2020/10/07 - 2020/10/08
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mitamita73さん
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サラリーマン生活の卒業が近づいてきたので、プチ・ルーツ旅をしようと思い立ちました。
そこで、50年以上前に住んでいた炭鉱について、ネットを検索していたら、「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」に目がとまり、さっそく1泊2日で行ってきました。
住んでいた小さな炭鉱は、とうに閉山となり、その痕跡はまったくなくなってしまいましたが、ここには、いろいろな本や映像があって、薄れていた記憶を、いろいろと呼び起こしてくれました。感謝、感謝です。
しばらくは海外に行けそうもないので、プチ・ルーツ旅をしてみようかと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- ANAグループ JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
平日の午後だったので、羽田空港はすいていました。
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いつも混雑しているスイートチェックインも、待つことなく通過して、スイートラウンジで過ごします。コンビニ風のおにぎりをいただきます。お稲荷さんは不在でした。
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搭乗率は60%ほどで、何事もなく千歳に到着。
快速エアポートの指定席は、出張族がいないからか、超ガラガラでした。 -
大した宿泊実績もないのに、上級会員にしてくれた義理があり、かつ、時折泊まっていたANAクラウンプラザ札幌が長期休業中なので、ホリデイインに泊まります。朝夕食込で12000円弱。GOTOトラベル利用なので、結構お得感があります。
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クーポンを2000円もらいました。
ありがたくいただきますが、経済効果はあるにせよ、本当に困っている人への支給が届いているのか心配です。 -
少し広めの部屋にしてくれました。
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随所に古さを感じますが、清掃はきちんとされています。
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出張利用に役立つアイロンとアイロン台もあります。
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ホテルを出て、二条市場近くの、活ガニ屋さんに行きました。
飲食店への卸が主なので、売上急減。少しでも支えになればと思います。
季節外れですが、2軒に、各2Kgくらいの活タラバを贈り、自宅用には1Kg超の毛ガニ(写真)、あわせて3万円強(税・送料込)です。営業協力といいつつ、高品質の品を安く買えました。 -
ホテルに戻って夕食です。ルームサービスにもしてくれます。
時節柄、ありがたい配慮です。
飲料の自販機もコンビニと同価格と、実に良心的。 -
朝食です。オーダーメニューもいろいろあっていい感じ。小ぶりのラーメンも、一杯ごとに、ちゃんとゆでているようです。
この価格帯のホテルとしては、かなり良質なサービスです。 -
感染症対策を講じながらも、極力自分で選ぶ余地を残してくれていているので、好き嫌いが多い私にとっては、ありがたいです。
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チェックアウトして、岩見沢に向かいます。
片道運賃が970円なのに、往復だと、特急利用可で1,980円。片道20円で特急に乗れる計算です。
ただ、地下鉄代を節約しようと、ススキノから札幌駅まで歩いたために、特急ライラックに乗り遅れ、普通列車でのんびり行くことになりました。 -
岩見沢駅が近づいてきました。かつての巨大操車場も、今は大半が草むらになっています。
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岩見沢駅に着きました。
各駅停車で、所要時間41分。
手元にある1973年の時刻表では、おおぞらなどのディーゼル特急で34分、3駅のみに止まる特別快速電車ですら41分を要していたので、ずいぶん早くなったものです。
鉄道関係者の、目に見えない奮闘の成果なのだと思います。 -
昔は、ここに、駅そばがありました。
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ホームから、北側を見た写真です。私が高校生だった頃は、三笠・幾春別方面に繋がっていました。
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ここ岩見沢は、空知のなかでは、唯一、人口があまり減っていない街(若年層は半減)なのですが、切符の自販機が2台で済むあたり、利用者の減少が顕著なのでしょう。それとも大半が定期券利用者なのでしょうか。(みどりの窓口は健在です。)
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1933年建立の駅の焼失は、あまりに残念です。
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駅前を見て、店の減少以上に違和感があったのが、雪除けのひさしがないこと。
維持費の問題など、いろいろな事情があるのでしょうが、なんだか寂しいです。 -
あとで、別の通りに行くと、ひさしがあったのでホッとしました。
子供の頃の記憶なのか、それとも、鉄道員で、高倉健が生まれた子のために、ヤマを下りて、人形を買いに行った商店街の残像なのか、やはり、北の街には、こういう風景が似合います。 -
駅から徒歩1分で目的地に到着しました。
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中に入ると、実に丁寧に案内してくれます。
これは、子供の頃に住んでいた街の映像の一シーン。その貴重さったら、涙ものです。 -
そこらの図書館ではお目にかかれない貴重な資料の数々です。
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通称「美鉄バス」のターミナル。こういう写真を撮った人がいてくれたことに感謝です。
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旧・美唄郵便局です。
覚えています。 -
私が通った小学校の航空写真がありました。1学年8クラスの大きな小学校でしたが、三井美唄小学校は、この1.5倍だったそうです。
校庭の人文字に1972とあるので、統廃合による廃校時に撮影したようです。
ちなみに、三井美唄には、収容人数2千人の、東京より北で一番大きな映画館があったそうです。 -
私が6歳まで住んでいた小さな炭鉱(ヤマ)の映像はさすがにありませんが、周囲の財閥系のヤマの写真や映像はたくさんありました。
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ヤマは、どこも、24時間操業で3交代でした。朝方、近所のおっちゃんが、こうして帰ってくる姿が、頭の片隅にかすかに残っています。
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このヘルメットと、灯りだけで、地下数百mを下り、8時間働くなんて、大変な仕事です。ヤマの仕事は、事故と隣り合わせで、私の隣家の幼なじみの父も地下から還って来ませんでした。
何十人も亡くなるような大事故以外は、発表も報道もされなかったようで、隣家の被害の記録はどこにもありませんでした。
ヤマの内と外では、人の命の重さが、ずいぶん違っていた気がします。 -
2009年3月に、空知地方史研究協議会が編纂した本です。
今まで知らなかったことが満載でした。 -
こんな詳細なデータがあったなんて、感動です。
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炭鉱災害の犠牲者の記録はほとんどありませんが、出炭量の記録は、小規模炭鉱のものまで正確に残っていました。
少し複雑な気持ちです。 -
炭鉱名の右の数字は、解雇者数と閉山年月日です。
閉山になるたびに、これだけの人とその家族がヤマを去りました。
多くが、職を求めて本州に渡りましたが、移り住んだ土地では多くの苦労があったことと思います。 -
住友赤平の立坑の模型です。
現存する最後の施設らしく、次回訪問するつもりです。 -
炭鉱とは直接関係がありませんが、昔の岩見沢の市街地図がありました。駅を中心に発展した姿が偲ばれます。
隅っこに、私が通った高校の旧校舎が載っています。 -
しばらく同センターで書物に触れ、また、いろいろと教えていただき、特急ライラックで札幌に戻ってきました。
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直通がなくなったので、札幌で乗り換え、そのまま空港へ。
カウンターはガラガラですが、クーポンがあるからか、売店にはお客さんがいました。 -
夕食は、「空」でラーメンです。
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「空」のラスベガス店はどうなっているのでしょう。心配です。
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出張が激減しているからか、スイートラウンジはガラガラでしたが、それでもPクラスは満席で、キャンセル待ちもOKがでませんでした。
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無事に帰ってきました。
柴犬ポン太は、大歓迎してくれたあと、バンコクで買ったドーム型の犬小屋でウトウトです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- マプトさん 2020/11/13 21:23:13
- 鉱山
- 空知の炭鉱、今は全部なくなりましたね。
炭住街も面影がほとんどないですね。上砂川に関しては、炭鉱の跡が全部壊され、跡形もなくなりました。
私の曽祖父は、鴻之舞金山や丸瀬布の銅山で働いていました。当時は戦時中で、朝鮮人労働者もいたそうです。で、敗戦になったら、彼らが暴れだしたと言っていました。ただ、社宅の長屋、コミュニティーが密だったとか。炭住街もそうだったようですね。
- mitamita73さん からの返信 2020/11/18 21:09:47
- Re: 鉱山
- 拙稿をお読みいただき、ありがとうございます。
元道民として、マプトさんの投稿は、いつも、懐かしさ一杯で拝読しています。
特に、遠軽駅前のレストランのご記述では、「鉄道員」で志村けんの子敏行が開業する美寄駅前の「ロコモティ―バ」を思い出しました。
人口減少のなかで奮闘している飲食店を応援する意味からも、引き続き、いろいろとご紹介ください。
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