2016/01/01 - 2016/01/01
53位(同エリア809件中)
エンリケさん
この旅行記スケジュールを元に
2015~16年の年末年始のベトナム旅行5日目。
この日はシン・ツーリストのツアーを使って、ベトナム中部の古都、フエ郊外の名所巡り。
ベトナム最後の王朝である阮朝皇帝の陵墓、ミンマン帝陵、カイディン帝陵と回っていきます。
<旅程表>
2015年~2016年
12月28日(月) 成田→マカオ
12月29日(火) マカオ→ダナン→ホイアン
12月30日(水) ホイアン→ミーソン→ホイアン
12月31日(木) ホイアン→ダナン→フエ
〇 1月 1日(金) フエ→
1月 2日(土) →ハノイ→ハロン湾→ハノイ
1月 3日(日) ハノイ→
1月 4日(月) →マカオ→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- マカオ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2016年1月1日(金)
新年1日目は、シン・ツーリストのツアーを使ってフエ郊外の名所巡り。
まずは早朝7時、宿泊したナトリホテルにて朝食。
元日といえど、旧正月を祝う習慣があるベトナムでは、普段と変わらない日常の朝といった感じです。 -
朝食はフランスパンと目玉焼きとコーヒーのベトナムセット。
色目はそれほどありませんが、それなりに小腹は満たせます・・・。 -
朝食後の7時40分、ホテル前のレロイ通りにて、ツアーバスがやってくるのを待ちます。
通りはガジュマルの木が立ち並ぶ、東南アジアらしい雰囲気。レロイ通り 散歩・街歩き
-
8時、ほぼ時間通りにシン・ツーリストのツアーバスが到着し、早速搭乗。
車内はすでに欧米人を中心とする外国人観光客でいっぱいです。 -
前日も訪れたシン・ツーリストのフエオフィス前でもツアー客をピックアップして・・・。
-
そのままフエ郊外へ。
今回訪れるのは“フエの建造物群”として世界遺産にも登録されているベトナム最後の王朝、阮朝皇帝の3つの陵墓。
前日申し込んだシン・ツーリストのツアー料金は8時から13時までの半日ツアーで170,000ドン=約940円。
3つの陵墓への入場料は別で、各100,000ドン=約550円追加徴収されます。
わたしは前日王宮を訪れた時に、王宮を含む3つの陵墓のセットチケットを購入していたので(360,000ドン=約1,990円)、追加徴収されずに済みました。
【年末年始ベトナム北中部紀行(6) フエ王宮と三帝陵のセットチケット】
https://4travel.jp/travelogue/11677871#photo_link_69185400 -
9時15分、阮朝皇帝の3つの陵墓のうち、まず初めに第2代皇帝明命帝(ミンマン帝、在位:1820-41年)の陵墓に到着。
緑の木々に囲まれた参道を歩いて行きます。 -
門をくぐり、まず最初に現れたのはこんな建物。
そしてその周りには・・・。ミンマン帝陵 建造物
-
象や馬などの動物や、阮朝に仕えたと思われる官僚たちの像が。
規模は小さいですが、北京で見た明の陵墓への参道と同じ構造になっていますね。
【北京の休日(2) 明の長陵(永楽帝の陵墓)への参道】
https://4travel.jp/travelogue/10572638#photo_link_22250186 -
参道の左右に並ぶ石像のひとつをアップでパチリ。
当時のベトナムはやはり小中華の国だったのか、中国風の衣装を身に着けていますね。 -
階段を上って中央の建物に入ってみると、こんな碑が。
そう、この建物は碑亭。
ミンマン帝の子で第3代皇帝である紹治帝(ティエウチ帝、在位:1841-47年)によって書かれたミンマン帝の功績を顕す碑石(聖徳神功碑)が置かれており、このような構成も中国・明の陵墓にそっくりです。
【北京の休日(2) 明の長陵の碑楼】
https://4travel.jp/travelogue/10572638#photo_link_22250042 -
碑亭から見えるのは、寝殿の前門である顕徳門。
真ん中の扉は皇帝専用として閉じられているとのこと。
【フエ観光情報促進センター~ミンマン帝陵】
https://www.vietnamhuekanko.com/%E8%A6%8B%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D/%E5%B8%9D%E9%99%B5-%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E9%99%B5/ -
そしてその顕徳門の先には寝殿(礼拝堂)である崇恩殿が。
殿内にはミンマン帝と皇后の位牌が祀られているとのことですが、まるで死後も生きているかのような陵墓の佇まいですね。 -
崇恩殿の屋根には龍の飾り。
この辺りもかなり中国チックです。 -
崇恩殿の内部はこんな鮮やかな空間。
阮朝は1945年にベトナム八月革命で現在のベトナム社会主義共和国につながるホーチミン主席のベトミン(ベトナム独立同盟会)が滅ぼしてしまった王朝。
現政権にとっては忌むべき政体として打倒したはずの王朝なのに、その皇帝の陵墓をよくここまできれいに管理しているものです。
こうしてみると、20世紀の初めから半ばにかけて吹き荒れた社会主義革命とはいったい何だったのかと改めて考えさせられますね。 -
崇恩殿の一角に展示されていた漢語で書かれた額。
“明命七年”(1826年)という文字や朱色の押印の跡が見え、当時のベトナムは漢字社会であったことを改めて実感。 -
崇恩殿の背後には澄明湖、そしてその先にはこれまた立派な楼閣である明楼が。
明楼の内部には皇帝が生前使用した寝台が置かれており、陰暦(旧暦)の14日にはミンマン帝の魂が戻ってきてここで休むのだとか。
それにしても陵墓は本当に広々としていて、まさに“宮殿”のようですね。 -
明楼の先には新月池と聡明正直橋。
この橋の奥にある牌坊の先の墳丘がミンマン帝の陵墓とのことですが、実はミンマン帝はここには埋葬されておらず、どこに埋葬されているかはいまだに分かっていないのだとか。 -
こちらは静かな佇まいの新月池。
この池は三日月型に造られており、これは三日月が皇帝の崩御を表すためなのだとか。 -
聡明正直橋から振り返って明楼をパチリ。
中国で撮影したと言っても分からない写真ですね(笑)。 -
最後に明楼に上って崇恩殿の方向をパチリ。
ミンマン帝陵、公園のような、緑に囲まれたゆったりした空間でした。
10時10分、以上で第一の陵墓の見学を終え・・・。 -
続いてバスに乗って、第二の陵墓を目指します。
-
そして10時35分、第二の陵墓、第12代皇帝啓定帝(カイディン帝、在位:1916-25年)陵に到着。
1887年のフランス領インドシナ連邦成立後、すなわちフランスの植民地化後の皇帝であり、自身もフランスによって擁立され、1922年にマルセイユ殖民博覧会出席のためフランスを訪問した際、その建築物に多大な影響を受けたとのことで、その陵墓にも彼のフランス嗜好が大いに盛り込まれているとのこと。カイディン帝陵 建造物
-
カイディン帝陵の入口を正面からパチリ。
入口の門である牌坊は、かたちこそ中国風ですが、フランスから輸入したという高価な鉄筋コンクリートが使われていて、その左右に立つ華表柱(皇帝の霊を陵墓に導く柱)と合わせて、石造りの西洋建築の雰囲気。 -
そして牌坊をくぐった先には、これまた石造りの西洋建築風の碑亭が。
先ほど訪れたミンマン帝陵の碑亭と比べると、その違いが一目瞭然ですね。 -
その碑亭の向かって右側には文官や武官の石像たち。
こういった陵墓の構成はミンマン帝など歴代の皇帝のものを踏襲しています。 -
そして碑亭の背後の高い場所にはこの陵墓の本殿、すなわちカイディン帝の墓所が。
こうして見ても、どこか西洋の宮殿のようですね。 -
その本殿=啓成殿に入ってみることに。
やはりこちらもどっしりした石造りの西洋建築のよう。
ところどころ漢字の碑が見えるところではありますが。 -
本殿に入ると最初はこんな部屋。
中央にはカイディン帝の遺影が掲げられ、壁には陶器やガラスを使った四季の装飾、そして天井には見事な龍の絵が。 -
そしてその奥には、カイディン帝が眠る壮麗な空間・・・。
中央に鎮座している金色のカイディン帝像は分かるのですが、その周りの装飾がシュール過ぎて、まるで異次元の世界に迷い込んだような不思議な感覚です。
カイディン帝はこの像の真下、地下9mの位置に眠っているとか。
【フエ観光情報促進センター~カイディン帝陵】
https://www.vietnamhuekanko.com/%E8%A6%8B%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D/%E5%B8%9D%E9%99%B5-%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E5%B8%9D%E9%99%B5/ -
天井はこのとおり、皇帝を表す龍の絵が描かれ、まったくもって見事というほかありませんね。
しかしこのカイディン帝陵、1920年からカイディン帝の死後6年を経過した1931年まで、11年の歳月をかけて建てられたとのことで、その建築には莫大な費用がかかり、その調達に税金を20%上げるなどしたため、当時の国民からは多大な反感を買ったのだとか。 -
しかし完成後の今では、世界各地から外国人観光客が押し寄せる貴重な観光収入源。
世界遺産にも登録してしまったし、社会主義国となったベトナムでも、どこかの原理主義者のように、もはや簡単には取り壊せないわけですね。
・・・この壮麗な空間をしみじみと味わいながらぐるっと一回りして出口へ。 -
ちなみに黄金のカイディン帝が座る台座の装飾もこのとおり、陶器やガラスで細かく装飾されています。
-
墓所を出たところにはこんなヨーロッパ製の陶器をコレクションした棚が。
ヨーロッパかぶれのカイディン帝が大事にしていたものでしょうか。 -
そしてこちらは在りし日のカイディン帝の写真。
幼少時より病弱だったカイディン帝は、1925年に結核により40歳で崩御されたとのこと。
ベトナムでも結核が国民病だったのでしょうか。 -
こちらは洋装して三角笠(ノンラー)をかぶるカイディン帝。
和洋折衷ならぬ越洋折衷のいでたちといったところでしょうか。 -
こちらは書を嗜むカイディン帝の絵画。
見たところ新しめの絵画のようですが、こんなものまでこさえてしまうとは、1945年のベトナム八月革命で阮朝を打倒した現社会主義政権ですが、古い時代のものはいつしかロマンになるのでしょうかね。 -
以上でカイディン帝陵の見学を終了。
時刻は11時、見どころが狭いところに凝縮している分、ミンマン帝陵よりも短い30分ほどの見学時間でした。
さて、次は少しの休憩を挟んで第三の陵墓、第4代皇帝の嗣徳帝(トゥドゥック帝)陵に向かいます。
(年末年始のベトナム北中部旅行5日目後半~トゥドゥック帝陵観光に続く。)
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