2021/04/26 - 2021/04/26
2420位(同エリア7600件中)
風待人さん
この旅行記スケジュールを元に
高山山頂にて不意に見つけた、旧海軍の監視哨跡。その説明看板に書かれていた「※島内通地区には、日露戦争で戦死した日本兵・ロシア兵を弔う墓がある。」との記述に興味を惹かれ訪問することにしました。
確か、ロシアのプーチン大統領が当時の日本国総理大臣であった安倍晋三氏に招かれ長門市入りした時に訪問先とされていたが、大幅なスケジュールの遅れにより割愛されたと記憶しています。
高山下山後は、車を通地区に向けて走らせます。
ナビに任せると、海岸沿いを迂回する道路を示されて行くも、結局は通小学校に向かって行った方が近かったのだと後でわかりました。
それは日本海に面した湾の傍にひっそりと有りました。
墓石は二基あり、その内の1基、常陸丸遭難者の墓碑は、日露戦争のさ中、明治37年にロシア艦隊によって沈められた軍用船、常陸丸(ひたちまる)の戦死者の遺体が通の沖合に流れてきたところ、出漁中の君川亀太郎が見つけて拾い上げ、村で丁重に葬った。墓碑は大正10年12月に当時の通村の手で建立されたとのこと。
更にもう1基は、露艦戦士の墓碑で、明治38年5月27日、日本海軍の連合艦隊は、ロシア・バルチック艦隊を日本海対馬沖で迎え撃った。翌28日にわたって行われた数回の戦闘で、三十数隻のロシア艦隊は壊滅した(=日本海海戦)。この海戦で戦死した多くのロシア兵士の遺体が大越の浜に流れ着き、通の住民は手厚く埋葬した。墓碑は、最初自然石を置いただけのものであったが、昭和43年5月、明治維新100年を記念して、長門市通尚寿会(長門市老人クラブ連合会通支部)の手により、現在の御影石の墓に建て替えられたとのことでした。
いずれも日露戦争による戦没者を弔ったものですが、方や敵国の戦没者、一方は味方の戦没者を同列に扱い、死しては敵も味方も無いとの思いからか公平に扱う点は、日本人の心根の優しさを示すものでは無いかと思います。
時を隔てた今も、両墓碑は命を奪われた後、この地、長門市は通のまで運んできてくれた海を見つめるように建っていました。
帰りには、この場所に来る途中、気になっていた鯨資料館に立ち寄りました。
入館料200円を払い、建物の二階に向かうとそこはこの地で行われていた、近代捕鯨の足跡が現地ならではの活きた資料とともに展示されていました。
中でも、捕らえらた鯨の体内から出された鯨の胎児のホルマリン漬けは形がリアルなだけに悲しみを感じました。
館内は然程広くは無いものの、展示物、掲示物は所狭しと陳列されており、歴史的資料としては見ごたえがありました。
館内を出た後はすぐ裏手にある鯨墓に徒歩で向かいました。
鯨漁で、捕獲された母鯨の体内に居た鯨の胎児を埋葬し、墓石を建てたものです。
この墓碑には、「業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果」と刻まれおり、この文字の意味するところは「鯨としての生命は母鯨と共に終わったが、われわれの目的はおまえたち胎児をとることではなかった。むしろ、海へ放してやりたいのだが、広い海へ放たれても、 独りではとても生きてはいけまい。それ故に、われわれ人間と同様に念仏回向の功徳を受け、諸行無常の悟りを得てくれるようにお願いする」と言われています。
母鯨は良くて、胎児は可哀そうなのかと言う疑念は少し残りますが、生まれ来たるべき命を半ばで葬ったことに対する後ろめたさによるものと解釈してそこは漁民の優しさなのかなと思いました。
世界を探しても、日本人ほど万物に感謝する人種はいないんじゃないかと私は思っています。
針供養や人形供養、下関市では河豚供養まであります。
そう言えば、長門市仙崎の童謡詩人、金子みすゞの詩にも生きとし生けるものへの慈しみや優しさ、悲しみを題材にしたものが多いです。
今回は、日本人、とりわけ、通地区の先人の優しさを感じる旅となりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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通小学校の体育館です、この前の道路を海側へ行きます。
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前方の山の手に看板が見えて来ました。
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日露兵士の墓と書かれた看板を海の方に歩きます。
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プーチン大統領訪問時に新調されたのか小道が歩きやすいように整備されていました。
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海岸に向けて降りる階段にはトラロープの簡易手すりが作られていました。
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目の前には、玉砂利の浜と海が広がっていました。
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波が打ち寄せる海、はるか玄海灘から海流に乗って兵士の亡骸が通の海まで流れついたのは明治の昔。
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命の海を臨むように、小さな高台に二基の墓標が見えました。
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玉砂利が詰められた土嚢で作られた階段を登ります。
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そこには二基の墓標がありました。常陸丸遭難者の墓碑が右側に、そして、露艦戦士の墓碑が左側です。
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墓碑の由来が書かれていました。
スケジュールが大幅に遅れたため、プーチンロシア大統領のこの地への訪問が実現されなかったのが残念でなりません。
この墓を見て、その由来を聞けばその体に赤い血が通っている人なら誰でも心揺さぶられるのではないでしょうか。 -
通地区の中心部にある「くじら資料館」を訪れました。
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資料館の前には、鯨を捕らえる時に使用する、捕鯨砲が展示されていました。
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近くには鯨のオブジェもあります。
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こちら側がくじら資料館の建物の全景です。二階建ての二階が展示室になっています。
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展示は写真や実物のみではなく絵画や手書きの資料もあり分かりやすいです。
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鯨のみならず、鯨漁や通地区の暮らしについての展示も有ります。
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鯨の胎児のホルマリン漬けがありました。見るに忍びない感じです。
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いつの世も、親の願いは子供の成長と健康ですね。魔除けに鮑の殻を使っていたとのことです。
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古式捕鯨のパノラマ図が分かりやすく展示されています。こちらの資料館は手作り感があって素晴らしいと思いました。
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鯨が湾内に現れた時の貴重な写真も展示されていました。
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資料館を出て、裏手の方に鯨墓の入り口があり、徒歩でアクセス出来ます。
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お寺への階段を登って行きます。
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赤く燃えるような紅葉が出迎えてくれました。
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この上に鯨墓があるようです。案内が大きくて分かりやすいのがいいですね。
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階段の先の本堂があります。こちらは、向岸寺(こうがんじ)の隠居所静月庵という所だそうです。
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まずは本堂に出向き、お賽銭を入れてお参りします。コロナウィルス禍が早く終焉しますようにと。
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こちらが鯨墓の石碑です。鯨墓は元禄五年(1692)、向岸寺五世讃誉上人の隠居所である清月庵(観音堂)に建立されました。鯨墓は花崗岩で作られ、高さ2.4メートル、幅0.46メートルで、 正面に「南無阿弥陀仏」と刻まれその下に「業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果」と刻まれています。また側面には願主として設楽(しだら)孫兵衛、 池永藤右衛門、早川源右衛門の三人の鯨組み網頭の名が刻まれているのだそうです。
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鯨墓の由来が書かれています。国指定史跡で正式には「青海島鯨墓」と言うようです。
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墓からは日本海が見渡せます。母なる海が見渡せるところだから鯨の胎児たちも寂しくは無いと思います。
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日露兵士の墓碑と青海島鯨墓を見おわるともう時間は2時前、流石にお腹もすいたし腹ごしらえしますかと立ち寄ったのは仙崎のセンザキッチン。
余談ですが、私の母は何度教えてもセンザキッチンをセンザキキッチンと言います。キが一個多いっちゅうねん。 -
センザキッチンの中には入らず、観光船乗り場の横のフードコートに行きます。こちらの方が、混んでいなくて値段もリーズナブルでお得。
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焼き鳥ではお腹が満たされないし、ビールが欲しくなるから却下だなぁ。
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ラーメンは捨てがたいが、ついついラーメン炒飯セットを頼みそうなのでカロリーオーバーの為、却下。
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海鮮丼、食べたいな~ワンコインで食べられるサービス丼には心動かされます。ここで食べようかな。
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焼きそば、タコ焼き、その他丼ものもいいな~。どうしよう。
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結局、選んだのはカレー。実は、青海島と言うか仙崎にはカレーライスの思い出があるんです。初めて、青海島に家族で来た時に小学生だった私が食べたのはカレーライス。食堂の普通のカレーライスだったのですがとても美味しかった記憶が有ります。
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さて、どのカレーにしようかな、カツカレーが好みと言えば好みなんですが。
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以前こちらで食べた仙崎海鮮カレーが600円とはそそられます。
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結局、迷った挙句、原点回帰、普通のカレーライスですがこちらのカレーライスはスパイスがふんだんに使ってあり、複雑な味と言うか深みのあるスパイシーな味が魅力的でした。こちらのカレーライス中々侮れませんよ。オススメです。
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