1965/12/20 - 1965/12/25
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kojikojiさん
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昭和40年(1965年)の12月に日本交通公社の上得意であった父は催行人数に1名足りない香港ツアーに格安で参加することになりました。日本で海外渡航が自由化されたのは昭和39年のことなので、その翌年ということになります。当時私は4歳で母と私を置いて父は1人で旅に出たわけです。その時のことは何となく覚えていて、お土産に買ってきてもらった紺色のシルクのチャイナ服が嬉しかったです。詳しい旅程などは父が亡くなった今では聴くことは出来ませんが、最近実家から出てきたカラースライドやお土産に買ってきたコダックフィルムのスライドの状態もよく、面白いので旅行記としてアップしてみることにしました。特に面白いのは2000年に閉園してしまったタイガーバームガーデンの在りし日の姿でしょうか。父の撮った写真と自分の撮っている写真に共通点を感じ親子は似てくるのだなと思いました。観光目的での海外旅行ができるようになったとはいえまだ外貨持出しの制限は厳しく、外貨購入は1週間以内の旅行は400ドル、1週間以上だと500ドルまでだったようです。パスポートの取得代金は1,500円で有効期間は6か月間でした。3か月有効ビザ代は香港が1,150円で、1ドル360円の固定相場制で大卒初任給は約3万円という時代でいくらのツアーだったのでしょうか。フィルムをスキャンしているとヘンリー・キング監督の「慕情」という映画のことを思い出しました。父の旅した1965年より10年前の映画ですが、朝鮮戦争時代の香港を舞台に夫が戦死した中国系の女医スーイン(ジェニファー・ジョーンズ)と、妻のいるアメリカの従軍記者マーク(ウィリアム・ホールデン)との純愛物語です。最後はマークが朝鮮半島で戦死して悲劇に終わるという型どおりのストーリーですが、現在見ても良い映画だと思います。映画好きだった父も観ているはずなので、この映画のことを思い出しながら旅をしたのだろうかと考えますが、もう確認のしようもありません。ただ、宿泊したのは映画の舞台にもなっているレパレスベイホテルだったことが、母に送られた絵葉書から分かりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
旅行好きだった父は国内旅行の宿泊や交通の予約手配を日本交通公社にお願いしていました。国会議事堂前の共同通信に勤めていたので新橋か虎ノ門辺りに旅行会社のカウンターがあったのではないかと思います。日本で海外渡航が自由化されたのは昭和39年のことで巣から、その翌年に香港へ行っていたわけです。
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父は毎月のように国内旅行に出ていましたので、かなりの上得意だったのではないでしょうか。12月の香港ツアーの催行人数が1人足りない話があり、かなり安い値段で参加しないかという話があったようです。
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それまで海外旅行に行ったことも無いので、申し込みをしてからパスポートも取得したようです。1ドル360円の固定相場制で大卒初任給は約3万円という時代でいくらのツアーだったのでしょうか。
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以前より白黒写真のネガは残っていたのですが、最近実家の片づけをしている中で缶に入ったスライドが大量に出てきました。ネガフィルムよりもスライドは保存状態が悪いのですが、奇跡的に良い状態で出てきたのは驚きです。なので白黒のフィルムの写真の順番で間にカラーのスライドを挟むような旅行記になります。
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さて、羽田空港を出発した日本航空の飛行機は無事に香港に到着したようです。九龍のヴィクトリア・ハーバーに面した九龍城区、九龍半島の北東端にかつて存在していた啓徳空港の在りし日の姿です。
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写っているダグラス DC-8はボーイング707やコンベア880と並んで第1世代ジェット機を代表する旅客機で、世界で初めて超音速飛行を行った旅客機としても有名です。
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どのような観光ルートであったか確認する術もありませんが、写真を拡大していくとヒントが隠されているようで楽しい作業です。この英国統治時代の典型のような建物には「POST OFFICE」の文字が見えます。
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現在の建物より1代前の「ALEXSANDRA HOUSE」の建物です。名前の由来は当時君主だったエドワード7世の妻であるアレクサンドラ女王にちなんで名付けられています。現在の建物である34階建てのタワーは1975年に建て替えられています。
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レストランの店先に置かれた花輪のようなものに興味を感じたのでしょうか。昔はパチンコ屋の新装開店で見掛けた花輪ですが、最近は全く見掛けなくなりました。
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この写真に至ってはどこかを特定するのは不可能です。こんな通りで2階建てのバスが袖看板にぶつかることは無かったのでしょうか。
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どなたかに写真を撮ってもらったという事はツアーでの団体行動中の写真のようです。
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この当時の東京都内と比べても香港は大都会だったのではないでしょうか。
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こんな道路の上のクリスマスのイルミネーションも日本では現在も作ることは出来ないでしょう。
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客待ちしているタクシーのカラーリングは現在と似ていなくもありませんが、車種に時代を感じます。
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この当時はまだ信号機が整備しきれてなかったのか警察官による誘導が行われていたようです。10年くらい前は中国の雲南省の奥地やタイの北部では見かけることがありました。
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昭和40年の丸の内しか見たことのなかった父にとっては驚きの世界だったのではないでしょうか。
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デ・ヴォー・ロード・セントラルとデ・ヴォー・ロード・ウエストは香港島の北岸にある2つの道路です。名前の由来は第10代香港知事ウィリアム・デ・ヴォーにちなんで名付けられました。
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曲面の美しい建物は当時のヒルトンホテルです。
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香港上海銀行の建物です。入口の両脇にライオンの像が置かれてあります。略称は英語でHSBCで、イギリスの金融グループHSBCホールディングス傘下の銀行で、香港に本店を置き香港ドル発券銀行の1つでもあります。設立当初の行名のThe Hongkong and Shanghai Banking Company Limitedが残っています。
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こちらは中国銀行の建物で、入口の両脇には獅子が鎮座しています。
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ここにも交通整理をする警察官の手信号する姿が残されていました。
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こちらもイギリス統治を感じさせる白亜のコロニアル建築の建物です。
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晩御飯は「シーパレス」というフローティングレストランだったようです。外観のデザインは北京の頤和園の昆明湖に浮かぶ「清晏舫」と呼ばれる石舫を模しています。
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この当時アバディーンには2つのフローティングレストランがあったそうです。現在残っているのは「JAMBO」くらいではくらいではないでしょうか。
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昔香港に行ったときはアバディーンでイルミネーションでライトアップしたレストランを見に行ったことがあります。同じようなシーパレスという名のレストランは世界中にあるようで、上海の浦東側やペナン島にもありました。そんな店を見つけると無償に行きたくなるのは香港に原因がありそうです。
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ジャンボキングダムは ジャンボ水上レストランと隣接するタイパーク水上レストランで構成され、香港のアバディーン港内の有名な観光スポットだったようです。
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夕食の後は夜景観光があるのは現在も同じですね。
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同じクリスマスの時期に香港へ行ったことがありますが、この当時からクリスマスのライトアップをしていたのだと驚きます。ツリーが浮かび上がるビルはI Love HKの文字が浮かび上がります。それにしても現在と対岸の明るさは違います。
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香港といえばヴィクトリアピークの夜景も有名ですね。映画「慕情」は1955年に公開されたアメリカの映画で、ベルギー人と中国人の血を引くハン・スーインの自伝をもとに映画化されました。サミー・フェイン作曲でナット・キング・コール歌唱による主題歌も素晴らしいですが、映画好きだった父が見ていない訳がありません。
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香港へ行きたいと思った理由の1つだったのではないかと思います。願わくば森繁久彌の映画「社長洋行記」でないことを願います。ただ、個人的には続編も含めて社長洋行記は面白かったです。
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香港といえばスターフェリー(天星小輪)にも乗らないとだめですね。この当時は片道5セントでしたが、翌年の1966年に倍の10セントに値上がりしたことにより、香港住民らによる値上げ反対デモをに乗じて、当時文化大革命直前で荒れていた中国共産党系住人らが中国共産党政府の指示による反英暴動を起こし、香港中の交通が麻痺したそうです。
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尖沙咀渡輪のフェリーピア乗り場の建物は現在とあまり変わらないようです。
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自分が香港を旅した時は漠然と父が香港へ来たことがあるという事は知っていましたが、こうやって古いフィルムをスキャンしていると同じような写真を撮っていたのだと感じます。
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九龍島側にはビクトリア・ピークが綺麗に見えます。「慕情」の1シーンではピークの上に1本立つ木の下で愛をささやき、マークの戦死を知ったスーインが哀しみの表情をたたえて、そこに立ちつくすラストシーンが印象的です。
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この当時でもヴィクトリア・ハーバーにジャンクの姿は木造の帆掛け船ジャンクの姿は少なかったようです。現在もダックリン号という1980年代に建造された船が1艘残るだけです。その船に乗ろうと予約をしようと思ったことがありますが、予約がいっぱいで乗れなかったことも思い出しました。
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ジャンク船の姿はありませんが、行き交う船はたくさんあります。
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スターフェリーも行き交っています。現在とも変わらない風景があります。
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ヴィクトリア・ハーバーにジャンク船は絵になります。
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そろそろ九龍島側に到着するようです。
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奥の高層ビルは1フロづつゲストハウスの横断幕が面白いです。手前のマッサージの看板にはフランス風と日本風のマッサージにトルコやロシアやフィンランド風の風呂もあるようです。
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沢木耕太郎が「深夜特急」で旅した香港は1970年代なので、この当時よりは少し後ですが、こんな猥雑な世界が残っていたのでしょうね。
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1933年に創設された九巴は当時1階建てのバスしか所有しておらず、何度か2階建てバスの採用を申請したそうです。当時の政府に道端には沢山の樹があり危険だとして拒絶され、戦後にそれらの大きな樹を切り倒して、道を整備し1949年にこの2階建てバスが採用されたそうです。
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香港島側の中環(セントラル)西側の上環(ションワン)地区にあるウエスタン・マーケットにも寄っています。こんな時代のマーケットに迷い込みたいと思っても、もうどこにも残されていないでしょう。この建物は20世紀初頭に建てられたアーチ状の窓が美しいエドワード様式の建物で、当初は上環(ションワン)の街市(公設生鮮市場)として使われていました。
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市場の中は夢のような世界が広がっています。
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父はカメラを2台持って行ったようで、白黒のフィルムとカラーのスライドフィルムが残されていました。もう少し早い時期にフィルムの存在が分かっていればデジタル化したものを家のテレビで見せてあげられたのにと思います。
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アヒルの干し肉(油鴨)は家鴨の類の内臓と骨を抜き頭付きのままぺしゃんこにのして干したものです。
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香港近海の海で獲れた魚が並んでいます。舌平目が美味しそうです。
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現在の香港では全く見掛けない人力車が普通に走っている風景に驚きです。
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建物の2階部分が道路際まで張り出しており、その下がアーケードになっている建築のことを「騎楼(ケイラウ)」呼びます。騎馬の脚や或は竹馬のような柱で支えられている姿からこう呼ばれるのですが、華南から東南アジア一帯で広まった住宅兼商業建築様式です。
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「脚」の部分には店舗や会社の名称などが感じで大きく書かれ、その下を人々が賑やかに往来している様子は、香港らしい光景です。商売をする側にも通行人にも便利なため、香港でも急速に広がり19世紀末から20世紀初頭にかけて騎楼建築は最盛期を迎えます。英国植民地時代の初期から栄えた上環や西営盤、そして深水捗などに多く建築されました。
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ただ、現在はその姿はほとんど失われていると思います。グーグルのストリートビューで確かめても全く分かりません。
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1960年代当時「中共」から多数の難民が香港に流入し、各所に難民アパートが建てられ、これが観光コースにも組み込まれていたようです。あぁ、出来る事ならこの頃の香港に迷い込んでみたいものです。
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殯(もがり)は死者を葬る前に一定期間棺に遺体を納めて祀る儀式のことなので、並んでいるのは棺だと分かります。
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これも香港らしい風景です。現在でもこのような長い階段はたくさん残っています。場所によってはエスカレーターが設置されていますが、出来上がるまではまでは数十年かかります。建物にはHOLLYWOOD ROADの文字があるので、数十年後この階段は登っているし、近くの骨董店で光緒年製の茶碗を買ったこともあります。
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商用車のバンもイギリスのAUSTIN社というのが香港らしいですね。
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香港トラムは1904年に開通して以来、香港島北部の主要地区を結ぶ重要な交通機関として、現在も運行されています。1961年には香港名物の1つとなる車体に広告を描いた広告電車が登場します。これが1965年の写真なので、広告電車が走り出して数年後のことです。多分父はナショナルの広告を見て誇らしかったのだと思います。
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そしてこちらにはSONYの看板が見えます。クロマトロンカラーからトリニトロンカラーテレビを開発していた頃です。
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Gilman Street(機利文街)の停留所だということが分かりました。この辺りの建物もすべて高層ビルに建て替わっています。
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SONYにNATIONALとくればPHILIPSですね。
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七宝啤酒は音読みでサッポロビールのことのようです。漢字で札幌と書いてもこの当時は日本の北海道なんて香港の人が認識していないからでしょう。
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イギリス国旗のたなびく白亜のコロニアル建築はレパレスベイにある現在のザ・ベランダ(The Verandah)というレストランです。
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この当時はレパルスベイホテルとして観光名所でもあったようです。母に送られた絵葉書が残されており、宿泊はこのホテルだったと分かりました。このホテルは映画「慕情」の舞台にもなっています。
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現在はこの建物の背後には高層ビルが立ち並び、紫羅蘭山が見えることはありません。
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そして九龍島の観光といえば虎豹樂圃(Haw Par Music Farm)、タイガーバーム・ガーデンです。軟膏薬タイガーバームの売り上げで巨富を得た香港の富豪胡文虎(Aw Boon Haw)により1935年に建設された胡一族の私的別荘でしたが、1950年代に一般に公開されました。 庭園の中心となるのは高さ44メートルで7層構造のパゴダであり、その周囲に中国仏教や儒教、また様々な故事や説話を題材としたジオラマがコンクリートや陶磁器を用いて多数配置されています。
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そしてターガーバーム・ガーデンといえばジオラマです。ここでは白馬に姿を変えた玉龍にまたがる三蔵法師と猪八戒と斉天大聖孫悟空の姿が見えます。現在香港でこのジオラマを見ることは出来ませんが、シンガポールには胡一族のもう1つの別荘である虎豹別野(ハウ・パー・ヴィラ)が残されています。
ハウパーヴィラの旅行記:https://4travel.jp/travelogue/10897371 -
三島由紀夫は香港のタイガーバームガーデンのグロテスクな奇景を1つ1つ克明に観賞し、「この庭には実に嘔吐を催させるやうなものがあるが、それが奇妙に子供らしいファンタジイと残酷なリアリズムの結合に依ることは、訪れる客が誰しも気がつくことであらう。中国伝来の色彩感覚は実になまぐさく健康で、一かけらの衰弱もうかがはれず、見るかぎり原色がせみぎ合つてゐる。こんなにあからさまに誇示された色彩と形態の卑俗さは、実務家の生活のよろこびの極致にあらはれたものだつた。胡氏は不羈奔放を装ひながらも、この国伝来の悪趣味の集大成を成就したのである。中国人の永い土俗的な空想と、世にもプラクティカルな精神との結合が、これほど大胆に、美といふ美に泥を引つかけるやうな庭を実現したのは、想像も及ばない出来事である。
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いたるところで、コンクリートの造り物は、細部にいたるまで精妙に美に逆らつてゐる。幻想が素朴なリアリズムの足枷をはめられたままで思ふままにのさばると、かくも美に背馳したものが生れるといふ好例である」と感想を綴っています。
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写真を見ていると3泊4日程度の香港だけの旅行だったようですが、詳しいことはこれ以上分かりませんでした。啓徳空港から離陸する際には香港のビル群の上を飛んだのでしょうか。もう少し詳しく聞いておけばよかったと後悔しても後の祭りです。
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4基のエンジンの機体ははDC-8だということが分かります。
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この後に父が海外旅行へ行くには20年後に共同通信社の北アメリカ支社の視察でアメリカへ行ったのと、28年前に勤続30年の休暇でヨーロッパ周遊したのと12年前に大阪南港からフェリーに乗って上海に行っただけでした。リタイアした後は海外旅行に行くことを楽しみにしていたのですが、病気のこともありかなわないことになってしまいました。
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そんな父の代わりの思いもあって海外旅行をしていて、毎日1枚絵葉書を送り続けています。遺言のように聞いていた「いつか海外に住みたいと思っていたので、それをかなえてくれ。」だけはまだかなえてあげられていません。
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父が唯一海外から家に送った絵葉書です。この葉書からレパレスベイホテルに宿泊したことと天候からヴィクトリア・ピークの夜景がきれいに見えなかったことと、ツアーから離れて香港島を1人で歩いたことが分かりました。そして日本に残った母と私については何も書いてありませんでした。
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そして父からのお土産は可愛らしいチャイナ服でした。
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この旅の数年後ですが、JALPAKのCMによると。
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香港4日間のツアーが129,000円という驚きの値段です。
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父は安かったとはいえいくらで香港へ行ったのか気になるところです。昔は新聞で長者番付が発表されていましたが、「練馬区で50位以内に入っていたわよ。」と母に聞いたことがあるので行けたのでしょう。
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さすがにヨーロッパまではその当時は手が出なかったみたいですが。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mihamaさん 2021/01/23 15:20:47
- こんにちは
- こんにちは、初めまして。
お父さまの香港旅行記楽しく拝見しました。
そのころの香港に行ってみたかった、みたいなことを書かれていましたので、おすすめ映画をご紹介します。
宝田明 主演
香港三部作
香港の夜 A NIGHT IN HONGKONG』(1961)
『香港の星』(1962)、
『ホノルル・東京・香港 HONOLULU-TOKYO-HONGKONG』(1963)
特に第一作の香港の夜はオススメです。
よかったら見てみてください。
Mihama
- kojikojiさん からの返信 2021/01/24 00:20:27
- Re: こんにちは
- Mihamaさん
旅行記にお立ち寄りいただきありがとうございます。
宝田明さんの映画は全く知らなかったので色々調べてみました。
なるほど背景を見ると同じ時代なのだと感じました。父も通信社に
勤めていましたので(記者ではありませんでしたが。)近いうちに
観てみたいと思います。ありがとうございました。
Koji Koji
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