2008/06/21 - 2008/06/25
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SamShinobuさん
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北京オリンピック(2008.8.8〜8.24)直前の北京・天津にクライアントをお連れした。オリンピック前夜にして、北京市内の至るところで突貫工事が行われており、とても開幕までには間に合いそうもなかった。また、天津では租界時代に思いを馳せて、ラストエンペラー傅儀や夫人の婉容を偲びつつ街歩きを堪能した。
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当時の定宿、北京国際飯店。
朝は渋谷発の成田エクスプレスで、成田国際空港に向かった。10時35分に成田空港を出発した全日空NH905便は、3時間50分の空の旅を終えて、13時25分に北京首都国際空港第3ターミナルに到着。
空港にて両替。1元は約16円だった。
空港からタクシーでホテルに着く頃には、15時を回っていた。 -
ホテルの部屋。ウエルカムフルーツのリンゴとバナナがサイドテーブルに置いてある。
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ホテルの部屋からの眺め。
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景山公園に来た。山頂の万春亭に登ろう。
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景山公園から南方向に位置する紫禁城を望む。
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反対の北方向を見ると、遥か遠くに鼓楼がある。
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景山公園の正面は紫禁城の裏門にあたる神武門だ。
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北海公園。
1000年以上の歴史がある世界で一番古い皇室公園だ。フビライ皇帝がここをえらく気に入り、「この地を中心に町を作ろう」と元の都を定めた場所で、「先有北海、後有北京」(先に北海があって、後に北京ができた)と言われている。景山公園の真横(西側)に位置する。 -
中に入ると、市民たちが青空習字をしている。中国の公園では当たり前に見かける光景だ。
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さあ、白塔に登ってみよう。
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先ほど行った景山公園の万春亭が見える。
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紫禁城もよく見えた。
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白塔の横に建つ善因殿の壁には、菩薩像がはめ込まれている。
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善因殿の中にある大威徳金剛神像。牛の頭に人の体を持つ。
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市民の憩いの場所になっている。
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中国三大九龍壁のひとつ。あとのふたつは紫禁城と山西省の大同にある。
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格格府。
北京美術館の近くにある本格宮廷料理の店に来た。格格府とはお姫様の屋敷という意味。四合院造りの建物は、もともと清の康煕帝の子供の邸宅で、その後西太后が自分の娘に与えたことから、格格府と呼ばれるようになったそうだ。 -
宮廷の女官の格好をした店員が、料理を運んできた。
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お茶請けのような前菜。
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まだまだくる。
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これでもかというくらい並ぶ。
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この店のメインは鍋のコースだ。ここまでこだわっているのに、保温鍋というのがちと残念。
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確か、烏骨鶏か何かの鶏肉ときのこ鍋。
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うーん、美味い。
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格格(お姫様)が登場した。
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格格に宮廷女官たちが踊りを披露するという設定のショーが始まった。
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格格はお茶を飲みながら踊りを楽しんでいるといった感じで、まさになりきっている。女官たちも僕らではなく格格にお辞儀をして踊るので、まるで宮廷に招かれた客人のような気分で食事を楽しめるという趣向だ。
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漢服(正確には満州族の衣装なのかな)が可愛い。
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アテンドには最適の店ではないだろうか。
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乃木坂か?
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衣装の違う踊り子が次から次へと登場し、美しい女官たちの踊りを堪能させてもらった。
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科挙クイズに挑戦。6問全て正解すると状元に認定されるが、1問落としてしまった。悔しー!
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採点してくれた。
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これはデザートかな。
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店の庭でお土産を売る少女。子供に見えたので歳を訊くと、恥ずかしがって答えてくれなかった。
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食後は什刹海へ。
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ポールダンスのあるバーで飲んだ。
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どこもオリンピック前の観光客でごった返していた。
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市民のレクリエーション、広場舞い。皆さん楽しそうで、つい見入ってしまう。
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2008.6.22
車をチャーターして、明の十三陵へやって来た。北京市の中心から北西に約50Kmに位置する、中国最大の皇帝陵墓群である。明代の13人の皇帝がここに埋葬されている。参道は総神道と呼ばれており、これは総神道の入り口にある長陵神功聖徳碑亭の中の石碑。なぜか亀が石碑を支えている。 -
総神道の両側に石獣や石人が並んでおり、皇帝の墓を守っている。
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重厚な石像が見事。この時はほとんど観光客もいなかったので、素晴らしい眺めを堪能できた。
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毛沢東が1954年に訪れている。
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「明の十三陵の総神道」の説明によると、「各陵墓の神道はいずれもここから出発しているため、総神道と呼ばれる」とのこと。
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定陵の陵門が見えてきた。
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定陵。明朝14代皇帝である万歴帝の陵墓だ。1583年から6年かけて建設された。
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宝座と書かれた万歴帝の玉座。ここは地下27mもの深いところに造られた地下宮殿だ。ここまで深く掘ったのは盗掘を避けるためだろうか。落とし穴や巨大な石が落ちてくるなど、墓荒らしを退治する仕掛けが随所にあったりして。スピルバーグの「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」を彷彿とさせて、ワクワクするぞ。
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これは棺だろうか。小さい箱は副葬品が納められていたようだ。
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万里の長城「八達嶺長城」の近くにあるホテル「コミューン・バイ・ザ・グレートウォール(長城脚下的公社)」。隈研吾をはじめとするアジアの有名建築家12名がそれぞれ設計した12のヴィラからなる。
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ランチは確か、このホテルの「コートヤード・レストラン」だったと思う。
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八達嶺長城。
女坂をロープウェイで頂上駅まで一気に登る。頂上駅を出ると北七楼付近か。そこから北八楼まで約10分で到着。最高地点の北八楼は海抜1015m。 -
女坂は比較的勾配が緩い。それに対して男坂は急斜で、そのため観光客も少なく景色もいい。女坂、男坂のどちらもロープウェイで上まで行くことができる。
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絶景が広がっている。6000km以上ある長城は月から見える唯一の建造物と言われていたが、2004年に中国科学院はこれを正式に否定した。これ、長さより幅が問題なのは考えれば分かるよね。広い所で10m、このあたりは5mくらいの幅しかないんだから、宇宙から肉眼で見える訳ないじゃん。
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この時は上下ともロープウェイを使ったが、ここはやはり自分の足で上り下りするほうが絶対に楽しい。
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自力で登るなら、スニーカーとミネラルウォーターは必須だ。
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紀元前221年に秦の始皇帝が建築を始め、長年に亙って各皇帝が補強増築していったというのだから、まさに中国の歴史を象徴する建造物だ。でもよくよく考えてみると、女真族の金、モンゴル人の元、明を滅ぼした満州族の清など、皆さん、意外と簡単に壁を越えまくっている。莫大な金と人を使って造った割には、あまり役に立っていないような気がしてならない。
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壁が高い方が北側だ。北方民族の進攻を防ぐために、壁には矢や鉄砲を撃つ穴がある。
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僕が北京のトランスポーターと呼んでいるドライバーの孫さんは、いろいろな裏技を持っている。毎度、一般車両は入れないロープウェイ降車口の前まで、何故か車で迎えに来てくれる。なので登り降りにロープウェイを使うと、万里の長城まで来たにもかかわらず、ほとんど歩かずに済んでしまう。
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王府井。
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ここは相変わらず観光客でごった返している。
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全聚徳王府井店。
北京ダックの超有名店だ。前門大街の本店の方が雰囲気はいいが、前門大街全体をリニューアル工事していたので、ここに来たような記憶がある。 -
北京ダックを注文すると、テーブルの横で美しくカットしてくれる。日本で北京ダックと言えば、パリパリの皮だけ食べるのが一般的だが、中国ではほんの一部の皮以外は肉付きで食べる。でもそうするとすぐにお腹いっぱいになってしまうし、正直肉の部分はそれほど美味しい訳ではないので、今回は全て皮だけ切ってくれるようにお願いした。これがこの後大騒動に発展するとは思ってもいなかった。
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まず一番美味しいところは皮だけ提供される。ここは砂糖をつけて食べるように言われる。
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そして他の部分も肉なしで切ってくれと言うと、「何故だ」「そんなふうにして食べる客はいない」「肉も美味しいのに」と、なかなか言うことを聞いてくれない。それでもいいから皮だけ切り分けてくれと語気を強めて言うと、とうとう支配人とおぼしき店のお偉いさんを呼んできた。お偉いさんはいぶかしげにこちらを見ると、「当店では200年以上肉付きで出している」と尊大な態度で言ってきた。すると他の客まで集まって来て、やいのやいの言い出した。郷に入れば郷に従えで、おとなしく従えばよかったが、ここまでくるともう引くことは出来ない。「皮だけを食べたいと言ってる。皮だけ切れないのか」と言うと「それはうちのスタイルじゃない」と返ってきて埒が明かない。通訳があきれるほど押し問答したあげく、ようやく相手が折れた。最後はお偉いさんも、おかしな日本人だと言わんばかりに笑ってしまっている。
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それが、これ。やっぱり北京ダックは皮だけでいい。肉は要らないと言っているのに、よほど肉も食べさせたいようで、別皿に盛りつけて出してくれた。ただ皮を食べたかっただけなのに、一悶着起こしてしまった。そんな客は、全聚徳始まって以来だったようだ。「When in China , as the Chinese do」でいくべきだったと反省し、この日以降、中国で北京ダックを食べる時は肉付きで食べることにしている。
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人気店なので、店内はほぼ満席。
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食後は王府井をぶらぶらした。
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北京オリンピックオフィシャルショップ。中はけっこう混んでいた。
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東方新天地。地下鉄王府井駅から隣の東単駅まで続いている巨体ショッピングモール。
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東方新天地の高級スーパー。お土産を買うには最適だ。
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2008.6.23
北京駅。今日は天津に行く。 -
エスカレーターで2階に上がる。
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5番ホームは凄い人。
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9時18分発、天津行きの和諧号D535に乗る。
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10時29分に天津駅に到着。
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馬車に乗る。五大道旅游観光馬車は、旧租界地を約40分かけて廻った。
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素敵な街並みだ。て言うか、何で馬車に乗ったんだろう?いにしえの租界時代に思いをはせるという趣向だったのかな。
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馬車で市内めぐり。ちょっと恥ずかしい。
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張園。
清朝最後の皇帝傅儀は紫禁城を追われた後、日本の保護を受けて天津の日本租界に住むことになる。ここは傅儀が最初に移住した邸宅だ。1925年〜1927年まで暮らした。訪問時は天津京劇院になっていたので、中には入れなかった。 -
孫文も一時暮らしたことのある張園は1916年に建てられた。傅儀が住んだ頃の天津は9か国の租界地があり、中国で最も華やかな西洋文化が花開いた土地だった。当初イギリス亡命を夢見ていた傅儀は、皇后の婉容や第二夫人の文繍と連れ立って、ダンスホールや洋風レストランによく繰り出していたようだ。その当時の様子は、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」(1987)を見るとその雰囲気がよく伝わる。その後長春に移り住み、満州国皇帝に祭り上げられる傅儀の最後の平安が、ここ天津での暮らしだったんじゃないかな。
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静園。
傅儀は張園に2年暮らした後、1927年に静園に移る。当時新京と呼ばれた長春に行く1931年までここに住んだ。静園は一時期は一般の中国人の集合住宅として使われて、荒れ放題になっていたが、2007年に修復されて一般に公開されている。この時はあまり時間がなかったのか、中は見学しなかった。 -
文繍は外国の文化や習慣に触れたことで、紫禁城では当たり前だった第二夫人としての立場に疑問を抱くようになる。第二夫人とは西洋では妾に過ぎないと分かり、文繍は誰もが思いもしなかった大胆な行動に出た。なんと傅儀と離婚するために静園を出て行ってしまったのだ。美人で才気溢れる婉容と比べて、さほど綺麗でもない文繍は、仲のいい婉容と傅儀に嫉妬していたのかもしれない。
英語が堪能で自らをエリザベスと呼んでいた婉容は、いつかイギリスで暮らしたいと願っていた。満州国皇帝の夢に取り憑かれた傅儀が、日本軍の口車に乗せられて長春に行くと言い出した時は、さぞかしショックだったに違いない。 -
なんか旧租界地っぽいな。
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偶然、段祺瑞旧居を発見した。
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こういう何でもない路地裏がいい。
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天津のショッピングストリート、浜江道。
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狗不理本店。浜江道から山東路に曲がった所にある。
日本人は天津と聞くと天津甘栗や天津丼を思い浮かべるが、実は天津にそんなものはない。天津甘栗に関して言えば、その昔中国から輸入する栗の多くが天津港経由だったので、そう呼ばれただけだ。では天津の名物は一体何なのか聞いてみると、包子(肉まん)だそうだ。その包子で一番有名なのが、ここ「狗不理本店」である。今や狗不理は中国の至るところに支店があり、日本でも西部池袋本店に出店している。 -
狗不理の包子。1858年創業の老舗だが、実はそれ程美味しくなかった。中国で有りがちだが、老舗にあぐらをかいた結果、名前だけの二流店に成り下がってしまったか。後から中国人の友人に聞いたら、高い割にたいしたことないので、観光客しか行かないと言われた。
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他の料理もイマイチだった。まさに狗不理(犬も相手にしない)だ。
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和平路。
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浜江道と和平路の交差点。
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このあたりは歩行者天国になっている。
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浜江道。
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天津テレビ塔(天津広播電視塔)。1991年に建てられた高さ415mの電波塔。
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何故か湖の真ん中に建っていて、そのため世界唯一の水上タワーと呼ばれている。
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地上248mの展望台からの眺め。
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残念ながら曇っていてよく見えなかった。
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テレビ塔の売店で売っていた天津泥人形。天津を代表する民俗工芸品だ。このように子供や老人など庶民をモチーフにしているものが多い。
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天津駅は建て直していたので、臨時駅から乗る。帰りの和諧号D544は、15時46分天津発、北京到着は16時57分だった。
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北京に帰ってきた。
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大使館エリアは人も少なく静かだ。
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ASSAGGI(嘗試意大利餐庁)というイタリアンレストランでディナー。三里屯の北、大使館街にあるオシャレな店だ。雰囲気や接客もいいので気に入っていた。
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食後は三里屯まで歩く。
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JAZZ-yaというバーで飲んだ。
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三里屯は若者向けの飲み屋がたくさんあり、とても賑やかだった。
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2008.6.24
天壇公園の圜丘壇。南門までタクシーで来た。ここに来ると何故か毎回このポーズをとってしまう笑。 -
市民コーラス。伴奏が横笛というのがいい。
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対極柔力球は音楽に合わせて舞う演舞と、返球しあう競技がある。おばさん、なかなかの腕なので感心して見ていたら、一緒にやろうとラケットを渡されて教えてくれた。
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皇穹宇。
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長く続く石畳は丹陛橋と呼ばれていて、2.5mの高さがある。以前は道の両側に柵がなくて端に行くのが怖かった。絶対落ちる人いるよねと話していたら、いつの間にか柵がついていたので、やっぱりねと思った。
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祈年殿。
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地下鉄5号線・天壇東門駅。2007年10月に開業していた。今までは天壇はタクシーで来るしかなかったが、さすがオリンピックイヤーだけあって日に日に便利になると実感した。
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できたばかりの綺麗な地下鉄駅。
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北京飯店で昼食をとろう。
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五人百姓で、すき焼き定食や天麩羅定食を食べた。なんちゃって日本料理店が多い中、ここはちゃんとした和食を食べさせてくれる。
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午後は西単でショッピング。
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夕食は京倫飯店2階の桃李にて。本格広東料理の高級店だ。
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食後は世貿天階(ザ・プレイス)というショッピングモールへ。
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2007年にオープンしたばかり。北京初出店の海外ブランドがあったりして、当時北京で最もホットなスポットだった。
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でも一番話題になったのは、アーケードの天井に設置された巨大LEDスクリーンだ。
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スクリーンサイズは220m×30m。そこに映し出される映像と音は、ダイナミックで圧倒された。
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ずっと見ていたら首が痛くなってきた。
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世貿天階内にあるジャズバー「C.J.W」で飲む。「C.J.W」は上海の新天地店が好きでよく行ったが、この店の今日の演奏レベルはイマイチだった。
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2008.6.25
天安門広場の南門にあたる正陽門。 -
さらにその南側に続く前門大街。オリンピックに向けて突貫工事で再開発中だった。以前ここは車の行き交う普通の道路で、両サイドには商店やレストランが並んでいた。そこをトラムのみが走る歩行者天国にし、一大観光スポットに生まれ変わらせようとしていた。見ての通りこの時点でも完成しておらず、なんと一般開放されたのはオリンピック開幕前日の8月7日だった。
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前門大街には入れなかったので、裏道にいってみよう。
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前門大街でさえ完成していないので、一本横の路地はこの有様だ。
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大柵欄辺りはこんなことになっていた。
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瑠璃廠までやってきた。
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クライアントが中国茶が買いたいと言うので、天福茗茶にお連れした。
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いろいろ試飲させてもらう。
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北京首都国際空港。
北京オリンピックに向けて、2008年3月に第3ターミナルがオープンした。出来たてほやほやの新ターミナルは、巨大な龍をイメージして設計されたそうだ。27億ドル(約2900億円)を投じて建設され、当時は世界最大だったというから、中国がこのオリンピックに如何に国家の威信をかけていたかが窺い知れる。 -
第3ターミナル入口から国際線出発ラウンジまでは、無人シャトルで移動。下がシャトル乗り場だ。
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中国国際航空の機体もオリンピック仕様だった。
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14時45分北京首都国際空港発、全日空NH906は3時間30分の飛行の後、19時15分に成田国際空港に到着。この時はまだ成田エクスプレスは武蔵小杉に止まらなかった。そこで成田空港から帰宅するにはエアポートリムジンバスで横浜駅まで行き、そこから東急東横線で武蔵小杉まで帰るのが常だった。
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