2016/01/01 - 2016/01/01
47位(同エリア749件中)
エンリケさん
この旅行記スケジュールを元に
2015~16年の年末年始のベトナム旅行5日目後半。
午後も引き続き、ベトナム中部の古都フエの名所巡り。
シン・ツーリストの阮朝三帝陵ツアーの残りひとつ、トゥドゥック帝陵を回った後は、フエ中心部に戻り、フーン川沿いに建つベトナム建国の父、ホーチミンの博物館を訪問。
そして列車の時刻となり、フエ駅からベトナム統一鉄道でこの旅の最終目的地、ベトナムの首都ハノイを目指します。
<旅程表>
2015年~2016年
12月28日(月) 成田→マカオ
12月29日(火) マカオ→ダナン→ホイアン
12月30日(水) ホイアン→ミーソン→ホイアン
12月31日(木) ホイアン→ダナン→フエ
〇 1月 1日(金) フエ→
1月 2日(土) →ハノイ→ハロン湾→ハノイ
1月 3日(日) ハノイ→
1月 4日(月) →マカオ→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- マカオ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2016年1月1日(金)
11時、シン・ツーリストの阮朝皇帝三陵墓ツアーにおける2番目の陵墓、カイディン帝陵の見学を終え、バスに戻ります。カイディン帝陵 建造物
-
次は最後のトゥドゥック帝陵へ、と思ったら、この手のツアーによくあるオプショナルツアーの案内。
“マーシャル・アーツ”の披露とかで、別料金50,000ドン=約280円が発生するとのこと。
逆らってもほかにやることはないし、ケチるほどの金額でもなかったので、流れに沿って参加することに。
・・・という感じで、11時20分、マーシャル・アーツの会場に到着。 -
道場のような会場で並べられた椅子に座って待っていると、黄色と赤の道着を身に付けた一団が登場。
いずれも若い、子どもも混じった面々で、彼らがマーシャル・アーツを披露してくれるということか。 -
まず最初は、こんな黄色い動物のお面を被って、日本の獅子舞のような踊り。
-
そしていよいよ、刀や棒などが出てきて、マーシャル・アーツの披露に移っていきます。
-
こちらは棒を使った組み合い。
なかなか激しい動きです。 -
こちらは空手でもお馴染みの瓦割り。
フエのマーシャル・アーツ・ショー、日本要素強めです(笑)。
日本人にとっては自国でも見られるし、それほどおもしろくもないものですが、東洋から遠く離れた欧米人にとってはおもしろいものなのでしょうかね・・・。 -
最後は槍を首の筋肉で受け止める超絶技巧(?)の披露。
こちらも日本のどこかで見たことがあるかな・・・。 -
・・・ということで、一連の技の披露が終わってマーシャル・アーツ・ショーが終了。
欧米人は盛大な拍手をしていましたが、韓国人など東洋人は・・・それほどでもないかな?
時刻は11時50分、約30分のショータイムでした。 -
さて、ショーが終わった後はすぐにはバスに戻らずに、近くの通りでお土産タイム。
・・・といっても、開いているお店はわずかで、土産物屋街というには寂しい限りですが。 -
土産物屋ではベトナム名物の三角笠(ノンラー)などが売られているものの、品数は少なく、かなり閑散としていて寂れた感じです。
-
結局何も買わず、そのままバスへ。
そして12時10分、ツアーメンバーを乗せたバスは、阮朝三帝陵ツアーの最後の目的地、トゥドゥック帝陵に向け出発。
ちなみに、ここまで時折話をしたりして一緒に行動してきた韓国人の女性グループはバスに乗って来ず、そのままツアーを離脱。
そういえば、韓国人観光客の“ノーショー”が世界中で問題になっているとネットニュースで見たばかりでしたが、それってこういうものなのかなあ・・・。 -
マーシャル・アーツの会場からトゥドゥック帝陵は案外近く、12時20分、バスは陵墓の入口に到着。
この門(務謙門)をくぐって、早速トゥドゥック帝陵の見学スタートです。 -
門をくぐるとまず目に飛び込んできたのは広大な池(謙湖)。
このトゥドゥック帝陵、その名のとおり阮朝第4代皇帝嗣徳帝(トゥドゥック帝、在位:1847-83年)の陵墓で、帝の存命中、1864年から1867年にかけて造られ、陵墓内の施設には“謙”の字が多用されていることから、“謙陵”とも称されます。 -
入口のすぐ近くには陵墓の案内板。
このトゥドゥック帝陵、大きな蓮池を中心として、その周りに寝殿などの建物を配した構造で、帝の存命中に完成したことから、帝が詩文を作ったり舟遊びを楽しむための離宮として使われていたとのこと。
【フエ観光情報促進センター~トゥドゥック帝陵】
https://www.vietnamhuekanko.com/%E8%A6%8B%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D/%E5%B8%9D%E9%99%B5-%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%82%AF%E5%B8%9D%E9%99%B5/ -
その謙湖に面した通路をてくてく。
空も晴れてきて、暑くも寒くもない陽気で気持ちがいいです。
・・・少し歩くと、奥に黄色い屋根の建物が見えてきました。トゥドゥック帝陵 建造物
-
奥にある建物は冲謙榭。
池の上に建つあずまや風の建物で、ここから謙湖を眺めると涼やかで風流な感じ。
この冲謙榭では現在、一日に数回、伝統音楽の演奏会が催されるとか。
残念ながら我々が訪れた時はやっていませんでしたが・・・。 -
この冲謙榭、復元されたものなのか、比較的新しい感じがしますね。
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そして謙湖の別の一角には愈謙榭(写真左)と謙宮門(同右)。
謙宮門は寝殿(礼拝堂)である和謙殿に通じる門となっています。
・・・それにしても“謙”の字が多いこと。
トゥドゥック帝はその在位中の1858年に、後のフランス植民地化のきっかけとなるフランス軍の侵攻(コーチシナ戦争)を許してしまったことから、これを恥じて自らの陵墓に“謙”の字を用いることとしたそうです。 -
その謙宮門をくぐって寝殿へと進みます。
-
ちなみに謙宮門から見た謙湖と冲謙榭はこんな感じ。
平等院鳳凰堂から見た阿字池のように優雅な風景ですね。 -
謙宮門をくぐった先にあるこちらが寝殿(礼拝堂)の和謙殿。
やはり皇帝を象徴する黄色い屋根をしていますね。 -
和謙殿の内部はこんな感じ。
ミンマン帝陵などと同様、今でも人が生活しているような感じで、テーブルなどが整えられています。 -
奥にはトゥドゥック帝とその皇后の位牌が並んで祀られているのが見えますね。
-
和謙殿を抜けた先には良謙殿。
和謙殿と似たような建物ですが、こちらは修復が後回しにされているのか、屋根や柱が色褪せたままとなっています。 -
良謙殿の向かって右側には鳴謙堂。
“鳴”という字が使われているとおり、トゥドゥック帝の生前は劇場として使われたとのことですが、中に入ってみると・・・。 -
中央には黄色で彩られた皇帝の玉座が配され、天井には皇帝を表す“天”として星空や太陽が描かれた威厳ある空間。
天井はともすれば子供の落書きに見えなくもないですが・・・。 -
玉座の傍らには皇帝を載せたと思われる、いかにもな形の輿が。
この鳴謙堂、現在では観光用に衣装を着て撮影することもできるスペースとなっているとか。 -
鳴謙堂の中から外に向かってパチリ。
正面に見える建物は温謙殿。
やはり“謙”の字が使われています。 -
温謙殿の内部もこのように、現在でも人が生活しているような感じで管理がなされています。
観光のためでもあるのでしょうが、トゥドゥック帝、なかなかにリスペクトされていますね。 -
そしてこれらの建物の裏側には、管理の行き届いていない、ところどころ苔むしたままの建造物群が。
こちらの方が廃墟感が出ていて先代の王朝らしく、好きな人は好きかも。 -
続いてはこのトゥドゥック帝陵のメインとなる皇帝の石棺へ。
謙宮門を出て、帝陵の敷地の奥へとつながる道をたどっていくと、現れたのはこちらの碑亭。
先に見たミンマン帝陵やカイディン帝陵でもお馴染みの、皇帝の功績が書かれた碑石を収める建物です。
【年末年始ベトナム北中部紀行(7) カイディン帝陵の碑亭】
https://4travel.jp/travelogue/11683085#photo_link_69256914 -
碑亭の周りにはやはり官僚や動物たちの石像。
-
この碑亭、収められた碑石に刻まれる碑文は、通常、次代皇帝によって書かれるものなのですが、トゥドゥック帝の場合は生前にこの陵墓が完成したこともあって、自ら筆を執ったのだとか・・・。
5,000文字で刻まれた文章には、フランスと協定をかわした経緯や自身に子供ができなかったこと、国が豊かになって欲しいという望みなどが書かれているとかで、この碑石は帝陵の中でも最も大きく、重さ20トンもあるのだそうです。 -
さて、その碑亭の後ろには・・・。
-
この帝陵のメインとなるトゥドゥック帝の石棺。
帝陵の奥まった、寂しいところに鎮座しています。
しかしここにあるのは形式的な石棺だけで、皇帝本人の遺体は親族によって秘密裏に埋葬され、現在でもどこにあるのか分かっていないのだとか・・・。 -
以上でトゥドゥック帝陵の見学を終了。
トゥドゥック帝には109人の正室や側室がいたとのことですが、幼い頃に天然痘にかかった影響か、実子はおらず、次代5代皇帝には養子に迎えた甥が即位(育徳帝=ズクドゥク帝、在位:1883年)。
しかし、このズクドゥク帝はわずか3日で廃され、その後も短命な皇帝が続いてフランスの植民地化の動きは最終段階に入っていき、阮朝は衰退の道をたどっていくこととなります。
・・・時刻は13時、これからフエ中心部に戻ります。 -
13時20分、フエ中心部の宿泊したホテルの前でバスを降ろされ、フエ郊外の三帝陵を巡るツアーは終了。
さて、お腹も空いたことだし、これから昼食。
前日も利用したホテル近くの“Hue Tattoo”というお店でやはり米麺料理を注文。
麺の上に豚の焼肉を載せた冷やし中華風の“ブン・ティット・ヌォン”(Bun Thit Nuong)なるもので、これがまた香ばしくて舌触りもよく、たったの45,000ドン=約250円とは幸せ。
ちなみにビールは12,000ドン=約66円。
やはりベトナムは物価が安い! -
14時30分、昼食後はホテルに戻ってフロントに預けた荷物を引き取り、この旅の最後の目的地、ハノイに向かうべく、駅へ。
ホテルから駅へは2kmほどなので、タクシーを使わず、てくてくと歩いて行きます。
フーン川沿いの駅への道はこんな緑が広がり、向こうには政府系の建物も。 -
そしてフーン川の方を見やると、王宮のフラッグタワーに掲げられた赤地に金星のベトナム国旗が。
-
ちなみにフーン川の岸辺にはこんな白鳥の姿をしたボートが繋がれており、まるで箱根の芦ノ湖のようですね(笑)。
-
フーン川沿いには“Con gái”(ベトナム語で“少女”)と題された、こんなベトナム人少女のモニュメントも。
こういうところには“社会主義”を感じますね。 -
こちらは前日も見た、第一次世界大戦でフランスとともに戦ったベトナム軍兵士を追悼する1920年に建設された記念碑。
フランス植民地下だけれども阮朝時代だからか、王宮と似たようなテイストで造られていますね。 -
15時20分、フーン川沿いを歩いていたら、“ホーチミン博物館”なるものを発見。
列車の発車時刻までまだ余裕があるので、入ってみることにします。ホー チミン博物館 (フエ) 博物館・美術館・ギャラリー
-
建物の中に入ると、金色のホーチミン像がお出迎え。
そう、ここは1945年9月2日のベトナム独立宣言時に国家主席を務めたベトナム建国の父、ホーチミン(胡志明、1890-1969年)を記念する博物館。
入館料は無料とのことで、早速館内を回っていきます。 -
こちらは若き日のホーチミン。
眼差しから強い意志が感じられる方ですね。 -
そしてこちらは我々がよく知っている、革命後の人民服姿のホーチミン。
“ホーおじさん”(伯胡、Bác Ho)という愛称が良く似合う写真となっています。 -
そのホーおじさんの背後には、ホーチミンに関わる様々な写真の展示。
それらのいくつかをのぞいてみると・・・。 -
こちらは1975年のベトナム戦争末期のフエの様子。
1973年1月27日に交わされたパリ和平協定により米軍は南ベトナムより撤退。
北ベトナムは攻勢を強め、1975年3月10日に“ホーチミン作戦”により南ベトナムに対する全面攻撃を開始。
北緯17度線を越えて南ベトナムに侵入した北ベトナム軍は、3月末にベトナム中部の主要都市、フエとダナンを陥落させます。 -
そして1か月後の4月30日、南ベトナムの首都であったサイゴンが陥落。
南ベトナムは崩壊し、ベトナムは社会主義政権の下に南北が統一されることとなります。
ちなみにホーチミンはベトナム戦争の終結を見ずに1969年に死去。
その名はサイゴンに代わるベトナム南部最大都市の名称として引き継がれることとなります。 -
15時40分、ホーチミン博物館の見学を終了。
展示品はベトナム戦争などホーチミンにまつわる写真が中心で、品数もそれほど多くなかったので、さらっと見て回れます。
さて、博物館を出た後は、再び駅に向かってフーン川沿いのレロイ通りをてくてく。 -
途中、こんな中国風の門をした由緒あり気な建物もありましたが、どうやら学校のようです。
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そして15時50分、フエ駅(Ga Hue)に到着。
-
駅舎はこんなレトロ調の雰囲気。
ちゃんと英語表記もありますね。フエ駅 駅
-
中に入ると切符売り場には長蛇の列。
わたしは日本を発つ前に、ネットでAPTトラベルホイアン支店にハノイまでの乗車券の手配を依頼していたため、窓口に並ばずに済みました(乗車券はホイアンで受取済)。 -
わたしが乗車するのは16時47分フエ発、翌朝5時50分ハノイ着の列車。
代金はAPTトラベルホイアン支店の手配で55USD又は1,188,000ドン=約6,550円。
ちなみに、ベトナム鉄道HPから直接買うと乗車券791,000ドン+保険料1,000ドン=792,000ドン(約4,370円)なのですが、手続中に納税者番号などのインボイス情報を求められ、自力では購入にまで行き着くことができませんでした。
【ベトナム鉄道HP】
http://www.vr.com.vn/ -
16時10分、まだ少し時間はありますが、何分にも初めてのベトナム鉄道乗車なので、早めにプラットホームに入って列車を待ちます。
-
フエ駅内の線路はこのとおり、両側にあるプラットホームとほぼ同じ高さ。
フラットな高さのため、向こう側のホームに行くのにそのまま線路をまたいでいくのが普通となっているようです。 -
そうこうしているうちに時間は流れ、16時35分、南からハノイ行きの列車がやってきました。
時刻表通りの到着に、思わず“おお!”と感動の声を上げてしまいます(笑)。 -
ベトナム統一鉄道の列車は目の前を通過し・・・。
-
駅舎のかなり先まで行って停車。
停車時刻は10分もないため、早速指定寝台を探して乗り込みます。 -
わたしの乗った寝台車(Soft Sleeper)はこんな感じ。
地元ベトナム人のほか、欧米系の女性も乗り込んだ、まさに混載の寝台車でした。 -
そして16時47分、列車は定刻通りフエ駅を出発。
ベトナム最後の王朝、阮朝の都として栄えた歴史ある街ともこれでお別れです。 -
さて、自分の部屋のベッドに座っていても外の景色が何も見えないので、車両探検も含めて辺りをブラブラすることに。
-
通路に出ると、人懐っこいベトナム人のお子ちゃまが、わたしのカメラを物珍しそうな顔で見つめながら近づいてきたので、ご家族の了解を得てパチリ。
海外の鉄道旅では、こういう地元の方々とのふれあいも楽しみのひとつですよね。 -
お子ちゃまはずっとニコニコしながらしばらく被写体になってくれました。
ただ、欧米人の乗客にとってはベトナム人の子どもたちが大きな声を上げてキャッキャッ騒いでいるのは気に食わなかったようで・・・公共の場でのしつけに対する文化の違いもあるのでしょうかね。 -
そんなこんなで列車はベトナム中部の田園風景の中をぐんぐんと北上していき・・・。
-
いつの間にか日が落ちてすっかり暗くなった19時45分、どこかの駅に到着。
時刻表を見ると、どうやらドンホイ駅のようです。
向こうには売店が見えるも、列車がいつ出発するか分からない状況の中では、買い出しに行くのは難しいですね・・・。 -
さて、夜になると出歩く人が減ってだいぶ車両は静かに。
ヨーロッパの寝台車両だと、怪しそうな人もいて、けっこうコワい雰囲気が漂いますが、このベトナム鉄道からはそんな雰囲気は全く感じませんでした。 -
洗面所もまあまあきれい。
-
こちらの座席車両には誰もいませんね・・・。
-
乗車前はセキュリティなどちょっと心配なところもあった寝台車両ですが、いざ乗ってみると、至って平穏な雰囲気。
周りが皆、ベッドで丸くなっている中、わたしもいつの間にか眠りに落ちていきます・・・。
(年末年始のベトナム北中部旅行6日目~ハノイ、ハロン湾観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 川岸 町子さん 2021/04/25 22:38:34
- 列車内の出会い
- エンリケさん、おばんでした(*^-^*)
和謙殿の内部、面白いですね!
今でも人が生活しているような感じで、テーブルが置かれ、左右に額縁まで。
案外カジュアルな額縁ですが、何の様子を描いたものなのでしょうね?
お土産屋さん周辺からツアーを途中で離脱した韓国人グループは、どうやってフエまで帰ったのでしょうね?それとも別のスポットへ?
交通の便があまり良くなさそうなのに、韓国人女性は行動的ですよね。
「謙」の文字が多い由来、そのような事があったとは、さぞ心の大きな負担になったでしょうね…。
一方、サイゴン陥落の様子なども読ませて頂き、改めて痛ましいと感じました。
南北に長い国の悲しい歴史。
今では、私の住む駅で一番多く(ダントツ)見かける外国人はベトナム人です。
ベトナムに帰れない今、何を思うのでしょう?
列車内での出会い、いいお写真ですね(*^^)v
子どもの指の表情が自然で可愛い~。
町子
- エンリケさん からの返信 2021/04/29 19:13:34
- 旅の楽しさ
- 川岸 町子さん
こんばんは。
引き続きフエ旅行記にご訪問、ありがとうございます。
> 和謙殿の内部、面白いですね!
> 今でも人が生活しているような感じで、テーブルが置かれ、左右に額縁まで。
> 案外カジュアルな額縁ですが、何の様子を描いたものなのでしょうね?
トゥドゥック帝陵は現在でもきれいに管理され、建物や調度品などが丁寧に扱われている様子が伝わってきました。
観光振興のためなのでしょうが、祀られているトゥドゥック帝としては、滅びた王朝にしては思いもかけない手の込んだ管理がなされていて、いい気分かもしれませんね(笑)。
> お土産屋さん周辺からツアーを途中で離脱した韓国人グループは、どうやってフエまで帰ったのでしょうね?それとも別のスポットへ?
> 交通の便があまり良くなさそうなのに、韓国人女性は行動的ですよね。
いや本当に。
最近では海外で元気のない日本人に比べて、行動的で目立っていること(笑)。
> 一方、サイゴン陥落の様子なども読ませて頂き、改めて痛ましいと感じました。
観光で見るベトナムの姿は、華やかな王朝時代のものとか、少数民族の様子とか、牧歌的なものが多いですが、ベトナムでは第二次世界大戦が終結して日本が平和になった後も、つい40年ほど前までは、民族が分断されて血みどろの戦争をしていたのですよね。
本当に今の平和の時代が貴重に感じます。
> 今では、私の住む駅で一番多く(ダントツ)見かける外国人はベトナム人です。
> ベトナムに帰れない今、何を思うのでしょう?
日本にもベトナム人が増えてきましたよね。
本国ではタイやインドネシアに比べ、経済が伸び悩んでいるという感じですが、何とか本国の方でもがんばってほしいものです。
> 列車内での出会い、いいお写真ですね(*^^)v
> 子どもの指の表情が自然で可愛い〜。
人物写真家のプロの町子さんにそういってもらえるとは嬉しい限りです(笑)。
最近は掲載規制が厳しいですが、こういう写真も貴重な旅の財産ですので、旅の楽しさを伝えるために、できる限りアップしていきたいですね。
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