2020/12/30 - 2020/12/30
1980位(同エリア9833件中)
Andresさん
- AndresさんTOP
- 旅行記39冊
- クチコミ1件
- Q&A回答2件
- 111,695アクセス
- フォロワー8人
ロンドングリニッジのすぐ西隣のDeptford。ヘンリー8世により造船所が造られて以来、海軍や交易で栄えた地区。今はアフリカ系(カリブ海含む)やベトナム移民が多く居住する多文化な地区となっている。
2020/12/30時点でロンドンは変異型コロナウイルス感染の拡大により厳しい外出制限がとられれいるが、You can continue to do unlimited exercise alone...ということで、運動がてら自転車でDeptford地区を訪れてみた。
エリアを周るにあたり参考にしたサイトは以下。
https://www.discoveringbritain.org/activities/greater-london/walks/london-deptford.html
https://www.youtube.com/watch?v=kQ9BWRIK46o&feature=emb_logo
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自転車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
Deptfordは基本造船や荷物の運搬等で働く人達が住む貧しいエリアであったらしい。しかし、この通りは中産階級の住む場所であったようだが、ハワイ諸島を発見したクック船長も滞在していたらしい
-
ロシアのピョートル大帝もここに滞在し、4か月程Deptfordに滞在し、海軍技術などについて学んでいる。西欧滞在が1697-1698年で長期滞在したのはアムステルダムの4か月くらいとイングランドで、当時の海の覇権国のオランダと勃興しつつあるイングランドをよく見たということなのだろう。
この像はロシアからの寄贈のようだが、いったい何頭身だ?というくらいデフォルメされている -
St Nicholas Churchというところで、少なくとも12世紀からはここにあった。
海賊の旗というと頭蓋骨に交差した骨のものが使われているが、起源はここらしい。エリザベス1世の時代の私掠船(海賊のようなもの)が旗印としてここから着想したと -
まさに海賊の旗印
このようにDeptfordと海との繋がりの跡は今でも見られるが、Deptfordは18世紀から徐々に衰退していった。船の巨大化につれてテムズ川での航行が難しくなり、外海に面しているプリマス、ポーツマス、チャタムの方が競争上有利になっていったらしい。それにより徐々に軍艦の造船から交易にシフトしていったらしい。18世紀辺りからアメリカ大陸やインドなどとの交易が拡大していったが、その需要に応えたものなのかもしれない。 -
1836年にはイギリス東南端のドーバーとロンドンを結ぶことを目的にDeptford駅が開かれたが、Deptfordからロンドンブリッジにかけて線路が高架となっている。Deptfordの水路の上も通っており、船が通る際には持ち上がる仕組みになっている。
写真よりも以下の動画の方が見やすい
https://youtu.be/kQ9BWRIK46o?t=874 -
およそ180年前に築かれた高架の上を未だに列車が通っているとは歴史を感じさせられる。
-
この高架はロンドンブリッジまで続いていて、ロンドンブリッジ近くの高架下にクラフトビール屋がたくさんあったり、モルトビーストリートマーケットが開催されていたりと、新しいもの好きなロンドナーなどが集まる場所となっている。
その場所となっている高架には180年ほどの歴史がある。 -
Deptfordの辺りはロンドン中心からやや離れていることもあってか、高架下は商業地として利用されるというより、アートに溢れるところもあったりする。落書きではない。
-
こちらは19世紀中頃に建てられた下水処理場。当時のロンドンは都市化や工業化が進みテムズ川はかなり臭かったらしい。今でも現役稼働している。機械とかはもちろん入れ替えているだろうけど今も現役稼働とは凄い。
-
こちらは世界初の大規模発電所跡地らしい。テムズ川から石炭を荷揚げするのにも便利だった。東インド会社が利用していたが使われなくなった土地でもあるらしい。
-
Sebastian Ziani de Ferrantiという人がチーフエンジニアで、1890年に稼働開始した発電所
-
こちらは第二次大戦時に担架として使われていたものが、柵に再利用されたものらしい。イメージはこちら
https://youtu.be/kQ9BWRIK46o?t=1379 -
Deptfordは徐々に衰退していくが、1871年から1次大戦時には家畜市場として使われたエリアがあり、2次大戦時までは軍需物資の供給地として利用されていたとか。一部エリアは再開発されたようだが、今でも広大な敷地が空き地となっているように見える。
-
この建物があったエリアはビクトリア朝時代は貧困地区であったらしい。この建物は1920年代に再開発され建てられたもの。
-
今では川沿いを中心にモダンな住居などが建てられているところもある
-
The Dog & Bellというパブ。1741年からあったらしい。海軍や交易で働く者達もここで飲んでいたのだろうか
-
Covid-19の状況が厳しい中、tier 2という比較的緩い規制下に置かれた場合でもパブの運営は実行可能でないとして閉めると。ロンドンがtier 2という比較的緩い制限下に置かれていた時には開いているパブはあったが、このパブは閉めるという判断をしている
-
Deptfordの繁華街。アフリカ系(カリブ海含む)の人が多いように思えるが、かなり多文化なエリア
-
Deptfordはベトナム系の店も目立つが、DeptfordがあるLewisham地区では、2番目にメジャーな言語がベトナム語らしい。多くはベトナム戦争に起因してイギリスに来たようだが、アメリカやフランスなどの国と比べると移民数は少ない
-
Deptfordは中国からの移民も少なからずいて、ベトナムからの移民を助けただろうと。
Deptfordに中国系の人が多い理由は不明だが、同じテムズ川沿いの倉庫地区であったWapping地区のように、19世紀に交易に従事していた中国人が住み着いたのかもしれない。Wapping地区の中国系の人達は第二次大戦の頃に倉庫地区へ集中する爆撃から逃れるためにソーホーに移る人もいて中華街を形成した。 -
お昼ご飯にMamas Jerkという所で買ったJerk Chickenを食べる。骨なしで食べやすくピリ辛のソースが美味しい。豆ごはんがおそらくココナッツと一緒に炊かれたんじゃないかと思う風味があり、その点も良かった。
ロンドンは世界中の料理が食べられるのが良いが、Deptfordもかなり多様 -
Deptford駅の高架下にはMamas Jerkを含むお洒落そうな店が入っている。ここもショーディッチやハックニーみたいなお洒落エリアになっていくのかもしれない。
Deptford、海に関係する歴史あり、現在は多文化ありの面白いエリアだった。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ロンドン(イギリス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
22