2020/12/08 - 2020/12/18
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urufeeさん
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2020年の18切符の旅は、難攻不落の名城と言われた岡城を見たくて大分からスタートしました。18切符の利用開始前の12月8日にマイル特典で大分まで飛んで、翌9日は大分市街の散策。18切符が利用開始になる、10日に大分⇔豊後竹田の往復で利用開始しました。コロナの影響で大分府内城は内部に入れませんでしたが、岡城は素晴らしかったです。全体の日程は下記です。
12月 8日 羽田10:50→大分12:40で移動。バス便を調べずに空港内で昼食取ったら空港でかなり待機。大失敗。結局この日は移動だけに。
12月 9日 大分市街を徒歩散策。
12月10日 18切符使い豊後竹田往復して、岡城中心に見学。
12月11日 大分09:15→広島17:37。この日は移動だけ。
12月12日 広電一日券を購入して広島市街見学。
12月13日 広島08:11→金山17:50。途中、岡山で下車昼食取ってますが、この日も移動だけです。
12月14日 私鉄と路線バス使い、足助城と香嵐渓見学。
12月15日 金山09:50→村井14:11でいつもの健康ランド。
12月18日 健康ランドでノンビリして、村井12:41発で帰宅しました。
写真は岡城の登り口です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
12月9日、大分市街を徒歩散策。
大分駅前に行ったら、ザビエル像のお出迎え。
1551年に大友宗麟の招きで大分での布教を開始しました。 -
そして近くにはその大友宗麟の像も建っています。
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大分駅から1.5kmほど歩いて大友氏館跡庭園に到着。
池は修復工事中らしく水が抜かれてました。 -
池の周りを一周することができて、チョット小高い場所から全体を。
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近くではまだ発掘作業が続いていました。
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庭園跡地の一角に”南蛮BVNGO交流館”が有ったのでチョット入ってみました。
大友宗麟の功績などの展示が有ります。当時の衣装を着て写真を撮ったりもできたらしいのですが、コロナ対策で見学の制約が大きかったのがチョット残念。 -
大友氏館跡庭園を出て、デウス堂跡地へ到着。
ここは1553年に府内教会(デウス堂)が建てられた跡地です。 -
大智寺をチョコっと見学してから、万寿寺に来ました。
ナカナカ立派な山門です。 -
こちらは本堂。
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万寿寺から数百mの所に有る遊歩公園に来ました。
ここには大分の南蛮文化を紹介する彫刻などが置かれています。
ザビエルが去った後3年ほどして、ポルトガルの青年医師アルメイダが来日。当時日本は戦国時代。貧窮で嬰児殺害などの風習が有り、見かねた彼が自費で育児院を建てたのを顕彰する碑です。
牛乳などで嬰児を育てたらしいことがモチーフになっています。 -
大分といえばやはり瀧廉太郎ということで彼の像も有りました。
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先に育児院を設立したと紹介したアルメイダですが、1557年には洋式病院も建てて、日本最初の洋式外科手術も行ったみたいです。
この像は日本人助手と共に外科手術を始める様子を表現しています。 -
こちらはローマへ派遣された伊藤マンショの像です。
彼は大友宗麟の姪の子で当時13歳。天正遣欧少年使節の正使でした。 -
徒歩公園の突き当り府内城址に到着しました。
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イザ入城と思って信号渡ったら、思いもよらぬ入城拒否。
「PCR用検体採取場設置」の為、5月13日から堀の内側を閉鎖。
大ショック。 -
しょうがないのでお濠沿いに一周してみることに。
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徒歩公園側のほぼ反対地点。
人質櫓と言うらしいのですが、名前の由来の説明文は有りませんでした。1854年の大地震で破損した後、1861年に再建されて江戸時代の櫓の形態を伝えてくれているらしいです。 -
茶の湯や能などの諸芸能が行われていた山里丸と呼ばれていた場所に建っていた松栄神社。
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山里丸と西の丸間の堀の上の渡り廊下の廊下橋。
本来はここからも場内には入れるらしいのですがこちらも閉鎖中。 -
府内城をほぼ一周したので、春日神社に来ました。
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こちらが本殿です。
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春日神社のすぐ近くに有る神宮寺浦公園に立ち寄りました。
以前はこの辺りまで海だったらしく、南蛮貿易場址の碑が建っています。
奥の立像は大友宗麟です。この後、西大分港に立ち寄ってからホテルへ戻りました。 -
12月10日は大分駅08:24発で豊後竹田駅へ。
乗車時間77分、片道¥1,310なので、ここから青春18切符を使い始めます。 -
早速1.6kmほど離れた岡城を目指して歩き始めます。
岡城址の駐車場に到着。立派な石垣が見えます。
ここで入場料300円を払って登り始めます。 -
平坦な道を終わってここから上り坂になります。
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立派な石垣が残る大手門跡。
当初はもう少し東側に有ったらしいのですが、城造り名人と言われた藤堂高虎の意見により現在の西向きに変更されたとの事です。 -
大手門を抜けると本丸の石垣が見えます。
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快晴に恵まれてナカナカの眺めです。
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武器庫跡の奥に本丸の石垣が見えます。
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本丸からの眺め。
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本丸に有った岡城天満神社。
岡城は1586年、島津の大軍による攻撃を退けた難攻不落の城。その為、ここの天満神社は受験に”落ちない”と、特別に人気が高いのだそうです。 -
でもコロナ禍の接触感染を避ける為、鈴緒を掴まないように上の方に丸められてました。
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小さな神社ですが、天井の絵はナカナカ素晴らしいです。
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本丸から三の丸方向の眺め。紅葉の季節に来たら綺麗だったでしょうね。
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本丸の上から三の丸に有る武器庫跡を眺めます。
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二の丸跡の一角には瀧廉太郎の銅像も建っています。
瀧廉太郎は父の転勤により12歳の時に豊後竹田に来ています。岡城は彼の遊び場だったらしいです。「荒城の月」はその時のイメージから作曲されたのでしょうね。 -
二の丸には風呂屋跡にチョットした休憩所が建てられています。風呂屋は2階に有って本丸と階段で繋がっています。
この内部にトイレも有ったのでチョットお借りしました。 -
三の丸から西の丸方向の眺め。紅葉の季節にもう一度訪れたくなります。
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西の丸からの眺め。
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西の丸の手前には中川民部屋敷跡が有ります。
西の丸周辺に設けられた3つの家老屋敷の一つです。発掘調査に基づき礎石による建物表示がされています。 -
そして登ってきた時とは別の近戸門跡から七曲りを下って戻ることにしました。
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本当に七曲りだったのかは勘定してきませんでしたが、チャンと整備されていて下り易い道でした。
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岡城から廣瀬神社の鳥居の所まで戻りました。この前に食堂が有ったので、そこで昼食です。
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昼食後は廣瀬神社を見学します。
廣瀬中佐は岡藩士の次男として豊後竹田に生まれてます。旅順港閉塞作戦で戦没し中佐に昇進します。 -
閉塞作戦の時、福井丸に重りとして搭載された石を日露戦争後に海軍が引き上げてここに奉納されました。
その石8個を台座に使用して、1958年に戦没者名碑建立に利用されています。 -
こちらは廣瀬中佐の胸像です。
山下公園に立像が建っていましたが、太平洋戦争中に金属供出されてしまいます。その時、胸像部分を石膏でかたどりしてあったものから復元したのだそうです。軍神とまで言われた中佐の立像まで金属供出されてしまったんですね。 -
廣瀬神社の見学を終わってから、駅に向かう途中に在る瀧廉太郎記念館に立ち寄ります。
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瀧廉太郎は1901年メンデルスゾーン創立の音楽院で学び始めます。一方、メンデルスゾーンの生家が荒廃して復興に向けメンデルスゾーン基金が創設された時、日本の後援会が多大な寄付をしたそうです。その貢献に感謝して、この新種のバラ「メンデルスゾーン」の植樹地として、日本唯一の場所に選ばれたとの事です。
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竹田は元々、三味線、琴、尺八などを嗜む人が多く、瀧廉太郎もこれらの音を聞きながら独学で色々な楽器をマスターしたみたいです。蔵の一階に尺八を奏でる瀧廉太郎の立像が立っています。
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瀧廉太郎記念館を見学し終わって豊後竹田駅へ戻りました。
到着した時は気が付きませんでしたが、駅舎の奥に滝が有ります。
落差60mの「落門の滝」と呼ばれています。 -
駅舎内に入ってもう一度「落門の滝」。
これでも分かり難いでしょうが、写真中央に細い滝が有ります。
この後、大分のホテルへ戻りました。
翌日は広島へ移動します、長くなりましたので別旅行記にしました。宜しければそちらもご覧下さい。
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