2005/02/27 - 2005/03/10
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まさとし/国連加盟国全て訪問済さん
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2/26 東京(1715)⇒トロント(1530) パークハイアット・トロント
2/27 トロント(1400)⇒ボゴタ(2005) ボゴタ→ バス車中泊
2/28 →ペレイラ Hotel Verona
3/1 ペレイラ Hotel Colon
3/2 ペレイラ→メデジン Hotel Orizonte
3/3 メデジン→ バス車中泊
3/4 →カルタヘナ Hotel Las Vegas
3/5 カルタヘナ⇒ボゴタ⇒サンアンドレス Hotel Mary May Inn
3/6 サンアンドレス Hotel Mary May Inn
3/7 サンアンドレス Hotel Mary May Inn
3/8 サンアンドレス⇒ボゴタ Hotel Aragon
3/9 ボゴタ Hotel Aragon
3/10 ボゴタ(945)⇒トロント(1545) トロント国際YH
3/11 トロント(1140)⇒ 機内
3/12 ⇒東京(1525)
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ボゴタへはA320の小型機だが空席がかなり目立つ。所要時間は6時間だ。ずいぶん短く感じる。機内食を食べウトウトしている間にボゴタに着陸態勢に入った。外は日が暮れ真っ暗だ。夜8時にボゴタ到着。アメリカからの便の到着と重なっているようで入国審査場は大混雑している。両替にもかなり時間がかかった。預け入れ荷物をターンテーブルから持ち出す際、バゲージクレームタグ番号の確認があった。国際線では珍しい。さすがコロンビアだ。他人の荷物を持って帰る輩が多いのだろう。
夜のボゴタ。このまま人でごった返す到着ロビーに出て、自分でタクシーを拾う勇気はなく、クーポン制タクシーのカウンターに出向くことにした。目的地はバスターミナル。今夜はボゴタ市内に行かず、このまま夜行バスでペレイラという街に移動することになる。
クーポン制タクシーはおそらく外で拾うタクシーの倍はするだろうが、安全のための保険だと思って納得しよう。最初から無茶はしたくない。
今夜はボゴタには滞在せず、そのままペレイラという町を目指すことにした。
ペレイラ行きのバスは出発後ボゴタの盆地から一旦峠を越えるため高度がさらに上がった。ボゴタの標高は2600mでけっこう厳しい環境だ。その後一気の高度を下げ海抜ゼロ近くまで坂を下った。平野部は夜間とはいえ蒸し暑く、エアコン設備のないバスなので停車すると車内は蒸し風呂状態になってしまう。汗だくだ。しかしそんなむさ苦しい環境も束の間でバスは再び高度を上げ、涼しい空気が車内に入ってきた。 -
ペレイラに到着。ペレイラの街に出た。朝から雨模様でどんよりとした空が広がっている。でも南米の地方都市にありがちな荒廃した雰囲気はこの街にはなく、ショッピングアーケードや遊歩道、街路樹などあか抜けしていて清潔感がある。ここが悪名高いコロンビアだというのが信じられない気持ちだ。またどういうわけか「チーノ」と声がかからない。道行く人々はチラッとこちらを見る人もいるが、基本的にみんな無関心だ。ジロジロ見たりするのは失礼なことだと認識しているのだろうか。そうだとするとコロンビアは街並だけでなく人々の意識もレベルが高いと言うことだろうか。今まで中南米を旅行したときに感じた不快感が全くない。
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一方通行の道路が碁盤の目のように整備されているのは他のラテン諸国と同様だ。
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ペレイラから近場の大都市マニザレスヘいってみた。ペレイラより規模が大きく都市という感じで人通りも多く活気がある。
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メインストリートの店にあった焼き豚
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マニザレスは一歩町の中心から離れると見晴らしのいいのどかな風景も存在する。
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マニザレス市場
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マニザレス市場にいたコロンビア人の子供たち。どこの国でも子供の表情はあどけない。
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ペレイラからメデジンヘ移動。
メデジンまでの所要時間はバスで5時間だが、アンデスの山岳道路を縦断することになり、終始ヘアピンカーブが続くきつい道のりだ。アップダウンの連続でバスの移動を甘く見ていたがかなりきつい。一番前の席に座っていたがさすがに酔いそうになってきた。途中休憩一回。小さな街を何カ所か通過し、山道は果てしなく続く。本当にこの山の中の向こうに人口200万人の大都市メデジンがあるというのが信じられない。やがてバスは一気に坂を下りはじめた。しばらくして左手に高架鉄道の線路が見え、車庫らしき場所にたくさんの電車が止まっているのが見えた。メデジンのメトロの南のターミナル駅に到着したようだ。終点のバスターミナルまで乗っていっても良いがこの駅の横で降りることにした。 -
メデジンのメトロはコロンビア唯一の都市鉄道で全線が高架になっている。治安もよく主な場所はカバーしているので便利だ。
3両編成のメトロはフランス製でカラカスに走っているものとタイプが同じだ。駅のホームはゴミ一つ落ちておらず清潔だ。しかし完成したのは1985年と古くはないが高温多湿のなか築20年が過ぎ、コンクリート建築は黄ばんでいる。一見近代的だがよく見ると少し古くさく感じる。しかし20年前にすでにこの列車が走っていたのには驚きだ。 -
コロンビア第二の都市メデジン。名前を聞いてビビッてしまう都市ワーストワンだ。僕の中ではボゴタよりイメ-ジが悪い。最大の原因はコカインを扱う麻薬組織「メデジン・カルテル」の影響だ。メデジンは悪名高い「メデジン・カルテル」のボス「パブロ・エスコバル」の出身地で実際詳しいことは知らないが、メデジンはその麻薬組織の影響をずっと受けていて疲弊していると思っていた。しかしその裏でこの街がこれほど発展していたとは思いもしなかった。
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メデジンの街角の炭火焼きチキンの店。
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レトロなショッピングモールの内部。
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夜のメデジン・セントロ。人通りも多く安全な町だ。
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しかしメデジンにはスラムも存在する。北バスターミナル付近にて。
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カルタへナへバスで移動。
カルタヘナ行きのバスは立派な大型バスだ。警察の検問やゲリラの襲撃がなければ快適な移動になりそうだ。出発時間になってから外は土砂降りの雨が降りだした。南米の高原都市は夜に雨が降るらしい。それにしてもカルタヘナへのバスは客が10人くらいしか乗っていない。乗り心地は飛行機のビジネスクラスぐらいのシートピッチで快適だ。また車内にはエアコンが効いていてコロンビアに来て初めての空調空間となった。バスは定刻通りメデジンを出発した。
出発早々山岳地帯に入ってしまいかなり道が悪くなってきた。カルタヘナまでの12時間のうち6時間はヘアピンカーブの連続だ。「今度こそ酔い止めが必要かも」と思った。しばらくして車内トイレに用を足しに数分間入ったのだが、あまりの揺れと密室の圧迫感で急に気分が悪くなってきた。もう二度とトイレの中に入りたくない。かといって車内は涼しく酔わないように水分を取る必要があるので水を飲まないわけにはいかない。トイレを我慢するしかなさそうだ。まだ出発してから2時間しか経ってないのに最悪な状況に追い込まれてしまった。何とか深呼吸とゲップを繰り返して立ち直ることはできたが、この山道が続く限る完治は不可能だ。平野部に一刻も早く出ることをひたすら祈るのみだ。
夜中検問など一切なく、トイレ休憩もまったくなしだ。時折客を降ろすことはあるが、ゆっくり車を止めるということは一度もないまま朝を迎えた。やはり夜間車を止めることはゲリラの標的となり、危険ということでこのような無謀な走りをするのが習慣になっているのだろう。とにかくバスは平野部におり、一直線に走り出した。もう酔う心配はない。しかしバスの運転が荒く、車の追い越しを頻繁にするので乗り心地は悪いままだ。
平野部に来てから住民にアフリカ系が多いと気づいた。高原地帯では黒人は少数派だったが、沿海部はかなり黒人比率が高いようだ。これは他の中南米諸国やマダガスカルにも同じ事がいえる。 -
9時前、カルタヘナの高層ビル群が見えてきた。カルタヘナには植民地時代の街並のイメージがあるが、実際は他の南米の重要都市同様アメリカンナイズされた高層ビル文化が浸透している。しかしバスは摩天楼とは違う方向に向かっている。バスターミナルは市街地からかなり離れているらしい。バスで40分もかかるとのことだ。
カルタヘナには所要12時間とぴったり予定通りに到着し拍手ものだ。それにしても12時間休憩なしでぶっ続けで走り続け、さすがに乗っているほうも疲れた。 -
南米で一番美しいといわれるコロニアル都市カルタへナ。コロンビアというとこの町を連想するくらいきてみたかった町だ。しかし観光地だけあり、今までのどこの町より人はすれていてコロンビアで初めてぼったくりを経験した。タクシーも信用できない。
コロンビア唯一の気軽に来られる町なので無理もないか。 -
人はすれていても町の美しさは現実として存在する。
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屋台でソーセージを買ったら物乞いが来て「一つくれ」とか言うので一切れかと思ったら「一本買ってくれ」と言うことだった。なんで1本1500$(74円)もするものをお前に買ってやらなくてはならないのだ。カルタヘナの物乞いはずうずうしい。
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カルタへナの新市街は摩天楼だ。旧市街からボカグランデ方面を眺める。
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一日待てばサンアンドレス行きの直行便があったのだが、あえてボゴタ経由の便で今日出発することにしたのだ。今日この街にいても昼間は暑い部屋で寝ているだけで終わりそうだ。それなら爽やかな気候のボゴタの街を少しでも歩いたほうがいい。
ボゴタを経由しその日の午後にはサンアンドレス島に到着した。けっこうまともな空港でボーディングブリッジもある。正確に言えばあったと言うべきか。ボーディングブリッジは老朽化し、今は機能しておらず、徒歩でターミナルビルへ向かうことになった。入国審査のようなものがあり、島に入るため税金(8US$)のようなものを支払わされた。
カリブ海の孤島。サンアンドレス島。気候的にはカルタヘナに戻ってきた感じだが、気分的には別の国に来た感じだ。事実街の雰囲気はコロンビアというより中米のニカラグアやホンジュラスといった雰囲気だ。車はコロンビア本土ではまったく見なかった旧型のアメ車がほとんどで中米名物の黄色いスクールバスも路線バスとして走っている。
それはさておき空港を出るなりいきなり「チーノ」と声がかかった。しかも立て続けに。もうこの島が半分嫌になった。本土ではまったく「チノ」と言われなかったのにここは民度が低いようだ。嫌な部分まで中米っぽい。タクシー運転手が「チノチノ」うるさいので歩いて街へ出ることにした。 -
でもビーチは美しい。不純物が全くない白砂の浜辺はまぶしすぎる。
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島の南端には潮吹き穴があり、周辺の透明度の高いケーブでは子供たちが泳いで遊んでいた。
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サンルイのビーチ。ここは観光客が比較的多い。でも海は美しい。
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サンアンドレス島はカリブ海の孤島で楽園、素朴、など非日常的な場所をイメージしていた。しかし実際は街に活気があり交通量も多く、中心部にはガラス張りの小ぎれいな土産物屋が並んでいる。ビーチ沿いには洗練されたレストランとホテルが並び遊歩道が整備されている。
写真はセントロの街角で。 -
セントロのビーチ。
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セントロから少し離れたビーチの沖合には座礁船があった。
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サンアンドレス島で滞在した宿。HOTEL Mary Mary Inn。1泊1500円ほどと少し割高だが、フロントのおじさんは英語をしゃべり、またこのおじさんは親日的な雰囲気で大リーグの話題を持ち出し、日本人選手の活躍を話してくれた。部屋は快適でエアコン、温水シャワー、テレビ付で何より部屋が広い。今で窓のない部屋で息が詰まりそうだったが、ここにきて開放的な宿にありつけてホッとした。
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島の反対側(西側)の「EL COVE」にバスで行ってみた。この島の西海岸は岩場ばかりでビーチと呼べる場所はないようだ。近くに沖縄の万座毛を思わせる絶壁があり、子供たちの格好の飛び込み場所になっていた。海の中には熱帯魚がわんさかいる。餌付けされているのだろうか。
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しばらくすると沖合から豪華客船が近づいてくるのが見えた。この島にはあのような大型船は接岸できないので沖合に停泊し、乗客はボートで上陸するようだ。この町にはコロンビア海軍の基地があって軍隊所有の船着き場があり、そこを利用する感じだ。どんな金持ち客が上陸してくるのか興味はあるがちょうど西海岸の海岸線経由のバスが来たのでセントロへ戻ることにした。
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警備に当たっていたコロンビア海軍の水兵。
4日間滞在したサンアンドレス島を出発することにした。空港で搭乗口へ向かう際、X線の機械を修理中で手荷物検査は省略された。金属探知器もなしだ。カバンの中も調べずに大丈夫なのだろうか。荷物検査をされないことで手間が省けたと楽観すると同時にハイジャックされないだろうかと余計な心配もしてしまう。ここからならマイアミやプエルトリコ、キューバのグアンタナモ基地への攻撃が十分に可能だ。
それにしても時差ボケへの特効薬は周到な準備よりも太陽の強い日差しに当たることだとこの島に来て感じた。よく考えるとコロンビア到着後ペレイラやメデジンなどどんよりとした空が続き、カルタヘナで初めて日差しを浴びた感じだ。実際時差ボケが治り始めたのはカルタヘナに着いてからで日本を出て1週間もたっている。そのままサンアンドレスに到着し時差ボケは完全に治ったように思う。これから時差ボケを治すには日差しに当たること。そう考えると今後冬のヨーロッパでは苦労するかもしれない。 -
離陸時、窓からは島のビーチや珊瑚礁が一望できた。鳥肌の立つような眺めだ。素晴らしい。
この便はボゴタに向かう途中、バランキーアという都市に立ち寄る。この空港で客の半分以上が入れ替わった。バランキーアはコロンビアの4大都市だが、観光名所と呼べる場所は少なくあまり知名度は高くない。僕自身もこの町に興味はない。再び離陸してサンアンドレスから3時間後ボゴタに着陸した。
中心部のAv19に到着しバスを降りた。ボゴタでは大きなリュックを背負っている僕が注目されることもない。しかしここから目的の安宿まで少し距離がある。標高が2500mということで少し歩いただけですぐに息が切れてしまう。はっきり言って今立っているだけでしんどい。また油断して強盗に遭うことも十分あり得る。ホテルまで数百メートルだが歩くのは賢明ではない。タクシーでホテルに向かうことにした。 -
ボゴタでは旧市街にあるホテルアラゴンに泊まることにした。ここはボゴタで一番安く、一番旅行者向けの宿で日本人の利用も多く、フロントには日本語の情報ノートも置かれている。また周辺の雰囲気は洗練されたコロニアル建築の街並みで政府関係の施設も多くそれほど治安は悪くないはずだ。
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旧市街へ出た。ボゴタの旧市街は古い街並みがある程度修復され、石畳の道路も整備され、どこか先進国の歴史地区に迷い込んだ感じがする。メデジンやカラカスでは歴史的な建造物がすべて取り壊され、近代建築に立て替えられていた。その結果、街そのものの雰囲気が荒廃してしまったのとは対照的だ。メデジンでは町歩きにもの物足りなさを感じていたが、ここボゴタではそんなことは全くなく、次の角を曲がるのが楽しみな雰囲気があり、興味深い街並みが広がっている。また人通りも多く危険を感じることはない。
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大通りではなにやらデモ行進が行われていた。何のデモかわからないが、ずいぶんのんびりした雰囲気のデモだ。警官たちは重装備で警戒しているが、コロンビアが自由で開放的な国だと感じる光景だ。
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ボゴタ中心部は高層ビルがそびえ立つ。
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ボゴタでは道路の車線をつぶしてバス専用レーンを造り、そこを専用のバスが走っていた。南米ではキトにも同じものが走っている。「トランスポート・ミレニモ」と呼ばれ名前からして今世紀になってから出来たのだろう。
専用レーンには最新の連結バスが走り、プラットホームにはホームドアも完備している。ホームに入るには改札を通ることになるので感覚的には新交通システムといった感じだ。運行も信号待ちはあるが専用のレーンを走るということで渋滞に巻き込まれることもない。試しに一駅だけ乗ってみることにした。 -
黄金博物館に行ってみた。ボゴタで一カ所だけ博物館に行こうと思っていたのでここを選ぶことにした。ここは展示物の数はそれほど多くなく、ペルーのリマにある黄金博物館に比べると物足りなく感じる。そのくせ建物だけは立派で中身のない博物館という印象だ。建物は共和国銀行の所有らしい。
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ボゴタの裏山であるモンセラーテの丘に登るためケーブルカーの駅に向かった。歩いていくと途中で強盗に遭うということで迷わずタクシーで向かった。強盗もいやだが、何よりも標高の高いこの街で坂を登りたくない。ケープルカーで登った先は標高は3000メートルを超えている。
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ここからはボゴタセントロの高層ビルを始め、広大なボゴタの盆地が一望できた。高度のせいか頭がボーとする。
丘の上は教会があり、おみやげ物が並んでいるが、平日の今日は人がまばらだ。 -
この国で唯一日本人が経営する和食レストランに行くことにした。オーナーの高橋さんはパックパッカ-の間では有名で彼自身かつてバックパッカーだったとのこと。ここで定食でも食べようかと思ったが、いろいろあって迷っていたら「お弁当」というのがあり、値段はちょっと高めだが、いろいろな料理が少しずつ盛り合わされているということで注文することにした。中にはサーモンの握りからトンカツ、焼き鳥、照焼チキン、スパゲッティー、魚の味噌煮、餃子、いなり寿司、キムチ、お新香、生野菜サラダなどかなりのボリュームだ。みそ汁はサービスしてくれた。
コロンビア出発の日。バスを出空港へと向かった。2時間前に空港に到着したらすでにエアカナダのチェックインは始まっていた。客はそれほど多くない。チェックインの前にコロンビア滞在に関していろいろ質問があった。僕は期間も短いし、荷物もたいしたことはないし、いかにも観光旅行といった雰囲気の人間なのでたいして時間はかからなかった。やはりコカインの持ち出しには神経をとがらしているようだ。かつて出国時の検査の厳しさといえばイスラエルの代名詞みたいなものだったが、今ではアメリカを始め、アメリカに関する路線、挙げ句の果てアメリカとは関係なさそうに思うエアカナダの搭乗にまで影響を受けている。やはりテロ、戦争はこのような弊害ももたらすのでよくない。
チェックインはすぐに終わったが、その後が最悪だった。出国審査を受けた後、X線の検査場は長蛇の列。このような行列を目にしたら免税店やレストランに立ち寄る気も失せてしまう。延々30分以上並んで検査場を通過できたと思ったら今度は搭乗口横の待合室に入るときも再度X線検査と金属探知器の検査を受けることになった。ないものはない。時間だけが過ぎていく。搭乗口までどこにも立ち寄らずまっすぐに向かったのに空港に着いてから1時間半以上かかってしまった。ほとんど待つことなく機内へ入る準備ができたという放送が流れた。 -
ボゴタを離陸後、カリブ海の上空を飛行した。途中バハマの上空を通過、白い砂州がとてもきれいに見えた。
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常夏の風景を見下ろした数時間後、今度はアメリカ大陸上空で凍結したエリー湖が見えてきた。いつの間にか大地は雪化粧している。エリー湖は見事に凍りつき、その近くにはナイアガラの滝も肉眼で確認することが出来た。その北にあるオンタリオ湖は全く凍っていない。オンタリオ湖が凍らない理由は平均水深が200メートルと深いからだろう。凍結してしまったエリー湖の平均水深は十数メートルしかない。
オンタリオ湖が凍結してしまうと北米4大都市のトロントは閉ざされて大変なことになる。 -
オンタリオ湖を通過し、トロントの摩天楼が見えてきた。空気が澄んでいるので目が覚めるような素晴らしい眺めだ。この眺めを見てしまうと世界一高いトロントCNタワーには上る必要はない。天気はよく一見暖かそうだが、これから凍りつくような寒さが待っている。そのままトロント・ピアソン国際空港に着陸した。
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旅行記グループ 2005年 南米コロンビアへの旅
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