2021/04/24 - 2021/04/24
207位(同エリア419件中)
sallyさん
- sallyさんTOP
- 旅行記343冊
- クチコミ338件
- Q&A回答101件
- 913,481アクセス
- フォロワー73人
「野口英世の生家」を見てみたいな、と思い、出掛けてみました。
週末はもっぱら「広くて色々ある」ことがわかった福島県に行っているここ最近。昨年10月からこの半年の間に2度、この猪苗代の地を通過して、会津若松市の鶴ヶ城に行っていたこともあり、「この週末こそは」とあいなりました。
この旅行記では、午後に訪れた「野口英世記念館」「猪苗代湖」「天鏡閣」「道の駅ーばんだい」を記します。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
お昼ご飯には、「会津といえばやっぱり蕎麦」ということで、「三城」というお店でお蕎麦と天丼のセットを頂きました。(詳細は前旅行記に)
-
お蕎麦も美味しかったのですが、ここはやっぱり、おコメが美味しく。
(と、「野口英世記念館」にあった素敵なポスターを転載) -
さて、本日の本題、「野口英世記念館」にやって参りました。
大きくてしっかりした屋根のもとにあるのが、「野口英世(改名前は清作)」そのひとが生まれた、わらぶき屋根の生家です。 -
この大きな屋根が、写真の左手方向に続く記念館本体から伸びており、移築された生家がこの厳しい自然の風雨にさらされないように守っているのですね。
昔々、おそらく、中学、いや小学校の頃にここに「遠足」で来たときは、確か?、、生家は「野ざらし」だったはず。
「のざらしの生家」を再訪するイメージがあった私は、この大胆な建築物の発想にちょっと度肝を抜かれました。
写真の左側端っこに、磐梯山の尾根が写っているのが見えるでしょうか。
つまり、北側、この建物の背中方向、つまり、磐梯山から吹き降ろす風に対しては防御がないんですね。茅葺屋根を自然に生かすためでしょうか、すごいですね。 -
この囲炉裏。ここに1歳数ヶ月だった「清作(=「英世」)」が、落ちて左手に大やけどを負い、指がくっついてしまう話は、伝記で読んだとおりです。
「この囲炉裏かぁ。」と、子供の頃に見たときの衝撃を思い出します。
黒い人型のヨチヨチしているのが、「清作」のイメージですね。 -
野口英世といえば、「ひどく貧しい農家に育って苦学して」というのが通説ですし、実際そうなのでしょうけれども、このお家は天井も高く、居間や土間も広く、「ここで生まれたのではなく、あとの家?」とも思いましたが、生まれた家だそうです。
そして、野口清作さんと思われる黒い人型は、床柱に何かを刻んでいるようです。 -
「志を得ざれば、再び此の地を踏まず」
床柱に彫った野口清作さんの文字です。
床柱に彫っちゃうあたり、大胆ですね、床柱って結構高級な柱なはずだから。
「自分が目指すものを成し遂げなければ、この地に帰ることはない」
19歳で、医師の資格を取るために上京する前の晩に彫ったそうです。
でも、この後、記念館の展示物で色々読んだり見たりするうちに、「この意味」がわかるのですね。
話は少し逸れますが、こういう展示館って最近すごいですよね。見せ方が上手い。ここも、この「この地を踏まず」の清作(=英世)の決心が貫かれたことが、記念館のテーマにもなっており、展示物の流れがテーマに沿ってまとまっていました。 -
記念館に入ると、6分ほどの動画シアターが。
野口英世は、アメリカの研究所にいました。
ここ福島を立ち、横浜から乗船し渡米してから既に十数年が経過しており、人の倍以上の時間、顕微鏡にかじりつき病原菌を研究していた彼は、一度も日本に帰ってきていませんでした。
母親は文字が書けないひとだと思っていた英世でしたが、「どうか帰ってきてください」という言葉を3回も4回もその文面で繰り返す、故郷の母親からの自筆の手紙を貰います。彼は「不孝」を悔い、帰国を誓うというくだりです。
が、実際には研究が多忙を極め、手紙を貰って帰れたのは3年後だったそうです。 -
展示物は、貧しくて左手が不自由な清作に勉学を身につけさせ、農業ではない仕事をさせなければ、と考えた母親の思いから始まり、その母の思いを一途に受け止め勉学に勤しんだ英世が、小学校から高等の学校へ、そこから医学校へ、研究所へと、英世の才能と勤勉さとひたむきさに心奪われ、その道筋を開き、精神と経済の両面から支え導いた学校の先生、先輩医師、研究者たちとの出会い、交流の記録でした。
ほぼ数年ごとに環境を変えて邁進していく渡米前までの記録は、明治の時代にそんなに忙しい人がいたのかね?と圧巻でした。 -
これは、野口英世さんが描いた自画像です。
アメリカに渡り、51年の人生の半分をアメリカで過ごしたわけですが、渡米後の記録はあまりないようでした。
感染症に限らず、研究は日進月歩の時代だったようで「寝る間も惜しんで」「とにかく多忙な人だったのだな」というのが強く印象に残りましたので、アメリカでの別荘での夫人との写真や、この油絵を自身が描いたという事が少し意外でした。
あとから「腸チフス」という病気にかかって療養した時期があった事を知りました。 -
こちらも、英世さんが描いたものです。
他に英世さんの「書」に「忍耐」と書いているものがあって、「なるほど、感染症という未知のものを調べるには、それだよな!」と、ものすごく納得しちゃいました。
奥さんはアメリカ人で、メリーさんと言ったかな。
渡米して15年後、英世が一時帰国した際は同行していません、その頃の日米の関係性もあったのでしょうか。 この猪苗代の地の小さな駅には、英世の凱旋を歓迎する800人もの人が集まったそうです。
そして、英世は再び帰国することなく、「黄熱病」の研究をしていたアフリカの地で、自身がその感染症に倒れ、生涯を閉じることとなります。 -
さて、と。
あら? あれは、もしや。。。 -
野口英世さん? そう、アンドロイド野口英世さん。
これが、ビックリ!? 腰を抜かすほど、まぶたとか口もとの動きだとか、腕を上下する動きの自然さだとか、、これはもうびっくり!!!でした。結構こういうの好きかもしれない、と思った。
ひととおり喋ったあとに、腕を戻し顔がうつむき加減にするのだけれど、それがちょっと寂しげで、ここに彼を一人置いていくのが気の毒になったりした。(すでに、そういう感情を持ち始めている自分はヤバいのかもしれない)
それと、まわりに誰もいなくても「くしゃみ」したり「咳払い」したりして、ちょっと小ワザを使ってくるのも憎めない。 -
「野口英世記念館」ショップで色々購入。
この「若き日の野口英世」が面白くて、この日の夜、一気読みしてしまった。monoの消しゴムは「忍耐」を掲げる英世さんが。
あ、ところで。 -
そう、野口英世さんといえば、「スケコマシ」(女性好きだったらしい、)という側面もあった人だった記憶。それに渡米前にお金を使い果たしちゃったり、そういう意味でも「破天荒な人」でもあったような話があるんだけどね。
ちょっとそんな側面も記念館に何かしら展示があるんじゃないか、って、再訪の目的にひそかに込めていたのだけれど、そういう展示はありませんでした。小中学生が見にくる立派な人物だものね、やっぱりないよね。
ただ自分が大人になると、立派な人間の立派ではない「人間らしい部分」も見たくなるもんですよね。
(この写真は、会津若松市内にある「野口英世青春館」。ここは野口英世が書生をしていたと言われる「会陽医院」という病院施設だったもの。この時に行った所ではない。) -
「野口英世記念館」を出ると、すぐに「猪苗代湖」が見えました。
日本で4番目に大きい湖です。 -
ここが水がきれいで、そして、見渡す限り、湖の四方がぐるりと「山」!
そういうの意外と見たことないんだな、って気付きました。
湖の、このサイズで。
だから圧倒されました。「東北って大きいな、色んなものが」ってなりました。 -
あちらが、会津磐梯山、標高1819メートルでございます。
冬はあそこから冷たい風が吹き降ろすのでしょうね・・・
野口英世さんの生家は、後ろに磐梯山、前に猪苗代湖という厳しくも雄大な自然のなかで育ったわけですね。
このあたり、会津といえば、戊辰戦争で負けて土地を追われ優秀な人材が散り散りになった。それで野口英世という秀才を見出し、育て、導いた先生方は、この人こそ、この地の名誉を挽回する人になると考えたとも言われているそうです。 -
そして、猪苗代湖畔をあとにし
猪苗代湖を眺める高台に登ってすぐのところにあったのが、 -
こちら、「天鏡閣(てんきょうかく)」
古い洋館です。 -
有栖川宮 威仁(ありすがわのみや たけひと)親王殿下
この方の別荘だったとのことです。
イケメンです。 -
明治40年、このあたりに旅行にこられた宮さまがここを気に入って、「ご別邸」の建設を決定されたのが始まりだそうです。
-
明治41年、西暦でいうと、、ええと1908年に竣工されたこの建物。
「ルネッサンス風洋風建築」だそう。
当然、100年前の木造建物がこの雪・風多い土地で無傷なわけがなく、昭和の時代に修復されています。 -
昭和20年代に、宮家から福島県に「御下賜」され、しばらく、会議や講義室として使われたりしていたそうです。(なんと贅沢な)
修復後は、昭和天皇、現天皇ご家族など休憩場所として利用したりしたそうです。 -
ちょっと驚いたのは、この映画「約束のネバーランド」で、撮影が行われていたこと。正面玄関、バルコニーなどが「グレイスフィールドハウス」と呼ばれるお屋敷として出演したそうです。浜辺美波さんのサインもありました。
確かに冬、雪に包まれたこの厳かな洋風建築の佇まいは、なかなかのものがあります。 -
さて、見学です。
内部はかなり広く、沢山の部屋はほとんど公開されていました。
こちらでは紅茶とお菓子のセットなどが頂けるようでした。 -
この廊下の左にあったのが
-
これ「呼び出し用受信機」
1、2、3、4 というのがお部屋の番号で、そこからボタンを押すと、召使がそのお部屋に参るという事かな、と思われます。
これってもう、イギリスのドラマ「ダウントンアビー」の世界だよね。
知ってる人ならワクワクしちゃう「貴族と召使」の物語です。 -
沢山のお部屋が公開されていますが、家具は少なく、内部の見ごたえはちょっと少ないかな。
あの鏡台と椅子はオリジナルだそうで、お妃様から次のお妃様へ引き継がれたような事が書かれてました。
最近知ったのですが、皇室の方々が使った身の回りの家具って、宮家の人たち以外の一般人、とはいえ勲章をもらうような一般人に下賜されたりするようですね。それはもちろん、とても大切に素晴らしい職人が素晴らしい材料を取り寄せて作ったものだから、簡単には捨てないでしょうけど。 -
窓の外、眼下に見えるは「猪苗代湖」のはずが、木々が大きく育ち、今では視界を遮ってしまっているようです。
「天の鏡」と、この建物を名付けたのは、湖に映り込む山々や、夜の星空の美しさを見る事が出来るこの地を讃えたものだったのでしょうね。 -
皇室の所有していた別荘って、見かけるとたいてい内部見学したりするのですが、
室内はどちらかといえば質素で飾りは少なく、でも「よい素材」「よい材質」のものを使ってるのが、そこはかとなく分かります。
で、どちらかといえば、建物の外観や、そこから眺められる景色の方が素晴らしく、「他にはない一番の場所を占有している」感じがいつもします。 -
さて、この建物の一番高いところ「八角塔」に登ってゆきます。
-
外から見みると、建物の、この右側の一番高い部分が「八角形」の展望台「八角塔」です。
-
3階建てに見えたここですが、実は4層になっていました。
この下に、窓が天井近くに付いているような居住性が低い「召使の部屋」ようなものがあってですね、沢山の使用人がいたことだろう、と想いを馳せたりしました。 -
「八角塔」から眺める「猪苗代湖」。
左側は暖炉から上がる煙のための「煙突」
右側に黒く見える屋根瓦は、天然の「スレート瓦」のようです。 -
裏庭です。
尖った塔の先にサーベルを持ち、立っていらっしゃるのは、おそらく「有栖川宮」様かと思われます。
余談ですが、東京広尾に「有栖川公園(ありすがわ~こうえん)」なるものがありまして、そこの近くでアルバイトしていた事があります。
お昼休みはそこに行ったものですが、「アリスがわ公園」と「音」の響きで覚えていたので、その由来が「宮さま」関連にあったと知り、東京は違うなって思った事を思い出しました。 -
敷地は広く、桜が満開でした。
-
そう、この向こうは猪苗代湖。
だから、桜が遅いのですね。磐梯山から吹き降ろす風、目の前の湖。
ちょうど2週間前に、ここから20キロほど西の、会津若松城でソメイヨシノを楽しんだので、「青森、弘前城の桜が満開」というニュースを聞いたこの週末、ここで同じ桜が見られるとは思いませんでした。
このへんでは、前の週に雪が降っていたりもしたそうです。 -
「天鏡閣」をあとにしました。
-
さて、最後に立ち寄ったのが、「天鏡閣」から、西へ12キロほど行った「道の駅 ばんだい」
-
こちらは、最初に立ち寄った「道の駅 猪苗代」より小さめで、新しくはないようですが、お値段は地元価格な感じでした。
ただ、どちらにも共通しているのが、「高速道路からすぐ」という所。
福島県に来ていつも思うのが、観光施設の充実です。 -
ここでは、この「笹だんご」(つぶあん)を購入。
5個で648円。
粒あんとこしあんから選べるのも良かったです。 -
柿の葉寿司、笹団子、柏餅、、葉っぱの匂いがするものが好きな自分です。
皆さんはいかがでしょうか。(なんて) -
と、そんなこんなで、16時には、ここから最寄りのインターチェンジ「磐梯河東」からのって、2時間弱で帰宅しました。 -
「いなわしろの休日2」編、おしまい。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
45