2018/05/12 - 2018/05/12
258位(同エリア2329件中)
sio爺さん
2年前の退職後、最初の旅行先は姫路城。姫路城訪問は一応2回目だが、初回は平成の修復工事中だったので、白壁の天守閣を見るのは初めてだ。今までもそうだが、名城であればあるほど、由緒正しい歴史などがあればあるほど、立派な旅行記にしなければならないと身構えてしまって、なかなか着手できなかった。長州などはいまだに書けていない。それに加えて姫路城は撮影枚数も多く、なかなか整理しきれなかった。ただし今、もう一つの趣味である家庭菜園も北海道は降雪により終了しているので、何とかまとめてみることにした。
なお表紙画像を何にしようか多くの画像を見たが、結局西の丸から見た天守閣周辺画像にした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- ANAグループ
-
ANAの個人旅行パックだが、新千歳空港発の神戸空港行の朝イチ便はAir Do機材だった。
-
神戸空港からJR姫路駅に到着
-
宿泊は、姫路のキャッスル・グランヴィリオ・ホテル
2泊なので写真はいつでも撮れると思い、ホテル外観はもとより、姫路城見学前はロクな写真をとっていない。しかしながら旅行途中でハプニング発生の連絡があり2泊目をキャンセルしたので、部屋の写真2枚以外これしかホテル画像はない。
この画像はサッカーJリーグのこの時点での順位表、我がコンサドーレが何と3位につけている記念だ。 -
ホテルに荷物を置かせてもらって、姫路城に向かう。
-
姫路城に近づくと、途中の大通りで多くの人が集まっていて、何かイベントが始まるところだった。
-
書道パフォーマンスが始まった。
-
見事に作品が完成した。
-
懐かしいなあ、石碑が出迎えてくれてる感じがした。
-
桜門橋を渡って、
-
大手門をくぐる
-
すぐに、こういう素晴らしい景観が目に入る
-
官兵衛普請の石垣が50m先というので、行ってみる。
-
案内表示に従って進む
-
姫路城跡の石垣は、羽柴秀吉の築城から明治時代以後の修理によるものまで、5期に区分されるということだ。
-
これは上山里下段(かみやまざとかだん)の石垣といわれ、天正8年(1580年)、羽柴秀吉の姫路城改築により積まれたと推定されるⅠ期の古風な石垣だ。野面積みであることが分かる。
-
官兵衛普請の石垣を後にして天守閣方面に向かい、菱の門を通ると、
-
忍者がいた。ポーズを頼むと気さくに応じてくれた。
-
三国堀が見え、周囲には柵が巡らされていた。三国堀は二の丸につながる「いノ門」と「るノ門」の要所をおさえる重要な位置にあるということだ。
-
姫路城はどこから見ても美しい
-
「はノ門」をくぐる。ここは「いノ門」や「ろノ門」と違って、防御力がアップしている。
-
「はノ門」を越えると、このような景観が見える
-
天守閣に焦点を当てると、このように見える。
-
「にノ門」が見えてきた
-
ここは本丸へと向かう最後の関門で、ぬノ門と並んで城内屈指の防御力、攻撃力を誇る櫓門ということだ。
-
「にノ門」を出た所の景観。真ん中に見えるのが乾小天守。
-
これは「ほの門」
-
画像ではわかりにくいが、左側の壁が「油壁」といわれる築地塀だ。説明版には「ここに油壁を配置することは、城郭の防御機能の一つ」と記されている。
-
まだ鉄パイプが組まれていた。
-
いよいよ大天守に入城
-
ここは大天守の地階ということだろう。順路に従って進む。
-
流し
-
画像右奥に西大柱の表示が見える。
-
武具庫
-
これは地階の天井部分か。
-
東大柱
-
東大柱近くの階段を登っていく
-
これは大天守から見た西の丸方面
-
武者隠し
-
ここから東小天守
-
東小天守から外を見る
-
昭和の大修理についての説明(以下は、その抜粋)
昭和31年(1956年)から始まった昭和の大修理は、8年間を要した大工事だった。大天守については全ての建物を一度解体し、部材を修復し、再度組み立て直すというもので、築城以来およそ350年ぶりに行われたということだ。 -
瓦の展示と説明
-
平成の大天守保存修理についての説明(以下はその抜粋要約)
姫路城大天守は昭和の大修理から半世紀が過ぎ、屋根や壁面の破損劣化が進行していた。そのため平成21年(2009年)から6ヵ年計画で本格的な保存修理工事を開始した。修理期間中は素屋根内に見学エリアを設けることで、文化財の修理への関心や理解を深めていただくよう取り組んだ。この工事はおよそ50年に一度の修理と位置付けられている。 -
そこで、前回姫路城訪問時の画像をご紹介したい。2012年10月なので、平成の大天守修理の時期だ。画像は乾小天守側から素屋根の掛けられた大天守を見上げたもの
-
当時の順路に従って、大天守の見学口に行く。
-
当時の大天守は素屋根が掛けられていたので、見学口もこのようになっていた。
-
中に入るとエレベーターで上下移動して、見学スペースから工事の様子を見学した。
-
まさに工事中
-
テレビ画面で見学
-
石垣も至近距離で。
過去を振り返ってばかりでも仕方がないので、次へ。 -
城を出て、出口方面へ向かう
-
城を出て振り返ると、右奥が大天守、真ん中が西小天守、左が乾小天守という立ち位置。
-
目指すは西の丸だ
-
同じような画像で恐縮ですが、撮影している広場は、かつて本丸御殿があった肥前丸というところ。
-
出口に向かって進む
-
お菊井戸があった
-
お菊井戸の説明板には
「永正年間(1500年頃)、姫路城主小寺則職(のりもと)の執権青山鉄山は町坪段四郎と語らい、城を奪おうと企てていました。則職の忠臣衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住み込ませ、その企てを探らせました。則職暗殺を探知したお菊が元信に知らせたため、則職は家島(姫路市)に逃げて殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました。お菊の動きを知った段四郎はお菊を助ける代わりに結婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。段四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝の10枚揃いの皿の一枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました。
-
それでも段四郎を拒むお菊は、ついに斬り殺されて井戸に投げ込まれました。
その後、毎夜この井戸から「1枚、2枚、3枚・・・9枚」と9枚目まで何度も数えるお菊の声が聞こえたといいます。(後略)」
何となく知っているような気がしていたが、こういうお話だったんだねえ・・・ -
大天守の鯱の展示、ここは前回(平成の修理工事中)、順路としては往路だったと思う。
-
ここを抜けて、
-
西の丸を目指す。(何度も目指すなあ・・・・・)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
sio爺さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
61