2020/11/14 - 2020/11/15
242位(同エリア7765件中)
ローマ人さん
沖縄の旅2日目に訪れた、復興中の首里城です。
首里城はこれまでに何度か訪れていますが、今回は時間も十分に取れたので、これまでは見逃していた城郭内のビュースポットを見て回ることが出来、首里城の印象を新たにしました。
また、「ゆいレール」首里駅から歩いていた首里城へのアプローチを県庁前から乗車するバス便に変更したら、歩く距離がとても短くなりラクチン(とはいっても城郭内はかなり歩きますが・・・)でした。
他の道府県に遅れて東京都がGoToトラベルキャンペーンの対象になった10月に札幌を訪れたので、次は2019年1月以来の沖縄を訪れてみることにしました。
実は、GoToトラベルキャンペーン開始前の2020年7月に夫婦で沖縄の旅を予約してホテルライフを楽しむ計画をしていたのですが、直前に沖縄で新型コロナ感染症の感染が拡大したことから、出発直前に妻の強い要望でにキャンセルして30%のキャンセル料を支払ったのでした。
そのリベンジではありませんが、同じホテルに空きがあったので、季節は違いますが前回と同様にクラブラウンジが利用できるクラブルームを予約し、同じ時間の航空便で沖縄に向かいました。
でも、前回と違っているのは、一人旅になったことでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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県庁前にある「県庁北口」バス停で11:08発の「那覇バス【346】那覇西原線」西原営業所行きに乗車して約20分、「首里城公園入口」バス停で下車。
バス停から歩いて2分位で「首里城公園」の入口に到着です。
余り歩かずにすんで、楽に来ることが出来ました。 -
入口付近にある「首里城公園総合案内」です。
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首里城を巡る際に参考にしたモデルコースです。
ネットで見つけました。
モデルコースに正殿遺構、世誇殿、東のアザナを加えて首里城のビュースポットを巡りました。 -
幅広な道を首里城に向かいます。
この道は、かつて首里を東西に貫く大通で「綾門大道」(あやじょううふみち)と
呼ばれていたそうです。
先ずは「守礼の門」です。 -
ズームアップ。
琉球王国の第4代尚清王(しょうせいおう)の治世時代の1500年代半ば頃に初めて建立され、1933(昭和8)年には旧国宝に指定されましたが、第2次世界大戦で破壊されてしまいました。
現在の門は、1958(昭和33)年に復元されたものだそうです。 -
記念撮影。
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門に掲げられた扁額には「守禮之邦(しゅれいのくに)」の文字が書かれています。
「守禮」とは「礼節を守る」という意味であり、「琉球は礼節を重んずる国」だということを表しているのだそうです。 -
中国風で扉が無く開放的な牌楼(ぱいろう)という形式を基に、唐様式と天竺様式を取り入れた、琉球独自の様式で建てられているそうです。
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朱塗りが鮮やかです。
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中国風のデザイン、装飾が施されていて美しいです。
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「守礼の門」の裏側です。
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守礼の門から少し進むと、進行方向左側に石造りの門が見えます。
これが「園比屋武御嶽門(そのひゃんうたきもん)」です。
尚真(しょうしん)王時代の1519年に創建され、1939(昭和14)年には旧国宝に指定されましたが、第2次世界大戦で大破し、1957(昭和32)年に復元された後に解体修理し1986(昭和61)年に現在の姿になったそうです。
石材は主に琉球石灰岩を用い、屋根は板葺唐破風(いたぶきからはふ)屋根です。
屋根の飾などに日本と中国の様式を合わせて用いた沖縄独特の優れた建築物だそうです。 -
石門とその背後に広がる森を「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」といい、琉球王朝の祈願所だったそうです。
石門は、神社で言う「拝殿」にあたり、石門の背後の森が「本殿」にあたるのだそうです。 -
「園比屋武御嶽門」の先(写真右側中央)に見えているのが「歓会門(かんかいもん)」です。
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「歓会門」です。
「歓会門」は、別名を「あまへ御門(うじょう)」と呼ばれる首里城の城郭内に入る第1の正門で、琉球王朝時代に中国皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節「冊封使(さっぽうし)」などを歓迎するという意味でこの名がつけられたそうです。
「あまへ」は沖縄の古い言葉で「歓(よろこ)んで迎える」を意味していて、「歓会」はその漢訳だそうです。1500年前後に創建され、1945(昭和20)年に第2次世界大戦の戦火により焼失し、1974(昭和49)年に再建されました。 -
石のアーチ状の城門の上に木造の櫓(やぐら)が載せてある独特の形をした門です。
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門の両脇を守る獅子像(シーサー)は、魔除けの意味を持っているそうです。
写真は、右側のシーサーです。 -
左側のシーサーです。
表情が左右で少し違っている? -
門を潜った先には、城郭内の城壁と門の雄大な姿が現れます。
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門の内側にある門衛所です。
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城内から見た「歓会門」の裏側です。
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先に進みます。
前方右の石段を上ると正殿遺構に至る「瑞泉門(ずいせんもん)」ですが、そこに向かう前に左側の石畳を下ります。 -
石畳の坂を下ったところにある門が「久慶門(きゅうけいもん)」です。
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城内から見た「久慶門」の裏側です。
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城外から見た「久慶門」です。
この門は、別名を「ほこり御門(うじょう)」といい、かつては主に女性が利用していたのだそうです。 -
城外から見た「久慶門」です。
アプローチも広く、他の門に比べて立派な造りの門です。 -
「久慶門」前の道路から「守礼の門」方向の眺めです。
結構な上り坂になっています。 -
道路脇に「歴史を語るアカギの大木」と表示された木があります。
この木は、かつては約1mの太い枝を城壁まで伸ばしていた常緑広葉樹の「アカギ」で、第2次世界大戦によって焼かれてしまい枯れた幹だけが残りました。
その後、「アコウ」が着生し昔の面影をとどめているのだそうです。 -
こんな大木だったのですね。
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「久慶門」から城内に戻りました。
「北城郭」に向かいます。
進行方向右側に水場のようなものがあります。 -
「寒水川樋川(すんがーひーじゃー)」です。
首里城内の重要な水源で、生活用水や防火用水に使用されていたそうです。 -
「寒水川樋川」からの「瑞泉門」の眺めです。
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さらに進むと「銭蔵(ぜにくら)」の跡地があります。
「銭蔵」は、主に酒(泡盛)や油類、日用的に使用するお金を保管した建物で、高床風の2階建てだったそうです。
現在は、かつての「銭蔵」をイメージしたという休憩スペースになっています。 -
「銭蔵」先の階段を上り・・・。
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城壁に沿って歩きます。
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ズームアップ。
「東(あがり)のアザナ」です。
人影が小さく見えています。
後で行く予定です。 -
北側の城壁が延々と続いています。
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ここが正殿遺構の北側にあたる「北城郭」です。
かなり広いスペースがあります。 -
この場所は、かつては竹林だったそうで、古地図や伝承に基づいて竹林が再現されています。
竹の種類は不明ですが、正殿の床の間に飾られていたという竹は、この場所から撮られていたと想定されるそうです。
また、飾られた竹は、当時の資料によれば、同じ節から2本づつ枝を出す「連理の竹」であったと伝えられているそうです。
2つの枝がつながった様子を夫婦のむつまじさに例えたと考えられているそうです。 -
「北城郭」から見える門は「淑順門(しゅくじゅんもん)」です。
後で近くに行ってみましょう。 -
「北城郭」です。
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ここに植えられている木は、古地図や伝承により再現された「リュウキュウマツ」だそうです。
琉球王国時代に、防風目的や造船用材など様々な目的で育成された木だそうです。 -
「東(あがり)のアザナ」の北側城壁部分です。
階段がありますが立ち入りは制限されていました。 -
城壁下部の崖地には人力で造られた洞窟状の遺構「ガマ遺構」があります。
この遺構は「ウシヌジガマ」と呼ばれ、首里城の女官達が息抜きの場所として使っていたという伝承があるそうです。 -
階段が設けられていて、「東のアザナ」の東側真下にあたる「東のアザナ外周」まで行くことが出来るようになっています。
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上ってきた階段を振り返って見ます。
見晴らしがとても良く、遠くの海まで一望できます。 -
城壁の位置の高さと「北城郭」の広さが実感できます。
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城壁がひと際高くなっている「東のアザナ外周」にやってきました。
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「東のアザナ」の東側城壁がそそり立っています。
「東のアザナ」には後ほど行きます。 -
城壁に沿ったこの道を下って行くと、首里城の南側へ行くことが出来ますが、遠回りになるので「北城郭」に戻ります。
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「北城郭」に戻ってきました。
「淑順門」を経由して「瑞泉門」に向かいます。
「淑順門」と「北城郭」との間は、立派な石壁で仕切られています。 -
「淑順門」です。
門の造りは櫓(やぐら)門形式・入母屋(いりもや)造・本瓦葺きになっています。
この門は、別名を「みもの御門(うじょう)」といい、国王やその家族が暮らす「御内原(おうちばら)」へ入る表門で、そこで仕える女官達も利用したのだそうです。
現在は、正殿遺構からの出口専用になっていて、ここから中に入ることはできません。 -
「淑順門」の西側にある「右掖門(うえきもん)」を通ります。
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振り返って見る「淑順門」です。
城壁の優美な曲線と調和して美しいです。 -
進行方向左側には、現在は通行止めになっていますが、正殿遺構へと続く石段があります。
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「右掖門」の裏側です。
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門から西方向に続く坂道です。
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表側から見た「右掖門」です。
15世紀頃に創建されましたが、第2次世界大戦で破壊され、2000(平成12)年に再建されました。
石積みの色が途中で違っているのは、創建時の遺構の上に新たに石を積み上げて復元しているからだそうです。 -
「右掖門」から望む「淑順門」です。
門が額縁代わりになって、いい絵になっています。 -
振り返って見る「右掖門」です。
ゆったりとした段差の無いアプローチは、荷物を運ぶのに便利なように造られたものかもしれませんね。 -
「北城郭」から戻り正殿遺構に向かいます。
長い石段の奥にあるのが首里城第二の門 「瑞泉門」です。 -
石段途中の右側に湧水があります。
これが「龍樋(りゅうひ)」です。 -
龍の口から湧水が湧き出していることからこの名前になったそうです。
この石彫刻の龍は、約500年前の1523年に中国からもたらされたもたらされた当時のままだそうです。
この水は、王宮の飲料水として使われていたそうです。 -
「龍樋」の周辺には「冊封七碑(さっぽうしちひ)」が設置されています。
中国皇帝の使者として首里城を訪れた歴代の「冊封使(さっぽうし)」たちが、「龍樋」の水の清らかさを讃えて漢詩を詠んだり題字を残したという7つの石碑です。
復元されたものですが、碑に刻まれた文字は以下の通り。
写真左:「暘谷霊源(ようこくれいげん)」は、「東のはての日の出るところにある不可思議な泉である」という意味だそうです。
写真中央:「中山第一(ちゅうざんだいいち)」は、「泉の水量、水質は琉球第一の泉である」という意味だそうです。
写真右:「活潑潑地(かつはつはつち)」は、「魚がはねるように水の勢いが極めて活発な泉である」という意味だそうです。 -
石段を挟んで反対側に設置された「冊封七碑」です。
写真左:「霊脈流芬(れいみゃくりゅうふん)」は、「霊妙の水脈から出る薫り高い流れである」という意味だそうです。
写真中央:「飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)」は、「清らかな泉があたかも玉のように飛散っている」という意味だそうです。
写真右:「源遠流長(げんえんりゅうちょう)」は、「泉は源が遠く流水が長い」という意味だそうです。
これで6つで1つ足りませんが、最後の1つは3つ前の写真の「龍樋」の上に写っています。
碑に刻まれた文字は「雲根石髄(うんこんせきずい)」で、「山の高いところの穴から湧き出る石の乳である」という意味だそうです。 -
「瑞泉門(ずいせんもん)」です。
「瑞泉」とは、「立派な、めでたい泉」という意味で、別名を「ひかわ御門(うじょう)」というそうです。
「ひかわ」の「ひ」は「樋(とい)」のことで、「かわ(川)」は沖縄では井戸や泉を表すのだそうです。
創建されたのは1470年頃ですが、第2次世界大戦で焼失してしまい、現在の門は1992(平成4)年に復元されたものだそうです。 -
門の両脇には一対の石獅子(いしじし)が並んでいます。
写真は、右側の石獅子です。 -
左側の石獅子です。
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上ってきた石段を振り返ります。
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「瑞泉門」から中に入りました。
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「瑞泉門」の裏側です。
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次の門は、首里城第三の門「漏刻門(ろうこくもん)」です。
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「漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味だそうで、門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれています。
時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナ、西(いり)のアザナと右掖門で同時に大鐘を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせたのだそうです。
琉球王朝時代には、駕籠(かご)に乗って首里城へ登場した身分の高い役人でも、この門の前で国王に敬意を表して駕籠から下りたということから別名を「かご居(い)せ御門(うじょう)」というそうです。 -
「漏刻門」内に入って城壁から外をみると、眼下に「久慶門」が見えました。
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裏側から見た「漏刻門」です。
この広くなった場所には、琉球王朝時代の施設がいくつか再現されています。 -
これは、日時計の「日影台(にちえいだい)です。
十二支が刻まれた時刻盤(石の円盤)に銅製の棒が取り付けられ、その日影によって時刻を図るようになっていたと推測されているそうです。
正確な時間を測定するために「漏刻(水時計)」の補助的な道具として使われていたそうです。 -
この建物は「供屋(ともや)」という施設で、かつての時代での使われ方は分かっていないそうですが、建物の内部には「万国津梁の鐘」が展示されています。
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これが「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」です。
1458年に鋳造され、首里城正殿の前に掛けられていた鐘だそうです。
これはレプリカで、現物は沖縄県立博物館に収蔵されています。
「万国津梁」とは「世界の架け橋」という意味で、鐘には「琉球国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国、日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である。」という主旨の銘文が刻まれています。 -
「広福門(こうふくもん)」です。
「広福」とは、「福を行き渡らせる」という意味で、門の別名を「長御門(ながうじょう)」と呼ばれたそうです。
ここから中に入り「正殿遺構」に向かいます。 -
門内に入りました。
広い空間が広がります。
左に見えるのが「広福門」で右が「奉神門(ほうしんもん)」です。 -
「奉神門」から奥は有料区域で、入場料は大人400円です。
「広福門」の向かって右側にチケット売場があります。 -
「奉神門(ほうしんもん)」です。
首里城の正殿に入る最後の門で、「奉神」とは「神をうやまう」という意味だそうです。
1992(平成4)年に復元されました。
入口が中央と左右の3ヶ所あり、中央は琉球国王や冊封使などの身分が高い人だけが通ることが出来たそうです。
現在は、中央の門がチケット改札口になっています。
門に向かって左側が薬、茶、タバコを扱った「納殿(なでん)」で、右側が城内の儀式などに使われた「君誇」という部屋になっていて、別名を「君誇御門(きみほこりうじょう)」と呼ばれていたそうです。 -
中央の入り口前にある石造りの欄干の石獅子が迎えてくれます。
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門の中央石段の両脇にある「天水甕(てんすいがめ)」です。
これは復元されたもので、発掘調査によればこの場所には少なくとも4基の大きな瓶が地中に埋まるように設置されていたそうで、かつては消防用の水を貯めていたのではないかと推測されているそうです。 -
奉神門をくぐって正殿前の「御庭(うなー)」に入りました。
2019(令和元)年10月31日午前2時頃に火災が発生し、正殿、北殿、南殿・番所(ばんどころ)、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿(にーけーうどぅん)の6棟が全焼し、奉神門の一部にも被害が及びました。
正殿があった場所にはプレハブ小屋が建ち、御庭には復興工事用の養生シートや廃棄物を入れた袋が置かれて、在りし日の姿を想像することもできません。 -
琉球王朝時代、御庭では元旦の儀式などの重要な祭事が行なわれる神聖な場所で、中国からの使者を迎える儀式をはじめとした外交上の儀礼などが行われていたそうです。
敷かれているタイルは磚(せん)という敷瓦で、中央を貫く道は「浮道(うきみち)」といい、琉球国王や冊封使など限られた人のみ通ることが出来、「浮道」の左右の色違いになっている列は儀式の際に諸官が位の順に並ぶ目印だったそうです。 -
被災前はこのような姿でした。
*2017年1月撮影 -
展示されていた「朝拝の儀式」の様子の模型から全体像がつかめます。
*2017年1月撮影 -
御庭の向かって左側に設けられた通路を通って正殿跡に向かいます。
写真の場所には「北殿(ほくでん)」がありました。
北殿は中国風の建物で「北(にし)の御殿(うどぅん)」とも呼ばれ、平常は中央政庁として多くの日知人が出入りしていたそうです。 -
ここが正殿が建っていた場所です。
現在は、世界遺産に登録されている「首里城正殿の基壇遺構」を保護するためのプレハブ小屋が建っています。 -
「正殿」の在りし日の姿です。
1992(平成4)年に復元されたものです。
正殿は琉球国王の政務や様々な儀式が行われたところで、正面の石階段の両脇にある龍の彫刻を「大龍柱」といい、その奥にも一対の「小龍柱」がありました。
その他にも屋根や柱などにも龍の姿がたくさんあり、首里城の中心的な建物にふさわしい装飾が施されていました。
*2017年1月撮影 -
「小龍柱」です。
朱塗りの柱も美しい。
*2017年1月撮影 -
正殿内部の玉座です。
*2017年1月撮影 -
展示されていた、明朝時代に下賜されたという金銀玉をとめた12縫の筋の冠「皮弁冠」です。
オリジナルは第2次世界大戦で失われてしまい、複製品らしいですが・・・。
*2017年1月撮影 -
正殿跡から眺める「奉神門」です。
向かって右側の「納殿」が火災の被害にあって復興工事中です。 -
正面の塀がある場所が「南殿・番所」があったところです。
南殿は日本風の建物で、別名を「南風(はえ)の御殿(うどぅん)」といい、日本式の年賀・節句などの行事、薩摩藩の役員の接待などが行われていたそうです。
番所は城内の取次ぎをする受付的な場所だったそうです。 -
これがプレハブ小屋で覆われている世界遺産の「首里城正殿の基壇遺構」です。
右側の石積が15世紀の基壇で、当時に発生したと伝わる火災の痕跡が確認されています。
左側の石積は、その次に造られた基壇と考えられており、形状は異なるものの1992(平成4)年に復元された18世紀から第2次世界大戦時までの正殿と同じように中央に階段を備えていたようです。
奥の石積が階段の遺構だそうです。 -
正殿跡から東側にある「世誇殿」に向かいます。
途中では、正殿の礎石や焼け残った正殿の装飾物を見ることが出来ます。 -
正殿正面を飾っていた、沖縄本島産の細粒砂岩で造られた手すり「石高欄」があります。
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屋根を飾っていた竜頭棟飾の「髭(ひげ)」が焼け残っています。
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「鬚(あごひげ)」と「歯」です。
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「鱗(うろこ)」と「眼(め)」です。
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「鬣(たてがみ)」です。
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元の竜頭棟飾(りゅうとうむなかざり)の姿です。
*2017年1月撮影 -
ここから奥は、琉球王朝の王族たちの居住空間で「御内原(おうちばら)」と呼ばれた場所です。
正面に見えるのが「世誇殿」です。
右側のベージュ色の建物は「首里城復興展示室」で、火災による残存物の展示とお土産品の販売をしています。 -
「世誇殿(よほこりでん)」です。
普段は未婚の王女の居室として使用されていて、国王が亡くなると、次期国王の即位の礼が行われた場所だそうです。
現在は、伝統芸能公演が行われています。 -
「首里城復興展示室」の火災による残存物の展示です。
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これは「獅子瓦」です。
正殿の屋根に沿い、軒先に向かって降りてきた4ヶ所にあった獅子の飾瓦の一部だそうです。
日本建築の鬼瓦のように魔除けと装飾の役割があったとか。 -
「屋根瓦」です。
沖縄独特の「赤瓦」です。
「奉神門」の被災した北側屋根を覆っていたものだそうです。 -
「世誇殿」の脇の道を通って「東のアザナ」に向かいます。
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「世誇殿」の後ろには「金蔵(かねぐら)」跡があります。
建物の資料が残っていないので復元されていないのだそうです。 -
更に坂を上ると「白銀門」が見えてきました。
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門の左側に植物が生えている場所があります。
ここは「御内原ノマモノ内ノ御嶽(うたき)」です。
別名をウチアガリノ御イベといいます。
「御嶽(うたき)」とは沖縄の聖地または拝所のことで、イベ(イビともいう)とは、御嶽の中にある最も神聖な場所を指し、植えられている植物に神様を降臨させたのだそうです。 -
門の右側手前にあるのが「井戸状貯水遺構」です。
井戸口から底面までの深さが約3mあり、雨水を貯留するための施設であったと考えられているそうです。 -
「白銀門(はくぎんもん)」です。
「東のアザナ」の下にある内郭石積に接して造られた門で、別名「しろがね御門(うじょう)」と呼ばれていたそうです。
この門は、門内にあった「寝廟殿」に詣でる国王と女官専用の門であったと考えられているそうです。 -
門を潜って正面にあるのが「寝廟殿跡(しんびょうでんあと)」です。
「寝廟殿」とは、先王の神位を祀る建物のことだそうです。 -
「寝廟殿」の右側に通路があります。
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更にその先には石階段があり、上りきった場所に「東のアザナ」があります。
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上ってきた石階段を見下ろした眺めです。
ここからの見晴らしも良いですね。
城壁の曲線が美しいです。 -
「東(あがり)のアザナ」に到着。
ここは城郭の東の一角に築かれた物見台です。
ここからは首里城城郭内一帯や城下四方を見渡すことが出来ます。 -
南方面の眺めです。
小さくて見えずらいですが、写真左の煙突が「那覇・南風原クリーンセンター」だそうです。 -
東方面の眺めです。
ひと際高い塔が「NTT移動通信用鉄塔」で、その右下辺りに「ゆいレール首里駅」があります。
眼下に、先に立ち寄った「北のアザナ外周」が見えています。 -
今いるのは南側の城壁で、向こうに北側の城壁が延びています。
北側に行ってみましょう。 -
北側に移動する途中に見た、首里城城郭内の眺めです。
左側に見える門は「白銀門」で、下に見えるのが「寝廟殿跡」です。 -
ズームアップ。
「奉神門」が見えます。 -
北側の城壁からの北方面の眺めです。
眼下の風景は「北城郭」です。 -
遠くに「ゆいレール」が走っているのが見えます。
-
西方面の眺めです。
首里城の北側に綿々と連なる城壁です。 -
ズームアップ。
「淑順門」(左端)と「右掖門」が見えます。 -
更にズームアップ。
「守礼の門」が見えます。 -
北側から見る南側城壁の眺めです。
城壁のなだらかな曲線が美しいです。 -
南側城壁の下に見えるのは「北のアザナ外周」です。
-
「東のアザナ」からの眺めを十分に楽しみました。
「御内原」からは「淑順門」からも外に出ることが出来ますが、「西のアザナ」に行くので「奉神門」から外に出ます。
「御内原ノマモノ内ノ御嶽」から坂道を下った先の右側に、石壁の上を赤瓦で葺いた一角があります。 -
ここは「湯屋(ゆや)」です。
「御内原」で働く女官達の浴場だったようです。 -
小さめのプール位の広さがあります。
-
「奉神門」から外に出ました。
これは「奉神門」の前にある「首里森御嶽(すいむいうたき)」です。
「首里森(すいむい)」とは首里城の別称で、「御嶽(うたき)」とは沖縄の聖地または拝所のことで、琉球の神話では、この御嶽は神が造った聖地であり、「十獄(とたけ)」と呼ばれた首里城内のにあったという10ヶ所の御嶽の内で最も格式が高い場所の一つだそうです。
1997(平成7)年に復元されたもので、石積内の木はガジュマルやクロツグだそうです。 -
「首里森御嶽」の近くに小屋があり、被災した「大龍柱」の補修作業が行われていました。
写真は、頭部分です。(実際は横に寝かせてありますが、見やすいように縦にしてあります) -
胴体部分です。
左が上で右が下です。
早く修復できると良いですね。 -
在りし日の「大龍柱」です。
*2017年1月撮影 -
正面には見事な城壁が連なっている道があります。
こちらの道を進むと「西のアザナ」や首里城外に出る「木挽門」に至りますが、今日は「奉神門」の向かって右脇にある通路を通って「京の内」を経由して「西のアザナ」に向かいます。 -
「京の内」への道です。
城壁が連なります。 -
「京の内」の入口(出口?)です。
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「京の内」の入口から振り返った眺めです。
写真の右側、城壁の向こうに見えるのは「奉神門」です。
入口前には結構な広さのスペースがあります。 -
「京の内」に入ると、木々が鬱蒼と茂っています。
「京の内」の「京」は霊力を意味し「霊力のある聖域」という意味があり、「京の内」は古くから祭祀が執り行われた城内最大の信仰儀式の場であり、首里城発祥の地といわれているそうです。 -
「京の内 物見台」が見えてきました。
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ここが「京の内 物見台」です。
首里城の南方面の眺めです。 -
眼下には、なだらかな丘陵地が広がっています。
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「京の内 物見台」から「西のアザナ」に向かいます。
西側に向かって綿々と続く南側の城壁です。 -
「西のアザナ」に向かう道すがら。
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「西(いり)のアザナ」に到着。
ここは、標高約130mの首里城城郭の西の端に築かれた物見台です。
別名を「島添アザナ」ともいい、かつてはここに鐘楼が建っていて、鐘を鳴らして時刻を知らせたのだそうです。 -
この場所からは、那覇市街とその先にある「那覇港」を望むことが出来ます。
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この城壁の曲線美が素晴らしいです。
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「木挽門(こびきもん)」から城外へ出ます。
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城外からの「木挽門」の眺め。
普段は石積みによって封鎖されていて、数年に1度行われる首里城の修復の時だけ使用された門だそうです。 -
城外から見る「西のアザナ」です。
城壁はかなりの高さがあり、堅城だったことが納得できます。 -
「木挽門」方向を振り返った眺めです。
道路脇に「首里城跡」の石碑がありました。 -
「首里城跡」の石碑のアップです。
-
「首里杜館 芝生広場」に戻ってきました。
手前の売店の紅イモのソフトクリームが美味しそうでした。
これで首里城巡りは終了です。
首里城の1日も早い復興をお祈りします。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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