2018/12/04 - 2018/12/04
402位(同エリア6468件中)
デコさん
公共交通機関の1日券を購入し、オペラ座向かいにあるウェルカムセンターで後日使うウィーンパス購入後、地下鉄とバス利用でウィーン郊外にあるハイリゲンシュタットとグリンツィングへ行くことにしました。
先ずはベートーベン記念館を中心に。
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【スケジュール】
12月2日(日)関空発
12月3日(月)ドバイ乗り継ぎでウィーン着(ウィーン泊)
12月4日(火)ハイリゲンシュタット&グリンツィング訪問(ウィーン泊)
12月5日(水)ウィーン→グラーツ(グラーツ泊)
12月6日(木)グラーツ→リンツ(リンツ泊)
12月7日(金)リンツ市内観光(リンツ泊)
12月8日(土)リンツ→メルク(メルク泊)
12月9日(日)デュルンシュタインン&クレムス訪問(メルク泊)
12月10日(月)シュタイヤー&クリストキンドル村訪問(メルク泊)
12月11日(火)メルク→ブラチスラヴァ(ブラチスラヴァ泊)
12月12日(水)ブラチスラヴァ観光&ホテル移動(ブラチスラヴァ泊)
12月13日(木)ブラチスラヴァ→ウィーン(ウィーン泊)
12月14日(金)ウィーン市内観光(ウィーン泊)
12月15日(土)ウィーン市内観光(ウィーン泊)
12月16日(日)ウィーン空港→ドバイ空港
12月17日(月)ドバイ空港→関空着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテル・ペンション・ウィルドの朝食は7:00~10:00
いつものことながら一番のりの朝食ルームはスタッフ以外私一人なので、写真撮影させていただきました。
リーズナブルな宿泊料金なのであまり期待していなかったのですが、多種類のハム&チーズや野菜のコーナーなどがありました。これなら大満足です(^^♪ -
ホテル・ペンション・ウィルドの朝食
ジュースやシリアル類 -
ホテル・ペンション・ウィルドの朝食
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ホテル・ペンション・ウィルドの朝食
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ホテル・ペンション・ウィルドの朝食
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ホテル・ペンション・ウィルドの朝食
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ホテル・ペンション・ウィルドの朝食ルーム
独り占め状態の朝食ルームです。 -
ホテル・ペンション・ウィルドの朝食ルーム
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ホテルを出て、まずは、後日に利用するウィーンパス72時間用を購入しに行きます。
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地下鉄駅へ向かう途中の建物
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地下鉄駅へ向かう途中の建物
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地下鉄駅へ向かう途中の建物
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地下鉄への入り口
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先ずは交通機関の自動券売機へ
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この機械で交通券の1日利用できるチケットを8ユーロで購入
これで地下鉄やトラム・バスなど市内交通機関には乗り放題です。 -
一旦地上に戻って
出たところにあるのがフォルクスシアター -
リンク沿いを走るトラムに乗ってオペラ座へ
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オペラ座前で下車
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オペラ座
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オペラ座の西向かいにあるウィーンパス売り場へ
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ウィーン・ウェルカムセンターです。
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後日72時間のウィーンパスを利用するつもりなので、ここで購入
パスを入れるケースの付いたネックストラップと分厚いガイド本も一緒に渡してくれました。 -
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地下鉄のホームへの通路。
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通路の床にはこのようなプレートが。
スメタナ!?ってチェコの作曲家・指揮者・ピアニストですね。 -
緑色表示のU4ラインで終点まで行きます。
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10分少々でハイリゲンシュタットに到着
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駅近くのバス停からハイリゲンシュタットの中心地で降ろしてもらいました。
運転手さんにベートーベン記念館へ行きたいと言っておいたので、ここが一番近いよとのことで声をかけてくださいました。 -
さらに歩いていく方向も教えてもらって町歩き開始です。
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少し奥まった所にあったのがベートーベンファンが集まるホイリゲ
1817年の夏、ベートーベンがここに滞在し、「第九」を作曲したといわれているところだそうです。
ここで一休みしたいと思っていたのですが、開店時間(月~金:16:00~24:00; 土・日・祝日:12:00から)が合わずに素通りです。 -
MAYER AM PFARRPLATZ - Heuriger - Beethovenhaus - Weingut の看板
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すぐそばの教会もベートーベン関係の教会
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中はとってもシンプル
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閑静な住宅街の通りプロブスガッセを進みます。
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シックな壁絵のあるお宅
ローマの建国神話に登場するオオカミに育てられた双子のロムルスとレムスが描かれています。
ローマ市は紀元前753年4月21日にこの双子の兄弟によって建設されたと伝えられています。オーストリアのウィーン郊外で見られるとは思いませんでした。 -
クリスマス時期らしい飾り付けがさりげない♪
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そして路地の左側に見えてきたのが「ハイリゲンシュタット遺書の家」で、ベートーベン記念館として公開されています。
前の通りは石畳の取り替え工事中でした。 -
オーストリア国旗と同じ赤と白のリボンが観光スポットの目印。
22歳でウィーンにやってきたベートーヴェンは、死ぬまでの35年間をウィーンで過ごしました。ウィーンだけでも70回以上も住居を変えていて引越し魔としても知られています。そのうちの3つが博物館となっていて、ここハイリゲンシュタットの家も記念館として公開されているのです。 -
ベートーベン記念館内へ
疝痛(せんつう)と難聴に悩まされていたベートーヴェンは、湯治のため1802年5月から10月までここで過ごしました。というのもすぐ近くにハイリゲンシュタット温泉があり、湯治場として通いやすいという立地から、この家に住んでいたらしいのです。
館内には「ウィーンへ到着」「湯治」「作曲」「収入」「上演」「死後の名声」の6つの展示室があり、それぞれのテーマに沿って当時使用されていたものなどが展示されています。
この装置は黒い円盤の下にあるハンドルを回すとベートーベンの曲が聞こえてきます。 -
ハイリゲンシュタットでは1802年10月、ベートーベンが聴覚を失ったことに絶望し、弟と甥に宛てての手紙「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたことから「ハイリゲンシュタット」が広く知られるようになったといわれています。ところが、この手紙は実際は投函されず、私物の中に眠っていて、発見されたのは死後のことだったそうです。
この説明版にはピアノソナタの17番についての説明が書かれていました。 -
Wikipediaによりますと、20代後半頃より持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化。28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたためて自殺も考えた。しかし、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、ふたたび生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになったのだそうです。
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ベートーベンは1770年12月16日頃、ボンにおいて、宮廷歌手(テノール)であった父・ヨハンと、宮廷料理人の娘である母・マリア・マグダレーナの長男として生まれました。
幼少期から才能が認められ、音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまったとのこと。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳のときよりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事しました(Wikipediaより)。
「ウィーンへ到着」の展示室では、生まれ故郷のドイツのボンからウィーンへの道や、移動手段、ウィーンに到着してからの足取り、ハイリゲンシュタット周辺の住居などに関する展示で、18世紀の生活そのままが感じられる部屋です。 -
1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問した。しかし、最愛の母・マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)、その後はアルコール依存症となり失職した父に代わっていくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごしたそうです(Wikipediaより)。
苦労人だったのですね。 -
1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中でボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなくピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博したそうです(Wikipediaより)。
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このイヤホンも耳に当てるとベートーベンの曲が聞こえてきます。
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これは鍵盤の指示されたコードを押したら曲が聴こえてくる装置です。
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この小さな石畳で覆われた中庭を取り囲むように6つの展示室があります。
当時この建物は農家で、この辺りはブドウ畑に囲まれた牧歌的な風景が広がっていたそうです。 -
中庭からさらに奥にあるお庭へ
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奥の庭の中央に置かれているカタツムリ風の大きな装置からベートーベンの曲が流れています。
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裏へ回ってみるとこんな感じ
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お掃除のおじ様がいてくださるとこの大きさがわかっていただけるでしょうか。
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ベートーヴェンの住居のすぐ近くにハイリゲンシュタット温泉があり、ここに通いやすいという立地から、この場所に住んでいました。
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中庭に戻ってきて2階へ
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まさに温泉地ならではの展示が見られるのが「湯治」の部屋の展示。
温泉水や温泉施設、当時の温泉療法についての考え方などが詳しく、説明されています -
体調のすぐれないベートーベンに対して都会の騒音と喧騒の中で暮らすより郊外の自然の中で暮らすことを進めた医師の提言で、1802年4月にハイリゲンシュタットに移ったそうです。
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箱の中には6枚の風景画が描かれた板が収められていて、一枚引き出すとその絵に合わせたベートーベンの交響曲が流れるようになっていました。
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奥の部屋ではベートーヴェンが好んだ散歩のスタイルについての説明がありました。
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このスーツケースにはタマゴが展示してあります。
これは、ベートーヴェンが癇癪を起こして投げつけることがあったというエピソードにちなんでいるそうです。 -
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このような風景を眺めながら散歩していたのでしょうね。
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こちらは「作曲」の部屋。
ベートーヴェンが使用したオリジナルのピアノが展示されています。 -
ベートーベンが実際に使用していたピアノは以前パスクヴァラティハウスにありましたが、ハイリゲンシュタットの遺書の家の改修(2017年)に伴い、こちらに移動してたとのこと。
このピアノには、難聴だったベートーヴェン用に特別に作られた、金属の箱型の枠が取り付けられています。ピアノの音を聞こえやすくするためのスピーカーの役割を果たしたそうです。他にも補聴器なども展示されています。 -
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こちらの部屋はパトロンとの交友関係や演奏会、オペラ公演などについての展示があり、ミニコンサート会場のような感じになっています。
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「死後の名声」の展示室では、遺髪やデスマスク、ベートーヴェン像の模型なども展示されています。
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こちらがデスマスク
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ベートーヴェン最期の家はすでに取り壊されてしまっていて現在は別の建物が建っていて、この記念館にはその扉と床板が保存されているんだそうですが、見つけられませんでした。
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最後にお土産物コーナーに寄って
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ベートーベンだけでなく彼が憧れていたモーツァルトや、才能を認めて弟子にしてくれたハイドン、彼の葬儀にも参列したシューベルト、さらにはショパンたちのグッズがいろいろ置かれていました。
このあと、ベートーベンの散歩道へ向かいます。
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