2020/09/19 - 2020/09/20
222位(同エリア1466件中)
へびおさん
久々の近畿地方への旅。
京都・山科にある天智天皇陵を見ることが第1の目的でしたが、せっかくなので天智天皇ゆかりの地巡りをしてみようと、まずは滋賀県大津市を歩き回りました。
本編は近江神宮から三井寺までを歩いた旅行記です。
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<往路>東京 6:30 → 京都 8:45 のぞみ(グリーン車)
<復路>京都 10:30 → 東京 12:45 のぞみ
<宿泊>ダイワロイネットホテル京都八条口 禁煙ダブル 素泊まり
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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-
久々の近畿地方の旅、今回は8年ぶり二度目の滋賀に来ています。
京都の山科にある天智天皇陵と大津で近江牛ランチを楽しんだ後に来たのは近江神宮。
タイトルにもあるように、天智天皇ゆかりの史跡巡りの中でも外せないスポットです。 -
(。´・ω・)ん?
なんか屋台っぽいのがたくさん出ている!? -
飲食系が多かったけど、雑貨やお花などを売っている屋台もあり。
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なかにはタロット占いの屋台まで!!
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屋台を遠目に眺めながら参道を歩きます。
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二の鳥居。
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鳥居の傍に黒板が置いてありました。
屋台の行列は『近江神宮マルシェS』という手作り市だったんですね。 -
手水舎。
コロナ対策に消毒薬も置いてありました。 -
そして近江神宮と言えばの朱塗りの楼門が見えてきた!
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緑の木々に朱色が映えます。
近江神宮と言えば競技かるたの決定戦が行われることで有名ですが、認知度が上がったのはその競技かるたを題材とした『ちはやふる』の舞台になってからでしょうか。 -
近江神宮の神紋・山桜に楽浪。
琵琶湖の南西沿岸一帯を「楽浪(ささなみ)」 と言ったことから、大津や志賀、長等などの枕詞になっています。 -
神紋のヤマザクラではなく桔梗を植えたプランターがありました。
秋ですなぁ。 -
外拝殿。
近江神宮は天智天皇に縁があると言っても創建は昭和15年と新しいです。 -
天智天皇が漏刻(水時計)を作らせたことから境内には色々なタイプの日時計が展示されています。
こちらは日時計1。 -
それぞれの方角と距離が刻まれています。
白村江の830kmって・・・
やっぱり天智天皇と言えば「白村江の戦い」が切っても切り離せない歴史ですからね。 -
奈良までは40kmなんですね。
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日時計2。
北極星の方角を指しています。 -
そしてこちらが日本最古の漏刻を復刻した物。
スイスの時計メーカー・オメガ社からの寄贈です。
天智天皇が皇太子時代に日本で最初の水時計を作り、即位後 新たに漏刻を整備したとされています。
飛鳥にある水落遺跡はその遺構とも言われているのだそう。 -
時計館なるものもありました。
入館料300円くらいだったかな? -
館の入口付近には百人一首かるたを大きくしたものが貼ってあります。
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安倍仲麻呂と在原業平は奈良の景色を詠っています。
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河原左大臣・源融の和歌。
大学の授業で、伊勢物語でこの人に関する段が当たってしまい、レポートを書くのに苦労したっけ。
嵯峨天皇の皇子で、源氏物語の光源氏の実在モデルの有力候補。
イケメンだったのかしら・・・
平等院はこの方が営んだ別荘だったんです。 -
そして天智天皇。
随分渋い人物に描かれているな。
百人一首の第1首目に出てくるので覚えている方も多いですよね。
なぜ百人一首のトップバッターが天智天皇だったかというと、編纂された平安時代の天皇は天智系だったためと言われています。
まあこの歌自体、天智天皇の作ではないというのが最近の通説ですが。 -
こちらは古代中国で使われていた火時計の復元模型。
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どうやって使っていたのだろう・・・
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ロレックス社からの寄贈品です。
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外拝殿前の燈籠には獅子がくっついている!
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そしてこの燈籠には干支も彫刻されていました。
巳年はどうやってもキモチ悪い。。 -
ではお参りをしましょう。
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内拝殿。
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内院回廊 。
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内拝殿の後ろにある本殿が少し見えました。
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近江神宮の絵馬。
競技かるたをしている場面のデザインですね。 -
せっかくなのでお御籤を引いてみました。
末吉。
「カネ不足で何をやっても自分の力ではどうにもならない」的なことが書いてありました・・・(汗) -
外拝殿より楼門を眺める。
近江神宮、堪能しました。 -
ここまで来た記念に干支が描かれている天然石のストラップ(500円)を購入。
石の裏面には「近江神宮」の文字も書かれています。 -
現在13:15
予定通り順調にいってるな~と行程表を見直してビックリ。
次の史跡到着時間が巻き戻っている・・・
これじゃ全てを見終わるのが考えていたよりも1時間遅れになっちゃうじゃん!!
なんでこんな書き写しミスしてるかな~(''Д'') -
移動の途中に見つけた古墳の案内板。
皇子山(おうじやま)古墳は4世紀後半に築造されたと考えられている大津市内最古の前方後円墳ということ。
時間があったら見に行きたかった。 -
地名・皇子が丘の「皇子」とは誰のことを指しているのかと不思議に思って調べたら、壬申の乱に敗れ亡くなった大友皇子に由来するそうです。
負けても歴史を経てその存在を地名に遺されるなんて、地域の方からは大切にされてきたということなんでしょうね。 -
皇子が丘公園。
背後にそびえるのは長等山でしょうか。 -
脇道に可愛いパン屋さんを発見。
入ってみようか迷ったのですが、小さい店内に先客がいらっしゃったので止めました。
そもそもパンを買う余裕は時間的にも荷物的も厳しかったのですが。
因みにこのお店は京阪電車が発行するパンフレットでも紹介されているパン屋さんでした。 -
大津市の道路は綺麗に整備されていて歩くのがとても気持ち良かったです。
目指していた弘文天皇陵の案内板を見つけた。 -
さあここから慎重に歩かないと!
なにせGoogleマップが示すルートだと古墳の正面を案内してくれないことが多くて。
今まで何度迷って時間を無駄にしたか。 -
とか言いつつやっぱり迷う。
最後の最後で道が二股に分かれていて、どっちに進もうか悩んだ結果、右手の道を進むことに。
(※間違った道を選択しています) -
遠回りの道を選んでしまったことに気づいていない私。
でもどう考えても天皇陵に着く感じじゃないよね。
この道は新羅善神堂に行く道でした。
お堂を通りすぎると大きな鳥居が。 -
案内板があった!
-
随分迂回して辿り着きました。
第39代 弘文天皇 長等山前陵(ながらの やまさきの みささぎ)・園城寺亀丘古墳。
弘文天皇とは天智天皇の第一皇子・大友皇子のことで、明治時代に歴代天皇の中に列せられています。 -
大友皇子が本当に即位していたかどうかは分かっていませんが、万葉集などには立太子していたとあるそう。
優秀な方だったそうです。
余談ですが、大友皇子は壬申の乱で叔父・大海人皇子に敗れ25歳で自死したとされていますが、実は愛知や千葉に大友皇子の墓と言われるものが存在します。
よくある落ち延び説ですが、私は意外にこの説は「ありかも」と思っていまして。 -
と言うのも、千葉県にある飯給(いたぶ)という地名の由来が「大友皇子が逃げ疲れ休んでいる途中、地元の人が食事を持っていたところ皇子は大層喜ばれた。そのためこの地を ‘ 飯を給わった ‘ という意味で飯給というのである」というものなんです。
その近辺には他にも大友皇子に関する伝説がたくさん残っています。
まさか近江から東国に行くか?と思いますが、実は皇子の妃の中に中臣(藤原)鎌足の娘がいたんですね。
中臣家と言えば鹿島神宮の神官を司った家系。
もしかしたら妃の実家の力を借りようと鹿嶋を目指していたのかも・・・と考えたり。
結局、大海人皇子の軍勢に追いつかれ亡くなってしまうのですが。 -
天皇陵の次に向かうのは三井寺です。
Googleマップで経路検索したら先ほど歩いて来た大通りにまた戻らなければいけないみたい。
時間も押しているし、少しでも近道したい。
!そう言えば、さっきの案内板に三井寺も載っていたじゃん!
地元の案内板に沿って行ったほうが正確じゃん!!
と言うことで先ほどの鳥居を再度くぐります。 -
大きな鳥居は残っているけれどそれ以外はお手水だったと思われる石と、境内に続いていたと考えられる階段以外は何もない。
廃神社の跡なのかしらと思っていたのですが、新羅善神堂が建築様式的には流造の神社本殿らしいので、その境内だったのかもしれません。 -
案内板が指すほうに目を向けると道に石が敷かれて歩きやすいようになっていました。
これは間違いないね! -
と思ったのも束の間、全く周りの草木が剪定されておらずボウボウの状態。
最近人が通った感じがしない雰囲気に不安を感じ始める。 -
蔓延る枝や草を日傘でいなしつつ歩いていたら第2の案内板を見つける。
良かった!
この道で間違いなかったんだ! -
しかし・・・
前方には倒木。 -
「木の下をくぐれば問題ないよね」と思っていたのですが、結構地面スレスレまで倒れていて、無理矢理くぐったらお土産を詰め込んでパンパンになっていたリュックが木に突っかかって転んでしまいました。
ここで「これはマズい」と思い始める。 -
でも折角泥だらけになりながら木の下をくぐったんだから進みたい!と思いはしたものの・・・
湿って苔の生えた滑りやすそうな道、左下は結構な急斜面、細くなっていく道が果たして本当に三井寺に続いているのか、続いているとしてもこの後の道がどうなっているのか、何キロ先に三井寺があるのか。
こんな所で滑落したら絶対発見されそうにないし・・・
スカートとウォーキングシューズで臨むには無理があると判断し、元来た道を戻ることにしました。
時には諦めも肝心。 -
くそう、20分近くロスをしてしまいました。
これなら最初から大通りを進めば良かったわ。
電車に乗ろうかとも思ったのですが、丁度行ってしまったばかりでした。 -
14:10
やっとこさ、お寺に到着。
園城寺?
三井寺じゃないの? -
一瞬心配になりましたが、園城寺 = 三井寺なんですね。
うーん、辿り着いたはいいけれど、この後も結構歩く予定だし時間もないし疲れたし、参拝しようかどうしよう・・・
本当に天智天皇に縁があるお寺なんだっけ??
と、もうどうでも良くなってきてしまったのですが、説明版に「天智・天武・持統の三帝の産湯に使われた霊泉がある」と書かれているのを確認し、それだけを見に行こう!と思いなおす。 -
仁王門。
1452年の建立です。 -
拝観料600円。
受付の女性がパンフレットに印を付けて見どころを説明してくださいました。
一番高台にある観音堂が天智天皇に関係あるらしい。
とりあえず色々すっ飛ばして早足で向かいます。 -
国宝の金堂。
祀られている弥勒仏は天智天皇が信仰していた霊像で、秘仏だそう。 -
そしてその金堂の裏手にある閼伽井屋(あかいや)。
三井寺で絶対見たかったものです。
閼伽井の語源はサンスクリット語。
閼伽とは仏教において供養に使われる水のことだそう。 -
この閼伽井屋の霊泉が天智・天武・持統の産湯に用いられたという言い伝えがあるようです。
この井戸が由来となって『御井の寺』と呼ばれていたのが、いつしか三井寺になったそう。 -
中を覗いたら確かに水場がありました。
ここで天智天皇たちが産湯を浴びたのね~ -
勿体ないですが他には目もくれずズンズン進みます。
途中にあったお茶屋さん。
三井寺名物の力餅がいただけます。 -
私はJR大津駅の観光案内所で買っていたので、家に帰ってから食べました。
・三井寺 力餅(5本入り540円)
ウグイス色のきな粉がたーっぷりかかった小ぶりの串餅です。
余ったきな粉はヨーグルトや牛乳にかけて食べてOKらしいですよ。 -
そして来ました、西国十四番札所 観音堂。
でもこの観音堂が天智天皇とどう関わりがあるかは分からなかったなぁ。 -
観音堂前からの眺め。
澄み渡った青い空が気持ちいいです。 -
琵琶湖も見えます。
三井寺は、そもそも大津京を造営した天智天皇が念持仏の弥勒菩薩像を本尊とするお寺を建立しようとしていたことに始まります。
天智天皇・大友皇子が亡くなった後、大友皇子の子である大友与多王(よたのおおきみ)が父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立。
壬申の乱では大友皇子と敵対した天武天皇もこの寺の建立を許可したのだということ。
「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」を投げ打って寺を建立しようとする志に感じて天武天皇が名付けたものと言われています。 -
ここでの目的は果たせたので次のスポットへ。
-
観音堂からの階段を下ったところにある長等神社。
三井寺の鎮守社です。
近江神宮の楼門に似ている。 -
向こうに鳥居があります。
参道の長さから考えると、それなりの規模の神社であることが窺えます。 -
では早速参拝します。
神楽殿かと思ったこちらは御拝殿。 -
ご本殿。
長等神社は天智天皇が667年に近江大津宮に遷都した際、長等山の岩座谷に建速須佐之男大神を祀ったのが始まり。
1054年に庶民も参詣できるようにと長等山上から現在地に遷座されたそうです。 -
廻廊もあります。
-
長等神社の絵馬。
なぜ馬の形をしているかと言うと・・・ -
同じ境内に馬神神社があるからww
午年生まれの方の守り神だそうですよ♪ -
大津市で最後に来たのは長等神社から徒歩2分ほどの場所にある三尾神社。
創建が859年と古い神社です。 -
この神社も三井寺の鎮守社でした。
-
三尾神社は兎の彫刻が多いことで知られています。
私の住む さいたま市浦和区の氏社である調(つき)神社もウサギの神社として有名で、狛犬の代わりに狛ウサギが居るんです。
対抗心じゃないけれど、地元の神社と比べようと思って来てみました。 -
手水舎にウサギ。
波乗りウサギみたいな。 -
口から・・・
シュールだ。 -
まず三尾神社の由緒ですが、御祭神はイザナギノミコト。
そのイザナギが腰に付けていた三色(赤・黒・白)の帯が尾に見えたために三尾明神といわれるようになります。 -
ある時その帯が赤尾神・白尾神・黒尾神になり、赤尾神が本神として卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方より長等山の琴尾谷に現れたことから三尾神社はウサギと関係の深い神社とされているそう。
でも三尾神社の地に現れたのは白尾神なんですけどね。 -
可愛くないタイプのウサギ。
味があって良い。 -
至る所にウサギの彫刻。
-
悔しいけど、ウサギ度は私の地元の神社よりも上でした( -`ω-)
-
琵琶湖疎水沿いを歩いて駅に向かいます。
-
あ!
船がある。 -
びわ湖疎水船という観光船のようです。
京都の蹴上まで連れて行ってくれるみたいですよ。
↓びわ湖疎水船公式HP
https://biwakososui.kyoto.travel/midokoro/ -
遠くに見えるのが第一トンネル東口洞門。
-
大津閘門。
水門を開けて舟を通したり水位を調整する役割を果たすところです。
大津閘門は れんが造りの初めての本格的な閘門として注目を浴びたそうです。 -
スケジュールミスで計画より1時間ずれて三井寺駅に到着しました。
しかし疲れた。。
三井寺 15:03 → 石山寺 15:22
体力を振り絞って石山寺方面の観光をしますよー
・・・③につづく・・・
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