那智勝浦・太地旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 新型コロナの流行で県境を跨ぐことさえ抑制されていたが、9月になって落ち着いてきたので、GOTOトラベルを2泊使って紀伊半島の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に出かけた。熊野三山に決めた理由は神秘的なこと、さらに2020年2月のスマトラ旅行(https://4travel.jp/travelogue/11614187)で、地球史上最大規模の大噴火のあったトバカルデラを訪れたが、熊野カルデラも同程度の大噴火の跡であるからであった。

熊野三山

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2020/10/22 - 2020/10/24

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montarou

montarouさん

 新型コロナの流行で県境を跨ぐことさえ抑制されていたが、9月になって落ち着いてきたので、GOTOトラベルを2泊使って紀伊半島の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に出かけた。熊野三山に決めた理由は神秘的なこと、さらに2020年2月のスマトラ旅行(https://4travel.jp/travelogue/11614187)で、地球史上最大規模の大噴火のあったトバカルデラを訪れたが、熊野カルデラも同程度の大噴火の跡であるからであった。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

PR

  •  熊野三山の起源は神秘に包まれている。熊野は世界有数の多雨地帯であり、熊野本宮の旧位置は川の中州、新宮は河口と海、那智は滝であり、いずれも水に関係することから、熊野には7世紀より前に、水への自然信仰の場があったと空想している。その後、聖徳太子らによる7世紀の国記(現存せず)、8世紀の古事記や日本書紀、さらに平安時代の神仏習合から、自然信仰と大和朝廷の神話、仏教に加えて道教が混ざった修行の場としても、複合化した熊野三山信仰が形成されたのだろう。<br /> 天気の悪い9月22日の昼に潮岬に到着。GOTOトラベルの予約時に台風の発生は予想されていなかったが、熊野滞在と台風の通過が重なった。潮岬の駐車場に客は皆無だったが料金300円を取られた。灯台の入館にはさらに一人300円と言うので入館は遠慮した。余計なお世話だが、生産性を上げるため人による料金徴収より、監視カメラとコインを入れるとゲートが開く装置に変更し、料金も安くすべきかな。<br />

     熊野三山の起源は神秘に包まれている。熊野は世界有数の多雨地帯であり、熊野本宮の旧位置は川の中州、新宮は河口と海、那智は滝であり、いずれも水に関係することから、熊野には7世紀より前に、水への自然信仰の場があったと空想している。その後、聖徳太子らによる7世紀の国記(現存せず)、8世紀の古事記や日本書紀、さらに平安時代の神仏習合から、自然信仰と大和朝廷の神話、仏教に加えて道教が混ざった修行の場としても、複合化した熊野三山信仰が形成されたのだろう。
     天気の悪い9月22日の昼に潮岬に到着。GOTOトラベルの予約時に台風の発生は予想されていなかったが、熊野滞在と台風の通過が重なった。潮岬の駐車場に客は皆無だったが料金300円を取られた。灯台の入館にはさらに一人300円と言うので入館は遠慮した。余計なお世話だが、生産性を上げるため人による料金徴収より、監視カメラとコインを入れるとゲートが開く装置に変更し、料金も安くすべきかな。

  •  灯台の敷地の北側の歩道を進むと忠魂碑と神社があった。「忠」とは、儒教で帝や王(会社や組織?)に尽くすことで、忠魂は帝や王のために戦って死んだ人の魂である。これは死者の親や周囲の人々への慰めのためであり、他方で人々に「忠」の意味を植え付ける作用もある。ところで儒教では、親より先に「忠」で死ぬことは不「孝」である。今は自分ファーストの時代と言うが、それでも“家庭に孝なれば、会社に不忠となり”など、とかく「忠」と「孝」は相反するときが多い。 これまで“天皇陛下万歳“の玉砕や”大蔵省への忠のための自殺“のように、忠孝の順位は文字順の通りに、「孝」より「忠」が優先とされてきたが、ただ「忠」で多くの人が戦死し、敗戦後の家族を苦しめたが「仁」の援助は少なく、さらに爆撃による死者やその家族に対する「仁」は無かった。このため戦後に忠魂碑の撤去が問題になったこともあった。残念なことに現代世界でも宗教、民族、大統領や首相への「忠」のために死ぬ不「孝」者が多い。忠孝の本質は、属している大集団と、親族小集団のいずれが重要かだが、愚かにも就職もできない者を金で集めたり、ヒロイズムが目的で軍に加わるなら「忠」ではなく「利己主義」の殺人戦への参加である。<br /> 神社の南側を西に向かって歩くと、岬の西端の高台の鯨山見に出る。ここからクジラが来るのを見張っていたという。台風で波も高かったが、それでも離岩の上に釣り人がいた。この太公望は世界平和を祈って荒波に竿を出しているのかな?<br />

     灯台の敷地の北側の歩道を進むと忠魂碑と神社があった。「忠」とは、儒教で帝や王(会社や組織?)に尽くすことで、忠魂は帝や王のために戦って死んだ人の魂である。これは死者の親や周囲の人々への慰めのためであり、他方で人々に「忠」の意味を植え付ける作用もある。ところで儒教では、親より先に「忠」で死ぬことは不「孝」である。今は自分ファーストの時代と言うが、それでも“家庭に孝なれば、会社に不忠となり”など、とかく「忠」と「孝」は相反するときが多い。 これまで“天皇陛下万歳“の玉砕や”大蔵省への忠のための自殺“のように、忠孝の順位は文字順の通りに、「孝」より「忠」が優先とされてきたが、ただ「忠」で多くの人が戦死し、敗戦後の家族を苦しめたが「仁」の援助は少なく、さらに爆撃による死者やその家族に対する「仁」は無かった。このため戦後に忠魂碑の撤去が問題になったこともあった。残念なことに現代世界でも宗教、民族、大統領や首相への「忠」のために死ぬ不「孝」者が多い。忠孝の本質は、属している大集団と、親族小集団のいずれが重要かだが、愚かにも就職もできない者を金で集めたり、ヒロイズムが目的で軍に加わるなら「忠」ではなく「利己主義」の殺人戦への参加である。
     神社の南側を西に向かって歩くと、岬の西端の高台の鯨山見に出る。ここからクジラが来るのを見張っていたという。台風で波も高かったが、それでも離岩の上に釣り人がいた。この太公望は世界平和を祈って荒波に竿を出しているのかな?

  •  潮岬から数km走ると数十の岩塔が一列に並んだ橋杭岩がある。柔らかい岩の割れ目に溶岩が貫入し、隆起後に柔らかい部分が侵食されて岩塔が残った結果と言う。ここは熊野カルデラの外辺部で、ここの噴火は日本列島周辺で最大、地球史上でも有数の大噴火と言う。今年の2月、スマトラのトバカルデラを訪れたが、そこは7万年余り前、噴出物2800&#13222;の大爆発で、熊野カルデラは1500万年前に、ほぼ同規模の噴出物2700&#13222;の噴火という。しかし侵食でカルデラらしき地形は見えなかった。ところで串本は黒潮洗う本州最南端であり、露天でも亜熱帯の花が咲いていた。

     潮岬から数km走ると数十の岩塔が一列に並んだ橋杭岩がある。柔らかい岩の割れ目に溶岩が貫入し、隆起後に柔らかい部分が侵食されて岩塔が残った結果と言う。ここは熊野カルデラの外辺部で、ここの噴火は日本列島周辺で最大、地球史上でも有数の大噴火と言う。今年の2月、スマトラのトバカルデラを訪れたが、そこは7万年余り前、噴出物2800㎦の大爆発で、熊野カルデラは1500万年前に、ほぼ同規模の噴出物2700㎦の噴火という。しかし侵食でカルデラらしき地形は見えなかった。ところで串本は黒潮洗う本州最南端であり、露天でも亜熱帯の花が咲いていた。

  •  風が強く雨も降るので、早めに宿に向かう。宿は紀伊勝浦駅の「民宿……」、料金は高級温泉旅館並みだったが、行ってみるとゲストハウス、風呂は故障で使えず、料理は超大盛りの魚の家庭料理。長居は無用、朝食後は早出して、熊野速玉大社に向かう。駐車場は無料。入口の竜の口は人間の体のような、うねりを連想させて面白い。

     風が強く雨も降るので、早めに宿に向かう。宿は紀伊勝浦駅の「民宿……」、料金は高級温泉旅館並みだったが、行ってみるとゲストハウス、風呂は故障で使えず、料理は超大盛りの魚の家庭料理。長居は無用、朝食後は早出して、熊野速玉大社に向かう。駐車場は無料。入口の竜の口は人間の体のような、うねりを連想させて面白い。

  •  温暖湿潤の熊野速玉大社には巨大な大木が多く、古い歴史を思わせる。ここは河口に近く、平安海進の時代には海岸だったのではと思った。ただ社殿は新しく、金色と朱色が目立ち過ぎの印象を持った。祭神は速玉神(はやたまのかみ)、伊邪那岐大神(イザナギ)、薬師如来である。速玉神が神話を取り入れてヘンゲしたイザナギであり、仏教も取り入れ薬師如来だと言う。このヘンゲはヒンズー教が起源であろうが、イザナギが如来で、実は薬師如来であるとの理由は知らないが、一神教の頑なさと対照的に、余りにおおらかで、争いのない信仰である。

     温暖湿潤の熊野速玉大社には巨大な大木が多く、古い歴史を思わせる。ここは河口に近く、平安海進の時代には海岸だったのではと思った。ただ社殿は新しく、金色と朱色が目立ち過ぎの印象を持った。祭神は速玉神(はやたまのかみ)、伊邪那岐大神(イザナギ)、薬師如来である。速玉神が神話を取り入れてヘンゲしたイザナギであり、仏教も取り入れ薬師如来だと言う。このヘンゲはヒンズー教が起源であろうが、イザナギが如来で、実は薬師如来であるとの理由は知らないが、一神教の頑なさと対照的に、余りにおおらかで、争いのない信仰である。

  •  町の上にある神倉神社に行く予定だったが、雨の山道を登ることは止めた。神倉神社はイザナギとイザナミが神倉の大岩(コトビキ岩が天の御柱かな?)に降り立った所とされ、そこからイザナギが速玉大社に、イザナミが那智大社に祭られたと言う。その後、神武天皇がこの山に立ち、イザナギの眼から生まれた太陽神の天照大神の使いの八咫(ヤタ)ガラスに道を教えてもらったと言う。これらは日本書記などを源にして、後の時代に加えられた伝承だが、付け加える事、それを信じる体質が、多神教の日本人の性格のようだ。<br /> 速玉大社を出て、熊野川を遡り、熊野本宮大社に向かった。熊野川とその流域は日本の普通の川と、大きく異なっていると感じた。熊野川の傾斜は、驚くほど緩やかで、河原も広く、激流がなく、船でゆっくり下ることができる。ところが、周囲は急峻な山に囲まれているため、両岸には多くの滝が見えた。<br />

     町の上にある神倉神社に行く予定だったが、雨の山道を登ることは止めた。神倉神社はイザナギとイザナミが神倉の大岩(コトビキ岩が天の御柱かな?)に降り立った所とされ、そこからイザナギが速玉大社に、イザナミが那智大社に祭られたと言う。その後、神武天皇がこの山に立ち、イザナギの眼から生まれた太陽神の天照大神の使いの八咫(ヤタ)ガラスに道を教えてもらったと言う。これらは日本書記などを源にして、後の時代に加えられた伝承だが、付け加える事、それを信じる体質が、多神教の日本人の性格のようだ。
     速玉大社を出て、熊野川を遡り、熊野本宮大社に向かった。熊野川とその流域は日本の普通の川と、大きく異なっていると感じた。熊野川の傾斜は、驚くほど緩やかで、河原も広く、激流がなく、船でゆっくり下ることができる。ところが、周囲は急峻な山に囲まれているため、両岸には多くの滝が見えた。

  •  写真は道路脇の豪快なめ滝の葵の滝。

     写真は道路脇の豪快なめ滝の葵の滝。

  •  昼の少し前に熊野本宮大社に着き、道を挟んだインホメーションセンターの無料駐車場に車を止めた。本宮大社の鳥居をくぐり、石段を登ると社殿が現れる。先ず目に留まるのは八咫(ヤタ)ガラスの幟である。神話の八咫ガラスが3本足であるとの記載はないが、今は3本足とされている。3足カラスは古代の大陸で、太陽に住むと言われた吉鳥で、高句麗の初代王の高朱蒙も3足カラスの旗を用いた。それらの影響で八咫烏が3本足とされたのであろう。ところで、西洋では羽のある人獣や神が多いが、なぜか日本では少なく、八咫烏と烏天狗くらいかと思う。

     昼の少し前に熊野本宮大社に着き、道を挟んだインホメーションセンターの無料駐車場に車を止めた。本宮大社の鳥居をくぐり、石段を登ると社殿が現れる。先ず目に留まるのは八咫(ヤタ)ガラスの幟である。神話の八咫ガラスが3本足であるとの記載はないが、今は3本足とされている。3足カラスは古代の大陸で、太陽に住むと言われた吉鳥で、高句麗の初代王の高朱蒙も3足カラスの旗を用いた。それらの影響で八咫烏が3本足とされたのであろう。ところで、西洋では羽のある人獣や神が多いが、なぜか日本では少なく、八咫烏と烏天狗くらいかと思う。

  •  太陽神の天照が、子孫の神武のために太陽に住む八咫烏を送った神話に矛盾はないが、熊野本宮大社の主神は熊野座神(ニマスカミ)、家津御子大神(けつみこおおかみ、スサノオ)で、阿弥陀如来(証誠菩薩)には多少の矛盾がある。スサノウの娘を嫁とした大国主命が国を継いだが、天照は大国主の国を譲れと脅迫したのである。それ故、天照の八咫烏とスサノウを共に祭ることは不合理である。八咫烏を祭るなら、本宮大社の主神を天照、大日如来が適切だが、天武天皇が天照を伊勢神宮に祭ったため、天照を祭れなかったのだろう。もっとも私は正確な由来を知らない。ただ三つの一神教の間や、数千年前に神が与えたと言う「約束の地」を根拠に、今も殺し合いが続いているが、これらと違い熊野本宮大社は天照の八咫烏とスサノウと如来が共存する平和な信仰である。

     太陽神の天照が、子孫の神武のために太陽に住む八咫烏を送った神話に矛盾はないが、熊野本宮大社の主神は熊野座神(ニマスカミ)、家津御子大神(けつみこおおかみ、スサノオ)で、阿弥陀如来(証誠菩薩)には多少の矛盾がある。スサノウの娘を嫁とした大国主命が国を継いだが、天照は大国主の国を譲れと脅迫したのである。それ故、天照の八咫烏とスサノウを共に祭ることは不合理である。八咫烏を祭るなら、本宮大社の主神を天照、大日如来が適切だが、天武天皇が天照を伊勢神宮に祭ったため、天照を祭れなかったのだろう。もっとも私は正確な由来を知らない。ただ三つの一神教の間や、数千年前に神が与えたと言う「約束の地」を根拠に、今も殺し合いが続いているが、これらと違い熊野本宮大社は天照の八咫烏とスサノウと如来が共存する平和な信仰である。

  •  熊野本宮大社はかつて、大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる川の中洲にあったが、明治22年の大水害で社殿の大半が流され、中州は陸続きになった。流された社殿は大斎原に小さな祠として祭られ、残りは現在の高台に遷座された。大斎原の入口には巨大な鳥居があり、ひと昔前の重厚長大?を売り物にしているようで、「さざれ石の巌」となる神話のイメージと違和感がある。ただ本宮の社殿を出るとき、ハイキング姿の若い男女を大学生と思い、声をかけると社会人夫婦で高野山から歩いて来たとの返事を思い出した。すなわち今は信仰や修行ではなく、観光で生きてゆく社殿ゆえ、大鳥居を建てたと納得した。

     熊野本宮大社はかつて、大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる川の中洲にあったが、明治22年の大水害で社殿の大半が流され、中州は陸続きになった。流された社殿は大斎原に小さな祠として祭られ、残りは現在の高台に遷座された。大斎原の入口には巨大な鳥居があり、ひと昔前の重厚長大?を売り物にしているようで、「さざれ石の巌」となる神話のイメージと違和感がある。ただ本宮の社殿を出るとき、ハイキング姿の若い男女を大学生と思い、声をかけると社会人夫婦で高野山から歩いて来たとの返事を思い出した。すなわち今は信仰や修行ではなく、観光で生きてゆく社殿ゆえ、大鳥居を建てたと納得した。

  •  インホメーションセンターの中の展示物は面白かった。ここを出て、遠くない川湯温泉に向かった。無料駐車場の更衣室はコロナを理由に鍵がかけられていたため、車の中で水着に着替え、河原に向かった。既に多くの湯舟が掘ってあり、その内の適度な温度の湯舟に浸かった。川水も河原も綺麗で、乙なものであった。客は他に一組で、上流の無料露天風呂に向かっていった。ここには十軒程度の旅館があるが、休日明けで客は少ないように見えた。

     インホメーションセンターの中の展示物は面白かった。ここを出て、遠くない川湯温泉に向かった。無料駐車場の更衣室はコロナを理由に鍵がかけられていたため、車の中で水着に着替え、河原に向かった。既に多くの湯舟が掘ってあり、その内の適度な温度の湯舟に浸かった。川水も河原も綺麗で、乙なものであった。客は他に一組で、上流の無料露天風呂に向かっていった。ここには十軒程度の旅館があるが、休日明けで客は少ないように見えた。

  •  宿に向かうには時間的に早かったが、天気が悪いので、勝浦に向かった。途中の熊野川の両岸が急峻だが、川幅は非常に広い砂利河原で、大石は見られず、流れは緩やかであった。ただ部分的に川幅の狭いボトルネックがあり、ネックの上流部では時に大洪水に襲われるとのことであった。

     宿に向かうには時間的に早かったが、天気が悪いので、勝浦に向かった。途中の熊野川の両岸が急峻だが、川幅は非常に広い砂利河原で、大石は見られず、流れは緩やかであった。ただ部分的に川幅の狭いボトルネックがあり、ネックの上流部では時に大洪水に襲われるとのことであった。

  •  今日の宿も勝浦だが、勝浦の内湾の海側の巨大な温泉旅館である。宿まで陸続きだが、随分手間の大型駐車場に停められ、マイクロバスと船で宿まで運んでくれた。内湾は半島で囲まれた地形で、写真のように湾外は高波だが、内湾は非常に静かだった。

     今日の宿も勝浦だが、勝浦の内湾の海側の巨大な温泉旅館である。宿まで陸続きだが、随分手間の大型駐車場に停められ、マイクロバスと船で宿まで運んでくれた。内湾は半島で囲まれた地形で、写真のように湾外は高波だが、内湾は非常に静かだった。

  •  昨日の宿と同程度の宿泊費だったが、部屋も、食事も、温泉も、海辺の露天風呂もすべてが良かった。岬の頂上までエスカレーターでも、エレベーターでも行ける。天気は悪かったが、それでも眺望は良かった。

     昨日の宿と同程度の宿泊費だったが、部屋も、食事も、温泉も、海辺の露天風呂もすべてが良かった。岬の頂上までエスカレーターでも、エレベーターでも行ける。天気は悪かったが、それでも眺望は良かった。

  •  宿を10時前に出て、熊野那智大社に向かった。田舎の道路を登って行くと、滝が見えてきた。寂れた商店街を登り切った所にトイレと無料駐車場があり、そこに車を止め、那智大社への石段を登っていった。

     宿を10時前に出て、熊野那智大社に向かった。田舎の道路を登って行くと、滝が見えてきた。寂れた商店街を登り切った所にトイレと無料駐車場があり、そこに車を止め、那智大社への石段を登っていった。

  •  昔の賑わいを偲ばせる、ひなびた石段の上には、金色と朱色で飾った派手な社殿があった。ここの祭神は熊野夫須美神(ふすみのかみ)、イザナミ、千手観音とされる女神で、夫須美神の木像は立膝で、日本でも古い時代の女性は立膝で座るのが礼儀であったと言う。

     昔の賑わいを偲ばせる、ひなびた石段の上には、金色と朱色で飾った派手な社殿があった。ここの祭神は熊野夫須美神(ふすみのかみ)、イザナミ、千手観音とされる女神で、夫須美神の木像は立膝で、日本でも古い時代の女性は立膝で座るのが礼儀であったと言う。

  •  ここにも大木があり、それには人と通れる穴があり、通り抜けると“よみがえる”と言う。有料で、免罪符的なのは残念であった。イザナミは火の神を産んだとき火傷で死んで、日本書記では熊野に葬られたと記されている。その日本書記は天武天皇の命で作成された書で、天武(大海人皇子)は死地を逃げ出し、吉野に逃げ、伊勢などの兵も集めて壬申の乱で生還した。ことから吉野や伊勢が生死の境界で、それより南の熊野を黄泉の国としたのかも知れない。その日本書記では、イザナギが熊野に葬られたイザナミを恋しがり、会いに行くが、イザナミは腐って醜い姿になっていた。醜い姿を見られたイザナミらはイザナギを追いかけてきたが、イザナギは逃げ帰って生還した。そして、黄泉の穢れを落とすために左右の目を洗うと太陽神(天照)と月の神を産まれ、鼻からスサノウが生まれた。これがイザナミを祭る那智大社の“黄泉がえり”の起源である。今は、 “生きたまま、けがれを清め、生まれ変る” 胎内くぐりである。

     ここにも大木があり、それには人と通れる穴があり、通り抜けると“よみがえる”と言う。有料で、免罪符的なのは残念であった。イザナミは火の神を産んだとき火傷で死んで、日本書記では熊野に葬られたと記されている。その日本書記は天武天皇の命で作成された書で、天武(大海人皇子)は死地を逃げ出し、吉野に逃げ、伊勢などの兵も集めて壬申の乱で生還した。ことから吉野や伊勢が生死の境界で、それより南の熊野を黄泉の国としたのかも知れない。その日本書記では、イザナギが熊野に葬られたイザナミを恋しがり、会いに行くが、イザナミは腐って醜い姿になっていた。醜い姿を見られたイザナミらはイザナギを追いかけてきたが、イザナギは逃げ帰って生還した。そして、黄泉の穢れを落とすために左右の目を洗うと太陽神(天照)と月の神を産まれ、鼻からスサノウが生まれた。これがイザナミを祭る那智大社の“黄泉がえり”の起源である。今は、 “生きたまま、けがれを清め、生まれ変る” 胎内くぐりである。

  •  那智大社の隣が天台宗の青岸渡寺で、高野山の真言宗ではない。江戸時代まで熊野三山には仏教寺院は並立していたと言うが、明治期に廃仏毀釈で本宮と新宮の寺院が撤去された。しかし那智の青岸渡寺は西国三十三ヵ所の第一番札所であったため、空堂として残されたと言う。

     那智大社の隣が天台宗の青岸渡寺で、高野山の真言宗ではない。江戸時代まで熊野三山には仏教寺院は並立していたと言うが、明治期に廃仏毀釈で本宮と新宮の寺院が撤去された。しかし那智の青岸渡寺は西国三十三ヵ所の第一番札所であったため、空堂として残されたと言う。

  •  青岸渡寺から歩いて下り、赤い塔の横を通り、大杉の並木坂を降りると、滝下に出た。

     青岸渡寺から歩いて下り、赤い塔の横を通り、大杉の並木坂を降りると、滝下に出た。

  •  一段で落ちる滝で落差は133mで、一段の滝では日本一と言う。4段で落差350mの称名滝の4段目は126mである。称名滝の右側に、雪解け期だけ白く水が流れ落ちるハンノキの滝は一段で落差は約500mである。ただ那智の滝のように、一気に開けたが岸壁を流れ落ちるダイナミックな構図は素晴らしい。<br /> 昼過ぎに、那智大社を離れ、東に向かって三重県に抜けた。伊勢神宮に行かなかったが、次回は英虞湾と併せて訪れたいと思っている。ただ日本には安い宿のないのが残念である。宿泊、飲食、農林業の生産性は最悪で、それらの改革を行わず、GOTOや各種補助金で延命するなら、先進国で最下位の日本はさらに落ちぶれるだろう。<br />

     一段で落ちる滝で落差は133mで、一段の滝では日本一と言う。4段で落差350mの称名滝の4段目は126mである。称名滝の右側に、雪解け期だけ白く水が流れ落ちるハンノキの滝は一段で落差は約500mである。ただ那智の滝のように、一気に開けたが岸壁を流れ落ちるダイナミックな構図は素晴らしい。
     昼過ぎに、那智大社を離れ、東に向かって三重県に抜けた。伊勢神宮に行かなかったが、次回は英虞湾と併せて訪れたいと思っている。ただ日本には安い宿のないのが残念である。宿泊、飲食、農林業の生産性は最悪で、それらの改革を行わず、GOTOや各種補助金で延命するなら、先進国で最下位の日本はさらに落ちぶれるだろう。

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