2020/11/23 - 2020/11/23
34位(同エリア144件中)
あおしさん
この旅行記スケジュールを元に
茨城県の常陸太田市は平安時代から戦国時代までは武家の名門・佐竹氏の本拠でした。
江戸時代には佐竹氏は秋田に飛ばされて、徳川御三家の水戸家が水戸市を本拠としましたが、「水戸黄門」こと徳川光圀はこの町を隠居所としていました。
紅葉狩りも兼ねて常陸太田をまわってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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水戸駅からJR水郡線に乗ります。
約30分で常陸太田駅に到着。
終着駅です。常陸太田駅 駅
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常陸太田駅はきれいな駅に建替えられました。
駅の中の観光案内所で電動レンタサイクルを借りました。
400円と安いです。
ここからまずは佐竹寺へ向かいます。常陸太田駅 駅
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常陸太田駅の隣の谷河原駅。
このあたり一帯がかつて武家の名門佐竹氏の発祥の地だったとされています。谷河原駅 駅
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佐竹郵便局。
他に佐竹高校など「佐竹」の名前をあちこちで見ました。 -
佐竹寺へ到着しました。
平安時代、後三年の役(1086~1089)で武勇をとどろかせた源義家の弟で兄を助けた源義光の孫、源昌義がこの佐竹寺で節が1つしかない竹を見つけ、これを瑞兆とし、佐竹氏を名乗ったとされています。
その後佐竹氏はこの周辺から勢力を伸ばし、源頼朝と敵対した結果一時衰えましたが、やがて室町時代から戦国時代にかけて成長し、豊臣秀吉時代には19代・佐竹義宣が常陸54万石の大大名となりました。
その後関ヶ原の戦いのときは、佐竹義宣が石田三成と親しかったことから、徳川家康に秋田に飛ばされ、秋田藩20万石の大名として明治維新まで生き残ります。
ちなみに現在の秋田県知事も佐竹さんです。
余談ですが、佐竹義宣が秋田に飛ばされたときに、腹いせに常陸国の美人を軒並み秋田に連れていってしまったため、水戸はブスばかり残って「日本3大ブスの地」になり、秋田は「秋田美人」が増えたという伝説があります。佐竹寺 寺・神社・教会
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本堂は戦国大名だった17代佐竹義昭と18代・佐竹義重の助力で建てられたもの。
重要文化財です。
藁葺の屋根が趣きがありました。佐竹寺 寺・神社・教会
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あとで立ち寄った郷土資料館にある佐竹寺の奉加帳。
源義昭(佐竹義昭)、源義重(佐竹義重)の署名があります。
源義家から源頼朝に続く武家の名門・清和源氏の子孫も足利将軍家、甲斐武田家、駿河今川家、尾張斯波家、三河吉良家、河内畠山家、因幡山名家、美濃土岐家とその分家・明智家などほとんどの大名は下剋上の戦国時代に没落し、結局明治維新まで、主な大名として生き残れたのは秋田藩佐竹家と足利家の分家である熊本藩の細川家だけでした(細川家の現当主は元内閣総理大臣の細川護煕さん)。
徳川家康の徳川将軍家、薩摩藩の島津家も「ハク」をつけるため清和源氏の子孫を「自称」していましたが、佐竹家では内心嘲笑していたとか。 -
佐竹寺から常陸太田駅に戻りレンタサイクルを返しました。
駅前から茨城交通のバスで竜神大吊橋行のバスに乗ります。
ちょうど紅葉の時期なので、バスは混雑しているかと思いましたが、座席は半分程度埋まっただけ。
アクセスとしてバスはほとんど利用されていないようです。路線バス (茨城交通) 乗り物
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約40分で、竜神大吊橋へ到着。
バスは橋の目の前まで乗り入れています。
紅葉は見ごろと聞いていましたが、あまり紅葉になる木は多くありませんでした。竜神大吊橋 名所・史跡
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まずは橋を渡ります。
有料です。
多くの家族連れなどの観光客でにぎわっていました。 -
橋の上から見る竜神峡。
橋から水面まで約100mあります。 -
反対側の川下方面にはダムがあります。
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全長375mの橋を渡った展望台から。
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ここはバンジージャンプのメッカとしても有名です。
実際私が見ているときには、3人組の女の子が「キャー!」と叫びながらジャンプしていました。
私もやってみようかな、とちょっと思いましたが、1回17,000円!
高いなあ。
あと心臓麻痺でぽっくりしても困るので、今回は断念。
でも、いつか挑戦してみたいかも。 -
ちょっと小腹がすいたので、大吊り橋前のレストハウスでアユの塩焼きと焼き餅。
両方あわせて500円と安かったです -
竜神大吊橋からバスで常陸太田駅へ戻ります。
途中、常陸太田の市街地で途中下車します。鯨ヶ丘商店街 名所・史跡
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佐竹氏はこの常陸太田に本拠を定め、戦国時代までは常陸の国の中心でした。
江戸時代に徳川御三家の水戸家が水戸市にお城を作り、中心は水戸に移転しましたが、城下町の風情は残っています。 -
常陸太田の城下町はおそらく戦略の関係か、少し高台に作られました。
高台と平地はいくつかの坂道で結ばれていました。
この坂はこのつ、板谷坂。 -
常陸太田市郷土資料館です。
もともとは、明治時代、成功して大富豪となった梅津福次郎の寄付で建てられた梅津会館という建物です。
かつては市役所として使われていました。常陸太田市郷土資料館 美術館・博物館
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館内には常陸太田を本拠とした佐竹氏やここを隠居所とした水戸黄門、明治以降の常陸太田市の資料等が展示されていました。
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常陸太田の中心から少し歩いたところに西山荘があります。
ここは「水戸黄門」で有名な水戸家3代当主・徳川光圀が隠居場所としたところです。
ここで彼は、「助さん」「格さん」などの家臣とともに、日本の歴史の史料を集めた「大日本史」の編集を始めました。西山荘 名所・史跡
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西山荘は紅葉まっさかり。
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「水戸黄門」の隠居場所だった西山御殿。
質素でひなびた民家のような建物です。 -
展望場所から見た西山御殿
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徳川光圀はこの狭い書斎で史料を研究していたそうです。
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郷土資料館の展示されていた、徳川光圀の編纂した「大日本史」。
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常陸太田から水戸に戻り、東京へ帰京。
水戸駅で駅弁を購入しました。
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