2020/09/27 - 2020/09/27
17位(同エリア329件中)
かっちんさん
昨日参加した「学ぶ防災ツアー」を振り返るため、今日は自分の足で復興した田老の町を歩きます。
津波が襲った田老第一小・中学校、過去の津波に対する教訓が書かれた石碑、津波が乗り越えた防潮堤、津波遺構になった「たろう観光ホテル」、復興工事中の新防潮堤等を巡ります。
そして、田老港から海岸沿いの遊歩道を進み、荒波の押し寄せる県指定天然記念物の奇岩「三王岩」を見学します。
震災から9年が経ち、三陸鉄道の新田老駅が2020年5月18日に開業。町の中心地や高台の移設住宅地が近くなりました。
山深い2つのトンネルの間につくられたホームに立つと、遠くからやって来る列車がトンネルに入り、やがて出てくる鉄道風景を楽しめます。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・田老を歩いてみよう!資料
・香川大学教育学部、東日本大震災津波被災小・中学校の状況「宮古市立田老第一小学校」「宮古市立田老第一中学校」
・日本体操競技・器械運動学会「器械運動の道しるべ-鉄棒運動「逆上がり」の指導法」
・三陸ジオサイト「56.津波記念碑(昭和:田老第一小学校西側)」
・宮古市観光文化交流協会「学ぶ防災ガイド」HP、資料
・岩手県「田老地区海岸災害復旧工事 事業概要」pdf
・宮古市「サーモンくん・みやこちゃんのページ」
・宮古市「防災集団移転促進事業 田老地区」「三王岩」
・警視庁「津波てんでんこ」
・岩手県北バス「宮古地区バス時刻表」
・三陸鉄道HP
・マピオン地図「田老」
・日本マンホール蓋学会「宮古市」
・ウィキペディア「国民宿舎」「陸閘」「田老町」「田老野球場」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
田老を歩いてみよう!
昨日参加した「学ぶ防災ツアー」を振り返り、今日は自分の足で田老の町を歩きます。
コースは、新田老駅から田老第一小学校、旧役場、田老第一中学校、第1防潮堤、たろう観光ホテル、津波水位標記。
田老港から海岸沿いに進み、奇岩の三王岩、高台にある三王園地を巡ります。 -
三陸鉄道「新田老駅」入口
昨晩から宿泊した「グリーンピア三陸みやこ」の車で新田老駅まで送ってもらいます。
あれっ、ガラス戸で後ろを向いているのは誰? -
「サーモンくん」と「みやこちゃん」(新田老駅)
サケのまち宮古をPRするため、日々奮闘中の双子の鮭の兄弟です。
では、ホームに出てみます。 -
トンネルに挟まれた新田老駅
築堤の上にあるホームの両側にはトンネルがあります。
このトンネルは宮古方面。 -
少し離れた反対側のトンネル(新田老駅)
山深い中にある久慈方面のトンネルです。 -
野球場と2つの防潮堤(新田老駅の海側)
海側を眺めると、防潮堤の内側に震災後に移設再開した「田老野球場」があります。
同球場の愛称はネスレ日本のチョコレート「キットカット」にちなんだ「キット、サクラサク野球場」です。 -
田老第一小学校(新田老駅の山側)
山側には小学校と津波記念碑があるので、これから訪ねます。 -
校門(田老第一小学校)
校門と校庭は海抜11~16m。津波は高さ10mの防潮堤を乗り越えてきました。
震災当日の様子を後日、香川大学が調査しているので、引用します。
『地震後、下校を始めていた児童を教員が連れ戻し全児童を校庭に避難させた。
保護者が児童を迎えに来たが、校長らは津波の情報収集中であることを理由に留まるように説得した。
しかし、1人の保護者が子どもを連れ出すと、50人ほどがそれに続いた。その間、防災無線が大津波情報を伝え、海の方を見ると空に土煙が舞っていた。
「逃げろ」という声がして、校庭にいた児童は学校の裏山に避難した。また、保護者と避難した児童が被災したケースも報告されている。
当時の児童の証言によると、「逃げろ」という声は教員の指示であった。また、水しぶきや瓦礫が押し寄せる様子を確認した児童もいた。』 -
新田老駅に停車する三陸鉄道(校内から)
ちょうど列車が到着します。
震災当時はここに駅がなく、三陸鉄道の築堤だけでした。 -
宮古市天然記念物「メタセコイア」(校内)
この木は戦後間もない頃に数本の苗と共に送られてきたものを校庭に植えて大きくなったものです。
現在は田老の町にこの1本だけが生育している貴重なメタセコイアです。
推定樹齢は約70年。 -
懐かしい逆上がりの「踏み切り台」(校内)
かっちんは「踏み切り台」を使わず、何度も練習して逆上がりができるようになりました。
この「踏み切り台」は、足の踏み切り位置が鉄棒の高さ以上であれば逆懸垂体勢になり、簡単に逆上がりができるという解説があります。 -
イチオシ
津波記念碑(学校の裏)
昭和8年(1933)の三陸津波の襲来を記録した碑です。
石碑には刻まれている言葉は
『大地震の後には津浪が来る
地震があったら此処へ来て一時間我慢せ
津浪に襲われたら何処でも此の位の高所へ逃げろ
遠くへ逃げては津浪に追付かれる
常に近くの高いところを用意して置け』
過去の津波の教訓を後世に伝えるため築かれた記念碑は、今後の防災に活用されるメッセージです。 -
新田老駅開業(ポスター)
再び駅に戻って来ました。
4ヶ月前の2020年5月18日に開業した新田老駅。
田老駅よりも町の中心地や高台の移設住宅地に近くなりました。 -
敬老の日のお祝い
駅の建物には宮古市田老総合事務所があります。
今日は役場の方が1週間遅れの「敬老の日お祝い饅頭」を配る準備をしています。 -
イチオシ
山深い三陸を走る鉄道(新田老駅から)
次の三陸鉄道が来る時間なので、鉄道写真を撮ります。
この山は海から津波が襲来したときの貴重な避難場所になります。 -
トンネルから顔を出す三陸鉄道(新田老駅から)
-
イチオシ
トンネルを抜け宮古へ(新田老駅から)
新田老駅を出発するとすぐにトンネルに入ります。
では、田老の町歩きを再開します。 -
-48年間ありがとう-「田老総合事務所(旧田老町役場)」
老朽化に伴い、現在は新田老駅と同じ建物に移転しています。
手前の道路は海抜9m。左の建物には津波浸水深の表示があります。 -
デザインマンホール(田老)
「三王岩」と旧田老町の鳥「ウミネコ」をデザインしたマンホールです。 -
擁壁に表示された「津波浸水深」(田老)
-
高台に通じる避難道(田老)
至る所に山に上がる避難道があります。 -
町なかを走る路線バス(道の駅たろう付近)
宮古駅前~田老駅前~三王団地~グリーンピア~岩泉小本駅前を結ぶ岩手県北バスの路線バス。
右手の高台は、津波により被災した住宅の移転先として整備された「三王団地」230戸で、バスが立ち寄ります。 -
田老第一中学校
田老湾から約600mの位置にあり、津波により校舎の1階が浸水しました。
震災当日の様子を後日、香川大学が調査しているので、引用します。
『6時間目の授業中に地震が起こった。普段の避難訓練通り校庭に全生徒が避難した。
約30mの水柱を教員が確認し、校務員が「津波だ、逃げろ」と叫んだのをきっかけに、全生徒、教職員、避難住民は一斉に学校の裏山を登った。
山には田老総合事務所に続く遊歩道があったが、標高が下がる道であったため利用せず、山の急斜面を登り、常蓮寺の墓地へ避難した。
生徒の何人かは田老第一小学校へ避難した。』 -
校章(田老第一中学校)
校章は津波と防潮堤がデザインされています。 -
校門(田老第一中学校)
校門の門柱は津波で壊れたまま。
近くの石塔には津波の教訓が書かれています。
『防浪堤 あっても逃げろ 高台へ
津波が来たら てんでんこ』
津波被害の多い三陸地方では「津波起きたら命てんでんこだ」と伝えられてきました。
これは「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」という意味です。 -
まつばや餅店(道の駅)
道の駅たろうの敷地にある「まつばや餅店」。 -
あずき餅(まつばや餅店)
餅の上にあずきのつぶあんがのり、餅の中にもあんが入っていて、ふっくらした食感と甘いあんが美味。
岩手の郷土菓子「ひゅうず」も欲しかったのですが、今日は作っていませんでした。 -
第1防潮堤の内陸側(道の駅近く)
昭和32年度に完成した防潮堤。
高さは地上から5m、海抜10mのところです。
では、階段を上がります。 -
延々と続く第1防潮堤
「万里の頂上」とも言われていました。
津波は高さ10m(海抜10m)の防潮堤を乗り越え、町を襲いました。 -
野球場を囲む「防潮堤」
もともと防潮堤の外側にあった「田老野球場」は、東日本大震災で被災し、コンクリートのベンチだけを残し全壊。
野球場は安全性と利便性を考慮し防潮堤の内側に移設され、2016年に再開しました。 -
復興工事中の「長内川の水門」(防潮堤上から)
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新防潮堤と漁業関連施設(防潮堤上から)
新防潮堤はより海岸近くに建設され、高さが従来より4m高い14m。
漁業関連施設を新防潮堤の内側に移動したため、防潮堤の壁をほぼ垂直にした「直立堤」を採用しました。 -
破壊された第2防潮堤(防潮堤上から)
第1防潮堤とクロスする第2防潮堤は津波で破壊されました。 -
無残に壊された第2防潮堤(地上から)
-
修復した新しい陸閘(第1防潮堤)
津波が押し寄せるときは、金属扉のゲートが閉まり防潮の役割を果たします。 -
津波遺構「たろう観光ホテル」
東日本大震災では高さ17mを超えると言われる津波の被害を受け、4階まで浸水、2階までは柱を残して流失しました。
建物は倒壊することなく、現在の姿に留まりました。 -
イチオシ
津波遺構「たろう観光ホテル」
宮古市は甚大な震災の記憶を風化させることなく、後世に伝えるため、「津波遺構」として整備し保存しました。 -
田老漁港を囲む新防潮堤
津波で第2防潮堤が破壊されたため、傾斜堤の新防潮堤を建設しています。 -
「直立堤」の防潮堤(田老漁港)
埠頭の狭いところは幅の狭い「直立堤」です。 -
田老漁港と新防潮堤
-
津波水位標記(田老漁港)
製氷貯氷施設に過去襲われた津波の水位を表記しています。
高さ10mに昭和8年の三陸地震津波、15mに明治29年の明治三陸地震津波、17.3mに平成23年の東日本大震災津波が示されています。 -
製氷貯氷施設の損壊写真(田老漁港)
東日本大震災の津波によりも4階の高さまで損壊しています。 -
岩壁に記された津波到達点(田老漁港)
後世に伝えるため、至る所に津波の到達点が残されています。 -
「三王岩」への海岸遊歩道
田老漁港から海岸沿いの遊歩道を歩き、「三王岩」へ向かいます。 -
荒波の迫る「三王岩」
昨日からの雨は止みましたが、海は大荒れです。 -
歩いてきた海岸遊歩道
-
イチオシ
自然の芸術品「三王岩」
真ん中に男岩(50m)、左側に女岩(23m)、右側に太鼓岩(17m)が並んでいます。
白亜紀(1億年前頃)の海に堆積してできた砂岩や礫岩(宮古層群)から構成されています。
長い年月をかけて、寄せ返す波と海原を吹き渡る風が形作った美しい自然の芸術品です。 -
9年前の「三王岩」(2010年9月12日撮影)
震災前の写真です。
前の写真と比べると、東日本大震災の津波による損壊はなかったようです。 -
海岸に咲く「ハマギク」(三王岩)
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鮮やかな「アザミ」(三王岩)
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三王園地へ上がる階段(三王岩)
階段を上がり、三王岩を高い位置から眺めてみます。 -
水平な縞模様が美しい「三王岩」(階段途中)
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男岩に開いた海蝕洞(階段の頂上手前)
横から見ると長靴みたいですね。 -
田老三王園地(階段の頂上)
三王岩から階段を上がったところに、「田老三王園地」があります。
ここは以前、田老町営の国民宿舎「三王閣」があったところです。 -
三王園地の先にある「浪打崎」
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三王岩付近の景色(三王園地付近)
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イチオシ
今も残る「田老町」の道標(三王園地付近)
田老町は昭和19年(1944)に発足、その後平成17年(2005)に宮古市と合併しました。
田老の町は復興工事の道半ばですが、着実に生活の場が戻りつつあります。
津波の教訓を知る石碑、防潮堤、津波遺構、津波浸水深標記など、あらためて防災意識を高めることができました。
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