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写真は、公園入り口にある「難波田城の歴史」の案内<br /><br /><br />難波田城趾は富士見市にあります。ここは十数年前に訪れたことがあり、そのときは、案内板があるだけだったと記憶しています。もしかしたら、堀も一部あったのかも知れません。<br /><br />このお城は難波田氏の居館でした。難波田氏は、武蔵七党である村山党を構成する金子氏を祖として、そこからでた一族が地名をとって難波田氏を名乗ったと言われています。<br /><br />難波田城は当初は小さな館でしたが、戦国時代大規模な平城へと変貌を遂げました。しかし、戦国時代、難波田氏は後北条氏に属し、後北条氏が豊臣秀吉に敗れると、この城は廃城となりました。<br /><br />廃城になった後の江戸時代前期、修験道寺院である十玉院は、院主が難波田氏縁者であったことから、この城趾に移転を許されたそうです。しかし、その十玉院も明治の修験道廃止令によって廃寺になってしまいました。<br /><br />現在、難波田城趾は公園として整備され、城趾ゾーンと古民家ゾーン(城趾とは関係が無い)に分かれています。<br /><br />ただ、難波田城趾ゾーンは、発掘と古地図を参考に整備されたようですが、現状が古地図とは合わない気がしました。<br />

難波田城趾探訪 

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2021/03/01 - 2021/03/01

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自炊おやじさん

写真は、公園入り口にある「難波田城の歴史」の案内


難波田城趾は富士見市にあります。ここは十数年前に訪れたことがあり、そのときは、案内板があるだけだったと記憶しています。もしかしたら、堀も一部あったのかも知れません。

このお城は難波田氏の居館でした。難波田氏は、武蔵七党である村山党を構成する金子氏を祖として、そこからでた一族が地名をとって難波田氏を名乗ったと言われています。

難波田城は当初は小さな館でしたが、戦国時代大規模な平城へと変貌を遂げました。しかし、戦国時代、難波田氏は後北条氏に属し、後北条氏が豊臣秀吉に敗れると、この城は廃城となりました。

廃城になった後の江戸時代前期、修験道寺院である十玉院は、院主が難波田氏縁者であったことから、この城趾に移転を許されたそうです。しかし、その十玉院も明治の修験道廃止令によって廃寺になってしまいました。

現在、難波田城趾は公園として整備され、城趾ゾーンと古民家ゾーン(城趾とは関係が無い)に分かれています。

ただ、難波田城趾ゾーンは、発掘と古地図を参考に整備されたようですが、現状が古地図とは合わない気がしました。

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  • 入ってすぐの景色です。<br /><br />案内には、右が曲輪1・2、左が曲輪3・4とあります。まずは曲輪1・2に行きます。<br />

    入ってすぐの景色です。

    案内には、右が曲輪1・2、左が曲輪3・4とあります。まずは曲輪1・2に行きます。

  • 曲輪2 の風景です。<br /><br />左の橋は発掘したものを復元したそうですが、城があった時代は、ここには橋が架かっていなかったのではないでしょうか。この橋は十玉院時代のものかも知れません。<br />

    曲輪2 の風景です。

    左の橋は発掘したものを復元したそうですが、城があった時代は、ここには橋が架かっていなかったのではないでしょうか。この橋は十玉院時代のものかも知れません。

  •  曲輪2の説明です。<br /><br />これには、曲輪2は馬出と説明されていますが、馬出が本丸の隣にあるのは、ちょっと違和感があります。どちらかというと曲輪3・4が追手門に近いので、こちらの方が馬出のような気がします。<br />

    曲輪2の説明です。

    これには、曲輪2は馬出と説明されていますが、馬出が本丸の隣にあるのは、ちょっと違和感があります。どちらかというと曲輪3・4が追手門に近いので、こちらの方が馬出のような気がします。

  • 本城門(曲輪1)から見た曲輪2です。<br /><br />この曲輪2には、サクラと梅が植えてあり、どちも花が咲いていました。<br /><br />

    本城門(曲輪1)から見た曲輪2です。

    この曲輪2には、サクラと梅が植えてあり、どちも花が咲いていました。

  • 難波田氏館趾の碑の先、今は、民家があるところ一帯が、本城だったそうです。<br /><br />私は、本城と曲輪1は同じと思いますが、よく分かりません。もしかして、本城と曲輪1は違うのかも知れません。しかし、私は古地図をみると、本城と曲輪1は同じと考えます。だって、古地図には曲輪1としてあるべき曲輪が見当たらないからです。

    難波田氏館趾の碑の先、今は、民家があるところ一帯が、本城だったそうです。

    私は、本城と曲輪1は同じと思いますが、よく分かりません。もしかして、本城と曲輪1は違うのかも知れません。しかし、私は古地図をみると、本城と曲輪1は同じと考えます。だって、古地図には曲輪1としてあるべき曲輪が見当たらないからです。

  • 曲輪3・4ですが、曲輪の表示が見当たりませんでした。たぶん、突きあたりの東屋が曲輪であると思います。ただ、3なのか4なのか分かりません、<br /><br />この曲輪3・4は食い違い小口のようです。そうすると、ここに写っているところが曲輪3で追手門のところが曲輪4なのかも知れません。<br />

    曲輪3・4ですが、曲輪の表示が見当たりませんでした。たぶん、突きあたりの東屋が曲輪であると思います。ただ、3なのか4なのか分かりません、

    この曲輪3・4は食い違い小口のようです。そうすると、ここに写っているところが曲輪3で追手門のところが曲輪4なのかも知れません。

  • 曲輪3と思われる東屋から曲輪2を見たところです。

    曲輪3と思われる東屋から曲輪2を見たところです。

  • 追手門の先から、曲輪3の東屋を見たところです。奥の東屋は曲輪2です。

    追手門の先から、曲輪3の東屋を見たところです。奥の東屋は曲輪2です。

  • 古図面と現状の比較です。縮尺が異なっていることもあり解りづらいです。

    古図面と現状の比較です。縮尺が異なっていることもあり解りづらいです。

  •  写真は曲輪2から見た十玉寺墓地です。<br /><br />これ以降は古民家ゾーンです。曲輪2をすぎると十玉寺の歴代住職のお墓があります。この先、行田蓮あり、複数の馬頭観音等、いろいろあります。馬頭観音が複数あるということは、どこかから移設したのでしょう。<br /><br />古民家ゾーンには、旧大澤家住宅、旧鈴木家表門、旧金子家住宅、その他売店もあります。<br />

    写真は曲輪2から見た十玉寺墓地です。

    これ以降は古民家ゾーンです。曲輪2をすぎると十玉寺の歴代住職のお墓があります。この先、行田蓮あり、複数の馬頭観音等、いろいろあります。馬頭観音が複数あるということは、どこかから移設したのでしょう。

    古民家ゾーンには、旧大澤家住宅、旧鈴木家表門、旧金子家住宅、その他売店もあります。

  • このあたりは入間川の氾濫による水害が多いところでした。それが「難波にある田んば」で難波田という地名になったのではないでしょうか。そして、洪水から家財を守るために小高い塚をつくり、そこに避難したようです。<br /><br /> 注意:<br />難波の語源がわかると、より詳しい地名の由来が分かると思います。<br />これは私の想像ですが、「難波」が「洪水になると波が立つほど水没する難儀なところ」という意味で、そこにある「田んぼ」で、「難波田」と考えます。

    このあたりは入間川の氾濫による水害が多いところでした。それが「難波にある田んば」で難波田という地名になったのではないでしょうか。そして、洪水から家財を守るために小高い塚をつくり、そこに避難したようです。

     注意:
    難波の語源がわかると、より詳しい地名の由来が分かると思います。
    これは私の想像ですが、「難波」が「洪水になると波が立つほど水没する難儀なところ」という意味で、そこにある「田んぼ」で、「難波田」と考えます。

  • 旧大澤家住宅

    旧大澤家住宅

  • 写真は旧鈴木家表門です。<br /><br />大澤家住宅は立派です。その住宅の門のように配置されているので、何も知らないと大澤家の長屋門と勘違いします。<br />

    写真は旧鈴木家表門です。

    大澤家住宅は立派です。その住宅の門のように配置されているので、何も知らないと大澤家の長屋門と勘違いします。

  • 旧金子家住宅です。これも立派です。

    旧金子家住宅です。これも立派です。

  • 写真は大澤家住宅と金子家住宅です。<br /><br />右が金子家住宅、中央奥が大澤家住宅です。この他にも資料館がありますが、資料館・各住宅はコロナのために開館していませんでした。また、売店もありますが同様に閉まっていました。<br /><br />資料館には、難波田城のもっと詳しい説明があると思います。コロナの緊急事態宣言が解除され、開館したら再度訪れてみたいと思います。

    写真は大澤家住宅と金子家住宅です。

    右が金子家住宅、中央奥が大澤家住宅です。この他にも資料館がありますが、資料館・各住宅はコロナのために開館していませんでした。また、売店もありますが同様に閉まっていました。

    資料館には、難波田城のもっと詳しい説明があると思います。コロナの緊急事態宣言が解除され、開館したら再度訪れてみたいと思います。

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この旅行記へのコメント (5)

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  • 黒田(温泉)さん 2021/03/03 10:58:37
    「難波田城趾探訪」を拝見しました。
    自炊おやじ様

    今日は。
    「難波田城趾探訪」を拝見しました。
    埼玉県に住んでいますが、初めて「難波田城趾探訪」を知りました。
    こんな素晴らしい場所があるのですね!
    割に最近整備されたようですが、今後注目されるでしょうね!

    自炊おやじさん からの返信 2021/03/03 11:53:19
    Re: 「難波田城趾探訪」を拝見しました。
    黒田さん

    感想をありがとうございます。

    この城趾は、昔、志木市・朝霞市に行くときの通り道でした。それで、一度、寄ったのですが案内板しかないため、その後、寄ることはありませんでした。

    今、埼玉県の城趾探訪を、この4トラベルで記録することにより、再度訪れたところ、公園として凄い変貌です。

    黒田さんの言われるとおり、かやぶき屋根の古民家もあり、今後注目されると思います。

    黒田(温泉)

    黒田(温泉)さん からの返信 2021/03/04 19:40:59
    Re: 「難波田城趾探訪」を拝見しました。
    自炊おやじ様

    今晩は。

    >コロナの緊急事態宣言が解除され、開館したら再度訪れてみたいと思います。

    その時は、是非お誘い下さいませ。

    自炊おやじさん からの返信 2021/03/04 21:02:43
    Re: 「難波田城趾探訪」を拝見しました。
    >その時は、是非お誘い下さいませ。

    緊急事態宣言が2週間延長されましたね。訪れるのは、その後になると思います。

    黒田(温泉)

    黒田(温泉)さん からの返信 2021/03/06 23:43:18
    Re: 「難波田城趾探訪」を拝見しました。
    はい。承知致しました。
    よろしくお願いいたします。

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