2019/08/01 - 2019/08/01
82位(同エリア4561件中)
エンリケさん
ベトナムのホイアン旅行記を作成中に三国志演義に触れ、2年前に開催された東京国立博物館での「三国志」展を思い出したので、その時の記憶を振り返り。
2019年7月から9月まで開催されたこの特別展は、日中文化交流協定締結40周年記念ということで、小説や演劇の中の世界にとどまらない「リアルな三国志」を目指し、中国各地で発見された、まさに魏・蜀・呉の「中国三国時代」の文物を展示。
2008年から2009年にかけて発掘されたばかりの曹操高陵(墓)からの出土品を含む展示品の素晴らしさもさることながら、写真撮影もすべてOKとのことで、2年経った現在でも詳細にその時のことを思い出せる、何とも太っ腹な展覧会でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2019年8月1日(木)、平日ながら時間ができたので、日中文化交流協定締結40周年記念の特別展、「三国志」展が開催されている上野の東京国立博物館を訪問。
「三国志」は子どもの頃からTVゲームや小説、映画など、エンターテインメントコンテンツとして親しんできた題材なだけに、今回、「リアル三国志」として実際に発掘された当時の文物をもとに構成されるその展示内容に、非常に興味があったものでした。東京国立博物館 美術館・博物館
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13時30分、前売りで入手したチケット(1,400円)を提示し、いちばん奥の平成館で開催されている特別展に入館。
夏休み期間中ということもあってか、平日ながら結構な人の数。
【東京国立博物館~日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」】
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1953東京国立博物館 美術館・博物館
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まず最初の部屋の中央にあったのは、15~16世紀の明の時代に作られたという青銅製の関羽像(河南省の新郷市博物館所蔵)。
明代と言えば、それまで説話や講談というかたちで民間に広く流布していた三国時代の英雄たちの様々な物語が、羅貫中の手により、“三国志演義”という歴史小説のかたちで一貫したストーリーの読み物にまとめられた時期。
“義に篤く髭の長い”関羽など、それぞれのイメージも定着していった頃ですね。 -
この関羽像、なかなか出来が良く、現代にも伝わる関羽の姿そのものですね。
500年間イメージが変わらないというのもなかなかすごいこと。
主君の劉備や敵役の曹操は作品によってちょくちょくイメージが変わっているのと対照的です。
世界各地の関帝廟に祀られているとおり、まさに“神になった男”という感じ。 -
こちらは18世紀の清の時代、内モンゴル自治区フフホト市清水河県水門塔伏龍寺に伝わる関帝廟壁画(内蒙古博物院)。
描かれているのは三国志演義第1回、第2回の名場面。
劉備、張飛と義兄弟の契りを結んだ関羽が黄巾賊の程遠志を斬る場面と、黄巾の乱平定後、劉備らとともに役人になった張飛が、評価の見返りに賄賂を要求してきた督郵(視察官)を鞭打つ場面です。 -
19世紀、清の時代の関羽・張飛像(張玉亭作、天津博物館)。
劉備一行は徐州で曹操に敗れた後、散り散りとなり、劉備の奥方を守って降伏した関羽は一時的に曹操の配下に。
曹操の下で手柄を挙げ、恩を返した関羽は劉備の下に駆け付けますが、劉備を裏切ったと義弟の張飛に疑われて一騎打ち。
この場面はその誤解が解けて、張飛が関羽に謝っている様子を表現したものですね。 -
15世紀、明の時代の孔明出山図(上海博物館)。
曹操から逃れ、荊州の劉表の下に身を寄せた劉備一行は、“臥龍先生”諸葛孔明の噂を聞き、自らの軍師とするべく、その草廬を訪ねます。
この場面は、劉備が“三顧の礼”を尽くして諸葛孔明を軍師に迎え、彼と馬を並べて山中の草廬を出る様子を描いたもの。
後ろを振り返りながら先を行く関羽と張飛の嫉妬の様子もうかがえますね(笑)。 -
17~18世紀、清の時代の趙雲像(安徽省亳州市花戯楼伝来、亳州市博物館)。
関羽、張飛と同じく、劉備を兄弟のように慕って仕えてきた猛将、趙雲は、荊州に南下してきた曹操の大軍の中を、逃げ遅れた劉備の子、阿斗(後の蜀漢2代皇帝劉禅)を懐に抱いて、ただ一騎で駆け抜けます。
まさに時代を超えて語り継がれる、三国志演義屈指の名場面ですね。 -
こちらは現代の日本から。
1982年から1984年にかけてNHKで放送された“人形劇三国志”の劇中で使われた、劉備、曹操、孫権の三英傑の人形。
日本を代表する人形美術家、川本喜八郎(1925-2010年)の作品となっています。
【飯田市 川本喜八郎人形美術館】
http://kawamoto-iida.com/ -
三英傑から魏の曹操(155-220年)。
人形劇三国志では、岡本信人氏が敵役の周瑜などとともに声を当てていて、素晴らしい演技だったのを記憶しています。
三国志演義では劉備が善玉、曹操が悪玉というイメージもあって、子どもの頃は圧倒的に劉備のファンでしたが、年をとるにつれ、チャンスをものにし、合理的な考えで乱れた世をまとめ上げていった曹操の方に魅力を感じるようになっていきますね。 -
・・・以上で物語の中で表現された三国志の話は終わり、ここからはリアルな中国の漢から三国時代にかけての展示。
まずこちらは、1968年に河北省保定市満城区の“中山靖王劉勝”夫婦の墓から出土した、紀元前2世紀の前漢時代の壺(河北省文物研究所)。
金でメッキされた銅製の壷に緑色のガラスがはめ込まれた、豪勢な副葬品です。
なお、“中山靖王劉勝”とは、前漢の第6代皇帝、景帝(在位:BC157-141年)の子。
四川の地で蜀漢王朝を開くことになる劉備はその子孫を名乗っていました。 -
こちらも劉勝の墓から出土した、銅製の豹(河北博物院)。
当時の技術も素晴らしいですが、中国には虎だけでなく豹もいたことに驚き。
調べてみたら、現在でも中国には“キタシナヒョウ”という野生の豹が生息しているそうです。 -
こちらは三国志の時代の人口と気候の解説。
後漢時代の後期から気候が寒冷化し、疫病や戦乱とあわせて、6,000万人ほどいた中国の人口は、三国時代末期の263年には767万人ほどに減ってしまったという。
コロナ禍がかわいく見えるほどの数値ですね・・・。 -
1969年、甘粛省武威市雷台墓から出土した、2~3世紀(後漢時代)の青銅の儀仗俑(甘粛省博物館)。
小型ながら、秦の始皇帝の兵馬俑を思い起こさせるような見事な出来。
雷台墓は“張”という人物の墓だそうで、三国志に登場する涼州出身の軍閥、董卓と関係があった可能性もあるとのこと。 -
儀仗俑を正面からパチリ。
まるで生きているような、躍動感あふれる馬の姿ですね。 -
写実的な馬の姿が素晴らしく、ずっと見ていたい、まさにほれぼれするような作品です。
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騎乗しているものもありますね。
これだけの副葬品、葬られていたのは一体どんな人物だったのでしょうか。 -
続いては、2005年に河北省涿州市の上念頭磚室墓(2世紀、後漢時代)から出土した銅製食器一式(案、盤、耳杯、碗、箸、涿州市博物館)。
夫婦を合葬したと思われる墓で、何とも家庭的な副葬品ですね。 -
こちらは2004年、同じく河北省涿州市の凌雲闊丹工地1号墓(2世紀、後漢時代)から出土した鏡台(涿州市博物館)。
副葬品のため土製となっていますが、実際に使われていたものもかたちはほぼ同じと見られ、真ん中やや上のU字型の部分に鏡を置いて使っていたものと思われます。
しかし、あの世までこんなものを持っていくとは、よほど身だしなみに気を遣う人だったのでしょうか(笑)。 -
こちらも同じ河北省涿州市の凌雲闊丹工地1号墓から出土した多層灯(涿州市博物館)。
死後の世界を照らす土製の灯りで、各段に人や動物、樹木などが炎のようなかたちで表現されていますね。 -
こちらはまた人形劇三国志から、手前が曹操の息子で魏王朝の初代皇帝、文帝(在位:220-226年)こと曹丕、奥がその曹丕に禅譲した後漢最後の皇帝、献帝(在位:189-220年)。
リアルな三国時代の展示に入っても、ところどころにこんな人形があるのが、場の“三国志感”を高めてくれますね。 -
こちらは2004年、河北省涿州市の凌雲闊丹工地3号墓(2世紀、後漢時代)から出土した網代文陶棺(涿州市博物館)。
こういうのは洋の東西を問わず、共通のようですね・・・。 -
2001年、河南省焦作市山陽区碱業公司から出土した、2世紀(後漢時代)の邸宅のかたちをした副葬品(焦作市博物館)。
当時の建築様式が分かる貴重な副葬品で、日本の鎌倉時代の武家屋敷のように、敵に備える仕掛けをもった邸宅であることが分かります。 -
1973年、河南省焦作市山陽区馬作から出土した、2世紀(後漢時代)の五層穀倉楼の副葬品(焦作市博物館)。
自然災害や敵に備えるためでもあったのでしょうか、なんとも複雑なかたちをした倉庫です。 -
2009年、河南省焦作市馬村区白荘から出土した、2世紀(後漢時代)の四層穀倉楼の副葬品(焦作市博物館)。
人物や動物とあわせ、リアルな造り込みが素晴らしい、当時の生活の様子が分かる超一級の資料ですね。 -
2005年、河南省焦作市建設銀行工地から出土した2世紀(後漢時代)の三連穀倉楼の副葬品(焦作市博物館)。
一口に“穀倉楼”といっても、財力に応じてなのか、いろいろなかたちがあるものですね。 -
続いての部屋に入ると、天井近くには、大量の矢。
三国志演義にある、劉備の軍師諸葛孔明が、赤壁の戦いを前にして、10万本の矢を敵方に射らせて調達したことを表現しているのでしょうか。 -
日本の忍者が使う撒菱のようなこちらは、1985年、陝西省漢中市勉県の定軍山から出土した3世紀(後漢~三国時代)の代物(勉県博物館)。
“定軍山”と言えば三国志ファンにはお馴染み、219年、蜀を手中にした劉備が曹操軍の部将夏侯淵を破って漢中にまで支配を広げた戦い。
この撒菱は夏侯淵が仕掛けたものか、それとも劉備軍のものか、想像は膨らみますね。 -
こちらは1956年、雲南省昆明市石寨山3号墓(紀元前2世紀)から出土した青銅製の蛇矛(雲南省博物館)。
“蛇矛”と言えば、三国志演義に登場する、張飛が愛用した武器。
正史では張飛が蛇矛を使ったとの記述はないそうですが、前漢時代にはすでにあった武器だとすると、講談の中だけではなく、本当に張飛が使った可能性もないとは言い切れませんね。 -
こちらは陝西省漢中市の石門隧道に残されていた、魏の曹操の直筆と伝えられる「袞雪」の摩崖石刻の拓本(漢中市博物館)。
曹操は軍人、政治家としてだけでなく、文人、詩人としても歴史に名を遺している、まさに“非常の人、超世の傑”。
215年に五斗米道の張魯を破って漢中を手に入れた曹操は、雪のように水しぶきが飛び散る褒河の急な流れを見てこれを書いたとか。
拓本をよく眺めると、左の方に“魏王”の文字が見えますね。 -
こちらは1982年、重慶市江北区聚賢岩付近で収集された、1世紀(後漢時代)の偏将軍印章(重慶中国三峡博物館)。
三国志で“偏将軍”と言えば、曹操に降伏した際の関羽の官職名として有名ですが、関羽も曹操からこんな印章をもらったのでしょうか。 -
再び人形劇三国志から、蜀漢の劉備を支えた軍師の諸葛孔明(右)と、その孔明に降伏した西南夷(現在の雲南省に居住)の酋長の孟獲。
この二人の間の戦いは、“七縦七擒”(七たび放って七たび捕らえる)の故事で有名ですね。 -
1960年、雲南省昭通市桂家院子1号墓から出土した2世紀(後漢時代)の青銅器(鐎、提梁壺、甗、いずれも雲南省博物館)。
異民族も住んでいた辺境の地に、こんな精巧な青銅器がこんな完璧な状態で残っていることが何ともスゴイですね。 -
1984年、安徽省馬鞍山市雨山区の朱然の墓から出土した、3世紀、三国時代(呉)の童子図盤(馬鞍山市三国朱然家族墓地博物館)。
朱然(182-249年)といえば呉の孫権に仕えた武将で、219年の荊州争奪戦で蜀の関羽を捕らえるという大功を立てた人物。
その後蜀との同盟を回復したとはいえ、蜀の面々からはさぞ嫌われた人物かと思いますが、彼の墓から出土したこちらの図盤は、外面底部の銘文から蜀郡製とのこと。
いったいどのような経緯で彼の墓に収められたのか、考え出したら夜も眠れなくなります(笑)。 -
2009年、河南省洛陽市孟津県の曹休の墓から出土した、3世紀、三国時代(魏)の「曹休」印(洛陽市文物考古研究院)。
曹休(?-228年)とは魏の曹操の族子で、曹操が“我が一族の千里の駒”と称賛を惜しまなかった人物。
この墓の発掘者が「曹休」と刻まれた印を見つけたとき、それはまさに、歴史と物語が結び付いた瞬間だったのでしょうね。 -
同じく曹休の墓から出土した金属製の帯鉤(洛陽市文物考古研究院)。
曹休本人が身に着けていたものでしょうか。 -
こちらは陝西省宝鶏市から出土した2世紀(後漢時代)の厠圏(宝鶏青銅器博物院)。
排泄物を処理するための豚らしき動物が表現されていますね。 -
続いては三国時代の3つの国歴訪のコーナー。
まず最初は西晋時代の文学者、左思による三都賦。
めぐみの蜀、にぎわいの呉、おごそかなる魏と、三国の特徴をよく言い得ていて妙ですね。 -
1955年、遼寧省遼陽市三道壕1号壁画墓から出土した2~3世紀(後漢~三国時代・魏)の方格規矩鳥文鏡(遼寧省博物館)。
遼寧省といえば、魏の首都洛陽から、当時、朝鮮半島に設置され、倭との外交の窓口となっていた帯方郡への通り道で、魏から半ば独立していた公孫氏が治めていた地域。
この銅鏡は日本の古墳から出土するものと共通の特徴があるとのことで、魏志倭人伝に記されていない日本と公孫氏(238年に自立を謀ったかどで魏の司馬懿に攻められ滅亡)との関係性を示す貴重な資料となるかもしれませんね。 -
ちなみにこちらは東京国立博物館の常設展に展示されている、日本各地で出土した古墳時代(3~4世紀)の銅鏡。
日本で出土するものの多くは“三角縁神獣鏡”という特徴を備えており、同様の特徴を持った銅鏡の朝鮮半島や中国大陸での発見がほとんどないそうで、どのような経路で銅鏡が日本に伝わり、どのようにして日本中に広まったのか、完全な解明はなされていないそうです。 -
こちらは遼寧省遼陽市の北園1号墓(3世紀、後漢~三国時代・魏)の壁画を模写したもの(遼寧省博物館)。
公孫氏のものなのか、鮮やかな色で車馬行列が表現されていますね。 -
続いて蜀の国に移って、重慶市から出土した2~3世紀(後漢~三国時代)の舞踏俑(重慶中国三峡博物館、四川博物院)。
戦乱が少なくのびのびとしていた蜀の風土を感じさせる副葬品ですね。 -
同じく重慶市出土の奏琴俑(重慶中国三峡博物館)と説唱俑(重慶市忠県花灯墳墓群11号墓出土、重慶中国三峡博物館)。
当時の音楽の様子が伝わる貴重な俑です。 -
こちらも重慶市出土の女子俑(重慶市江北区大石壩72中学出土、重慶中国三峡博物館)と調理俑(重慶市三峡庫区出土、重慶中国三峡博物館)。
女子俑の方は今晩のおかずなのか、両手に魚と鳥をぶら下げていて、本当に時空を超えて蜀の人々の生き生きとした生活の様子が伝わってきます。
古代人の墓はまさに“タイムカプセル”。 -
こちらは1957年、蜀の首都であった四川省成都市の天迴山3号墓(2~3世紀、後漢~三国時代)から出土した犬の俑(四川博物院)。
主人の死を悼んでいるのか、リアルな表情ですね。 -
こちらも蜀の地であった四川省で出土した2世紀(後漢時代)の西王母図磚(成都市成華区昭覚寺出土、四川博物院)、車馬出行図磚(成都市跳蹬河出土、四川博物院)、製塩図磚(邛崍市花牌坊出土、四川博物院)。
“磚”とはレンガのことで、それぞれ古代メソポタミア文明のものかと見まがうような、見事なレリーフが彫られています。
小さな蜀の国で劉備や諸葛孔明が強大な魏に対抗できたのは、平和な漢の時代に培われたこうした技術力があったからでしょうね。 -
蜀の最後は1999年、重慶市巫山県麦沱47号墓から出土した1世紀(後漢時代)の鎮墓俑(重慶中国三峡博物館)。
ほぼ完全なかたちで残っていて、当時の服装などが分かる貴重な俑となっていますね。 -
続いて呉の地に移って、2001年、湖北省武漢市黄陂区蔡塘角1号墓から出土した3世紀(三国時代)の13軀の俑(武漢博物館)。
蜀の俑に比べると小さいですが、こちらは単なる土器ではなく、なんと青磁。
しかもこの大きさにもかかわらず、書物や扇、楽器など、人形が手に持つものまではっきりと分かるほど精巧に作られています。 -
1978年、湖北省鄂州市鄂城水泥廠1号墓から出土した3世紀(三国時代)の「童子史綽」名刺(鄂州博物館)。
写真の5枚の木製の札には、「童子史綽(どうじししゃく)再拝 間起居」などと書かれており、これは「童子である史綽がご挨拶します。ご機嫌如何ですか」という意味。
また、下段には史綽という人物の本籍地や字(あざな)が書かれており、名刺の役割を果たしていたと考えられています。
・・・それにしても、お墓の中にまでもこんなものを入れるなんて、あの世でも通用すると思っていたのでしょうか(笑)。 -
こちらは左から、
1984年、江蘇省南京市郭家山7号墓から出土した、呉の永安2年(259年)の扁壺(へんこ、南京市博物総館)、
1958年、江蘇省南京市草場門外墓から出土した、呉の甘露元年(265年)の羊尊(ようそん、南京市博物総館)、
1993年、江蘇省南京市江寧区上坊墓から出土した、呉の鳳凰元年(272年)の神亭壺(しんていこ、南京市博物総館)。 -
これらは後の南宋時代(1127-1279年)に生産の最盛期を迎える青磁で、いずれも滑らかさや図柄の写実性、精密性が素晴らしく、とても1800年近くも前に製作されたとは思えないほど生き生きとしています。
高校の世界史の授業で習った青磁ですが、すでに三国の呉の時代にここまで完成したものになっていたとは・・・。 -
2008年、湖北省鄂州市鄂鋼技改郭家1号墓から出土した3世紀(三国時代)の槅(かく、鄂州博物館)。
“槅”とは仕切りのある器のこと。
何だか昔懐かしい給食の容器のようですが、食事用か、それとも身近なものを整理するためのものか・・・。
ちなみにこれらもすべて青磁。
1800年前の呉の技術にため息ですね・・・。 -
1992年、湖北省鄂州市石山塘角頭4号墓から出土した3世紀(三国時代)の仏坐像(鄂州博物館)と、2002年、江蘇省南京市大行宮地区から出土した3世紀(三国時代)の盤口壺(ばんこうこ、南京市博物総館)。
左の仏坐像の方は、墳墓の前室と後室をつなぐ甬道に安置されていたとのことで、仏教伝来黎明期の中国における仏教信仰の実態を知る上で、極めて大きな意義があるとのこと。
盤口壺の方は、やはり青磁となっています。 -
1964年、広西チワン族自治区藤県和平区古竹郷から出土した3~6世紀(三国~南北朝時代)の銅鼓(広西民族博物館)。
騎馬人物像やカエル、鳥などの立体装飾を持つこの器具は、当時の異民族であった山越族の祭祀道具だったとのこと。 -
左は1999年、広西チワン族自治区合浦県凸鬼嶺8号墓から出土した1~3世紀(後漢時代)の高床倉庫を模した土器(広西壮族自治区博物館)。
右は1955年、広西チワン族自治区貴港市東湖新村1号墓から出土した1~3世紀(後漢時代)の竈を模した土器(広西壮族自治区博物館)。
北方の家屋とは異なる、高温多湿の呉の気候に合わせた建築様式が見て取れます。 -
こちらは横山光輝の漫画「三国志」から、「曹操の死」の場面。
子どもの頃、三国志にはまって60巻もある大作を読み漁ったものでした。 -
そしていよいよこの特別展の目玉、2008年から2009年にかけて発掘されたという曹操の墓、「曹操高陵」(河南省安陽市)の展示。
後漢時代の末期から三国時代になると、疫病や戦乱で人口が大きく減少したことで、支配者たちは墓づくりに対して、豪華さを競うのではなく、質素倹約を尊ぶようになったとのこと。
曹操もその遺言で、
「天下はなお未だ安定していない。したがって古来のしきたりに従うことはできない。葬儀が終ったらみなただちに喪服を脱げ。兵を率いて軍務に服している者は持場を離れてはならぬ。役人は各々その職務を続けよ。納棺には平服をもってし、金玉珍宝を副葬してはならぬ。」
と言ったと伝えられており、彼の陵墓も、まさにその意思を反映したものとなっています。 -
まず最初に、曹操高陵について、古墳のようなこんな内部構造が解説されていて・・・。
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その先は、こんな曹操高陵の構造を模した立体的な展示。
曹操の棺が置かれていたとされる後室の中央には・・・。 -
4つの耳を持つ容器である「罐」(かん、河南省文物考古研究院)。
姿かたちも美しいですが、この副葬品が異彩を放っているのは、これが、白化粧に透明釉をかけて高火度で焼き上げた「白磁」ということ。
これまでの研究では、中国における白磁の誕生年代は、6世紀後半の隋の時代と推測されてきたとのことですが、この罐はそれを300年以上遡るとのこと。
曹操の墓を発見したことでさえ大発見なのですが、この白磁の発見も、中国における磁器文化の発展を知る上で、歴史的意義のある大きな発見ですね。 -
こちらは発掘当時の曹操高陵内部の写真。
かなり伽藍洞感はありますが、“墓”というよりは“地下宮殿”のようですね。 -
先ほどの「罐」と一緒に曹操高陵から出土した、6口の鼎(河南省文物考古研究院)。
簡葬を指示した曹操の遺言どおり、金属製ではなく土製の質素なものとなっていますが、それでも、作り込みは丁寧で精巧なものとなっています。
ちなみに、鼎を副葬できる人物は有力者に限られ、「魏王」であった曹操は6口ですが、「皇帝」は12口もの鼎を副葬することができたそうです。 -
こちらは、この曹操高陵から出土され、この墓が曹操のものであることの決め手になったという石牌(河南省文物考古研究院)。
まさしく、曹操の称号であった「魏武王」の3文字が確認できますね。 -
ちなみにこちらは比較のため展示されていた、曹操高陵以前の2世紀(後漢時代)の金製獣文帯金具(2009年安徽省淮南市寿県寿春鎮古墓出土、寿県博物館)。
体躯をくねらせた瑞獣を立体的にあしらい、随所に貴石を象嵌し、金粒細工を施した、まさしく王者のバックルで、魏の初代皇帝文帝(曹丕)も、こうした豪奢な金具をつけた帯を欲したそうですが、すでに作り手が絶えていたと言います。
曹操の墓からは、このような金や銀で作られた豪華な副葬品の類は一切発掘されなかったという・・・。 -
こちらは曹操高陵以後、3世紀(西晋時代)の白玉獣文鮮卑頭(上海博物館)。
金属ではありませんが、高位の人物が身に着けていたと思われる、見事な玉のバックルですね。 -
続いては呉の国に移って、2006年、江蘇省南京市江寧区上坊1号墓から出土した3世紀(三国時代)の虎形棺座(南京市博物総館)。
呉の初代皇帝孫権の墓ではないようですが、発掘された呉の時代の墓としては最大規模を誇るとのこと。 -
この虎形棺座、虎2体がお尻のところでくっついた奇妙な形態をしています。
棺の台座とはいえ、なかなかシュールなデザイン(笑)。 -
こちらは同じ南京市江寧区の上坊1号墓から出土したミニチュアの牛車(南京市博物総館)。
小学生の工作のように素朴でかわいらしい副葬品ですね(笑)。 -
続いては蜀。
上の写真は四川省成都市の武侯祠内にある、劉備の墓と言われる恵陵。
下は、1977年、四川省成都市郫都区蘭家院子から出土した2世紀(後漢時代)の墓門(四川博物院)。
箒を手にした仙人のような姿の老人が墓の入口を飾っているとは、何とも奥ゆかしいお墓ですね。 -
1983年、四川省広漢市新豊鎮獅象村から出土した2世紀(後漢時代)の揺銭樹(広漢市文物管理所(広漢市博物館))
四方に伸びる板状の枝葉には、不老不死の西王母、鹿に乗る仙人、約400個もの銅銭が飾られており、こうしたものは蜀の地でしか出土しないとのこと。
当時のローカルな人々の精神世界が垣間見えるようです。 -
そして再び横山光輝の三国志より、「秋風五丈原」。
この三国志展ももう終盤です。 -
最後は、1985年、江蘇省南京市江寧区索墅磚瓦廠1号墓から出土した「晋平呉天下大平」と刻まれた磚(レンガ、南京市博物総館)。
朱氏の墓とされる、呉の都、建業に近い場所で発見されたこのレンガの欠片には、「庚子の歳(280年)に晋が呉を平らげ、天下太平となった」と刻まれており、まさに三国時代の結末を告げる貴重な物的証拠。
三国志の物語は小説やTVゲームの中の出来事ではなく、歴史上の出来事だったのだと、改めて感じることができました。
・・・以上で、特別展「三国志」の展示は終了。
もう1回、最初から回って観覧を終えたのは16時30分。
たっぷり3時間、子どもの頃に親しんだ三国志の世界に、懐かしさを感じながら新たな観点で浸ることのできた貴重なひとときでした。 -
(おまけ)
16時30分、国立博物館の閉館にはまだ少し時間があるので、同じ平成館のすぐ隣にある常設展を見学。
まず最初は縄文時代から弥生時代、古墳時代にかけての土器等の部屋。
こちらは有名な遮光器土偶(宮城県大崎市田尻蕪栗出土、BC1000~BC400年、縄文時代晩期)。
目の部分が、北極圏に住むエスキモーが使う遮光器と似ていることからこの名前が付けられましたが、縄文人が実際に遮光器を使ったわけではなく、単なる目の誇張表現に過ぎないのだとか・・・。 -
こちらも有名な盛装女子の姿をした埴輪(群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土、6世紀、古墳時代)。
久しぶりに訪れるといつも見入ってしまう常設展ですが、残念ながら17時をもって閉館。
うーむ、日本も観光立国になってきたし、諸外国のように20時くらいまで開館しているといいんだけどなあ・・・。
さて、2019年の夏に企画された東京国立博物館の特別展「三国志」を振り返ったわけですが、2020年から2021年にかけては、コロナ禍でどこの博物館・美術館も、かつてのような豪華な特別展が組めない状態が続いています。
日本に居ながらにして、世界の歴史や文物、美術に親しめる機会が減ってしまったわけで、世界の歴史・美術ファンにとっては寂しい限り・・・。
しかし、人はパンのみにて生きるにあらず、博物館・美術館鑑賞だけでなく、様々な文化・芸術活動の復興に向け、そろそろ世の中に明るい兆しが見えてきて欲しいものですね。
(終わり)
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この旅行記へのコメント (2)
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- 川岸 町子さん 2021/03/14 22:00:47
- 初国内旅行記?
- エンリケさん、おばんでした(*^-^*)
拝見しながら、私が札幌から関東に戻り、様々な博物館や美術館の存在に嬉しくなったことを思い出しました。
中でも国立博物館は、年間パスポートを購入してまで頻繁に訪れた年もありました。
昨年から予約制に代わり、都合が合わずについ足が遠のいています。
こちらの特別展の頃、たぶん子どもの結婚式前で、余裕なく訪れるチャンスを逃したようで、めっちゃ残念です…(+_+)
こうして解説付きで拝見でき、嬉しいです。
「儀仗俑」は繊細な美しさですね!
仰るように、まるで生きているような、躍動感あふれる馬の姿ですよね。
数種類の副葬品の見事なこと!
本当に素晴らしく、2世紀の作品がこのような姿で残っているなんて感動です。
「楼」の表情がそのまま。
1世紀の印章の文字も、ほれぼれします(笑)
「たっぷり3時間、子どもの頃に親しんだ三国志の世界に、懐かしさを感じながら新たな観点で浸ることのできた貴重なひとときでした。」
とのこと。
最初のお戻りになり、もう一度ご覧になられるほど楽しまれたご様子、良かったですね(*^^)v
あれ?エンリケさんの初国内旅行記でいらっしゃいますか?
町子
- エンリケさん からの返信 2021/03/20 00:24:44
- 初国内旅行記です。
- 川岸 町子さん
こんばんは。
東京国立博物館の旅行記にご訪問ありがとうございます。
そうです、実はこれが初国内旅行記です(笑)。
国内の旅行の写真もいろいろあるのですが、つい海外旅行記を優先してしまって、国内旅行記は242冊目にして初の投稿となってしまいました。
さて、町子さんは年間パスポートを購入するほど東京国立博物館に訪れた年もあったのですね。
東京国立博物館は展示品のジャンルが豊富で、とても1回ではじっくり見て回れませんし、そういう手もあるのですね。
わたしも今度、真似してみようと思います(笑)。
> 「儀仗俑」は繊細な美しさですね!
> 仰るように、まるで生きているような、躍動感あふれる馬の姿ですよね。
実はこの儀仗俑が、今回の展示の中ではいちばん衝撃を受けた作品でした。
いつか西安の兵馬俑を見たいと思っているのですが、なかなか機会がなく、それを想像しながら、後漢の時代にもまだこんな精巧な俑をつくっていたのかと、驚くままに眺めていたのを覚えています。
> 数種類の副葬品の見事なこと!
> 本当に素晴らしく、2世紀の作品がこのような姿で残っているなんて感動です。
本当に。古代人の墓はまさに現代でいう“タイムカプセル”ですね。
中国では経済発展に伴い、どんどんと古代の墓どころか、恐竜など古代生物の化石の発掘が続いているそうですが、またそのうち驚くような発見がありそうですね。
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