2021/02/13 - 2021/02/13
159位(同エリア477件中)
玄白さん
コロナ禍で自粛を余儀なくされて、本格的な旅行には行けない日々が続いており、4travel旅行記も遠ざかっていた。しばらくは宿泊なしの近場の日帰り小旅行が続きそうだ。
ステイホーム生活で、断捨離を始めており、粗大ごみ廃棄のため、宇都宮南部のクリーンパーク茂原へ出かけた。せっかく、ここまできたので、20分ほどさらに南に下り、下野市の薬師寺跡に咲く梅を見てきた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
現在の下野市の薬師寺というと、どこにでもありそうな小さな田舎の寺であるが・・・
-
白鳳・天平時代、すなわち天武・持統天皇の藤原京から平城京に遷都し、聖武天皇が東大寺大仏建立という大事業を行った、いわゆる奈良時代は、仏教を国是とする鎮護国家思想で政治が行われ、全国に国分寺・国分尼寺がおかれていた。国家仏教全盛の頃、今では地方の片田舎であるこの地に、奈良の大寺院にも匹敵する大伽藍があったのである。この地方を治めていた豪族、下毛野朝臣古麻呂という人物が、下野薬師寺を創建したと伝えられている。
-
平安時代になり、天台宗、真言宗など新興仏教が盛んになると、国家仏教は衰退し、下野薬師寺も衰退、9世紀中頃に火事で焼失したという。
昭和40年代に、発掘調査が行われ、東西110m、南北102mの敷地に塔、金堂、講堂が配置された大伽藍だったということが分かっている。 -
発掘調査後は、公園として整備されているが、伽藍の回廊の一部分だけが復元されている。むろん、当時の建築資料が残っているわけではないので、奈良の法隆寺や川原寺の現存する回廊を参考に復元されたものである。
-
復元された回廊の建築様式を解説したパネルが設置されている。
-
敷地内には梅が植えられていて、見ごろを向けている。
-
イチオシ
奈良時代の建築らしい朱塗りの回廊と梅がよくマッチする。
現代では花見と言えば、桜を愛でることであるが、奈良時代は花見の対象は梅であった。遣唐使を通じて中国から様々な交易品、文物が流入したが、その中に梅があった。梅は花の美しさだけでなく香りの良さも奈良の貴族にもてはやされた。 -
むろん桜も好まれてはいたが、桜の語源(さくらのさは田の神、くらは神が宿るところという意味)から、どちらかと言えば鑑賞する対象ではなく、祭り敬う意識が古代人には強かったらしい。
-
万葉集で桜を詠んだ歌は43首、梅を詠んだ歌は110首で、圧倒的に梅に軍配が上がる。奈良時代に生き、死後天神として祭られた菅原道真を祭った天満宮には必ず境内に梅が植えられている。
-
復元された回廊のそばに六角堂がある。現存する堂は江戸時代創建だというが、もともとは薬師寺戒壇だった。国家仏教が盛んになるに連れて、生活苦の庶民が税が免除される僧に勝手になり仏教戒律が乱れるという問題が出てきた。そのため、朝廷は受戒といういわば僧侶になる資格を審査する機能として戒壇を全国で3か所に設けた。すなわち、奈良東大寺、福岡の筑紫観世音寺、そして下野薬師寺だった。
-
今では遺構しか残っていないが、当時はとても重要な大伽藍だったのである。
訪れたときは、ブルーシートで覆われて中が見えなかったが、受戒を指導するために中国から招いた鑑真和上の像を安置する作業が行われているのだそうだ。 -
参拝の鐘を突く綱の色彩も天平文化らしい色使いである。
-
粗大ごみ廃棄に手間取り、ここを訪れたときは夕刻近かった。遺構を見て回る間に陽が西に傾いてきた。
-
夕日を浴びる白梅をアップで。
-
植えられている梅は白梅が多いが、少しだけ紅梅も混じっている。
-
枝ぶりからすると、まだ梅の樹の樹齢は若そうだ。
-
まもなく日没
-
イチオシ
夕日をバックに石塔のシルエット
-
ポイントをあちこち変えて夕日と梅を取り歩く
-
梅と夕日
-
梅と夕日
そろそろ撤収の時間だ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
栃木・壬生・都賀(栃木) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
21