2020/02/24 - 2020/02/24
114位(同エリア4052件中)
and Relaxさん
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ヴェネツィアの街角を歩いた夕方。目標があるとすれば、それは翌日のホテルの場所探し。
宿のあるカンナレージョ区から中心部であるサンマルコ区のエリアに散策へと向かいました。
ヴェネツィアに到着したのは2月24日。約3週間のカーニヴァル・イベントの最終日の1日前でした。本来なら盛り上がりの最高潮。
ヴェネツィア・カーニバル Carnevale di Venezia は中止のイベントながら、この夜のサンマルコ広場には伝統的にマスケラ達がカフェ・フローリアン前に集まっていたので、ドレスアップを楽しむ様子を見物しました。
詳しくは確認できませんでしたが、新型ウィルスのアウトブレイク前までカーニバルのイベントは通常の日程で行なわれていたと思われます。
25日の最終日に盛大な花火があがる催しを含めて、公式、非公式のパーティ、イベント等が取り止めになり、加えてカーニバル関係以外の、通常なら公開している観光スポット、サン・マルコ寺院などへの入場も出来なくなっていました。
ここヴェネツィアのあるヴェネト州を含む3つの州ではすでにロックダウンした11の村があり、3つの州もイエローゾーンとなって警告されています。
中止や入場禁止は残念ですが、きらびやかな衣装を纏って顔を覆うマスクを付けた人々に全く興味がなかったというのに、行ってみて自分が思った以上に楽しめ、またそこに苦手とする大混雑の人混みがなかったのが気楽で、ある意味楽しくカーニバルを傍観できたと感じます。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
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今晩の宿はドミトリーのホステル。
コンボ・ヴェネツィア到着。 -
ここがホステル。
すばらしく芸術的な廊下...。
写真をブッキングのサイトで見た時は疑いが頭をかすめましたが、ほんとにここは写真のままでした。 -
ホテルのようにレセプションロビーは無く、チェアとソファーだけたくさん置かれている。
プール(玉突きの)テーブルもコーナーに備わっていた空間。 -
ここは12世紀の修道院だったのを美しく改装した建物。
緊張していました。他の宿泊客にも何故かあがっていました。この場所が特別だったからです。
メインの階段はこんなふうに素敵。でも他の階段は非常出口みたいなシンプルなものでした。 -
これは水路の出入り口。でもチェックインを急ぎすぎて、外に出て運河の景色を見る事はありませんでした。残念。
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チエックインはここで行われました。
カメラを向けたらぱっと手を振ってくれたのが、チエックアウトの最後まで暖かく面倒を見てくれた方です。
こういうマインドの人に会えると旅行がすごく良くなる。 -
割と広い場所で、開けっ放しの出入り口の向こうにはテーブル席。
このチェックイン・カウンター兼バーの前にはソファセット、外に出るとコートヤードがあり、広いテラス席が備わっています。 -
こんなに広大。
鍵になるカードをもらってドミトリーの部屋に向かう時、広すぎて迷ってしまった廊下で撮った中庭の写真。
元は回廊のある修道院(cloister)だったのが分かりますね。 -
コンボ・ヴェネチア。
部屋に向かう途中の廊下にソファーセットも置かれています。 -
チェックインで説明を受けたけれど、どこだか全然わからなくなってしまいました。
部屋は2階で、どこまでも続くレンガ作りの廊下が右に左にあり、ステップ階段を越して歩いて行ったら迷ってしまったのです。
ちょっとついていけないほどかな、と1度は思ったけれど、これはこれで巨大な宇宙船というか、マザーシップ的な見ごたえがあると考え直しました。 -
天井を見上げると、個性的な梁らしき木枠が。
時代がかっていて良いデザイン。 -
ドアを開けたら、またまた写真の廊下があって、私のお部屋はこの廊下にあるドアの1つ。
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お部屋の写真は、すでに前の日から居ると言うイギリス人大学生の男の子と盛り上がりお話が切れなくて、撮るのを忘れてしまいました。
これはドミトリー部屋の窓から外を眺めながら撮った景色。
でも会話によりベニスの情報を得て、人として共感を持ったりできて、シェアが楽になりよかったです。
12人シェアのドミと聞いていたのに、何と2人で1部屋をシェアという贅沢な作り。これなら友達と泊まればプライベートな空間で過ごせる。
12人でシェアって言うのは、大廊下から入ったドアのこっち側の廊下にツインルームが6部屋あって、合計12人。こんな良いほうに転んだ騙し、聞いたことありません 笑。
聞いていたのと違う。それのグッドバージョンでした。 -
webで見つけてきた写真を貼ります。
配置が左右逆でしたが部屋はこんな風で、入り口には天井までの大きい押入れというかクローゼット有り。すごい収納機能。
ベッド周りも見たとおり有能で、充電も夜の読書も余裕で出来ました。
デスクなどこんないらないんじゃないかってくらい奥行きがあって、ゆとりに富んだ贅沢なものでした。33ユーロで1泊したドミトリー。 -
ホステルのドミトリーなので、部屋には当然プライベートバスルームを筆頭に小物系、コップなどの設備はありません。
ので、シェアエリアにお皿やグラスなど使えるものが置いてあり、使用したかったらそれらを取りに行って洗って戻す。もちろんこのLDKで過ごしても良い。
こうして十分なイクイップメントを備えて全員がシェアして余るほどの広々したキッチンが使え不自由しません。
電器ケトルが3つも4つも並んでいたくらいです。 -
シャワールームだってこんなのが2つもあります。
新品のタオルやバスマットも十分用意されていて、甘やかされていると感じたほど。他のホステルに泊まった経験があれば、このあたりの部分がわかると思う。
文句あるとしたらハイテックすぎてトイレのフラッシュのしかたが分かりにくい、くらいでした。贅沢な文句でジョークになってしまいます。
高機能の面で悩みと言うと、ここのホステルではエレベーターがとにかく最も悩むものでした。(Hi-Tekはやりすぎると、助けてくれる人を呼んだりしてもっと手がかかるものなのです) -
ヴェネチアの街をあてなく散歩でもしてみることにして、エレベーターを使わず階段を使って出口に向かいました。
地上まで1階降りるだけだし、エレベーターの(普通ならボタンを押す)パネルがこんな風だから、利用するのを避けたかったのです。
これがそのパネル。なんというか、アップル社がやりそうな腹立たしいほどのHi-tekギアでした。
ただの磨りガラス的な半透明がかった白い板で、カードをかざすまで光で示す数字が出ない。
そのかざし方もうまくやらないと反応せず私は若者だったらこれを喜ぶのかと2度考えました。 -
ウェアハウス風の廊下はダークでシック。
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メインの階段がどこにあるのかわからず、サブの階段のひとつで降ります。サブはこんな風にシンプルで倉庫風。
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その差が極端!
ここから降りたかったメインの階段。
写真はホームページwebより。 -
近頃のホステルは若者層にアピールする為、最新のデザインを取り入れているよう。
でもここは1つ上を行くセンス。
1階コリドールは回廊を美しく残して改装されています。
そして天井のライティングは効果ありです。 -
イタリアのデザイン意識は並大抵じゃないと、この国に来るたびに感心させられる。
それがヴェネツィアだとほんとに... 情緒あって良いのです。 -
あくまでも個人意見で恐縮ですが、@このホステルCombo Veneziaのプロズ&コンズのコンズの方は、Hi-Tekすぎのエレベーターと、それにこのエントランス。
入り口が質素で、分かりやすいほうがいい。
スナックバー的なお店がエントランス部にあって、そこのテーブルが並び黒板の看板があるので何かあるなとは判りますが、中にすてきなホステルがあると想像できません。もったいないです。 -
ホステルは広々とした空間に建っていて、正面にあるのはオーラトリオ・デル・クロチフェリOratorio dei Crociferiというミュージアム。
オーラトリー(英語)というのは小さなチャペルで特にプライベートな場合を指すものだそう。
外見とは裏腹に壮大な天井画や壁画で覆われた内部には、見ものとするパルマ・イル・ジョーヴァネの磔Crociferiを求刑されるキリストの絵があるそうですが、ここは1300年代には病院、15世紀になるとホスピスとして貧しい女性たちを迎えていたマーシフルな歴史ある建物。 -
ホステル隣にはジェズイーティ教会。
ちょうどここはベネチア島の北の端っこで、そこはもうムラーノ島が向かいにある海になり、建物の間を抜けたらすぐにフォンダメンタ・ヌォーヴェ A(ヴァポレット乗り場)があります。ジェズイーティ教会 寺院・教会
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Chiesa di Santa Maria Assunta Detta I Gesuiti キエーザ・ディ・サンタ・マリア・アッスンタ・イ・ジェスイーティー。
略してI Gesuitiという教会です。これはイエズス会という意味で、この広場の名もCampo dei Gesuitiといいます。
1729年に完成した現在の教会は、元々すでに1148年に教会として建設されていて、当時のこのあたりは水浸しの陸地、何も無い湿地帯であったそうです。
初期建設後まもなく貧民たちの病院となり、 その後1523年にバスク人の聖人イグナチオ・ロペス・デ・ロヨラがエルサレム巡礼時に立ち寄り、また約10年後にもイエズス会のメンバーと戻ってきてから、この物件全部をベネチア市がイエズス会に売ったということです。
ただイエズス会にとって当時の教会は十分な大きさでなく、1715年に取り壊し新たな寺院を建てたということで、Santa Maria Assunta (Mary after Assumption)と名前も新しくした、これが現在の この建物イ・ジェスイティだそうです。 -
教会ファサードの像にはHaloヘイロ(一種のオーラ、天使の頭上に浮かんでいる光の輪っか)が針金のようなもので表現されていて、これもおもしろい。
教会名になっているメアリーのAssumptionとは、日本語訳で「聖母の被昇天」になります。 -
外から見ても内部もとてもいい教会のようです。私は相変わらず中に入ってちょっと見学と頭に浮かばなかったので、残念ながら素通り。
ドミのルームメイトによると、今日ムラーノ島に行った人が「どのガラスの店も開いてなかった…」と言っていたという事で、ベネチアン・グラスで有名な島に行くのに最適な水上バス乗り場がすぐそこですが、それを聞いて止めました。
ガラスを売る店が開いていないのはムラーノ島へ初めて行くのに意味がないかも。
きっと、この日は月曜日だったので、月曜は一斉に定休日ということも考えられます。 -
沢山のヴァポレット乗り場のある Fondamenta Nuove フォンダメンタ・ヌォーヴェ。
もしくは Fondamente Nove とも。
フォンダメンタ・ヌォーヴェ"A"のヴァポレット乗り場は、宿泊ホステル「コンボ・ヴェネチア」から本当にすぐ。
この略してF.te Nove"A"からは、ACTV社のヴァポレット「12」番でムラーノ島やブラーノ島へ行けて、帰りもAlilagunaアリラグーナ社の「B」番でMarco Polo空港へ行けます。
勿論空港から来る時も利用できてベニス滞在中ずっと同じホステルならラクラクだったでしょうね。ベニスはとにかく荷物もちでは身動き出来ません。もし大きな荷物があったら迷わずこのプランに。
鉄道駅からもヴァポレットで来れますが、橋を渡り、100メートル進んだBやCやD乗り場を利用することになります。
ちなみに情報ですが、ベネチアのヴァポレットを運行する2社のうちの1社、メジャーな方のACTV社に関しては、大きい荷物1つと手荷物1つは料金内で持ち込めますが、荷物の量(と重さ?)に制限があり、制限を超えると追加料金が3ユーロほど発生するそうです。 -
前出のようにカラフルな家々で知られるブラーノ(Burano)島や、ヴェネチアの始まりといわれるトルチェッロ (Torcello)島へも「F.te Nove "A"」から12番で行けます。
ACTV社20~30分間隔で運行。
ヴァポレットは行き先が一緒なのに、一つ一つ別の乗り場から出ていて、とっても面倒くさい。
例えばここA乗り場から12のルートが出るけど、似たような行き先をたどるNというルートは(ナイトなのかな?)D乗り場からで、120m離れています。
待ち時間を瞬時に知ることが出来ないかぎり、無駄時間を費やすのですよね。
この12番もN番もムラーノ経由だそうで、ここからもムラーノへ行けるのですが、ヴァポレットは6本ほどあり、ムラーノ島へは更にBも加わり全部違う乗り場から。 -
ヴァポレット乗り場と背後に浮かぶCimitero di San Michele島。
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さらに背後にはムラーノ島がうっすら見えます。
手前の立派そうな島は、地元の方々がお墓参りに行く霊場の島サン・ミケーレなので、水上バスで移動の際には間違って降りないようにと聞いていました。 -
ヴェネツィアには2泊3日。帰りの日は夜10時のフライトなので、最終日もほぼ1日中遊べます。
余裕があるので、この日の半分は何も心配する事無くお散歩しました。
ヴェネツィアの最も良い過ごし方です。 -
Rio del Gesulti
橋の上から。
本日は行きませんが、明日かあさってには行きたいので、橋を渡って又別のムラーノ島行き乗り場をチェックしに行きます。 -
カンナレージョ地区は味わい深い。
通常見るヴェネツィアとは違った姿が見れました。
写真の右には泊まりのホステル、コンボ・ヴェネツィアの水路沿いの入り口があるはずです。
そこには運河に沿ってカフェのテーブルも出ていると聞きました。 -
最初に3番、4.1番、4.2番がムラーノ島に行くと聞いていたので、B,C,Dの船着場が見える場所に進んでいます。
ヴァポレット乗り場が集まるのは、この運河Rio del Gesultiを超えた先。
A乗り場だけ橋の向こうなのです。 -
橋の名も通りの名も同じ。
これを見ていて、ヴェネチアの公共の案内にも住所として実際の場所に掲げているのも Fondamente Nòveとなっているので、日本に知れ渡っている「Fondamenta Nuove フォンダメンタ・ヌォーヴェ」という呼び方は間違っている可能性を感じました。
微妙に違っているだけなので何も問題無いと思いますが、読み方はフォンダメンテ・ノーヴェでいいんでしょうか。 -
ヴァポレット主要のBやCの乗り場が隣接する地域。
Bは4.1や4.2といったメジャーな船でムラーノ島へ行くのに通常利用するストップ。
隣のCの停留場は、鉄道駅のフェッロヴィーアと、車が乗り入れるローマ広場に行く4.1と5.1のヴァポレットが止まるので、ここも主要なストップです。
Dの乗り場というと、ムラーノ島へ行けたり、サンマルコとかリド島にも行く船が来る所。 -
この辺は食べるところも豊富。軽食だけでなく、その中の1つはファイン・ダイニングのレストランだったりする。
もしこのままヴァポレットで空港へ直行するとしたら、イタリア料理を食べていってから帰りたいと望むので好都合かも。 -
ヴァポレットの停車場所は確認できたので、次は明日泊まるホテルのエリアに向かいます。
今回のお泊り事情は、カンナレージョ地区に1泊、サンマルコ地区に1泊。
この旅でヴェネツィアのホテル選びはとても成功しました。それは私が最も嬉しいと思うことです。
ではこの道を入ってみて。 -
カッレ=細い道 を散策。
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ぶれた写真で残念ですが、アーチのある路地のエントランス。
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Campiello del Pestrin カンピエッロ・デル・ペストリン。
しばらくすると小さな広場に着きました。 -
La Colonna リストランテ前。 typical Venetian dishesを出すそうです。
昔の井戸は取り壊すことなく置いてあるのがいい。 -
そのままカッレ・デル・フーモを歩くと・・
更にまた広場。行けども行けども素敵な広場にテーブル席が用意されている飲食店がある。 -
ながらここからちょっと先は住宅地風。
人通りは必ずありますが誰も通っていない瞬間に撮った写真。 -
こんな風に道が2つあると「うーんどっちに行こうかな」と悩む楽しみを感じます。
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Campiello Stella カンピエッロ・ステッラ。
ベネチアを歩くと何処にでもある、白地に文字が書いてある標識は「ニショエト」と呼ばれています。
ベネチアではどんなちいさな通りにも名前があるそうなので、「小さなシーツ」という意味のニショエトNizioletoを写真に撮っておくと、後で迷宮水上都市のどこにいたか確認できて便利でした。 -
Campiello Widmann già Biriという小広場。
オステリアのあるコーナー。最近塗ったと思われるOsteria Baccadoroの壁は明るい色使い。隣のグレイのビルは7階建てに見えました。
ヴェネツィアの建物は普通に5階建てとか7階建てもあったりして、千年前の木の杭に支えられている水上都市だというのに、どこの都会とも変わらない姿に驚きます。 -
同じ広場の角には専門的なガラス細工のワークショップ、Massimiliano Caldaroneマッシミリアーノ・カルダローネ。
中で作業をされている様子が少しうかがえました。
時々ガラス作りのアトリエはムラーノ島のみと聞くのですが、ベネチア本島にもこうして火を使う作業所があるんですね。 -
適当ながら目指すホテルはヴェネツィアの中心地にあり、南下すれば着くだろうと歩いていました。
ただし中心地といっても特別見た目にヒントは無く、いつまでも迷路のような道が続いているけど、お店や人がもっと多くなってきたかな というのがヴェネツィア風。 -
Rio Terà dei Biri o del Parsemolo
リオ・テラ・デイ・ビリ・オ・デル・パルセモロ。
元水路を埋め立てた道ですね。
リオ・テラでもう即座に反応できます。 -
この元水路の細い道は素敵、突き当たりに運河と橋がいくつかあり、ここからがベネチアのワンダーランド地区だと思いました。
ああ そうです、ここはおススメの一角。
ひどく観光化されておらず、といっても橋を渡った先には良さそうなお店が並び、路地の雰囲気はまるで映画のセットのような、なんとも情緒を感じるエリアだったのです。
Sottoportego del Magazen
ソットポルテゴ・デル・マガゼンという場所。 -
反対の右横の道は、運河ぞいの歩道。
Sotoportego Widmannという運河ぞいの歩道はフォンダメンタと名が付くはずですが、付いた名はソトポルテゴ...
ここをフォンダメンタと呼ばないのは低い壁があるから? と思いましたが、奥の先には建物の下をトンネルのように潜り抜ける道。
Sotoportego (or sottoportego) 、ソトポルテゴができています。
名前はここから来たのですね。 -
Calle del Pestrin通りから続くCalle Larga Widmann、橋を超えた道も同名。
太鼓橋が連なる所。
Calle Larga Widmann(BRIDGE) -
ここがいかしてる。(死語)
夕暮れの光で、てぶれで写真が全部ぼんやりしてしまいました。 -
水路、ソットポルテゴ、出窓。
と揃って景観の良い道。
ただ、これはトンネルのソットポルテゴのイメージより、ボローニャの街並みにあるポルティコと呼ばれる屋根付きの歩行者通路みたいです。
ちなみに、
「Portegoとは、ベネチア独特の呼び方で、柱がずらっと並ぶ吹き放しの廊下のこと」と説明されている文献も目にしました。
なので正確にはずらりと並ぶ柱のある外廊下なので、これはポルテゴと呼ばれる建築様式に思われます。
運河沿いだからファンダメンタ・ポルテコと命名したらわかりやすいのになあ。 -
鏡張り運河の水面。
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このようにレトロなトンネル道を通りました。ソットポルテゴ・デル・マガゼン。
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橋斜めがけ。
なぜこの場所が特筆して面白いかというと、運河がざっと変形Hの字のように流れていて、それに架かる橋があるからだと思います。 -
Hというか、どちらかというと「Vの字から下に2本延びる運河」なのかも。
説明べたですが、とにかく2本の運河が交差する場所が2ヶ所続いているのは魅力です。 -
Sotoportego Widmann 運河沿いに2つのポルテゴ。
向こうの太鼓橋なのですが、マドンナがブレイクした80年代にライク・ア・ヴァージンというMTVでヘビロテしていたPVがあって、『誰でも知っているビデオ・クリップ』なのですが、ロケがベニスの運河、極めて独自のおしゃれ度を誇っていた彼女が、ちょうどこんな感じの橋を身を屈めてゴンドラで進んでいく内容だったと記憶していて、それがどの橋か知っていたら楽しいだろうと思っていました。
わざわざちゃんと確認しないだろうけれど、偶然でも知ることがあったらめっちゃ「へーそこだったんだー」となります、絶対。 -
ソトポルテゴ・デル・マガゼンをくぐって歩くのは面白みがありました。
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いい形の橋。
そして今見ていたら、ここは自分のGoogle Mapsに『行きたい場所』としてEl Magazen Restaurantとすでに記されているところの目の前。
El Magazenというリストバーカロ(リストランテの様なバーカロ、ワインバーのような店)は、橋のたもとの光り輝いて見える場所にあります。
この行きたい場所は、旅行前ネットであれこれ探している時に付けた印です。
おしゃれな内装と値段を抑えた美味しい料理、窓からの水路とゴンドラの眺めなど、全部が良さそうなお店。 -
あたりの景色もなかなかオリジナル。
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フォンダメンタ・デル・ピオヴァンに続く橋の上から歩いてきた道を見下ろしています。
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角度のついた橋を渡りました。
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前方に見えてきたのは、Santa Maria dei Miracoli サンタ・マリア・デイ・ミラーコリという教会。
このあたりでカメラを持ったまま、全然動けなくなっていたのを思い出します。 -
右を向いても左も...
360℃素敵でした。 -
フォンダメンタ・デル・ピオヴァン Fondamenta del Piovan。
レビューによると悪評の飛び交うツーリスト・トラップの典型的な店、エスプレッソ・バー Bar Ai Miracoliのある所。 -
(写真を撮るため)あんまりじっとしていたから、文字通り日が暮れてしまいました。
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そしたら向こうから最高の被写体が。
ヴェネツィアといえばゴンドラ。サンタ マリア デイ ミラーコリ教会 寺院・教会
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サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会。
夕暮れのピンボケ時刻で、気をつけてシャッターを切らなかったのが惜しまれます。 -
ゴンドラの上の東洋人と思われる2人は、前もって調べてこのルートを選んだのだろうか。私も乗るならこのあたりがいいなと思いました。
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消えてゆくゴンドラ。
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この橋はポンテ・サンタマリア・ノーヴァ。表紙の写真。
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またまた情緒あった、この対岸。ミラーコリ小広場 Campiello dei Miracoli。
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近くのカンポ・サンタ・マリア・ノーヴァには、ヴェネチアには珍しく木々が植えられています。
Campo Santa Maria Nova -
気取らないムードの広場。
場所はカンポ(大きめの広場)横のカンピエッロ(小さめの広場)・サンタ・マリア・ノーヴァと呼ばれる場所だと思います。 -
ローカルが好むムード良いエリアだと感じました。
カーニバル用の羽付帽子をかぶった地元の人。
Campiello Santa Maria Nova -
コスチューム屋さんの前で。ゴージャスな仮面。
Zacaria’s Traditional Kostume Shop -
ベニスはディープ。次にまた来るならこのあたりに宿を構えるのがいいなと思う。
カンピエッロ・サンタ・マリア・ノーヴァ。 -
カンピエッロ・サンタ・マリア・ノーヴァの奥にあった建物に何かとても心打たれました。
部屋の電気が灯っていて、黄昏時に温かみを感じる建物は公共施設に見えます。 -
ここはもともと宮殿、パラッツォ・ボルドゥと呼ばれた美しい建造物。
灯かりの付いた部屋を暮れゆく外から見上げて、天井のビームがヴェネチアン・ウィンドーと相まって美しく見えました。
ここで、ヴェネチアにはたくさんの建物がパラッツォと名乗っているのに関わらず、ちょっと大きめの建物なだけのものもあり、不思議に思ったので調べてみた所・・・・
パラッツォ (Palazzo) はイタリア語で「邸館」を意味する。ルネサンス期のイタリアでは富裕な市民により,都市の街路に面して大規模な邸館が建てられ,これをパラッツォと呼んだ。
「-宮殿」(-宮)、「-館」、「-官邸」など用途により訳されるイタリアの比較的大きな建築物を指し、建築としての価値を持つものである。
となっていました。お金持ちがお屋敷を建てて勝手にパラッツォと名乗れるようです。 -
Palazzo Bembo Boldù 前の井戸。
カナール・グランデにあるパラッツォ・ボルドゥ・イン・サン・フェリスPalazzo Boldù in San Feliceとはまったく別の建物。
こちらのカンナレージョのパラッツォ・ボルドゥは現在クリニックなんですね。
Centro Salute Mentale Palazzo Boldu Cannaregio
とドアに書かれている建物でした。
Salute Mentale=とは、メンタル・ヘルスのこと。 -
カッレ・デイ・ミラーコリという細い道を抜けると、再度サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会に出てきました。
こちらが正面玄関のようです。サンタ マリア デイ ミラーコリ教会 寺院・教会
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Ponte dei Miracoli(ミラーコリ橋)の上から見る水路。
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逆側。こちらは教会の横の水路。
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ミラーコリ橋の上からS・マリア・デイ・ミラーコリ教会。
ここはヴェネチアでも特に素敵なところ。
のちにネットの情報を眼に通したら、たくさんのサイトに素晴らしい場所として、教会とこの周りのエリアの紹介がされていました。 -
初期ルネッサンス建築。
1481年から1489年にかけ、聖母マリアの奇蹟に捧げられて建設。
外壁の大理石に14%の塩分が含まれていたため、大理石を精製水に付けて塩抜きをするなど、10年間補修工事が400万ドルかけて行われた姿だということ。by ウィキ
4億円以上もすごいけれど、10年も工事中だったのは景観として、今が楽しみ時です。サンタ マリア デイ ミラーコリ教会 寺院・教会
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こういったものが街にところどころ見られました。
カーニバルに関係していると思うのですが、教会の前なので結婚式があったのかも。 -
大理石が素晴らしく、祭壇などには大理石が精巧に彫刻されていて、50の仕切りで絵画に覆われたヴォールトの天井があるそうです。
「宝石箱のような教会」と言われるサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会 Chiesa di Santa Maria dei Miracoliの玄関部と、横を通る運河。 -
ミラーコリ教会横カッレ・カステッリ。上を見上げるとマリア様の像があるようでした。
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Calle Castelli カッレ・カステッリを通り抜けて、Fondamenta Van Axel o de le Erbe フォンダメンタ・ヴァン・アクセル・オ・デ・レ・エルベに出ます。
こちらもしばし立ち止まる絵的な美しさ。 -
Palazzo Soranzo Van Axel
運河に沿った道にあるパラッツォ・ソランゾ・ヴァン・アクセルの入り口が夕暮れに灯っています。
こちらの博物館はリストアされて間もなく、日本語でまだ紹介がないものですが、中庭のコートヤードにある外付けの階段が美しく、室内L型のホールは、横に流れる水路がダブルアングルで見れるデザイン。
屋敷はRio de la Panada と、Rio de Ca' Widmannの2つの水路に面しているからです。
1479年頃建設され、1652年に買われたオランダの商人ヴァン・アクセルによって1699年にはヴェネツィアの重要文化財に指定されたパラッツォ。
ベニスに住む大富豪セシル・フォックスが財産を遺贈する話『三人の女性への招待状』公開は1967年のアメリカ映画のロケに、このパラッツォが使われたそうです。。 -
パラッツォ・ピサーニ・サンタマリーナ。
ミラーコリ教会周辺は観光サイトのほめ言葉に違わぬ美しさ。 -
フォンダメンタ・ヴァン・アクセル・オ・デ・レ・エルベの道筋は、ミラーコリ教会の裏側に位置しています。
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Ponte del Cristo ポンテ・デル・クリスト。
クリスト橋。 -
Palazzo Pisani S. Marina パラッツォ・ピサーニ・サンタマリーナ、現在はマンションという建物。
建物のヴェネツィアの旗が情緒ありました。 -
その下を通るゴンドラ。
もうここまで来るとリアルト橋のエリアはすぐです。
サンタ・マリーナ運河を越えたら、カンナレージョの区域から島の東を占めるカステッロ地区がぴょこっと西に飛び出しているエリアになり、その後サンマルコ区域へとエリアも変わります。
とても素敵でした。足が止まりすぎて全然前に進めなかった嬉しいジレンマのあった、サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会周辺。 -
カステッロ地区に入って細い道を少し行った先にはCampo Santa Marina カンポ・サンタ・マリーナ。
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サンタ・マリーナ広場の店々。
カーニバルは通常なら数週間に渡って繰り広げられるので、まだイタリアのCovid19が深刻になる前まではお祭り騒ぎだったと想像します。
2020年ベネチア伝統の仮面舞踏会(マスカレード)の予定はこんな感じでした。下記はお借りしてきたスケジュール。
ベネチア・カーニバル2020 スケジュール
2月8日(土) グランド・オープニング
華やかなオープニングセレモニーが開催される予定
2月9日(日) 水上パレード
2月8日(土)~14日(金)プレカーニバル
仮装の人たちがベネチアに増殖
2月15日(土) マリアたちの行進
2月15日(土) Mestre Carnival Street Show
至る所でストリートショー
2月16日(日) 天使の飛翔
2月20日~23日(日) 仮面コンクール
2月15日(土)~25日(火)カーニバル本番
毎日パレードやサンマルコ広場でイベント開催
2月23日(日) Carnevale Campaltino 伝統的なパレード
2月25日(火) 2020年カーニバルのマリア賞
2月25日(火) The Svolo del Leon 伝統的な催し
2月25日(火) 最終日を飾る盛大な花火の打ち上げ
街中の石畳には紙ふぶきやキラキラしたものがところどころ落ちていたので、伝統的なパレードCarnevale Campaltinoを公式でない、内輪サイズでも行っていたと思われるのです。 -
ここにお面や絵を売る店。カルニヴァーレ・ディ・ヴェネツィアのためのマスクのディスプレイ。
このショーウィンドーにあるマスクの一部、実際着けるとあまりにも2020年すぎます。黒死病が恐れられていた頃のペスト医者の鳥のお面。
ろうを塗ったガウンとつば広帽子、わらやハーブを詰めてある鳥の口ばし型ペストマスクが揃ってるのが17世紀の典型的な「メディコ・デッラ・ペステ medico della peste」魔法使いみたいな杖も忘れずに。
こんな仮装は見なくてよかった。
実はこの時点でマスクをしている人たちを欧州で見ると、まるでメディコ・デッラ・ペステのギミックに見えていた。
その辺はこの早い時期、手洗いに執着してマスクを拒否していた英国ボリス首相等を参考にするとよくわかるのでは。 -
カンポ・サンタ・マリーナの Vera da Pozzo (Venetiane wellhead)。
カンポとはヴェネツィアの方言で広場のこと。
ヴェラ・ダ・ポッツォ=「井戸」。
ポッツォは井戸というより、レインウォーターを貯めていたタンクなのだそうです。 -
ウィンドーの陳列物をのぞく貴婦人の身なりの方がいたCoopの前。
スーパーの買い物袋持ってこの衣装を着ていたら受けます。 -
とうとう夜に変わる頃になっていました。もう写真は暗いけれど、夜独特の良さもきっとあるでしょう。貼っていきます。
ここは、建物の外壁に書かれているロゴがなんとも良い感じで、曲がって入ってみようと思った街角。 -
ごく細い水路Rio del Piombo、ちいさな階段橋を通って渡りました。
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すると全体を壁で覆われた重々しいエントランスが。
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暗がりの中控えめに灯るライティングもドラマチック。
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何だか魅力たっぷり。
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フロントヤードの様子は隠れ家的なお城みたい、すごく素敵に見える。
ここはHotel Ai Cavalieriという4つ星の宿。
私が翌日に泊まったDona Palaceと同格ですが、エントランスの様子を加えると1つ2つ上の格に思えます。 -
Calle del Doseという小道を歩き着いた先はフォンダメンタ・デイ・プレティ、ここも又景観豊かな水路とポンテ(橋)が。
ここまでの道筋はとてもよい景観があった。このあたりは次から次へと、水路に辿り着いたら必ず美観と約束されているようです。 -
架かっている橋の名は、Ponte del Paradiso 天国の橋。
パラダイスの橋。それじゃ違うから極楽橋。
・・・これもニュアンス離れすぎなので、やっぱり天国の橋で落ち着いてしまいます。 -
パラディーソ橋。階段部の粗面岩以外、橋のほとんどはイストリア産の石のブロックを使用して作られています。
-
カッレ・デル・パラディーソ Calle del Paradiso、 「天国の小道」という道に入るには階段状の橋を登る。
天国の小道への階段。
写真が暗くて見えませんが、この上にはマリア様が両腕を開いている聖なるレリーフがあるのです。なので名前がパラダイス小道なのかなと思う。
出口にもあります。 -
wiki系サイトからお借りしてきた写真、お昼の姿です。
アルコ・デル・パラディーソ(又はマドンナのアーチ)はゴシックスタイルの彫刻のアーチ。
ケープを広げた聖母にひざまずいて祈るのは小さくデフォルメされた修道士だそうです。浮き彫りは裏表違うヴァージョン。 -
カッレ・デル・パラディーソへ入る道にはレストランが橋のたもとにあり、暖かい灯りと運河に向けて開け放たれた大きな窓を持つその店内にとても魅かれました。
Ristorante ai Barbacani
ホテルのロビーかな?とも思いますね。 -
Rio del Mondo Novo リオ・デル・モンド・ノヴォという運河から平行して延びる Fondamenta dei Preti フォンダメンタ・デイ・プレティ。
サンタ・マリア・フォルモーザ教会の、Zanzibarのある西側のファサードが次の橋の向こうに伺えます。
このザンジバーは、次の日ここで行うと聞いていたコンサートイベントが中止になったか確認に寄った、タンザニアのザンジバル島と飲食店のバーというネーミングをかけ合せた小屋風のエスプレッソ・バーです。 -
Ponte del Paradiso ポンテ・デル・パラディーソの上から。
Ristorante ai Barbacani のリオ・デル・モンド・ノヴォ運河沿いテーブルに座ってヴェネツィア料理を食べれたら、ちょっと特別でいいんじゃないかと思い、次に来れたらを期待してしまいます。 -
ではCalle del Paradiso カッレ・デル・パラディーソを歩きます。
天国の路地...。 路地、、?
やっぱり天国の小道で。 -
英語でAlley。Calle del Paradisoは木組みの家的な軒下がある、おそらく昔からある建物のあいだを通り抜けるユニークな路地。
このひさし造りはベニスでは珍しいので、歩きながらずっと上を向いてしまいます。
カッレ・デル・パラディーソは本屋さんや、先ほど載せたリストランテai Barbacani、Kartaruga Atelierという仮面制作のワークショップ、トラットリオda Brunoと揃っている短い小路。 -
木製のひさしが何か懐かしさを感じます。最後までこうでした。
歩く価値あります。 -
突き当り。
こちら側のアーチにはマドンナの浮き彫りはないのですが、写真まん中(ちょうどライトが当たっているあたり)の向こう側建物の壁に、聖母が赤ちゃんイエスを抱いたレリーフが設置されているんです。
もともとは非常に劣化していたものがユネスコのリストレーション・プロジェクトでよみがえったという、ラ・マドンナと呼ばれているArco del Paradiso が、北側入り口にあるCalle del Paradiso。
次は、Salizada S Lioという繁華街です。 -
Salizada San Lio サリザーダ・サン・リオ。
繁華街です。
たくさんの人が通るこの辺は、そろそろベニスの中心街だと思いました。 -
サリザーダ S. Lio にあったカラフルなお野菜屋さん。
茎と葉のついたままのアーティーチョークは初めて見ました。
「触らないでねお願い」と英語で書いてあるなんて、昔のイタリアなら絶対なかった。
今は新ジェネレーション仕様で、世界中から来る観光客へ、たとえ隣国のゲストでも英語なら通じるじゃないかと理解したようで、あちこちで普通に英語でした。
...ちょっと複雑な気分。 -
冬野菜を扱っています。
白紫のラディッキオは特に目を引く。 -
ここからはもうケオス化してしまい、どこをどう歩いたかめっちゃくちゃになりました。でも下町っぽくて面白い。
このあとカッレ(路地)を1本入りそびれて、探していたホテルに着かない道に行ってしまったのです。
歩いても歩いても終わらない商店街、完全に迷宮化して人混みをだらだらと歩くといった展開に。 -
この通りは地元の人のための店屋と飾りのないお土産屋さんの混じった感じ かな。
Salizada S. Lio -
こんな風に道は絶対まっすぐでない。突き当たりをどっちに行くか迫られます。
グーグルマップでホテル・ドナ・パレスを追うと直線ですぐです。が、ここで右に行って路地に入らず、左に行ったのが別れどころでした。 -
角には手打ちというか、ホームメイドのパスタのお店のようなものが。
Salizada San Lio + Calle de le Bandeにあった店、Pasta & Pasta。 -
パスタのキッチュな宝石店ってかんじ。
ショーウィンドー勝ちかも と思いながら通りすぎました。 -
この近くで小道を曲がらなかったので、目指していた翌日のホテルに着けなかったのでした。
スマホのダウンロードしてあったマップアプリでホテルに近づいたかなーと思うと、道を歩けば歩く程どんどん離れていってしまって、地図上で近づこうと思っても、道が直線上に無いので離れちゃうのです。 -
観光客が興味を魅かれるタイプのお店が現れ始めた通り。
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お土産品になりそうな文房具。
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仮面屋さんなども。
たくさんの仮面を売るお店屋さんがありました。
これは季節に関係なく、私が最初に訪れた時も8月でカーニバルとは無縁の時期でしたが、このような街の中の通りがかりのお店で、きれいなお面をおみやげに買った思い出があります。 -
地元の方々と思われる犬を連れた人々は結構見られました。
大型犬を見かけなかったのは、土地が広くないからだと思います。 -
これは本気のカーニバル屋さん。
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これですよね、ペスト医師。
びっくりしますわ、こーゆうのが町にいたら。 -
Il Canovaccioというお店。
見尽くせない程の展示物...。
ここではお面作りのクラスも行っているようでした。 -
こちらの店のマスクは顔そのものが美しい。
骸骨だって骨格が綺麗wwww -
もし私が美しいマスケラになりたかったら、ここでマスクを買います。
他で見るマスクは顔の可愛さが何か足りなく思うのです。
The handmade masks of Il Canovaccioa
Monday to Sunday 10:00 - 19:00
Calle delle bands, Castello 5369 - 5370, Venice。 -
続く水路沿いの橋。
ベニスそのもので、素敵で嬉泣かされます。 -
Calle Mussato o Tasca
私が翌日発見したドーナホテルの隣り道への橋の袂。 -
イ・トレ・メルカンティ(I Tre Mercanti)という高級食材店がある水路沿い。
Ponte de la Guerra 建造物
-
ここはサンマルコ広場から程近くため息の橋のある水路から、ほんの先の曲がり角にあたります。聖ズリアン運河。
-
Ponte de la Guerra デ・ラ・グエッラ橋でいいのかな。
同名の道に続く、なんとも趣きのある角度が段差と共に付いている橋。
もともとベニスの橋は手すりが付いていないタイプのものだったそうですが、そういう落ちそうで不安な橋は今ではめずらしいものになり、ここのは鉄製の手すりがついています。 -
rio de San Zulianに架かるデ・ラ・グエッラ橋の上。
サンズリアン運河。これはベネチア独特の方言なのだそう。(Giulianoジュリアーノが一般のイタリア語で、英語のJulianジュリアンのこと)
この日ホテル・ドーナパレスには辿り着けなかったのは、覚悟どおりながらやっぱりちょっと無念でした。
ヴェネチアの町には色んな場所にPER リアルトとPER S・マルコだけは矢印マークの付いた黄色い看板に書かれているので、2箇所までは行けるのですが。…… -
Calle al Ponte de la Guerra。
橋を渡ったらサンマルコ地区。 -
きらきらのシャンデリアが架けられている商店街。
いよいよ中心地とわかります。 -
フェアリーライトの灯りが取り付けられて明るい路地をぬけますが、落書きはいやですね。
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主要なショッピング街、Merceria メルセリア地区に来ました。
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リアルト橋に近いサンサルバドルの教区にある、ベネチア方言でサンズリアンと呼ばれるサンジュリアーノ教会
9世紀の建造物は1105年の火災を含め幾度かの再建が行われていて、ファサードは1570年完成。サン ジュリアーノ教会 寺院・教会
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舞踏会風カップルが前を歩いていました。
ヴェネチア式の衣装に見えます、特に男性。 -
(遠距離ながら)ショップの写真を撮るカーニバル姿の観光客。
このあたりは恐らく最も混雑する街中で、そんな時スマホのGPSの精度がなくなり、いよいよさまよい歩きに。 -
遠すぎて目を凝らしても見えなさそうなので、少しアップした写真を貼ってみます。
そういえばこの衣装の女性に翌日リアルト橋で通りすがったのでは。 -
ムラーノのガラス細工店。
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また少し歩いたら別のムラーノグラス屋さん。
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可愛い運河とちいさな橋の角地があり、そこにモダンスタイルで目に付きやすい、この「スプレンディッド・ヴェニス ホテル」があったので、とにかくここを目印にさ迷おう、と思ったのを覚えています。
Marzaria S. Zulian + Ponte dei Bareteri
ここまで来るのに似たような商店街を歩き、所によっては細すぎる路地に観光客が渋滞のように詰まって瞬間的に息が詰りそうでした。スプレンディド ヴェニス ヴェネツィア スターホテル コレツィオーネ ホテル
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リオ・デイ・バレテリ運河に架かる橋。
足を止めてしまう夜のヴェネチアの姿。 -
Ponte dei Bareteri バレテリ橋から。
繁華街中心地の中でいい味を持っていた、いにしえの建物の出窓。
はね返りの白いペンキが付いているようだし、保存状態が完全ではないものの、きっと何百年もこんな感じのままだったと思わせます。 -
バレテリ運河に沿って建つレストラン。その横にはソットポルテゴが出来ていて、人々がくぐり抜けて行く。
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バレテリ運河。
飾られる頭上のライト。
この場所も素晴らしかった。 -
スプレンディッド・ホテル付近は見ごたえある運河に架かる橋が幾つかありました。
運河の横の道に下りてみたら・・ -
ソットポルテゴを発見。
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バレッテリ橋のたもとに良く保たれている、とても古風なトンネル状の歩道がありました。
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おっ これは何だ という気持ちで入ってみたトンネル状の路地。
見たところずいぶん昔からあるような、時代劇に出てくる歴史の道です。 -
ここからしばらくは建物の下をくぐって通れるようになっているソットポルテゴのミニ探検ツアー。
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低い天井。
ソトポルテゴ・トラモンティン・オ・バザドナ。 -
出た所はなんでもないコートヤードでした。
行き詰まりなので、またトンネルを抜けUターンで水路に戻ります。La Corte Tramontin o Basadonna -
引き返し。
ソットポルテゴ Sotoportego Tramontin o Basadonna は特別なヴィンテージ感。 -
夜だったのがむしろ効果ありだったと思います。
あまり遅いと時間が来たらゲートが閉まって通れなくなるのかな。 -
しかしでも年代がかっている。よくこのままの姿を町の中心部に残せますね。
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渋い。
こういうところがヴェネツィアの凄いところです。日本なんか根こそぎ近代化して、元あった所にちっちゃい柱だけ設置する(泣笑)。
英国ロンドンでも、古い良さのあるこういうものが街角に残っているなと気が付く事があるのですが、次ぎ来たらつるりとモダナイズされてがっかり というか、変に面影を残すから複雑な思い。 -
ほとりはお昼ならゴンドラへ乗るのに利用できるステップ。
このままステップから泳ぎに入れそう。冗談ですが -
こんな風にRosa Salvaというホテルも兼ねているお菓子屋さんの方向を示すモザイクが道路上に。
埋め込んでいるなんて、きっと老舗に違いない。 -
運河を越える階段の橋は Ponte dei Ferali ポンテ・デイ・フェラリ 。
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このこじんまりしたフェラリ橋のあるカッレ・フィウベラ Calle Fiubera がまたまた面白そうだったのでしばらく立ち止まって見物を。
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小さな水路 Rio del Felai。
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周りにはこんなに人通りを感じない時代劇のロケみたいなのもあるのですが...。
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そのすぐ隣はブランドのショップがあるメルチェリア・オロロージョ通り。華やか。
舞踏会から帰る貴族まで歩いてきました。 -
彼女の衣装は正面と横のイメージが全く違っているのが特徴的。
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Rio del FelaiとPonte dei Ferali。
優雅なドレスのスカートの広がりのような橋の造形が美しい。 -
橋の下は波風立たない水路で、工事中風でなく、向こう側の景観が良かったら最高のフォトストップ、という感じでした。
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自分はどうもこの水路に沈む階段がとても気になるらしい。
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Ponte dei Ferali。
カッレ・フィウベラはフェラリ運河に架かる橋になるとポンテ・デイ・フェラリと呼ばれる。
ヴェネツィアの大観光名所の2つ、リアルト橋とサンマルコ広場を徒歩で行き来しようとすると、メルチェリア・オロロージョ通りを利用する可能性が非常に高い。
美しい橋と水路のある小路なので、ふと立ち止まるといいです。 -
これがグッチやDolce&Gabbanaのあるメルチェリア・デロロージョ。
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Gucci。
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Mercerie dell’Orologio
時計塔の下にあたるアーチを潜り抜けると・・・ -
あっと声を上げてしまいそうになる、レースの細工のような立派な御殿が建っているのでした。
サン マルコ寺院です。あまりにも見事。サン マルコ寺院 寺院・教会
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まさに豪華絢爛。
サンマルコ大聖堂。Basilica di San Marco
コンスタンチノープルで半世紀も前に人気のあった様式を取り入れたビザンチン建築だそうで、当時は流行遅れと思われていたという建築物。
異国情緒が漂う大聖堂。 -
サンマルコ寺院の前の広場は、ヴェネチアと聞くと必ず出てくるピアッツア・サン・マルコです。
ナポレオンがヨーロッパの美しいサローンと称えた場所だとか。
個人的には昼間に来るとちょっとピンと来ないけれど、灯かりのある夜の方が綺麗に思えます。サン マルコ広場 広場・公園
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大鐘楼 Campanile di San Marco カンパニーレ。
鐘楼 建造物
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サンマルコ広場はL-シェープになっていて、サンマルコ寺院の隣にはドゥカーレ宮殿があり、その先には外海に見えるほどの大運河がある。
通常はベニスに来ると、なぜかこの辺で殆ど過ごしてしまう事になる所に着きました。中心部ですね。ドゥカーレ宮殿 城・宮殿
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広場奥には貴族の集団が。
催し物のため用意されていたセットの数々も使われずに置いてありました。
この日の翌日、25日がラストだったのです。
本来ならカーニバルの最後の3日間は盛り上がるそうなので、たとえ全イベント取り止めでも仮装は続行、人々はこの夜も集まるべき所に集まっていたのでした。 -
アーチ状の正面入口の上にあるクアドリガ、4頭の馬の銅像も久しぶり。
レプリカですが、ここにあるのを見るとなんだかほっとする。サン マルコ寺院 寺院・教会
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サン マルコ寺院近くにも居た、カーニバルの仮装をしている人たち。
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最も人が集まっているのはカッフェ・フローリアンの前のようです。
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もうひとつの高級カフェが広場を大きくへだてて向かい側にあるのですが、そちらにはカーニバルゴーアーズgoersは行かないようでした。
カフェ ラヴェーナ カフェ
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日本では「ムーア人の時計塔」として有名なサン・マルコ時計塔 Torre del'orologio。
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夜のサンマルコ寺院。
実は今回初めて中を見学しようかと計画していましたが、この日から入場中止となってしまった。 -
通常のカーニバル開催なら、こんなに広場がすっかすかではあり得なかったという感じ。
最終日は花火が上がり、人々は熱狂の渦につつまれるそうなのです。 -
綺麗に、というか宴会場みたいに設置されていたイスの数々があり、誰1人も座っていない。
グランカフェ クアードリ イタリアン
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Grancaffè Quadri グランカッフェ・クアードリ。
1775年に営業を始めた老舗カフェです。 -
カフェ ラヴェーナ Gran Caffè Lavena という1750年創業のカフェも並びにあり、最初にサンマルコ広場に行くと、これらとフローリアンを足した3つのカフェの外テーブルが広場にずらっと並んでいるのを印象するのです。
-
グラン カッフェ リストランテ クアドリ。
またイタリアの美意識発見。ポルテゴのアーチ部に白のカーテンをつけるとこんなに優雅になるのですね。 -
ポルテゴの中から広場を眺める。
仮設ステージあたりのスポンサーが行うはずだったフェスティバル用のバーが立っていて、使われなかった椅子が積み重ねているのが見られます。 -
真っ暗で近づきがたかったですけど、カッフェフローリアンまで移動したらずっとたくさんの仮装した人たちがいました。
-
軍人さんなんかが目立つ。
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こちらは老舗でも格の違いをみせるカッフェ。
カフェ フローリアン カフェ
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取材が行われていました。
広場にもカフェの前にも結構な人数が集まっています。 -
19世紀的? グループで行動する際にはやはり時代考証を考え、揃えておくと見ているほうも安心。
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込み合う取材陣と見学者、撮影される側。
カフェ フローリアン カフェ
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カッフェ・フローリアンは、カーニバルの時の仮装した人たちの集合場所と伝統入りしているようでした。
-
そしてやはりカフェの中は御用達になっていた。
本当に華やかでいいですね。ベネチア カーニバル 祭り・イベント
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それを見る人たち。
加えてそれを傍観しながら写真を撮る自分。 -
こうして写真を見ると、まるで絵画のようだと思ったりもする。
カトリック教会のボーズはいいところを突いている。
スマホで話すキャバリエも油絵にして残したいかな。 -
着る側は見る側にも反転したりする。
-
なんかとっても面白くなってきました。
ちょっとはまりそうです。
それにしても何の仮装だかわからない人たちもいらっしゃって、ニワトリのトサカのような変な人も混じっていた。 -
こんな感じで窓の外からカメラマン。
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フローリアンは高いけれど、内装の芸術点なども加えるとそれだけの価値があると、ドミトリーの相部屋仲間も言っていました。
カフェ フローリアン カフェ
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カフェの外でたむろする人々。
-
とにかくカッフェ・フローリアンは中世のムードでいっぱい。
昼間も仮装してくる人たちがけっこう居たそうです。
片隅の女性はまさに絵画から抜け出してきたみたい。
というか、CDのジャケットとか映画のポスターみたいかな。 -
こう、風になびいたような髪が、とてもアーティストのアルバム・スリーヴ。←女性
グレイの男性や、周りの人たちの衣装はヴェネチア風なのかな。
カーニバルでは実際歴史に基づいたヴェネチア共和国風の服装感覚があると、見ている方にもお勉強にもなります。 -
マジ怖い。
-
犬まで参加。
-
カッフェフローリアン前。
-
貴族や町娘が入り乱れて、ひとつ間違うとちんどん屋さんです。
-
今どき区別がつかないですけど、この取材のひとたちは東洋人、中国の取材班なのかなー、韓国なのかな。もしかしたら日本人たちかもしれません。
このときのインタビューが、もしかしたら日本で放送されたかもと思うとちょっと胸熱。
ちなみに今どきは、イギリス人もベニスにいてイタリア人だかフランス人だか全然わからない。 -
ここで、この1つの写真で見どころがいくつもあるのに気が付きました。
目の前のサン・マルコ寺院や、スカートの腰から下のふくらみが尋常でない女性だけでなく、その近くでは別のマスケラのフォトセッションも行われているのでした。 -
こーんなにポージングも完璧。
-
暗すぎて10分もいたら移動したくなってしまいました。
最後のほうは、取材を受けている1人が「われわれは負けないぞ!コロナ・ヴィールスに!!」的な何かを叫んでいて、みんな周りで拍手という形でしめてました。
医療マスクをしたマスケラはこの年だけしか見られない というシナリオなら本当にいいのだけれど。
ドゥカーレ宮の前、国立マルチャーナ図書館。
サン・マルコ広場のL-シェープが折れ曲がる所で、特にサン・マルコ小広場と呼ばれ海につながる。国立マルチャーナ図書館 博物館・美術館・ギャラリー
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ドゥカーレ宮殿周辺の水上バス/ヴァポレット乗り場から帰ろうというかんじ。
ほんとーにきれいなサンマルコ大聖堂と、隣のドゥカーレ宮殿。
こんなにレース編みのようだとは、失礼ながら気づきませんでした。 -
サンマルコ寺院とドージェ宮(ドゥカーレ宮殿)の切れ目がわからない。
Porta della Cartaはドゥカーレ宮殿のかつての入口なんですよね。右手の光っている所です。布告門 史跡・遺跡
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ドージェ宮。人々が電気で光る。
屋台の売り場かと思ってけれど、仮装の人たちのギアの一部だった。ドゥカーレ宮殿 城・宮殿
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何でもあっていいとは一方で思うけれど、派手なクリスマスライトとか夜祭りの屋台みたいだなあ。
ベネチア カーニバル 祭り・イベント
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ドージェ宮。英語読みですが、イタリア風ならパラッツォ・ドゥカーレ。
本当に本当の告白をすると、実は一度も中に入ったことがなく、外側だけを見ていて「大きな古ぼけた建物」と思っていました。
豪華な とよく言われるようには、どうしても見れず、むしろ居心地悪く間を取った設計による、すぐ汚くなるような建物なのです。いつかこんな考えを覆す変化が自分に起こるでしょうか。
というわけで、この写真の曲がり角、夜だったのでレース編みのように透けて見える繊細な色合いの宮殿の姿を見て、初めて綺麗...と思ったのでした。ドゥカーレ宮殿 城・宮殿
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スキアヴァーニ河岸に行きます。
-
そこにいた仮装姿の人たち。
-
ここに来て、デッサン狂いのマスケラ達に会いました。
お面は重く息苦しいものに違いない。よく見えないでしょうし、鼻の部分がちゃんと合わないと呼吸困難のはずです。苦労は偲ばれます。ベネチア カーニバル 祭り・イベント
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2021/01/13 15:02:18
- 魅惑のVenezia
- and Relaxさん こんにちは。
思えばこれが見納め的なVeneziaだったんですね。
まずは他の方の旅行記でも拝見した修道院あとのホステル、回廊がいいし、なかなか素敵です。今後の参考に!
Fondamente Nòveとなっているので、日本に知れ渡っている「Fondamenta Nuove フォンダメンタ・ヌォーヴェ」という呼び方は間違っている可能性を感じました。
微妙に違っているだけなので何も問題無いと思いますが、読み方はフォンダメンテ・ノーヴェでいいんでしょうか。
→おっしゃる通りと感じ、ちょっと検索しましたが、両方の綴りが存在してるような感じで謎です。
それにしても暮れなずむ運河の小路は魅惑的で、別世界にいざなってくれますね。
今はなかなか行けないとなると余計に夢のようです。
何度か訪れていてもいつも迷路に彷徨うVenezia、素敵ですよね♪
私はcarnevaleには行ったことはないのですが、当初一度はと思っていたものの最近の観光客で溢れかえった喧噪を見るに気持ちが引けてました。
折しもコロナ拡大前夜だけに静かな様子、かえっていい感じでしたね。
それでもカフェフローリアンに集う歴史的な衣装の人々を見ると絵画のようで、雰囲気が特別ですよね。
実は恥ずかしながらVeneziaでスタジオでドレス写真を撮ったことがありますが、平たい顔に黒髪ではね(笑)
天国の小路も懐かしいなぁ。路地や広場など独特な言い方も面白いですよね。
束の間、Veneziaの夢に浸らせていただきました。
マリアンヌ
- and Relaxさん からの返信 2021/01/19 01:54:11
- Re: 魅惑のVenezia
マリアンヌ様、長々と続くヴェネツィアの旅行記に目を通して戴けて、とっても嬉しく思います♪
本当にこの時の北イタリア旅行、大変なリスクでした。2日遅かったら旅行を取り止めていたと思います。旅行中、日に日に状況が悪化する様は、毎日の、その度合いの大きさにも驚かされていました。
仮装の写真があるのですね、それはいい体験。日本人顔だからこそ可愛らしさが現れる事もあります!(真実)。 でも確かにこの時白人の強みを実感しました、やっぱりヨーロピアンの顔立ち、骨格があって中世の晴朗きわまる処と称されたヴェネツィア共和国時代が蘇るんだな、と。
もし自分がカーニバルの仮装をすることになったら、確実にお面つけます。笑 呼吸できなく苦しくなったらもう帰ります。
そうそう、さきほどアップされている元お風呂の図書館を拝見しました。食べ物もアンティーク屋さんも、日本にはこんな風にかっこよくてアイデアに溢れた所がいっぱいある、っているのを見ると、ロックダウン疲れなのかホームシックにかかっている自分に素敵なプレゼントでした。
and Relax
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