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まだまだ寒い冬の1日。京都市上京区に点在する神社やお寺を巡りました。<br />メジャーな北野天満宮などのほか、名前は聞いたことがあるけど、まだ行ったことがない社寺もたくさんありました。<br />どうして、どこも個性とパワーある面々。<br /><br />ぐるぐる回って約15㎞の歩程。<br />後半・午後に廻った場所のご紹介です。<br />

京都市上京区 ツウの見どころ巡り パワーいっぱい!!(2/2午後編)

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2021/01/13 - 2021/01/13

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akitaine

akitaineさん

まだまだ寒い冬の1日。京都市上京区に点在する神社やお寺を巡りました。
メジャーな北野天満宮などのほか、名前は聞いたことがあるけど、まだ行ったことがない社寺もたくさんありました。
どうして、どこも個性とパワーある面々。

ぐるぐる回って約15㎞の歩程。
後半・午後に廻った場所のご紹介です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 船岡山を北方面に下り、次の目的地は今宮神社。<br /><br />信号のある大きな道の前に立派な門が見えてきました。<br /><br />

    船岡山を北方面に下り、次の目的地は今宮神社。

    信号のある大きな道の前に立派な門が見えてきました。

  • 今宮神社は疫病退散の願いを込めた神社で、平安京遷都前からあったとのことです。

    今宮神社は疫病退散の願いを込めた神社で、平安京遷都前からあったとのことです。

  • 門をくぐると、広々とした境内。

    門をくぐると、広々とした境内。

  • 本社にお詣りします。<br /><br />前にある対の矢羽根は何でしょう。<br />神社のHPを見ても飾られていないので、特別なものでしょう。<br />破魔矢は、魔を払う呪術的な意味もあるし、矢羽根自体は縁起の良いもの。<br />コロナ退散の願いも込められているのでは、と個人的に勝手に解釈しました。<br /><br />勢いと清廉さがあります。

    本社にお詣りします。

    前にある対の矢羽根は何でしょう。
    神社のHPを見ても飾られていないので、特別なものでしょう。
    破魔矢は、魔を払う呪術的な意味もあるし、矢羽根自体は縁起の良いもの。
    コロナ退散の願いも込められているのでは、と個人的に勝手に解釈しました。

    勢いと清廉さがあります。

  • 紫野今宮神社といえば、有名なのは、徳川五代将軍綱吉公の生母・桂昌院(お玉の方)。生涯信仰心篤く、今宮神社の再興に尽力しました。<br />元々、西陣の八百屋の娘であったのが、徳川家光の側室となり、市井の庶民から大出世をしました。<br /><br />境内にあるレリーフ。<br />このレリーフ目当てにお詣りする人に会いました。<br />玉の輿運やら強運やら、いただきたいものです。。。

    紫野今宮神社といえば、有名なのは、徳川五代将軍綱吉公の生母・桂昌院(お玉の方)。生涯信仰心篤く、今宮神社の再興に尽力しました。
    元々、西陣の八百屋の娘であったのが、徳川家光の側室となり、市井の庶民から大出世をしました。

    境内にあるレリーフ。
    このレリーフ目当てにお詣りする人に会いました。
    玉の輿運やら強運やら、いただきたいものです。。。

  • 今宮神社の花手水。<br /><br />花餅が垂れ下がり、水面にはお花が浮かべられています。<br />こんなセンスは京都ならでは。おしゃれ心は見習わなくてはなりません。<br />

    今宮神社の花手水。

    花餅が垂れ下がり、水面にはお花が浮かべられています。
    こんなセンスは京都ならでは。おしゃれ心は見習わなくてはなりません。

  • 軽やかな今宮神社を後にして、次は大徳寺です。<br /><br />本日訪問した目的地の中ではメジャーな存在。<br />広大な敷地の中に、勅使門、山門、仏殿、法堂が重要文化財、玄関、方丈、唐門が国宝。<br />写真は山門。二層になっていて、千利休が上層を完成させたので、寺が利休の像を設置し「金毛閣」と名付けられましたが、下を通るということで秀吉の怒りを買い、切腹に至ったという、いわくつきの建物。<br />

    軽やかな今宮神社を後にして、次は大徳寺です。

    本日訪問した目的地の中ではメジャーな存在。
    広大な敷地の中に、勅使門、山門、仏殿、法堂が重要文化財、玄関、方丈、唐門が国宝。
    写真は山門。二層になっていて、千利休が上層を完成させたので、寺が利休の像を設置し「金毛閣」と名付けられましたが、下を通るということで秀吉の怒りを買い、切腹に至ったという、いわくつきの建物。

  • 山門などが並ぶ敷地の左側に大きな道がついています。<br />正面奥に本殿があります。<br /><br />左側には塔頭が並びます。24もあります。<br />いかに大きなお寺かわかります。<br /><br />久しく訪れていなかったので、すっかり忘れていました。

    山門などが並ぶ敷地の左側に大きな道がついています。
    正面奥に本殿があります。

    左側には塔頭が並びます。24もあります。
    いかに大きなお寺かわかります。

    久しく訪れていなかったので、すっかり忘れていました。

  • 仏殿内部。<br />良いお顔の仏さまがおられました。<br />きらびやかではありませんが、静かな空間です。<br />禅寺だから当然か。

    仏殿内部。
    良いお顔の仏さまがおられました。
    きらびやかではありませんが、静かな空間です。
    禅寺だから当然か。

  • 仏殿から本殿まで、渡り廊下で続いています。<br />雨に濡れずに移動できるのですが、この廊下もなかなか風情があります。

    仏殿から本殿まで、渡り廊下で続いています。
    雨に濡れずに移動できるのですが、この廊下もなかなか風情があります。

  • 建物は非公開のものも多く、どうしようかと思っていたら、本殿裏側にある大仙院は公開していたので見学しました。<br /><br />ただ、写真不可ということで画像はありません。<br /><br />本堂(方丈)は国宝。1509年創建で、当時のままの枯山水庭園。住職の方が直々に説明してくださり、勉強になりました。<br />山から川へ、そして海に流れている様を本堂を囲む石の流れで表現しています。<br />狩野派の絵師による襖絵(レプリカ)も美しかった。

    建物は非公開のものも多く、どうしようかと思っていたら、本殿裏側にある大仙院は公開していたので見学しました。

    ただ、写真不可ということで画像はありません。

    本堂(方丈)は国宝。1509年創建で、当時のままの枯山水庭園。住職の方が直々に説明してくださり、勉強になりました。
    山から川へ、そして海に流れている様を本堂を囲む石の流れで表現しています。
    狩野派の絵師による襖絵(レプリカ)も美しかった。

  • 次は、玄武神社。玄武は、高松塚古墳にもある中国の4神の一つ。<br />青龍、白虎、朱雀、玄武,で玄武は 北西の方向を守る。<br />この神社は、都の北西を守る守護神として9世紀に作られました。<br />厄を払う願いもあります。

    次は、玄武神社。玄武は、高松塚古墳にもある中国の4神の一つ。
    青龍、白虎、朱雀、玄武,で玄武は 北西の方向を守る。
    この神社は、都の北西を守る守護神として9世紀に作られました。
    厄を払う願いもあります。

  • 玄武神社の次は、水火天満宮です。<br />御祭神は、北野天満宮と同じ菅原道真公です。<br /><br />北野天満宮より古いと言われ、水難・火難を逃れる神社です。<br /><br />北野天満宮のような大きな敷地ではなく、こじんまりとしています。

    玄武神社の次は、水火天満宮です。
    御祭神は、北野天満宮と同じ菅原道真公です。

    北野天満宮より古いと言われ、水難・火難を逃れる神社です。

    北野天満宮のような大きな敷地ではなく、こじんまりとしています。

  • 学問もご利益があります。当然。

    学問もご利益があります。当然。

  • 本殿。「和合成就」のお札が気になった。<br />何でもかなえてくれそうです。

    本殿。「和合成就」のお札が気になった。
    何でもかなえてくれそうです。

  • ここの御手水も、さりげなくおしゃれ。

    ここの御手水も、さりげなくおしゃれ。

  • 本日最後の訪問場所は、場所といっても道を歩くだけなんですが、茶道家元裏千家、表千家の家が立ち並ぶ通りを抜けました。<br /><br />まず、裏千家「今日庵」の前を通ります。

    本日最後の訪問場所は、場所といっても道を歩くだけなんですが、茶道家元裏千家、表千家の家が立ち並ぶ通りを抜けました。

    まず、裏千家「今日庵」の前を通ります。

  • 次は、表千家・不審庵の前を。<br />ほとんど人通りがなかったのですが、お茶の関係の方と思われる着物姿の男性が通られました。絵になっていました。

    次は、表千家・不審庵の前を。
    ほとんど人通りがなかったのですが、お茶の関係の方と思われる着物姿の男性が通られました。絵になっていました。

  • 通り抜けた道を振り返ります。<br />この辺りは、かつて小川が流れていて、応仁・文明の乱(1467-1477)のときは、川を挟んで東の細川氏、西の山名氏が戦った主戦場であったそうです。<br />現在、川は埋め立てられ、橋脚を支えていた礎石の一つが「百々橋の礎石」として残っています。<br /><br />応仁の乱、京都の方が言う「前の戦」でございますね。

    通り抜けた道を振り返ります。
    この辺りは、かつて小川が流れていて、応仁・文明の乱(1467-1477)のときは、川を挟んで東の細川氏、西の山名氏が戦った主戦場であったそうです。
    現在、川は埋め立てられ、橋脚を支えていた礎石の一つが「百々橋の礎石」として残っています。

    応仁の乱、京都の方が言う「前の戦」でございますね。

  • まだ陽は高いのですが、かなり歩き、どれもインパクトある訪問地であったため、ちょっと疲れました。<br /><br />同志社大学・今出川キャンパスまで下り、今日は納めることといたしました。<br /><br />写真はキャンパスの塀。<br />同校はかつて薩摩藩の敷地でした。<br /><br />最後までおしゃれな上京区でした。

    まだ陽は高いのですが、かなり歩き、どれもインパクトある訪問地であったため、ちょっと疲れました。

    同志社大学・今出川キャンパスまで下り、今日は納めることといたしました。

    写真はキャンパスの塀。
    同校はかつて薩摩藩の敷地でした。

    最後までおしゃれな上京区でした。

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