2005/01/15 - 2005/01/19
148位(同エリア11696件中)
SamShinobuさん
- SamShinobuさんTOP
- 旅行記98冊
- クチコミ1件
- Q&A回答1件
- 158,473アクセス
- フォロワー96人
上海リニアモーターカー
日本初のリニアモーターカーであるリニア中央新幹線は、2027年に品川〜名古屋間が先行開業し、2037年には大阪まで伸びる予定だ。中国ではその遥か以前の2004年からリニアモーターカーは商業運行していた。確かに凄いと思うが、はたして安全は保証されていたのだろうか。
2011年に起きた中国温州市の鉄道衝突脱線事故は、40人の死者を出した悲惨なものだった。しかし何より世界を震撼させたのは、信じられないその事故処理だった。なんと事故直後に、現場検証もなく車両を全てそこに埋めてしまったのだ。あからさまな当局の証拠隠滅は、かえって世界中にそのニュースを広めてしまうことになる。そればかりか、埋めた中から20時間後に2歳の女の子が生きて見つかり、鉄道部には批判が殺到した。その非難の大きさに耐え切れなくなったのか、事故から3日経っていたが、ついに再び車両は掘り出された。そして共産党広報部が新聞やメディアに対して、この事故に関する報道を禁じることで、一連の騒動は終わりを告げた。
このニュースをテレビで見た時、その事故車両は何度も乗ったことがある和諧号だったので、内心ぞっとした。やる事なす事があまりにも幼稚で場当たり的だったので、中国という国がそれまで以上に怖くなった。さすがにその時はいつものように、中国らしいと言って笑うことは出来なかった。
それまでは喜んで乗っていた上海リニアモーターカーだったが、その事故以来一抹の不安を覚えるようになった。実際、過去には火災事故のニュースもあった。また、ある時から最高時速の430kmを出すのは、ほんの限られた時間帯だけになってしまった。そうなった理由は分からないが、遅いリニアモーターカーなんてそもそも魅力ないし、上海市内まで行けない空港線に利用価値は低い。にもかかわらず相変わらず今もスピードを抑えて運行するリニアに、何か訳ありの事情を邪推するのは考えすぎだろうか。
開通区間は浦東国際機場駅から竜陽路駅までの一駅で、路線距離はたったの30.5km。当初は杭州まで伸びる予定だった。しかし沿線住民の反対などからずっと頓挫したままで、どうもその計画は無かったことになりそうだ。せめて上海市内までは拡張して欲しかったが、いまだに中途半端な終点の竜陽路駅で下車し、地下鉄を乗り継いで市内を目指さなければならない。
PR
-
2005.1.15
上海浦東国際機場駅からリニアに乗る。このころは喜々として乗っていた上海トランスラピッドことリニアモーターカー。トランスラピッドとはドイツで開発された磁気浮上リニアモーターカーのことだ。
朝は、8時09分渋谷発の成田エクスプレス11号で成田に向かった。当時は最寄の武蔵小杉駅に成田エクスプレスは止まらなかったので、渋谷駅や品川駅から乗っていた。2010年に横須賀線武蔵小杉駅が開業し成田エクスプレスが停車するようになって、成田空港が随分と近くなった。
11時20分に中国東方航空MU819便は成田国際空港を飛び立ち、13時45分上海浦東国際空港に到着した。空港で両替。(1元=12.6円) -
リニアモーターカーの運転席。女性が座っている。といっても、実際には遠隔操作による自動走行なので、彼女は何もしていない。それにしても安普請な運転席だなぁ。よく鉄道博物館なんかにある運転シュミレーターのほうがよほどマシな気がする。怖い、怖い。
-
430kmになる瞬間を体感するために、高い運賃を払って乗車した観光客たち。
-
430kmに到達。確かにここまでのスピードになると、速さを実感できる。しかし前述の通り、今は430kmを出すリニアの運行はごくわずかだ。
日本のリニア中央新幹線は、新型コロナウィルスの影響で工事の遅れが懸念されている。それでも品川の次の駅になる橋本周辺は大々的な工事が始まり、地価も上がっているようだ。橋本のリニア駅の予定地には県立相原高校の旧校舎があったが、すっかり解体されて更地となってしまった。 -
リニア中央新幹線、神奈川県駅(仮称)予定地。2021.1撮影。参考までに。
-
同じく2021.1撮影。京王相模原線橋本駅ホームに入る直前、車内からその様子がよく見える。
-
和平飯店
龍陽路駅からタクシーで、今回宿泊する和平飯店にやって来た。
アール・デコ様式の外観も素晴らしいが、内装もいちいちアール・デコで萌える。ここ外灘は様々な建築様式の歴史的建造物のオンパレードだが、隣の中国銀行も典型的なアール・デコで、アール・デコファンの僕としては堪らない一角だ。 -
外灘をぶらぶらする。
-
黄浦江の対岸は近未来的な浦東地区。
-
黄浦江を渡って浦東にやって来た。
-
東方明珠塔に行こう。
-
東方明珠塔から街を見下ろす。曇天で視界がクリアではない。
-
浦東の泰東路輪渡站からフェリーで再び黄浦江を渡る。ちなみに輪渡とは渡し船のこと。
-
川の上から東方明珠塔が見える。
-
公平路輪渡站で下船。
-
街角で焼き饅頭を売っていた。
-
行きつけの上海蟹専門店、成龍行蟹王府。
-
この店では一年中上海蟹が食べられるが、やはりシーズンの秋から冬にかけてが美味しい。
-
例によって店の人にホジホジして貰った。
-
2階は店内が見下ろせる半個室になっている。ここで中国古典楽器の演奏を聴きながら食事するのもいい。
-
2020年12月12日、ついにこの店は日本上陸を果たし、日本橋の三井二号館にオープンした。
-
2005.1.16
朝の外灘。 -
和平飯店に宿泊すると、外灘を散歩しながら朝焼けの浦東や黄浦江が見られるのがいい。
-
太極拳に興じる市民たち。
-
なんか達人っぽい。
-
後ろには、これもアール・デコの傑作、1934年竣工の上海大厦がそびえ立っている。上海大厦はブロードウェイ・マンションといい、1941年に児玉誉士夫がここの2階を占有し「児玉機関」を置いた。児玉機関は、戦争資金調達のためのいわば商社だったが、彼はここで諜報活動もしていた。きっとここで権謀術数をめぐらし、莫大なお金をプールしていたんだろうな。戦後は政財界のフィクサーとして長年に亘り君臨し、彼をモデルにした映画も数多く作られた。
-
川沿いの遊歩道を歩く。
-
人も少なくて気持ちがいい。
-
こんなところで太極拳をやったら爽快だろうな。
-
このころ外灘の建物に触れて初めて、歴史的建造物に興味を覚えたんだった。今思えば、僕が名建築を好きになったきっかけはここなんだ。
-
上海影視楽園
上海郊外にある映画、ドラマ、CM等の撮影所。 -
撮影の準備をしている。
-
テレビドラマの撮影のようだ。
-
室内には小道具が展示されている。
-
「カンフーハッスル」(2005年1月公開)で出てきた信号機。「カンフーハッスル」はこの撮影所で撮られたので、見覚えのある風景のオンパレードだ。当時、ちょうど仕事で見たばかりだったので、実物を見られて嬉しくなった。
-
こちらも撮影の準備中。
-
重厚なセットを見て回るだけでも楽しい。
-
路面電車が走っている。
-
教会のセットも美しい。
-
広大な敷地面積を誇っているが、まだまだ拡張の余地はある。
-
人工の川。
-
人工の湖。
-
今日はこのセットで撮影だった。
-
豫園にやってきた。
-
まるで清代のテーマパークのようだ。
-
この日は観光客でごった返していた。
-
緑波廊。豫園内にある上海料理の老舗で昼食。
-
エリザベス女王やクリントンも訪れた高級店は400年の歴史があるそうだ。
-
淮海中路の宗慶齢旧居にやって来た。ここは宗慶齢文物館。
-
当時、慶齢が乗っていた高級車が展示してあった。
-
旧居。宗家の三姉妹の二女、慶齢が1949年から住んでいた。
1915年に慶齢は孫文と日本で結婚した。慶齢22歳、孫文48歳。なんと26歳差だった。二人の仲人は梅屋庄吉夫妻。1895年日本人として初めて孫文に会った梅屋は、孫文の理念に感動し生涯に渡り孫文を支援した。その資金援助額は現在の貨幣価値で1兆円に及ぶとされている。梅屋は日活の創設者のひとりだが、当時、映画は死ぬほど儲かったんだろうなあ。梅屋がいなかったら、間違いなく辛亥革命は成功していなかった。梅屋庄吉は、僕が日本の映画人で尊敬する10人のひとりだ。
ちなみに日比谷公園内にある「松本楼」は明治36年創業のレストランだが、孫文はここで梅屋庄吉とたびたび会っていた。梅屋の曾孫が松本楼の現社長である。いろいろな縁が重なって2008年に胡錦濤国家主席が来日した際には、福田首相と松本楼で一緒に食事をした。松本楼の1階ロビーには宋慶齢が弾いていたピアノや、当時の孫文や梅屋の写真等が展示してあって実に興味深い。由緒あるレストランだがリーズナブルだし、緑に囲まれたテラス席もあってオススメの店だ。宗慶齢から随分と話が脱線してしまった。 -
丁香花園申粤軒。李鴻章が愛人の丁香のために建てた邸宅の一角にある広東、上海料理のレストラン。フランス租界の面影が残る華山路にある。李鴻章は西太后に仕えた軍人で、浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んだ人はみんな大好きなんじゃないかな。かく言う僕も浅田次郎の小説で李鴻章のファンになったひとりだ。
-
フカヒレにアワビ、どれも美味しそう。
-
2005.1.17
朱家角。宋、元の時代からある水郷古鎮。上海から約40kmの郊外に位置する。 -
朱家角の名物、阿婆老太粽のちまき。
-
漢方薬の店。
-
これ、漢方薬だそう。
-
城隍廟。1763年に建てられた道教寺院。ここで気をつけなければいけないのは、寺の人に線香を渡されて火をつけられ、おみくじのような紙を引くように言われることがある。何かご利益があるのかと思って、その人のなすがままにしていると、最後に高額な寄付を要求されるのだ。言葉が分からないとか関係なく勝手に事を進めていくので、気の弱い日本人は途中で止められず、結構な金額を寄付してしまうのだろう。ここに限らず、中国ではそういうお寺に何度か遭遇したことがある。阿弥陀の光も金次第と言うが、まさに中国の寺、恐るべし。僕は無神論者なので、この時も喋り続ける僧侶に対し、「もう、結構」とバッサリ話を切って退散した。
-
城隍廟の向かいにある城隍廟橋。朱家角にはこのような石橋が36もある。
-
手漕ぎの舟に乗る。明の時代に造られた放生橋。ここから魚を放すと功を積むことができるらしい。そのため橋のたもとでは生きた魚を売っている人がいるが、結局放してもその人たちにまた捕まえられて、エンドレスでループしてると思うと、馬鹿馬鹿しくなる。
-
橋の上からの眺め。
-
圓津禅院。1341年に建てられた仏教寺院に入ってみよう。
-
巨大なお線香が売られていた。
-
清華閣は清の時代に建てられたものだ。
-
清華閣に登ると、朱家角の景色が広がっている。
-
上海市内に戻って、ここで火鍋を食べた。
-
食後は上海雑技団を見に行った。人民広場にある上海大劇院の中ホール。
-
身体が軟らかいにもほどがある。
-
ひとりでもバランスを崩したらアウト。
-
金網の球体の中を4台のバイクが縦横無尽に走り回る。少しでも接触しようものなら大流血事故になる恐ろしいショーだ。ハラハラドキドキの雑技を楽しんだ1時間30分だった。
-
2005.1.18
上海駅。 -
これから蘇州に向かう。
-
その前に、駅の軽食屋で朝食。
-
上海駅のプラットフォーム。
-
二階建ての車両。
-
車窓の風景。
-
蘇州に到着。駅弁売りだろうか。
-
蘇州駅
-
報恩寺塔。別名、北寺塔。
-
1700年前、三国志で有名な呉の孫権が母の為に建立した。八角形九層、高さ76mの見事な仏塔だ。
-
塔に登れば市内が一望できる。
-
曇っていて視界が悪かったのが残念。
-
留園。中国四大古典園林のひとつ。世界文化遺産にも登録されている。
-
しかし僕は留園と聞くと、かつて港区芝公園にあった高級中華料理の「留園」を思い浮かべてしまう。1970年代に一世を風靡した双子の歌手、リンリンランランが「リンリンランラン留園〜、リンリンランラン留園〜、留園行ってしあわせ食べ〜よ〜」と歌うテレビCMがいまだに頭から離れない。小学生の時にそんな留園に一度だけ連れて行って貰った。ラーメン屋に毛が生えたような町中華しか知らなかった僕は、竜宮城を思わせる店構えに圧倒され、それまで食べたこともない本格中華に舞い上がった。ベビーコーンを初めて見て、トウモロコシのように歯で粒を取ろうとして笑われた。今はもうとっくに無くなった留園の跡地には、留園ビルという賃貸オフィスビルが建っている。
-
だから僕は江南の名庭園を見ても、「リンリンランラン留園〜」の歌がずっと頭の中をグルグル駆け回っていた笑。
-
太湖石という奇石が有名だが、この良さが分かるにはまだまだ修業が足りない。
-
太湖石の中でも超有名な「冠雲峰」。名石と誉が高い。
-
蘇州の旧市街である観前街。老舗レストランが数多くある。
-
観前街の映画館、開明大劇院。レトロな雰囲気がいい。
-
チャウ・シンチーの「カンフーハッスル」を上映していた。中国公開は2004年12月23日。日本ではソニーピクチャーズが配給し、2005年1月1日に公開された。
チケットが20元と表示されているが、270円(1元=13.5円)とは安いなあ。 -
そろそろお腹がすいてきたぞ。
-
王四酒家
-
叫化童鶏。叫化とは乞食を意味し、童鶏とは若鶏のこと。鶏を丸ごと蓮の葉でくるみ、そのまわりを土で固めて炉で焼く。野趣溢れる料理というか野趣そのものだが、これが意外と旨いのだ。
-
木槌で焼けた土を割る。ビジュアルはドイヒーだが、食べてみると味とのギャップに驚く。
-
店員が肉を解してくれる。ここまできても、まだ見た目で腰が引ける。
-
松鼠桂魚(桂魚の丸揚げ甘酢あんかけ)も名物だが、料理名に鼠とついていると、いささか食欲が損なわれる。中国の人はそんなことは無いのだろうかと思い、調べてみると松鼠とはリスのことだった。それでも料理名にリスと言うのはいかがなものかと思うが、食べたらきっとその旨さに笑みがこぼれるだろう。
-
虎丘に向かう。
-
雲岩寺塔は961年に建てられた。
-
雲岩寺塔の前に広がる千人石。
-
今にも崩壊しそうだ。塔に登ることはもちろん、中に入ることも出来ない。
-
傾いているのがお分かりだろうか。
-
レンガ造りの見事な遺跡だった。
-
寒山寺で鐘を撞く。
-
寒山寺の鐘楼からの眺め。
-
さあ上海に戻ろう。
-
全聚徳淮海中路店。有名店で北京ダックを食べよう。
-
そういえば昼食も鶏だった笑。
-
2005.1.19
和平飯店 -
魯迅公園
-
書道愛好家達が水で地面に字を書いている。
-
「どうだ、上手いだろう」とばかりに達筆を披露しているが、健康のためにやっているという人も多い。確かに見事な腕前だ。
-
多倫路
-
里弄(リーロン)。古い集合住宅に地元の人の暮らしが覗ける。
-
上海特有の里弄は、北京の胡同とまた違った趣がある。
-
福州大楼
旧ハミルトンハウス。かつてここには中華電影公司の本社があった。中華電影公司とは、川喜多長政が代表を務めていた国策映画会社だ。川喜多長政は1928年に東宝東和の前身である東和商事を設立し、ヨーロッパ名作映画を多数買い付けて日本に紹介していた。1939年、陸軍はその手腕を買って、川喜多に中華電影の実質的経営を任せる。しかし川喜多は決して軍部の言いなりにはならなかった。
川喜多は1943年に、「萬世流芳」という作品を満映との合作で製作し、当時まだ満映に所属していた李香蘭にも出演してもらっている。この映画は、阿片戦争の時代が舞台で、中国人が阿片を国に持ち込むイギリス人と戦う映画だが、実は「暗喩」として、イギリス人を日本軍に見立てた反日映画になっている。川喜多は日本にお金を出させて、とんでもない反日映画を作り中国で大ヒットさせていたのだ。日中のはざまで苦しんでいた李香蘭が、満映を退社し川喜多のもとに走ったのも頷ける。
川喜多長政も僕の尊敬する日本の映画人10人のひとり。ちなみに尊敬する日本の映画人というのは、
梅屋庄吉(1868年生まれ)日活の創業者
甘粕正彦(1891年)満州映画協会理事長
小津安二郎(1903年)映画監督
川喜多長政(1903年)東和商事設立、中華電影設立
淀川長治(1909年)映画評論家
田中絹代(1909年)映画女優
黒沢明(1910年)映画監督
三船敏郎(1920年)映画俳優
高倉健(1930年)映画俳優
大林宣彦(1938年)映画監督
*生誕年順
の10人だ。大林監督が2020年4月にお亡くなりになったので、残念ながら全員鬼籍に入ったことになる。 -
中国東方航空MU810便は、15時50分に上海浦東国際空港を飛び立った。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (3)
-
- Antonioさん 2021/01/17 08:12:55
- リニアモーターカー
- こんにちは。リニアに関する解説を興味深く読ませて頂きました。一昨年上海に旅行をし、なぜあのような中途半端な場所が終点なのか謎でしたが、よく理解できました。2005年と比べ、中国は大変な国になりましたね。その一方で、日本は毎年国力が低下しているように感じざるをえないです。
- SamShinobuさん からの返信 2021/01/18 08:43:42
- Re: リニアモーターカー
- コメントありがとうございます。
確かに今の中国は想像の遥か上をいく怖さを感じます。それに比べて平和ボケした日本は、そこにある危機に気付いた時にはすでに手遅れになりかねませんね。4000年の歴史ある中国は元々はとてもいい国なのに、何故こんな恐ろしい国になってしまったんでしょう。
- Antonioさん からの返信 2021/01/21 21:15:13
- RE: Re: リニアモーターカー
- 上海万博の時にも上海に行ったのですが、一昨年感じたのは、ショッピング施設が増えていたのと、海外のブランドやお店をたくさん目にした一方で、昔ながらの街並みは減り、出店・屋台等はほとんど見なかったことです。
少しショックだったのは、ニューヨークで有名なピザ屋さんが支店を営業していたことです。ニューヨークで人気のあるお店がアジアで海外展開する場合は、今までだったらまず東京に出店していたと思うのですが、東京よりも上海の方がビジネスになると考えているわけですよね。
目黒にあるスタバの高級版もアジアでは、まず上海に最初にオープンしたようですので、上海の方がビジネスチャンスがあると見られるのは、時代の流れを感じてしまいます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
3
116