2019/03/16 - 2019/03/16
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りーふ(NissanLEAF)さん
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せっかく一番列車を撮りに行ったのに、二年も寝かして新鮮さを台無しにしたやつがいるみたいなんですよ~
なぁ~にぃ~?? やっちまったな・・・
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2019年3月、まだコロナなんて忌々しいもののない時代。西武線に新しい特急が走り出した。Laviewと命名されたそれは爆音を鳴らし走るニューレッドアローの後継車両として西武線の新たなるフラッグシップトレインになると銘打たれていた。銀色の曲線的な車体が目を引く。
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さて、新型特急の運行開始とあれば、やはり西武線民として一番列車に乗りに行きたいものである。一番列車は三月十六日、七時半池袋発のちちぶ5号のようだ。池袋駅では大々的な出発式、横瀬駅と西武秩父駅では歓迎イベントが執り行われ、さらに乗客には記念品まで配られるという。これは何としてでも乗りたい。
そして運行開始日の一か月前、所用で訪れることになっていた西武線石神井公園駅にて切符をとることとした。のだが……?
寝坊した。まったく不覚である。遅れて石神井公園駅に着いたのは七時十分のことであった。しかしいくら一番列車とはいえ、まさか十分で売り切れるわけがなかろう。窓側は無理かもしれないが、一番列車の雰囲気は味わえる。そう思っていた矢先・・・ -
無情の掲示である。後で分かったことだが、西武線の各駅には窓口が開く前、早朝から並んでいたいわば”一番列車ガチ勢”が多くおり、切符は一分足らずで売り切れたそうだ。無念。寝坊するなまくらな人間に残された切符などなかったのだ。微妙にカメラのピントが合ってないことからも当時の落胆がうかがい知れる。
そうして私はLaviewの一番列車に乗車することをあきらめたのだった…
~Fin~
と、これで終わっては旅行記にはなっていないのであるが。
今回はそんな、一番列車に乗りそびれた男が、運転開始初日にLaviewを追い掛け回すお話である。
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時は2019年3月16日、ラビュー運転開始の初日に私は元加治駅に降り立った。区内よりもうんと人気は少ないが、それでもまあまあ活気のある駅である。
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ここから東に少し行き、目的の場所へと向かう。
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五分もかからずにたどり着いたのは入間川に架かる橋。ここで何をするのかというと・・・?
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これである。
埼玉県のこの地域、飯能や入間のあたりは交通が発展しておらず、東京へ行くには当時入間川駅と称されていた狭山市の駅まで馬車鉄道で1時間以上もかけて出て、川越鉄道で国分寺に行き、中央線に乗り換えるという不便を強いられていた。しかし1915年、転機が起こる。池袋まで直に行ける武蔵野鉄道、現在の西武池袋線が開通したのだ。
その池袋線は開業当初単線で、一つの線路を上りと下りですれ違いすれ違いしながら使っていた。当然入間川にかかるこの橋も例外ではなく、レンガ造りの橋脚の鉄橋は単線規格で作られた。
時は流れ戦後、西武線にも近代化の波が訪れた。沿線人口は増加し、1963年には私鉄初の十両編成での運行を始めるまでになった。複線化も急務とされ、1969年、この区間も複線化されることとなった。その際に新しい橋を西側に作り、開業当初からの橋は旧橋として廃止された。しかしその後50年が経った今も、手前側の旧橋は取り壊されず残っているため、ここからだとレンガ造りの橋+近代的な電車、という写真が撮れるのだ。 -
幸い、今日は一週間前の内覧会の日と違って写真日和の快晴である。
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しばらく練習だ。
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拡大してみると、手前に錆びたレンガ積み橋脚の旧橋、奥にコンクリ橋脚の現橋となっているのがわかる。
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思ったよりも高頻度で電車はやってくる。
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従来車”ニューレッドアロー”。八時四分に飯能を出た池袋行きだ。
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間髪入れずにもう一本来た。ラビュー一番列車と入れ替わりで池袋から来た回送だろうか。とすると目当てのそれは近い。
時間が近づく。周囲がそわそわし始めた。 -
五分後。ついに目当てのそれがやって来た。一斉にシャッター音がなる。
撮れたのがこの一枚。思ったより良く撮れた。撮り鉄のとる写真と比べるとなんとも技量やらスペックやらの違いを思い知らされるが、別に本来撮り鉄でもないので特に問題もない。ひとまず廃線ファンの西武線民としては満足である。
ひとまず目的は達成できた。が、次のやりたいことまで大分時間が空くのでひとまずあの橋を近くで見るとでもしよう。 -
先程の写真で言うところの左側に来た。目線とカメラを同じ高さにしてとったのがこの写真だが、低さが良くわかる。これをお読みのかた、彼女とドライブでもするときはここを通ってみてはいかがだろうか。車を擦るかとスリルが味わえることだろう。吊り橋効果ならぬ鉄橋効果とでも名付けてみようか。
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橋台はレンガ造りである。コンクリで固められた現橋と比べても明らかに時代が違う。
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ちょうど下に降りられる細道があるので、河原に降りてみよう。
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降りた。ひどい急坂でひやりとした。この崖のような斜面のなかに私が降りてきたルートがあるのだが、果たしてわかるだろうか。
藪が深すぎて埋もれて見えるが、踏みあと自体はしっかりとしたものであった。
(なお、恥ずかしい話だが一度ここに来たとき、この下りで派手にこけたことがある。その時期の天気とかも関連するのかもしれないが、つるつるであった。) -
旧橋の真下。どうやらここは釣りの名スポットらしい。いつ来ても釣り人が必ず一人はいる。
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橋脚はレンガ造りでも入間川の流れに耐えられる重厚なものとなっていた。先の豪雨では入間川の下流で氾濫が起きるほどの洪水となったが、それでもこの橋に何かあったと言う話を聞かないので、相当強いと見える。
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横から見ると何とも奇妙な形である。
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レンガの両脇に石造りの補強がなされていた。後から付け足されたものなのだろうか
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さっき写真を撮った橋からだとわかりにくかったが、現橋と旧橋の間は意外に広かった。
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河川敷を現橋側に歩く。ひどい藪に変わりはないが、依然としてしっかりとした踏み跡は続いていた。
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旧橋をくぐり、現橋との間に来た。さっきの橋から見たときは気づかなかったが、意外と間隔があいていた。
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こういった川と崖のギリギリのところにある踏みあとを進む。
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現橋をくぐる。やはり重厚感が違う。
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この枡形の設備はなにか意味があるのだろうか?
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そろそろ、河川敷から上がりたい。だが道がないので先に進むしかない。さっきのつるつる崖道を上がるのはまっぴらごめんである。
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現橋からもだいぶ離れてきた。さらに進む。
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途中。長瀞の石畳にこれとにたような様子になっているところがあった(ポットホールとか言う名前だった。)が、それだろうか?
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さらに進むと、行く手を遮る小川が現れた。春の陽気とはいえ、ここで水没してはこの先が思いやられると言うものだ。できるだけ濡れずに通りたい。幸い水量が少なかったので、気合いで助走つけてジャンプして乗りきった。
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結構水流に浸食されている様子だ。
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歩いてきた道、というにはあまりに細々としているが、そのルートを振り返る。ここの右辺りにようやく上に上がれる道があった。
ここより下流側は川幅も広くなり、いままでのある種渓谷のような情景と変わって都市河川の中流のような風貌となる。この入間川はここからさらに下って荒川と合流し、大きく迂回する形で東京湾へと注ぐ。 -
釣り人が釣っていたのは鮎のようだ。釣れるのだろうかとアングラーズで調べて見たが、出てきたのはバスとナマズばかりであった。
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一瞬進入禁止の場所だったのかと焦ったが、車を対象としたものだったようだ。
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旧橋の反対側に来たのでさっきの橋は見えないが、それでも画になる景色である。
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駅のほうまで戻ってきた。
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橋のほうにカメラを向ける。この右に旧橋がある。
この踏切のあたりから旧線は右にそれていたようだ。 -
柵が廃レールだ。
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駅の南口は大学スクールバスの専用発着場所になっていた。
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朝は学生でにぎわうのだろうか。
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次行きたいところまでだいぶ時間が余っているので、さっきの橋のほうに戻るとしよう。
今度は旧線敷を転用した道から橋のたもとのほうへ向かう。
先ほど下から見た橋台を上から見る形だ。 -
突き当たり。当たり前っちゃ当たり前だが、立ち入り禁止である。
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下からの写真にもちらほら写っていたが、鉄道設備あるある”待避所”があった。
トンネルとかでよく見かけるこれだが、橋で見たのは初めてだ。
こうしてみると、バンジージャンプのお立ち台のようにも見える。
(余談だがトンネルが鉄道用のものか、あるいは道路用のものか判別する手段の一つとして、この待避所の有無がある。もし道路用トンネルで待避所のあるのを見かけたら、それは廃線や未成線のものを転用した可能性が高いので、ぜひ調べてみてほしい。) -
橋脚がレンガなのを見るにはたもとから相当左にずれねばならない。
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かつてはここをSLやら通勤客満載の電車やらが通っていた。
川をわたり反対側の様子も見に行こう。 -
…
橋を渡って早々、物騒な掲示である。
とするとさっきの藪のなかにも…
、、いや、考えないでおこう。 -
こちら側は比較的遊歩道化されていた。市民の散歩道といった雰囲気だ。
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こちら側の橋台。橋桁がさらに低いところを通っている。
(まあ、向こうは車道、こっちは歩道なので当然と言えば当然であるが) -
あの白い建物の辺りがさっきまでいたところだ。
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道や家になっていた向こう側と異なり、こちら側は廃線敷の盛り土がまだ残っているようだ。
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・・・前言撤回。橋脚のところ以外はならされ平坦になっていた。
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ちなみに、現橋の橋桁もなかなか低い。
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ちょうど、レッドアローが通りすぎていった。
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安定の爆音である。
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現橋の先も盛り土が続いているので、電車の走っている様子が良く見える。
それにしても結構な頻度である。 -
一度車道に出て、旧線敷を見に行く。
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40000系。車番の類いにはとことん疎い私だが、ニュースやらで見たからかこれはしっかり覚えている。他は正直大体うろ覚えだ。
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書いていて思い出したが、そういえば拝島ライナーの一番列車にも乗ってたなぁ…
まあ需要があれば、いつかの機会に。 -
旧線敷にやって来た。どこか雰囲気が安比奈線の市街地を抜けた辺りのに似ている。
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旧線の空き地はもう少し池袋側に続いている。航空写真とかで見ると分かりやすい。
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ちょうど今はなき池袋~秩父鉄道直通快速急行(の二本目)が走っていった。
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秩父のほうに行くときは決まってお世話になったものである。
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50年前はここをあんな感じな列車が秩父に向け駆け抜けていたんだなぁと思ったが、よく考えればこの橋が役目を終えたのは1969年の10月2日、秩父線が開通したのはその十二日後だから、秩父行の電車が走っていたわけがない。
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川沿いに仏子駅の方向へ来た。この橋からの景色は入間市景観50選に選出されているらしい。
(http://www.city.iruma.saitama.jp/event/kankou/keikan50/keikan50_h12.html)
もう一か月遅ければ桜の時期だったようだ。 -
と、ここで少し寄り道。川を渡ったところにあるこの交番の名前をよく見てほしい。
西武交番。
そう、ここの地名を西武と言う。西武線民的にせっかくだし一度見てみたいと思って来たのだが、西武と言う地名の由来はよくわからない。「西武」の地名が最初に出てきたのは1954年(昭和29年)4月1日、対して西武線が西武を名乗りだしたのは1921年、池袋線が西武を名乗りだしたのは1945年である。まさか鉄道会社の名前から地名が付いたのだろうか。あるいは、武蔵野の西というだけの偶然の一致かもしれないが。
いずれにせよ、西武という地名の命名理由がわからない以上真相は謎である。 -
JAも西武。
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極めつけはこれである。
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西武小学校。
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暇つぶしをしていたら次やりたいことが差し迫ってきたので、駅に向かう。元加治から一つ池袋方向に戻った駅、仏子から飯能へ行く。
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丁度レッドアローが通過していった。
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新宿線にありそうな広々とした構内。入間基地の航空祭の時はこの中線が折り返しに使われる。
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この電車で二駅、飯能へ。また入間川を渡ったのだが、写真を撮り忘れていたようだ。
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ものの数分で飯能に到着。飯能駅の駅ナカにあるコンビニにもLaviewグッズが置いてあった。
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次に狙うのはこれだ。さっきの一番列車が秩父から折り返して来た、つまるところ下りの一番列車だ。驚くべきことに、入間市までなら空席があった。
時間がもうすぐ、急いで改札を入りなおして特急ホームへ向かう。 -
特急ホームは飯能駅の一番端っこにある。
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来た。
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二週間ぶり、走っているのを含めれば二時間ぶりのLaviewが姿を現した。
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特急ちちぶ池袋行き。この電車が初めてこの行き先を出した、正真正銘の一番列車である。
さて、、、 -
乗るとしますか…
(乗車編に続く)
出典
(一枚目、二枚目)(西武鉄道・2019/01/29)2019年3月16日(土)から新型特急車両「Laview(ラビュー)」運行開始!
https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/20190129Laview_debut.pdf
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旅行記グループ Laviewデビュー!西武線の旅
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