2019/11/18 - 2019/11/27
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giantpandaloverさん
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今回はイタリア中部をルネサンスの名作を辿って旅しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2019年11月18日、シアトルからルフトハンザ航空でフランクフルトを経由しローマへ。そこからローカル線でフォリーニョまで行き、タクシーで丘の上のモンテファルコに夕方到着。宿泊は、ホテル・デッリ・アフレスキ。
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部屋はこんな感じ。
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夕食はホテルの斜め向かいにあるアルザトゥーラへ。
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サグランティーノ種のぶどうで作ったDOCGモンテファルコ・サグランティーノ。タンニンが豊富で力強く、深いガーネット色でしっかりとした味わい。
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付き出しは左から収穫したての新物の地元オリーブ・オイルをかけたパン、豆のスープ、プロッシュートをブリオッシュで挟んだもの。新物のオリーブ・オイルってこんなにおいしいんだ。
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もう一つおまけの付き出しのフォッカッチャ。手前は玉ねぎを乗せて焼いてある。
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リコッタのトルテリーニのトリュフ・ソースがけ。
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生ポルチーニのタリアッテレ。
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リード・ボーのソテー。
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温かいサービスで居心地のよいお店でした。
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明けて11/20(水)、ホテルの朝食。色々並んでいる。
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折角なので少しずつ取って食べる。
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モンテファルコの旧市街。11月ということもあり観光客が殆どいない。
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サンタ・キアラ教会。
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モンテファルコのサンタ・キアラはアッシジのサンタ・キアラとは別人。1268年にモンテファルコの裕福な家庭に生まれた後、アウグスティノ会の尼僧となる。夢にイエスが現れて、イエスが背負う十字架を自らの胸に受けることになる。1308年彼女の死後、その心臓から親指大の十字架像が発見された。当時から真偽の程が論争になったが、信じる人は絶えず、1881年に列聖された。十字架のサンタ・キアラとも呼ばれる。
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朝の教会では尼僧が祈りを捧げている。
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モンテファルコの城壁を一旦外に出る。
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モンテファルコの町を少し離れたところまで歩く。
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町の外にはオリーブ畑が広がる。丁度収穫の季節。
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ダ・ビンチの絵の背景のような薄靄の懸かったウンブリアの風景。
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旧市街から約2キロ程歩いて、サン・フォルトゥナート教会に到着。この教会にはフィレンツェ出身のルネサンス画家ベノッツォ・ゴッツォリ(Benozzo Gozzoli, 1421年 - 1497年)のフレスコがある。
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教会の入口のタンパンに描かれたゴッツォリのフレスコ画。ゴッツォリはフラ・アンジェリコの弟子として腕を磨き、28歳のころ、アンジェリコの元を離れて、ここモンテファルコをはじめウンブリアで活躍した。
聖母子の左は聖フランチェスコ、右は聖ベルナルディーノ。聖ベルナルディーノはシエナ出身のフランシスコ会の僧侶でイタリア全土をフランシスコ会の教えを説教して回った。 -
教会内に残るフレスコ画。左がゴッツォリの「サン・フォルトゥナート」、右は「聖母子」。
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大理石の柱に「BENOZII FLORETIA」(フィレンツェのベノツッオ)と書かれている。
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ゴッツォリの「サン・フォルトゥナート」(1450年)。衣装の襞の描き方や柔和な表情に元師匠のフラ・アンジェリコの影響が見られる。サン・フォルトゥナートは300年代モンテファルコに生まれたカトリックの聖人の一人。
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コムーネ広場のパラツッオ・コムナーレ。13世紀に建てられ今も現役の市役所。
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コムーネ広場を少し下ったところにあるフランシスコ教会。
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内陣一面にゴッツオリの「聖フランチェスコの生涯」が描かれている。ゴッツオリがサン・フォルトゥナート教会のフレスコ画を完成させた後の1452年の作品。
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内陣に向かって左側。
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内陣の右側。
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聖フランチェスコの誕生(左)と巡礼者の礼拝。
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裕福な家に生まれた聖フランチェスコが父親の前で世俗の衣服を脱ぎ捨てて聖職者になるところ。
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聖フランチェスコと聖ドメニコの面会。ドメニコ会の美しい僧衣に比べてフランシスコ会の質素な僧衣が対照的。
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鳥に説教する聖フランチェスコ(左)とモンテファルコの街を祝福する聖フランチェスコ。聖フランチェスコはそれまでのラテン語ではなくイタリア語で民衆に向けて説教をしたことで大衆の支持を集めた。鳥が説教を聞きにくるというのは、聖フランチェスコの説教が分かり易く人気があったことの喩え。
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聖フランチェスコがアレッツォの町から悪魔を追い出すところ。城壁にCIVITAS ARETII(アレッツォの町)と記されている。
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法王インノチェント3世の夢に崩れそうなラテラノ教会を支える聖フランチェスコが現れた場面(左)とホノリウス3世からフランチェスコ会が正式に認められる場面。
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法王の三重冠を被ったホノリウス3世から聖フランチェスコがフランチェスコ会を正式に認められる場面。カトリックには清貧を旨として台頭してきたフランチェスコ会を、少なからず腐敗の誹りを受けていたカトリックへの脅威と捉えて異端と断じる選択肢もあったが、実際には、大衆の支持を集めるこの新宗派をカトリックに取り込む道を選んだ。このしたたかさこそ、カトリックが2000年にわたって世界宗教として存続している理由かも知れない。
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内陣の反対側のニッチに描かれたペルジーノのキリスト降誕(1503年)。色彩が鮮やかに残っている。
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教会の入口に近い聖ジローラモ礼拝堂に描かれたゴッツオリの聖母子像と聖ジローラモ伝。
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聖ジローラモ(聖ヒエロニムス)がライオンの手から棘を取っているところ。聖ジローラモはダルマティア生まれ。シリアの砂漠で隠遁生活を送り、ヘブライ語を学び、4世紀に全聖書のラテン語訳を行った4大ラテン教父の一人。シリアの隠遁生活を送っていた聖ジローラモにはライオンがともに描かれる。
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ゴッツオリが1452年6月27日付けでフィレンツェの貴族フェリーチェ・ブランカッチに宛てて、今はモンテファルコの聖フランチェスコ教会のフレスコ画を描いているためモンテファルコを離れることができないことを知らせた自筆の手紙。署名は「Benozzo d’Alese depintore/in Montefalco, in San Francescho/proprio」とある。ゴッツォリの本名はBenozzo di Leseと言う。
フェリーチェ・ブランカッチはマザッチョにフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂のフレスコ画を依頼した。ところが、マザッチョが1428年頃に「貢の銭」など「聖ペテロの生涯」の傑作を描き上げた後、壁画全体を完成させることなくフィレンツェを離れたため、フェリーチェ・ブランカッチは礼拝堂のフレスコを完成させる画家を探していた。この手紙はその時のやりとりと考えられる(最終的にはフィリッピーノ・リッピが完成させた)。
モンテファルコのサン・フランチェスコ教会のフレスコ画が、フィレンツェのブランカッチ礼拝堂とまさに同時代に描かれていたことに改めて感動させられる。 -
昼過ぎにタクシーでモンテファルコからアッシジへ移動。アッシジの宿はイル・パラッツォ。サン・フランチェスコ教会に近いホテル。
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部屋の内部。丘の上で結構底冷えするため、バスルームのオイル・ヒーターが貴重。
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部屋からのアッシジの眺め。
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サン・フランチェスコ教会。
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聖フランチェスコが1228年に列聖された後に建設が始まり1253年に完成。チマブーエ、ジオット、ロレンツェッティ、シモーネ・マルティーニら初期イタリア・ルネサンスを代表する巨匠がフレスコ画を残すルネサンスの殿堂のような場所。ただし聖地であるため内部の撮影は禁止(トホ)。
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下の階には聖フランチェスコが祀られている。
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アッシジのドゥオーモ。アッシジの守護聖人、サン・ルフィーノを祀るために12世紀に建造された。聖フランチェスコも聖キアラもここで洗礼を受けている。
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大聖堂内部。
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聖フランチェスコの像。
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聖キアラの像。
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夕食に行ったパロッタ。伊ガンベロ・ロッソ誌でエビ1の人気店。予約なしだったので危うく断られるところだった。
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ポルチーニのクリーム・パスタ
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猪のラグーのタリアッテレ。
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仔牛の骨付きステーキ。少し固めだが風味が良い。
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柿のムース。因みにイタリア語でも柿はCachi(カーキ)。
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コムーネ広場
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紀元前1世紀創建の古代ローマのミネルバ神殿。現在はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会となっている。
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11/21(木)、アッシジの丘を降りて麓にあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会へ。
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聖堂は1569年から1679年にかけてバロックの先駆けとなるマンナリスモ様式で建てられたものだが、この教会の中に9世紀に出来たポルジュンコラ(Porziuncola)と呼ばれる小さな教会が納められている。この小さな教会で聖フランチェスコは天命を知り、信仰の道を志した。この小さな教会が一大巡礼地になっている。ここも内部の撮影は禁止。
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教会の屋根置かれた黄金のマリア像。
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イタリア語でロゼート(Roseto)と呼ばれるバラ園。嘗て聖フランチェスコとその弟子たちが庵を結んだ森の一部。ある夜、聖フランチェスコが信仰の道を捨てる誘惑・疑念をふり祓うため、衣服を脱ぎ捨ててバラ園に身を投じたところ、バラが棘のないイヌバラに変容したという言い伝えがある。ここのイヌバラには棘がない。
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バラの礼拝堂。格子の奥の狭い空間が聖フランチェスコが寝起きした場所。ここに15世紀、フランチェスコ会の聖ベルナルディーノが礼拝堂を建設した。
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アッシジの旧市街に残る聖フランチェスコの生誕の場所。今は教会になっている。
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サンタ・キアラ教会。聖キアラはアッシジの裕福な家に生まれたが、聖フランチェスコに従い、サン・ダミアーノ教会で修道女としての生活を始め、その後女子修道会のキアラ会を創設した聖女。
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巨大なバットレス。
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ヌォーバ門を出て、石畳の坂を下り、サンダミアーノ修道院へと向かう。
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サンダミアーノ修道院。聖フランチェスコが神の声を聞いた教会であり、聖キアラが半生を過ごした場所。
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修道院の庭には時空を超えて静かな時間が流れていた。
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ロッチャータ(rocciata)と呼ばれるアッシジのお菓子とカフェ・マッキャートで休憩。ロッチャータはフルーツのシロップ煮を巻き込んだパイでかなり甘い。
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夕食はブーカ・サン・フランチェスコへ。
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店内はボールト天井になっていて歴史を感じさせる。
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前菜の温野菜。
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猪のラグーのパッパデッレ。
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ポルチーニのリゾット。
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牛フィレのトリュフ添え。
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食後酒のビン・サント。
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11/22(金)遥かに霞むアッシジの朝。今日はこれからバスでペルージャに向かいます。(2)に続く。
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