マチュピチュ周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。<br /><br /> マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。<br /><br /> デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br /><br />帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~<br />(26/08/2000-29/09/2000)<br /><br />テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~<br />(29/08/2000-09/09/2000)<br /><br />マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~<br />(09/09/2000-19/09/2000)<br /><br />中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~<br />(19/09/2000-23/09/2000)<br /><br />軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~<br />(23/09/2000-28/09/2000)<br /><br />世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~<br />(28/09/2000-30/09/2000)<br /><br />フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~<br />(30/09/2000-06/10/2000)<br /><br />謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~<br />(07/10/2000-10/10/2000)<br /><br />古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~<br />(11/10/2000-16/10/2000)<br /><br />遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~<br />(17/10/2000-20/10/2000)<br /><br />【スケジュール】<br />2000年<br />08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊<br />08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊<br />08/28 サンディエゴ泊<br />08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~<br />08/30 ~ラパス泊<br />08/31 ラパス~<br />09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊<br />09/02 グアダラハラ~<br />09/03 ~メキシコシティ泊<br />09/04 メキシコシティ泊<br />09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊<br />09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊<br />09/07 メキシコシティ~<br />09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~<br />09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊<br />09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊<br />09/11 アンティグア泊<br />09/12 アンティグア泊<br />09/13 アンティグア泊<br />09/14 アンティグア泊<br />09/15 アンティグア泊<br />09/16 アンティグア泊<br />09/17 アンティグア~パナハッチェル泊<br />09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊<br />09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊<br />09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊<br />09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊<br />09/22 マナグア泊<br />09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊<br />09/24 サンホセ泊<br />09/25 サンホセ~モンテベルデ泊<br />09/26 モンテベルデ泊<br />09/27 モンテベルデ~サンホセ泊<br />09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊<br />09/29 パナマシティ泊<br />09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊<br />10/01 リマ泊<br />10/02 リマ泊<br />10/03 リマ泊<br />10/04 リマ~イキトス泊<br />10/05 イキトス泊<br />10/06 イキトス~リマ~<br />10/07 ~ナスカ~<br />10/08 ~アレキパ~<br />10/09 ~プーノ泊<br />10/10 プーノ泊<br />10/11 プーノ~クスコ泊<br />10/12 クスコ泊<br />10/13 クスコ泊<br />10/14 クスコ~マチュピチュ泊<br />10/15 マチュピチュ~クスコ泊<br />10/16 クスコ泊<br />10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊<br />10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊<br />10/19 ロサンジェルス~<br />10/20 ~成田空港

【復刻版】ラテンアメリカ縦断日記 11 古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市 ~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~

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2000/10/11 - 2000/10/16

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Miyatan

Miyatanさん

 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。

 マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。

 デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。


帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~
(26/08/2000-29/09/2000)

テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~
(29/08/2000-09/09/2000)

マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~
(09/09/2000-19/09/2000)

中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~
(19/09/2000-23/09/2000)

軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~
(23/09/2000-28/09/2000)

世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~
(28/09/2000-30/09/2000)

フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~
(30/09/2000-06/10/2000)

謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~
(07/10/2000-10/10/2000)

古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~
(11/10/2000-16/10/2000)

遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~
(17/10/2000-20/10/2000)

【スケジュール】
2000年
08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊
08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊
08/28 サンディエゴ泊
08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~
08/30 ~ラパス泊
08/31 ラパス~
09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊
09/02 グアダラハラ~
09/03 ~メキシコシティ泊
09/04 メキシコシティ泊
09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊
09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊
09/07 メキシコシティ~
09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~
09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊
09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊
09/11 アンティグア泊
09/12 アンティグア泊
09/13 アンティグア泊
09/14 アンティグア泊
09/15 アンティグア泊
09/16 アンティグア泊
09/17 アンティグア~パナハッチェル泊
09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊
09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊
09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊
09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊
09/22 マナグア泊
09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊
09/24 サンホセ泊
09/25 サンホセ~モンテベルデ泊
09/26 モンテベルデ泊
09/27 モンテベルデ~サンホセ泊
09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊
09/29 パナマシティ泊
09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊
10/01 リマ泊
10/02 リマ泊
10/03 リマ泊
10/04 リマ~イキトス泊
10/05 イキトス泊
10/06 イキトス~リマ~
10/07 ~ナスカ~
10/08 ~アレキパ~
10/09 ~プーノ泊
10/10 プーノ泊
10/11 プーノ~クスコ泊
10/12 クスコ泊
10/13 クスコ泊
10/14 クスコ~マチュピチュ泊
10/15 マチュピチュ~クスコ泊
10/16 クスコ泊
10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊
10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊
10/19 ロサンジェルス~
10/20 ~成田空港

  • 10月11日(水)<br /> 八時発のクスコ行きの列車に乗る。ツーリスモインカという一番いい車両に乗る。最上級クラスの割には…という感じだった。それに加えて、あれほど旅行会社に念を押したにもかかわらず、指定席は窓側ではなかった。隣の席にはおばちゃん連中がたむろしていて、無理矢理席代われという事になり、窓側の進行方向右側という理想的な席を確保することが出来た。<br /><br /> やがて鐘の音と共に列車はプーノの駅を出発。右側にはティティカカ湖が眼下に見える。やがてティティカカ湖の姿が見えなくなると、高原地帯にわずかに草が生え、羊の群れが放牧されているような風景が延々と続く。豊かな自然というよりも厳しい自然の姿というものを見せられたような気がする。しばらくすると建物が増え始め、フリアカの駅に到着。しばらく停車した後、列車は出発。日本の列車と違い本当にたまにしか走らないためだろうか、線路の横には普通に店が建ち並ぶ。生活の匂いと言う物をひた感じる。列車に向けて手を振る子供たち。その瞳は純真そのものであろう。<br /><br />  また同じような草原地帯が広がる。羊だけではなくアルパカやリャマや牛などを放牧している。民族衣装をまとった人たちの姿が時折見られる。標高が次第にあがっていく。ほんのわずかとはいえ雪が降り積もり、白い絨毯が一面を覆う。それほど厳しい環境下でも人々は生きている。日干し煉瓦の家や倉庫や壁が多い。土を干しただけの家にどうやって住めるのかと思ってしまう。時折少し大きな町に止まっては、地元の人たちが物を売りに来る。<br /><br /> そんな事を繰り返しつつも列車は進んでいく。やがて日が暮れる。辺り一面に明かりが灯り出した頃、間もなく終点クスコに到着というアナウンスがある。クスコの駅に到着後、タクシーに乗る。目指すはペンション花田という日本人宿。初めは3ソルだといってきた。アルマス広場に到着。インカの神殿跡に建てられたという巨大で美しいカテドラルに圧倒される。タクシーの運転手が急に5ソルに値上げしてきた。場所がわからずにうろうろしだす。やっとついたと思ったら、こんなに苦労したんだからと10ソル払えと言い出す。5ソル払うと少ないと文句を言う。無視していると7ソルになった。入り口に入り込んでひたすら無視して逃げた。日本人宿と聞いていたのに、ペルー人女性が出てきて少々戸惑う。でもやがて日本人男性と会う。彼は自転車で旅をしているらしい。なんとも去年の夏にアンカレッジから旅を始めたとか。

    10月11日(水)
     八時発のクスコ行きの列車に乗る。ツーリスモインカという一番いい車両に乗る。最上級クラスの割には…という感じだった。それに加えて、あれほど旅行会社に念を押したにもかかわらず、指定席は窓側ではなかった。隣の席にはおばちゃん連中がたむろしていて、無理矢理席代われという事になり、窓側の進行方向右側という理想的な席を確保することが出来た。

     やがて鐘の音と共に列車はプーノの駅を出発。右側にはティティカカ湖が眼下に見える。やがてティティカカ湖の姿が見えなくなると、高原地帯にわずかに草が生え、羊の群れが放牧されているような風景が延々と続く。豊かな自然というよりも厳しい自然の姿というものを見せられたような気がする。しばらくすると建物が増え始め、フリアカの駅に到着。しばらく停車した後、列車は出発。日本の列車と違い本当にたまにしか走らないためだろうか、線路の横には普通に店が建ち並ぶ。生活の匂いと言う物をひた感じる。列車に向けて手を振る子供たち。その瞳は純真そのものであろう。

     また同じような草原地帯が広がる。羊だけではなくアルパカやリャマや牛などを放牧している。民族衣装をまとった人たちの姿が時折見られる。標高が次第にあがっていく。ほんのわずかとはいえ雪が降り積もり、白い絨毯が一面を覆う。それほど厳しい環境下でも人々は生きている。日干し煉瓦の家や倉庫や壁が多い。土を干しただけの家にどうやって住めるのかと思ってしまう。時折少し大きな町に止まっては、地元の人たちが物を売りに来る。

     そんな事を繰り返しつつも列車は進んでいく。やがて日が暮れる。辺り一面に明かりが灯り出した頃、間もなく終点クスコに到着というアナウンスがある。クスコの駅に到着後、タクシーに乗る。目指すはペンション花田という日本人宿。初めは3ソルだといってきた。アルマス広場に到着。インカの神殿跡に建てられたという巨大で美しいカテドラルに圧倒される。タクシーの運転手が急に5ソルに値上げしてきた。場所がわからずにうろうろしだす。やっとついたと思ったら、こんなに苦労したんだからと10ソル払えと言い出す。5ソル払うと少ないと文句を言う。無視していると7ソルになった。入り口に入り込んでひたすら無視して逃げた。日本人宿と聞いていたのに、ペルー人女性が出てきて少々戸惑う。でもやがて日本人男性と会う。彼は自転車で旅をしているらしい。なんとも去年の夏にアンカレッジから旅を始めたとか。

  •  夜のクスコの町へと繰り出す。レストランで何人もの客引きのお姉さんやお兄さんに腕を引かれる。メニューを見せてうちへ来ななんて、楽しい光景である。フォルクローレの生演奏ありで、南米へ来たという実感が沸くと共に、南米に来てよかったと思えた。ピスコサワーというお酒を一口飲む。美味しいがかなり強い。ただ病気が完治しておらず、少ししか飲めなかったのが残念…。

     夜のクスコの町へと繰り出す。レストランで何人もの客引きのお姉さんやお兄さんに腕を引かれる。メニューを見せてうちへ来ななんて、楽しい光景である。フォルクローレの生演奏ありで、南米へ来たという実感が沸くと共に、南米に来てよかったと思えた。ピスコサワーというお酒を一口飲む。美味しいがかなり強い。ただ病気が完治しておらず、少ししか飲めなかったのが残念…。

  • 10月12日(木)<br /> 本来ならピサックの木曜市が開催されている曜日であった。本来ならそこへ行く予定であった。だが一斉にストが行われたために行けなかった。昨日旅行会社に問い合わせたところ、殆どの交通機関が閉鎖されていて、動いているのは馬くらいだそうだといわれた。それゆえに馬で郊外の遺跡を回るツアーに参加することにした。<br /><br /> 朝8:30集合だったので、8:25くらいに行った。実を言うと時計の調子が悪くて、20分遅れていて、行ったら8:45だった。待っていてくれて少々助かった。ドイツ人の女性二人とガイドの四人で出発。まずはサクサイワマンの遺跡に行く。インカの要塞跡らしい。なかなか見事な石組みである。その後馬に乗る。初めのうちは結構恐かったが、慣れると楽しかった。馬に乗ってどこか遠い町を旅したい。そんな旅もいいかな。突然駆け足になったり、せせらぎを見つけると急に首を下げて水を飲んだりとなかなか気まぐれで、バランスを取るのも大変である。それでも嫌な顔一つせずに僕を運んでくれている馬ってなんて偉大な動物なんだと少し感動する。

    10月12日(木)
     本来ならピサックの木曜市が開催されている曜日であった。本来ならそこへ行く予定であった。だが一斉にストが行われたために行けなかった。昨日旅行会社に問い合わせたところ、殆どの交通機関が閉鎖されていて、動いているのは馬くらいだそうだといわれた。それゆえに馬で郊外の遺跡を回るツアーに参加することにした。

     朝8:30集合だったので、8:25くらいに行った。実を言うと時計の調子が悪くて、20分遅れていて、行ったら8:45だった。待っていてくれて少々助かった。ドイツ人の女性二人とガイドの四人で出発。まずはサクサイワマンの遺跡に行く。インカの要塞跡らしい。なかなか見事な石組みである。その後馬に乗る。初めのうちは結構恐かったが、慣れると楽しかった。馬に乗ってどこか遠い町を旅したい。そんな旅もいいかな。突然駆け足になったり、せせらぎを見つけると急に首を下げて水を飲んだりとなかなか気まぐれで、バランスを取るのも大変である。それでも嫌な顔一つせずに僕を運んでくれている馬ってなんて偉大な動物なんだと少し感動する。

  •  次に着いたのは、ケンコーという遺跡。岩を削って作られていて、日本では飛鳥時代の石舞台古墳を思い起こさせるものである。中にはトンネルもあり、宗教的役割を果たしていたのだという。プカプカラの遺跡は石で出来た壁のようなものである。タンボマチャイの遺跡は、インカ時代は沐浴場だったそうだ。何処が源泉なのかよくわからないが水が湧き出ている。聖なる水と呼ばれているが、未だに源はよくわかっておらず、飲むのはやめた。そして町へと戻る。馬は確かに長く乗っているとお尻が痛くなるが、のんびりと動くには快適な乗り物だと思う。ドイツ人の彼女が言うには、ストで殆ど止まっていて、静かで安全で快適だと語る。確かにそうだ。車のないインカの遺跡を旅した僕らは、ほんの少しだけタイムスリップしたような、そんな世界に浸れた。 そんな彼女は西・英・仏・独の合計四ヶ国語を操る才女でもある。<br /><br /> 宿に戻ったら新しいお客さんが二人来ていた。昨日から一緒のサイクリストの彼は、情勢が回復するのを見守ってもう一泊することにしたそうだ。夜は四人で夕食を食べに町に繰り出す。何処からともなく現れたフォルクローレ楽団。奏でられる音楽。なかなか心地よい。アルマス広場に繰り出すと、若い客引き集団を相手に会話が弾む。日に日に広場の客引きとも顔なじみになり、楽しい夜は続くことを祈る。

     次に着いたのは、ケンコーという遺跡。岩を削って作られていて、日本では飛鳥時代の石舞台古墳を思い起こさせるものである。中にはトンネルもあり、宗教的役割を果たしていたのだという。プカプカラの遺跡は石で出来た壁のようなものである。タンボマチャイの遺跡は、インカ時代は沐浴場だったそうだ。何処が源泉なのかよくわからないが水が湧き出ている。聖なる水と呼ばれているが、未だに源はよくわかっておらず、飲むのはやめた。そして町へと戻る。馬は確かに長く乗っているとお尻が痛くなるが、のんびりと動くには快適な乗り物だと思う。ドイツ人の彼女が言うには、ストで殆ど止まっていて、静かで安全で快適だと語る。確かにそうだ。車のないインカの遺跡を旅した僕らは、ほんの少しだけタイムスリップしたような、そんな世界に浸れた。 そんな彼女は西・英・仏・独の合計四ヶ国語を操る才女でもある。

     宿に戻ったら新しいお客さんが二人来ていた。昨日から一緒のサイクリストの彼は、情勢が回復するのを見守ってもう一泊することにしたそうだ。夜は四人で夕食を食べに町に繰り出す。何処からともなく現れたフォルクローレ楽団。奏でられる音楽。なかなか心地よい。アルマス広場に繰り出すと、若い客引き集団を相手に会話が弾む。日に日に広場の客引きとも顔なじみになり、楽しい夜は続くことを祈る。

  • 10月13日(金)<br /> 結局同じ宿の同じ部屋のTさんと一緒にマチュピチュにいくことになったので、列車のチケットを取りに行った。昨日の馬ツアーを手配してくれた会社にまた頼んで、無事にチケットが取れた。

    10月13日(金)
     結局同じ宿の同じ部屋のTさんと一緒にマチュピチュにいくことになったので、列車のチケットを取りに行った。昨日の馬ツアーを手配してくれた会社にまた頼んで、無事にチケットが取れた。

  •  その後一旦宿に戻り、またクスコ周辺の観光地の周遊券を持って町に繰り出した。最初にサンブラス教会に行き、そのままアトゥン、ルミヨク通りにある12角の石を探した。インカ帝国は「剃刀の刃一本すら通さない」とさえ言われた石材建築の技術を持っていたそうである。12角もある石を他の石と組み合わせて、頑丈な石組みを作った壁が一ヶ所だけあり、実際にこの12角に関しては諸説があるそうである。

     その後一旦宿に戻り、またクスコ周辺の観光地の周遊券を持って町に繰り出した。最初にサンブラス教会に行き、そのままアトゥン、ルミヨク通りにある12角の石を探した。インカ帝国は「剃刀の刃一本すら通さない」とさえ言われた石材建築の技術を持っていたそうである。12角もある石を他の石と組み合わせて、頑丈な石組みを作った壁が一ヶ所だけあり、実際にこの12角に関しては諸説があるそうである。

  •  その後はロレト通りを歩いていた。特にインカ時代の石組みが残っている場所で、独特の雰囲気があった。本当にインカの石組みは見事なものだと感心しつつなんとなく後ろを振り返ったら、どこかで見たことのある人影を発見した。ナスカからアレキパまで一緒にお供していただいたUさんだった。彼はカニョン・デル・コルカのツアーの後でクスコに向かうと聞いていたので、もしかしたら再び会うかもしれないと思っていたが、再会を果たすことになった。一緒にいた、Uさんがツアーで知り合ったというフランス人と三人で市内観光に行くことになった。まず最初にサント・ドミンゴ教会へ入った。インカ帝国時代はコリカンチャと呼ばれた太陽の神殿で、かつては壁や庭中に金箔が施され、金でできた祭壇や畑があったらしい。ここの石組みもまた本当にも誤とで、ありし日の栄光のインカ帝国の日々を想像して思い描くことにできないのが非常に残念である。征服者スペインの書物の記録に残るインカ帝国、帝国というものの他の部族を纏め上げて出来た国で、それゆえに政治や支配はうまくいっていたそうである。一体どんな国だったのだろうか。<br /><br /> その後宗教芸術博物館、カテドラル、などに行った。カテドラルは概観も壮大ながら、内部に施された装飾もまた立派なものであった。銀300tを使ったという祭壇は、美しく壮大だった。地下室には何か大切そうに飾られている宝箱があった。一体中身はなんだろうか。摩訶不思議である。<br /><br /> しばらく三人でお茶してから、一旦別れ、夜はUさんと一緒に食事をした。彼には色々とお世話になった。地元で開こうとしている店が繁盛してくれることを祈るのみである。<br /><br />

     その後はロレト通りを歩いていた。特にインカ時代の石組みが残っている場所で、独特の雰囲気があった。本当にインカの石組みは見事なものだと感心しつつなんとなく後ろを振り返ったら、どこかで見たことのある人影を発見した。ナスカからアレキパまで一緒にお供していただいたUさんだった。彼はカニョン・デル・コルカのツアーの後でクスコに向かうと聞いていたので、もしかしたら再び会うかもしれないと思っていたが、再会を果たすことになった。一緒にいた、Uさんがツアーで知り合ったというフランス人と三人で市内観光に行くことになった。まず最初にサント・ドミンゴ教会へ入った。インカ帝国時代はコリカンチャと呼ばれた太陽の神殿で、かつては壁や庭中に金箔が施され、金でできた祭壇や畑があったらしい。ここの石組みもまた本当にも誤とで、ありし日の栄光のインカ帝国の日々を想像して思い描くことにできないのが非常に残念である。征服者スペインの書物の記録に残るインカ帝国、帝国というものの他の部族を纏め上げて出来た国で、それゆえに政治や支配はうまくいっていたそうである。一体どんな国だったのだろうか。

     その後宗教芸術博物館、カテドラル、などに行った。カテドラルは概観も壮大ながら、内部に施された装飾もまた立派なものであった。銀300tを使ったという祭壇は、美しく壮大だった。地下室には何か大切そうに飾られている宝箱があった。一体中身はなんだろうか。摩訶不思議である。

     しばらく三人でお茶してから、一旦別れ、夜はUさんと一緒に食事をした。彼には色々とお世話になった。地元で開こうとしている店が繁盛してくれることを祈るのみである。

  • (クスコの街並み)<br />

    (クスコの街並み)

  • (民族衣装の地元の少女たち 写真撮ってください、1ソルです と日本語で言われた) 

    (民族衣装の地元の少女たち 写真撮ってください、1ソルです と日本語で言われた) 

  • (クスコの街並み)

    (クスコの街並み)

  • (クスコの街並み)

    (クスコの街並み)

  • (地元のおばちゃん)

    (地元のおばちゃん)

  • (クスコの街並み)

    (クスコの街並み)

  • 10月14日(土)<br /> マチュピチュ行きの列車に乗る。運良く進行方向左側の座席になった。やがて列車は発車する。しばらくクスコの町並みを眼下に望みながら列車は坂道を登っていく。と思ったら、突然列車が止まった。何が起こったのかと思っていると、列車は逆方向に走りだし、さらに山道を登りだした。スイッチバックだったのだ。さらに山道を登り、クスコの町並みが真下に広がり美しい。合計四回進行方向が変わった。五段式スイッチバックだった。最初からビックリである。やがてクスコの町並みとおさらばすると列車はくねくねと時にはヘアピンカーブを曲がりつつ、牧草地や煉瓦造りの家や壁を眺めつつ山道を下っていく。そのうちに列車は川に沿いながら進む。両側には尖ったような岩山が広がる。アグアスカリエンテス駅に列車が到着し、マチュピチュ行きのバスに乗り込む。何回もカーブを曲がりつつも山道を登り、マチュピチュに到着。

    10月14日(土)
     マチュピチュ行きの列車に乗る。運良く進行方向左側の座席になった。やがて列車は発車する。しばらくクスコの町並みを眼下に望みながら列車は坂道を登っていく。と思ったら、突然列車が止まった。何が起こったのかと思っていると、列車は逆方向に走りだし、さらに山道を登りだした。スイッチバックだったのだ。さらに山道を登り、クスコの町並みが真下に広がり美しい。合計四回進行方向が変わった。五段式スイッチバックだった。最初からビックリである。やがてクスコの町並みとおさらばすると列車はくねくねと時にはヘアピンカーブを曲がりつつ、牧草地や煉瓦造りの家や壁を眺めつつ山道を下っていく。そのうちに列車は川に沿いながら進む。両側には尖ったような岩山が広がる。アグアスカリエンテス駅に列車が到着し、マチュピチュ行きのバスに乗り込む。何回もカーブを曲がりつつも山道を登り、マチュピチュに到着。

  • (五段式スイッチバック)

    (五段式スイッチバック)

  • (マチュピチュボーイ)

    (マチュピチュボーイ)

  • (マチュピチュボーイ)

    (マチュピチュボーイ)

  •  人目見た瞬間言葉を失う。周囲には同じように険しい岩山が広がる。こんな険しい山にもかかわらず、巨大な都市国家が、下からは確認できないようなところに作られているなんて。建物の一つ一つがどのように活用されていたのかは推測に頼るしかないにせよ、少なくともここで人々が生活を営んでいてことは確かなのだから。

     人目見た瞬間言葉を失う。周囲には同じように険しい岩山が広がる。こんな険しい山にもかかわらず、巨大な都市国家が、下からは確認できないようなところに作られているなんて。建物の一つ一つがどのように活用されていたのかは推測に頼るしかないにせよ、少なくともここで人々が生活を営んでいてことは確かなのだから。

  •  どうやってこれだけの石材建築を作ったのだろうか。なぜこのような山の頂上に都市を作り、そこで生きていた人たちはどこに行ってしまったのか。

     どうやってこれだけの石材建築を作ったのだろうか。なぜこのような山の頂上に都市を作り、そこで生きていた人たちはどこに行ってしまったのか。

  • (記念の一枚)

    (記念の一枚)

  • (マチュピチュとアルパカ)

    (マチュピチュとアルパカ)

  •  とにかく遺跡は広くて複雑で迷子になりそうだった。日本人の三人組の女の子も来ていて、そのうちの一人の元洋服販売員の「マチュピチュのおばさん」こと徳子さんと仲良くなった。そしてリマやプーノやイキトスでも会ったあのドイツ人軍団とも再会した。

     とにかく遺跡は広くて複雑で迷子になりそうだった。日本人の三人組の女の子も来ていて、そのうちの一人の元洋服販売員の「マチュピチュのおばさん」こと徳子さんと仲良くなった。そしてリマやプーノやイキトスでも会ったあのドイツ人軍団とも再会した。

  • (記念の一枚)

    (記念の一枚)

  •  そして帰りのバス、噂のグッバイボーイがいた。バスが坂道を下りだすと、子供は会談を駆け下りてバス道を階段の合流する辺りでチャスキ姿の子供が「グッバーイ!!!」と大声で叫びだす。とにかくその子供の早いこと。いっしょのバスの乗客も感心していた。<br /><br /> その後アグアスカリエンテスの温泉に行く。そもそもここの駅名「アグアスカリエンテス」が、スペイン語で「温泉」の意味である。温泉といっても水着着用の温水プールである。現地の人たちは泳いだり潜ったりとはしゃぎまわっている。同じ宿の人材会社の人とも一緒になったし、徳子さんとも一緒になった。<br /><br /> マチュピチュ、今回の旅のフィナーレを飾るに相応しいその姿は、永遠に記憶に残るだろう。<br /><br />

     そして帰りのバス、噂のグッバイボーイがいた。バスが坂道を下りだすと、子供は会談を駆け下りてバス道を階段の合流する辺りでチャスキ姿の子供が「グッバーイ!!!」と大声で叫びだす。とにかくその子供の早いこと。いっしょのバスの乗客も感心していた。

     その後アグアスカリエンテスの温泉に行く。そもそもここの駅名「アグアスカリエンテス」が、スペイン語で「温泉」の意味である。温泉といっても水着着用の温水プールである。現地の人たちは泳いだり潜ったりとはしゃぎまわっている。同じ宿の人材会社の人とも一緒になったし、徳子さんとも一緒になった。

     マチュピチュ、今回の旅のフィナーレを飾るに相応しいその姿は、永遠に記憶に残るだろう。

  • 10月15日(日)<br /> 朝食を取ってから再びマチュピチュに向かう。まず最初にインカの橋をいうところに向かう。がしかしそこに行く手前に架かる橋が崩れ落ちていて、遠くから眺めるだけにとどまった。崖に沿ってマチュピチュへ向かう道があり、一箇所だけ道を途絶えさせて、その上に木の橋をかけて、敵が来襲したら橋を落とす仕組みになっている。

    10月15日(日)
     朝食を取ってから再びマチュピチュに向かう。まず最初にインカの橋をいうところに向かう。がしかしそこに行く手前に架かる橋が崩れ落ちていて、遠くから眺めるだけにとどまった。崖に沿ってマチュピチュへ向かう道があり、一箇所だけ道を途絶えさせて、その上に木の橋をかけて、敵が来襲したら橋を落とす仕組みになっている。

  •  その後、マチュピチュを見下ろしてみることができるワイナピチュに登ろうとしたら、昨日会った徳子さんにまた会い、三人で登ることにした。見るからに険しそうな山だったが、世界各地の結構年を取ったような方々も頑張って登り終えていることだし、僕らに出来ないはずはない、そう考えて励ましあって登る。27歳の徳子さんは「おばちゃん、体力がないから」なんて何度も弱音を吐いていたので、かなり心配だったので一緒に付き合って登ることにした。本当に急な山道で、ロープに捕まったり岩を攀じ登ったり、挙句の果てには岩のトンネルをくぐったりと、そんな事をしながら山道を登る。外から見たのと同様、やはり険しい山だった。それでも何とか登りつめる。頂上から見るマチュピチュは、苦労して登った甲斐があった、そんな感じだった。下から存在が確認できないからと呼ばれた空中都市。更に上から見ると、こんな険しい山の頂上にこれだけの都市をどうやって作ったのだろうかという謎が深まるばかりである。その偉大さにただ圧倒されるばかりである。

     その後、マチュピチュを見下ろしてみることができるワイナピチュに登ろうとしたら、昨日会った徳子さんにまた会い、三人で登ることにした。見るからに険しそうな山だったが、世界各地の結構年を取ったような方々も頑張って登り終えていることだし、僕らに出来ないはずはない、そう考えて励ましあって登る。27歳の徳子さんは「おばちゃん、体力がないから」なんて何度も弱音を吐いていたので、かなり心配だったので一緒に付き合って登ることにした。本当に急な山道で、ロープに捕まったり岩を攀じ登ったり、挙句の果てには岩のトンネルをくぐったりと、そんな事をしながら山道を登る。外から見たのと同様、やはり険しい山だった。それでも何とか登りつめる。頂上から見るマチュピチュは、苦労して登った甲斐があった、そんな感じだった。下から存在が確認できないからと呼ばれた空中都市。更に上から見ると、こんな険しい山の頂上にこれだけの都市をどうやって作ったのだろうかという謎が深まるばかりである。その偉大さにただ圧倒されるばかりである。

  • (アルパカのげっぷを浴びる 笑)

    (アルパカのげっぷを浴びる 笑)

  • (記念の一枚)

    (記念の一枚)

  • (記念の一枚)

    (記念の一枚)

  • (ワイナピチュからマチュピチュを望む)

    (ワイナピチュからマチュピチュを望む)

  •  山から下るときは、頂上で知り合ったコロンビア大のアメリカ人デビッドと一緒に四人で山を下った。徳子さんがデビッドに、アメリカの映画とか音楽こととか色々と聞いていた。デビッドは美術専攻だったらしく、ニューヨークのメトロポリタン美術館には100回以上も行ったことがあるらしい。ワイナピチュから戻るとペルーの修学旅行の子供たちに遭遇した。徳子さんがふざけまわっていた。

     山から下るときは、頂上で知り合ったコロンビア大のアメリカ人デビッドと一緒に四人で山を下った。徳子さんがデビッドに、アメリカの映画とか音楽こととか色々と聞いていた。デビッドは美術専攻だったらしく、ニューヨークのメトロポリタン美術館には100回以上も行ったことがあるらしい。ワイナピチュから戻るとペルーの修学旅行の子供たちに遭遇した。徳子さんがふざけまわっていた。

  •  その後二人と別れて簡単に食事を取ってから列車に乗る。先程の修学旅行集団と同じ車両になった。初めはうるさいかなと思う。隣りの席に座っていたアメリカ人のミゲルと仲良くなる。向かいの席にはジーナとメリーナという11歳の女の子が二人座っていた。ふとしたことがきっかけで、彼女たちとその学校の子供たちと打ち解ける。子供たちはアヤクージョという町の学校に通っていて、英語が本当に少しだけ話せた。その街の三月の終わりのカルナバルでは、水風船みたいなものを投げあったり、本当に盛大なお祭りが開かれるそうである。子供たちに日本語を教えたりもした。「ワタシハアナタヲアイシテイル」なんて、大合唱。一人一人の子供たちの名前を聞いていると、指差してこいつはこの娘が好きなんだよなんてみんなではしゃぎたてて、当の本人は少し照れながらも違うよなんて否定したり、写真をとってみたり、ケチュア語を教えてもらったりと、我を忘れたように子供に戻ったようにはしゃいでいた。駅に着いて子供たちと別れるとき、少し寂しかった…。<br /><br />

     その後二人と別れて簡単に食事を取ってから列車に乗る。先程の修学旅行集団と同じ車両になった。初めはうるさいかなと思う。隣りの席に座っていたアメリカ人のミゲルと仲良くなる。向かいの席にはジーナとメリーナという11歳の女の子が二人座っていた。ふとしたことがきっかけで、彼女たちとその学校の子供たちと打ち解ける。子供たちはアヤクージョという町の学校に通っていて、英語が本当に少しだけ話せた。その街の三月の終わりのカルナバルでは、水風船みたいなものを投げあったり、本当に盛大なお祭りが開かれるそうである。子供たちに日本語を教えたりもした。「ワタシハアナタヲアイシテイル」なんて、大合唱。一人一人の子供たちの名前を聞いていると、指差してこいつはこの娘が好きなんだよなんてみんなではしゃぎたてて、当の本人は少し照れながらも違うよなんて否定したり、写真をとってみたり、ケチュア語を教えてもらったりと、我を忘れたように子供に戻ったようにはしゃいでいた。駅に着いて子供たちと別れるとき、少し寂しかった…。

  • (地元の子供たちと)

    (地元の子供たちと)

  • (地元の子供たち)<br /><br />10月16日(月)<br /> クスコ最後の一日。ペルー最後の一日というよりも、今回の旅のフィナーレを飾る一日。昨日、一昨日のマチュピチュで観光のハイライトは過ぎたので、今日はクスコの残りの観光と買い物と、その他に一日を費やすことにした。<br /><br /> 観光周遊券の残りのうち、クスコ市街になるところに焦点を絞って観光することにした。まず最初にサンタ・カタリナ修道院の中にある博物館に行く。宗教画の博物館である。個人的にはなぜだか、キリスト教の宗教画というものにはあまり惹かれない。<br /><br /> 昼食を取った後でCDを探す。今回の旅の間によく聞いた「VIDA」という曲を探す。イキトスであったペルー人に、ラテンアメリカで大人気な曲だと聞いていたので、歌っている人の名前も知らずに口ずさめば何とかなるかなとあちこちのCD屋をあたってみる。いくつか行って、やっと曲の名前高なんだかがわかって、紙に書いてもらって、その紙を持っていくつか当たってみる。それでも見つからないので、クスコ以外か他の国で探してみることにして、再び観光を開始する。宗教歴史博物館と現代美術館に行った。クスコ郊外の遺跡には残念ながらいけなかった。その後はお土産を色々と買う。<br /><br /> コカ茶のティーバックやら民芸品やらを買った。民芸品を売る人々は、インド人のように極端にぼったくることがないから気が楽である。コカの葉をそのままお湯に入れてもコカ茶は出来るが、コカの葉は麻薬の原料になるので、持ち出しが禁止である。コカインの葉っぱからできるお茶ということで多少変な気もするが、別に覚醒効果等全くなく、高山病によく効くというからなんだかおかしいものである。隣国ボリビアでは、コカの葉の生産団体とそれを取り締まろうとしている政府とが対立を起こして、騒動が発生していた。その一方で、コカ茶は普通に飲まれている。一つの文化として成り立っている。一方ではコカの葉からコカインが精製され、それを密売して大金を稼いでいるような影の組織も存在し、しばし問題を起こしている。たかが一植物の葉っぱにこんなにも思惑が絡んでくるのも経んなよな、興味深いような気もする。<br /><br /> 今度は「El Condor Pasa」のCDを探す。小学校の頃だが音楽の授業で習った「コンドルが飛んでいく」がいつまでも頭の中に木霊していた。そんなわけでフォルクローレの故郷に自分がいるということで感慨にふける。この曲のCDはいくつもあって、それぞれアレンジされていて、バージョンも違う。一番気に入ったものを購入。そんなアンデスの郷を明日去り、旅立とうとしている…。<br /><br />

    (地元の子供たち)

    10月16日(月)
     クスコ最後の一日。ペルー最後の一日というよりも、今回の旅のフィナーレを飾る一日。昨日、一昨日のマチュピチュで観光のハイライトは過ぎたので、今日はクスコの残りの観光と買い物と、その他に一日を費やすことにした。

     観光周遊券の残りのうち、クスコ市街になるところに焦点を絞って観光することにした。まず最初にサンタ・カタリナ修道院の中にある博物館に行く。宗教画の博物館である。個人的にはなぜだか、キリスト教の宗教画というものにはあまり惹かれない。

     昼食を取った後でCDを探す。今回の旅の間によく聞いた「VIDA」という曲を探す。イキトスであったペルー人に、ラテンアメリカで大人気な曲だと聞いていたので、歌っている人の名前も知らずに口ずさめば何とかなるかなとあちこちのCD屋をあたってみる。いくつか行って、やっと曲の名前高なんだかがわかって、紙に書いてもらって、その紙を持っていくつか当たってみる。それでも見つからないので、クスコ以外か他の国で探してみることにして、再び観光を開始する。宗教歴史博物館と現代美術館に行った。クスコ郊外の遺跡には残念ながらいけなかった。その後はお土産を色々と買う。

     コカ茶のティーバックやら民芸品やらを買った。民芸品を売る人々は、インド人のように極端にぼったくることがないから気が楽である。コカの葉をそのままお湯に入れてもコカ茶は出来るが、コカの葉は麻薬の原料になるので、持ち出しが禁止である。コカインの葉っぱからできるお茶ということで多少変な気もするが、別に覚醒効果等全くなく、高山病によく効くというからなんだかおかしいものである。隣国ボリビアでは、コカの葉の生産団体とそれを取り締まろうとしている政府とが対立を起こして、騒動が発生していた。その一方で、コカ茶は普通に飲まれている。一つの文化として成り立っている。一方ではコカの葉からコカインが精製され、それを密売して大金を稼いでいるような影の組織も存在し、しばし問題を起こしている。たかが一植物の葉っぱにこんなにも思惑が絡んでくるのも経んなよな、興味深いような気もする。

     今度は「El Condor Pasa」のCDを探す。小学校の頃だが音楽の授業で習った「コンドルが飛んでいく」がいつまでも頭の中に木霊していた。そんなわけでフォルクローレの故郷に自分がいるということで感慨にふける。この曲のCDはいくつもあって、それぞれアレンジされていて、バージョンも違う。一番気に入ったものを購入。そんなアンデスの郷を明日去り、旅立とうとしている…。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • Tagucyanさん 2020/12/25 21:23:11
    個人的にも懐かしく拝見しました
    Miyatanさま
    こんばんは

    ちょうどこの1年後の9月に、このあたりを訪れていたので、懐かしく拝見しました。

    私は成田からダラス経由でリマに入って、その後クスコ、マチュピチュ、またクスコ、プーノ(その後ラパスへ)と巡ったので、逆コースでしたね。当時すでに社会人でしたので、そんなに長居はできなかったですが・・・
    マチュピチュに行った時の列車は、見覚えがあるので私が乗ったも同じかも知れません。遺跡のあの光景、グッバイボーイ、懐かしいです。

    今回の旅ですと、Miyatanさんがちょうと中米におられた頃、私はメジャーリーグを見に東海岸に出かけてました。あのニューヨークの貿易センタービルの展望台にも上っていたんです。まさか1年後、あんな事件が起きるとは。
    私がペルーに行ったのは、その9.11が起きた10日後ぐらいでしたので、当時の世の中の独特の緊張感とともによく覚えております。

    ---
    Tagucyan

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2020/12/26 09:15:19
    RE: 個人的にも懐かしく拝見しました
    Tagucyanさま、

    おはようございます。書き込みありがとうございます。

    旅行記よく拝見していますが、私も鉄道好きだし、海外の旅も多いので、いつも楽しんでいます。

    2007年にアメリカンのダラスマイアミ経由でペルーのリマに入り、プーノからボリビアに入り、ボリビアをめぐる旅しました。その時は社会人で、それくらいの旅が時間的に限界ですね。

    電車は同じと思いますよ。マチュピチュの景色が見えた時は本当感動的でした。トレイル歩いても行けるので、歩いて行ったらもっと感動するかもしれません。

    ニューヨークの貿易センタービルは登ってはいないのですが、1999年にニューヨークで撮った写真で何気なく写っていたので今考えると貴重な一枚です。

    9.11、、、ありましたね。私は当時アルゼンチンにいました。ノストラダムスの予言は1999年に世界滅亡ではなくて、2年ずれたこの出来事だったのではと思っています。そんなNYテロから、来年で20年ですね。時代を感じます。

    Miyatan

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