネサンス当時の豪華な衣装を纏っている。
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ソロモン王に会見するシバの女王。女王は王に救世主があの聖木によって磔になり、ユダヤ王国は衰退していくと伝える。シバの女王の純白の衣装とベールの美しさが印象的。
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シバの女王の予言を受けてソロモン王は聖木を地中深く埋めさせることにした。この場面はピエロの弟子のジョバンニ・ダ・ピエモンテがピエロの下絵を元に描いている。聖木の木目が緻密に描かれ、一番左の男性の光背のように重なっている。彼は後のキリストの受難を象徴している。ソロモン王の努力の甲斐も空しく、聖木はその後、キリストの磔刑に使われ、ヘブライ王国も滅亡してしまう。
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時代は下り…ローマ皇帝ディオクレティアヌスが始めたテトラルキア(四分割統治)により、西方ローマ帝国に並び立っていた2人のローマ皇帝コンスタンティヌスとマクセンティウスがテベレ川のミルウィウス橋で戦った(312年)。神の啓示を受けラバルムを掲げて進撃したコンスタンティヌスが勝利しローマに入城、コンスタンティヌス1世となった彼は313年ミラノ勅令によりキリスト教を公認し、ローマ帝国を再び統一していく。
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十字架を手に持ち、堂々と進撃するコンスタンティヌスに対して…。
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敗者マクセンティウス側の兵士の表情は哀れ。それはそうと、透明感のあるテベレ川に反射する樹木の描き方が凄い。
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ミルウィウス橋の決戦の日の早暁、コンスタンティヌス帝が夢に現れた天使から「十字架によって勝利する(In hoc signo vinces)」という神の啓示を受けるところ。天使からの明かりに照らされた両脇の2人の衛兵の陰影の描き方もカラバッジョを予感させる。
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天使が光り輝く十字架を手に空から降りてくるところ。因みに修復の結果、このシーンが深夜ではなく星の輝きが残る早暁であることが判明したらしい。
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ユダの拷問の場面。この場面もピエロの弟子のジョバンニ・ダ・ピエモンテが描いた。キリストを公認したコンスタンティヌス1世の母ヘレナは、聖十字架を探すためにエルサレムに赴く。聖十字架の隠し場所を知るユダは、涸れ井戸に吊される拷問を受け、7日目についに聖十字架のありかを白状する。
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ユダの証言どおりゴルゴダの丘から3本の十字架が発見される。赤い帽子の男がユダで、その左にいるのが聖女ヘレナ。
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聖女ヘレナはどれがキリストの十字架かを検証するため、3本の十字架を順番に死者の上にかざし、死者を蘇らせた十字架こそが「真の聖十字架」だと確信する。
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またまた時代は下り…エルサレムに侵攻し聖十字架を奪ったサーサーン朝ペルシャのホスロー1世を征伐し聖十字架を奪回する東ローマ皇帝ヘラクリウス(618年)。奪われた聖十字架が右手のホスロー王の玉座に飾られている。この戦いのシーンでは複雑な陰影や風景は表現されず、残酷な戦闘シーンが強調されている。
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例えば、今にも短剣で突かれようという兵士や…
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馬の下敷きになる瀕死の兵士など戦闘の残酷さが表現されている。
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右手の兵士が振りかざした刀で斬首されようとしているペルシャのホスロー1世。
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この絵で有名なトランペットを吹く兵士。
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聖十字架の奪還に成功し、それをエルサレムに返却に向かう皇帝ヘラクリウスとそれを出迎える人々。ヘラクリウス帝一行は嘗てイエスが入城したエルサレムに入るにあたり馬を降り裸足になっている。人々の色とりどりの鮮やかさが印象的。ピエロの描く人物像は無表情で捉えどころがない印象を与えるが、実際には喜怒哀楽を超越し平和に満たされた理想の人間像を表現しているのではなかろうか…。
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聖十字架伝説に加えて描かれている受胎告知。聖母マリアの頭の奥に置かれた消失点から遠近法が用いられ、陰影も緻密に描かれている。大天使ガブリエルの足から伸びた影が大理石の支柱にかすかに掛かっている。
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正面のステンドグラスに向かって左側。
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正面のスタンドグラスに向かって右側。
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正面ステンドグラスに向かって左サイドのフレスコ画。
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正面ステンドグラスに向かって右サイドのフレスコ画。
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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア (Pieve di Santa Maria)教会。9-11世紀に建てられた教会を12-13世紀に再建。ロマネスク様式。
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ファサードに並ぶ列柱は12本→24本→32本と上階に行くほど多く軽快になっていく。
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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会内部(12-14世紀)
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11~12世紀に建てられた内陣にはシエナ派の巨匠ピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画が飾られている。
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アレッツォのドゥオーモ。1510年創建。飴色の砂岩でできている。
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ドゥオーモのファサードは1900-14年建設ののネオゴシック様式。
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後陣のステンドグラスは、アレッツォ出身のドメニコ・ペコリの作品(1519年)。天井の色鮮やかなフレスコ画はフランスのギョーム・ド・マルチラ (1470~1529年)の作品。
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中央礼拝堂を飾る「聖ドナートの石棺」(14世紀)。
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ドゥオーモに残るピエロ・デッラ・フランチェスカの「マグダラのマリア」(1459年)。
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司教グイド・タルラーティの墓碑(1330年)
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グランデ広場はクリスマスのプロジェクト・マッピング中。
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夕食はグランデ広場のシーフード・レストラン「パキーナ」へ。
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野菜のグリル。
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ムール貝のワイン蒸し。
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スパゲッティ・アッレ・ボンゴレ。
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手長エビのリゾット、柘榴の実添え。
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食後は定番のカッフェ・マッキアーティ。
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翌朝11/25(月)早朝にアレッツォを出発。
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アレッツォからICで30分、フィレンツェに向かいます。(4)に続く。
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