2019/02/26 - 2019/03/29
87位(同エリア442件中)
さわ子さん
2019年春、羽田から全日本空輸でロンドンに到着し、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツのヨーロッパ5カ国を訪問し、ミュンヘンから羽田に帰って来ました。途中オランダでの思わぬ事故で、フランス.パリをキャンセルする事になりました。今回の旅行も絵画鑑賞が主な目的です。
この24回目の旅行記は、シエナで1日ゆっくり美術鑑賞した記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 2月26-27日 ANAでロンドンへ。ロンドンの北、ビスターの友人宅泊。
★ 2月28日 バーミンガム泊。
★ 3月1~2日 リバプール泊。
★ 3月3日 チェスター泊。
★ 3月4~5日 ロンドン泊。
★ 3月6日 船中泊
★ 3月7~13日 デン.ハーグ泊
★ 3月14日 シャルルドゴール空港泊
★ 3月15~16日 ナポリ泊。
★ 3月17~19日 フィレンツェ泊。
★ 3月20~22日 シエナ泊。
★ 3月23~25日 ヴェネツィア泊。
★ 3月26日 ミュンヘン空港泊。
★ 3月27日 ミュンヘン空港からANAで羽田へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日も晴天です。美術館や教会の中より戸外での町歩きに最適な日和です。
これがジジババのシエナでの定宿、ホテルNHシエナです。全体は"く"の字の平面形で、写真正面の一段高い建物部分が中央部です。 -
カンポ広場やドゥオーモに繋がるバンキ.ディ.ソプラ通りに出ました。
ここは小さなサリンベーニ広場です。サリンベーニ宮殿は現在イタリアの大手銀行でありシエナに本店を置くバンカ.モンテ.デイ.パスキ.ディ.シエナが使用しています。この建物内にあるサン.ドナート美術館が以前から気掛かりだったので立ち寄ってみたのですが、数日前の予約入館だとの事で今回も諦める事になりました。 -
サリンベーニ広場は、"コ"の字形に建物が建っています。左にタントゥッチ宮殿、右にスパンノッキ宮殿、中央正面がサリンベーニ宮殿です。そして広場の中央に、このサッルスティオ.バンディーニ(1677-1760)の像が立っています。彼はイタリアの宗教家、政治家、経済学者だったそうです。
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バンキ.ディ.ソプラ通りは商店が並ぶショッピング街になっています。今日もガラスを綺麗にしてお客さんを待つのでしょう。
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女性用のソックスのお店のようです。
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バンキ.ディ.ソプラ通りは、商工会館のロッジア前でチッタ通りに繋がります。少し上り坂のチッタ通りを歩いて行くと、道路の左側に1300年頃に建てられたパラッツォ.チギ.サラチーニが見えて来ました。1932年にこの宮殿内に、今では世界屈指のキジアーナ音楽院が開設されました。我々は2014年10月に訪れました。我々二人にガイドさんが付いて建物内を見て回りましたが、時々ガイドさんにお願いして特別に写真を撮らせて頂いた記憶があります。
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キジアーナ音楽院担っているパラッツォ.チギ.サラチーニの案内板です。建物の内部が一部描かれています。
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チッタ通りから右に入る細いカストロ通りの奥にドゥオーモの鐘楼の上部が見えました。朝9時、空は快晴で気温は11度で快適です。今シエナ国立美術館に向かっています。
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街角の噴水の彫像です。
目標の美術館は改修中のため残念ながら休館でした。次にこの先にあるサンタゴスティーノ修道院に向かいます。過去に何回も改装中で入れず、初めて2014年10月に訪れましたが、見落とした作品があったので再訪します。 -
残念ながらここも改修中で入れませんでした。そのサンタゴスティーノ修道院の北側にあるプッブリコ広場から北東にサン.ジュゼッペ教会を望みます。
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チッタ通りの東側の裏通りを歩いてドゥオーモに向かいます。遠くにマンジャの塔の頂部が見えています。シエナには今回で5回目の訪問になりますが、一度も上がった事がありません。ジジババには、なんだか狭い505段の階段が大変そうに思えたので。
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ドゥオーモに着きました。ドゥオーモのファサード前にあるサンタ.マリア.デッラ.スカーラ救済院/病院に入るつもりですが、10時の開館までまだ少し時間があります。それでドゥオーモの南西に向いたファサードを観察します。ファサード前の階段には多くの人がすでに集まっています。ファサードの3箇所の扉の内、左側の扉から入り右側の扉から出ます。中央の扉は閉まったままです。この写真は2008年5月に訪れた際の12時半頃の写真です。
このシエナのドゥオーモのファサードをモデルとしてオルヴィエートのドゥオーモのファサードが作られたそうです。オルヴィエートは地図上でシエナとローマの中間にあるウンブリアの都市です。シエナのファサードで中央バラ窓を挟む両側の柱が下の入り口を挟む柱と繋がっていませんが、オルヴィエートのファサードは、スッキリと上から下まで柱が繋がっています。 -
これは2008年6月にオルヴィエートを訪れた際に撮影したドゥオーモです。ここも教会前が広くなく全体のファサードが撮影できず、このようにファサード中央のみになりました。こちらはバラ窓は小さく中央部は真っ直ぐな柱が通っています。
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オリヴィエートの観光局のサイトからの借画です。中央部が両側より大きいのでシエナに比べて堂々としています。このドゥオーモ内には、サンブリツィオ礼拝堂にルカ.シニョレッリにとる大作のフレスコ画があります。
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ドゥオーモのファサードの彫刻を拡大して写してみました。ここで見られる多数の彫像の一部はコピー作品で、本物は付属の美術館に展示してあります。
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こちらは左端の装飾彫刻の拡大です。
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こちらはファサード右端の装飾彫刻です。
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左側の扉がある部分の頂部のモザイク画「マリアの神殿奉献」を拡大しました。
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こちらは中央尖塔頂部のモザイク画「聖母戴冠」です。
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これはドゥオーモ付属美術館に展示してある下絵です。
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これは、右側の扉がある部分の頂部のモザイク画「キリスト降誕」です。
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これは上掲のモザイク画の下絵です。この三つの黄金のモザイクは、アレッサンドロ.
フランキのデザインに基づいて1878年にヴェネツィアで作られました。 -
中央扉の上の装飾彫刻です。洗礼者ヨハネの物語のようで、左から、父ザッカリアが子供を授かるように神殿を生贄を携えて訪れされますが、追い返されます。後に天使ガブリエルに妻エリザベツが懐妊した事を告げられ、金門で夫婦が出会い喜び合い、ヨハネが誕生し、神殿奉献する様子が示されているようです。
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10時になり入場が可能になりました。サンタ.マリア.デッラ.スカーラ救済院は今回で4回目の訪問となります。しかし過去3回の訪問時は写真撮影不可だったので写真は1枚もありませんでした。今回は撮影OKで、おまけに入場者は我々だけだったので写真を取り放題でした。
サンタ.マリア.デッラ.スカーラは、ヨーロッパで最初に開設された救済院の1つであり、現存する最も古い病院の建物の1つでもありす。名前はドゥオーモのファサードの"階段"を意味する"スカーラ"に因んで付けられたと言う事です。
先ず「巡礼者の広間」に直行です。この有名な部屋を飾るフレスコ画の内、当初の15世紀の作品が8枚が残っています。その内6枚は、ドメニコ.ディ.バルトロ(1400 - 1445)の作品で、残りの1枚づつをロレンツォ.ヴェッキエータ(1412 - 1480) とプリアーモ.デッラ.クエルチァ(1400 - 1467)が描いています。 -
ドメニコ.ディ.バルトロの1444年の作品「貧困層の晩餐」(西壁面2番ベイ)です。
このシーンでは、救済院が貧しい人々のために食事を準備している様子を描いています。左側では、メイドが銅の大鍋で食べ物を持ち込み、中央で神父が夕食を求めて来訪した貧しい人々を迎えています。面白いのは、貴族から病人、巡礼者、乞食まで、多様な貧しい人々が施しを受けている事です。
ドメニコ.ディ.バルトロは、シエナの南東20Kmにあるアシアーノに生まれた初期ルネサンスの画家です。彼はフィレンツェの新しい絵画スタイルに影響を受けたシエナの芸術家の1人になりました。ドメニコはフィレンツェのクライアントから注文を受けた唯一のシエナの画家でした。ドメニコはまた、ロレンツォ.ヴェッキエッタに雇われ、この巡礼者ホールで傑作と見なされているフレスコ画のために彼と一緒に働きました。 -
ドメニコ.ディ.バルトロの1442年の作品「救済院の女性の結婚」(西壁面3番ベイ)です。
フレスコ画は、救済院で育てられている子供達の生活を描いています。男の子と女の子は、子供の頃に乳母や保育士によって育てられ、教育も受けました。救済院で育った女の子が成人になり、彼女の結婚が神父の慈悲深い眼差しの下で祝われています。上階のベランダでは音楽が奏でられ二人を祝っています。女性の持参金はしばしば、自分の手で作った服や装飾品でした。 -
画面の左側中央では、嬰児が保育されています。手前では大きくなった子供達が読み書きを習っています。ここで養育された女性達は、18才になると救済院で働くか、修道女になるか、結婚するかを選択する必要がありました。彼らは十分に教育を受け、救済院から持参金も与えられたので、彼らは妻として大変望まれていました。男性は、16才の時に病院で働くか、聖職者か、見習いとして外で働くかを選択しなければなりませんでした。
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ドメニコ.ディ.バルトロの1442年の作品「巡礼者の受け入れと施し」(西壁面4番ベイ)です。
初期の救済院の規則によると、救済院はパンを配って貧しい人々を助ける事でした。シーンは教会の内部です。教会は15世紀にはまだ救済院の正面入り口でした。中央には若い男がマントを受け取っています。 -
画面の右側では、多くの人々がパンを受け取っています。足を怪我している人も、2本の松葉杖をついたり、両手で床を這いながら施しを待っています。
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画面の左側では、高貴な人物が2人のお供を連れて入って来ます。その内の1人は鷹を持っています。この図は、1437年に亡くなった神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムンド4世皇帝の若くて理想的な肖像画であると言われています。
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1441年作の「治療を受ける傷病人」(西壁面5番ベイ)です。
ドメニコ.ディ.バルトロは、院内の内部を詳細に描いています。医師や看護師は、患者に適切な処置を施しています。フレスコ画はまた、中央の前景に傷を負った患者の足を洗うシーンを描いており、弟子の足を洗うキリストのよく知られたイメージを直接示しています。ドメニコは絵画全体を通して、衣装と凝った装飾品を鮮やかな色で引き立てています。黒い帽子と茶色のマントを身につけた聖職者を含み、医者や介護人は患者を囲んでいます。巡礼者の責任者は患者を優しく輿に乗せています。 -
画面の右側では、黒いマントのオーガスティン修道士が患者の懺悔を聞き、右端では2人の使用人が病院の紋章の付いた衣で覆われた輿を担いでいます。
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シーンは、優れたリアリズムの描写によって特徴付けられます。例えば、左端の人物が持つガラスの瓶の透明度、前面で患者の足を漬けている水盤の小さな泡などです。
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16世紀の画家アゴスティーノ.ディ.マルシリオの1577年の作品「ウェット.ナースへの給与の支払い」(西壁面6番ベイ)です。15世紀後半に建物が拡張された時に、この広間も拡大され、追加の壁面が同じようにフレスコ画で装飾されました。
フレスコ画は、前景に嬰児に授乳したり幼児の面倒をみるウェット.ナースを描き、彼等への給与の支払いを中景で見せています。給与の支払いに際し、財務担当者は帳簿に支払いをしっかり記録しています。ウェット.ナースとは、母乳で育て、子供たちの世話をする女性の事です。 -
ピエトロ.ディ.アキレクロジの作品「貧困層への穀物の施し」(東壁面6番ベイ)です。
施しに使われる穀物は、救済院に協賛する大農場主から提供されました。 -
ドメニコ.ディ.バルトロの1444年の作品「救済院に特権を与える教皇セレスティン3世」(東壁面5番ベイ)です。
教皇は救済院のブラザーに特権を与えます。このシーンでは、堂々とした建物のロッジアやギャラリー内で様々な行動をしている見物人で賑わっています。モザイク.デザインで装飾されたロッジア中央部の床や、教会風の華麗な装飾で飾られたロッジアの内部、豪華な衣装を身につけた貴族のグループが際立っています。 -
画面の左側では、授権の儀式を見守り祝う人々が描かれています。
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教会の上階ギャラリーの人々も祝っています。
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ドメニコ.ディ.バルトロの1442年の作品「初代院長の叙任」(東壁面4番ベイ)です。
壮大なロッジアの下で、聖職者を伴ったアゴスティーノ.ノヴェッロは、彼の前に跪いている牧師を、彼が以前身に着けていた豪華な衣服に代えて、謙虚さを表す暗い色のローブを着せようとしています。前面のアーチの下部のニッチ左右には、アダムとイブの白黒の像が組み込まれています。建築物の中段では、キリスト教の様々な慈善活動が示されています。右端の背景には、ドゥオーモ前の階段(病院の向かい側)とそのファサードの一部が見えます。 -
画面中央の叙任の場面を拡大しました。
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ドメニコ.ディ.バルトロの作品「救済院の拡張」(東壁面3番ベイ)です。
ここでは、救済院の新しい建物の建設が描かれています。視察に来ている馬に乗った司教と聖職者のグループが前景を占めています。石工達が右手前で働いており、コンパスを持ち後を向いた建築主任もいます。右端には、梯子が画面の下端から斜めに伸びています。このシーンは生き生きと写実的に描かれています。背景には、シエナのゴシック様式で装飾された背が高い多角形の建物が描かれています。 -
画面の中央の司教と聖職者のグループを拡大しました。司教は、その剃髪から推測すると、馬上で上を向いている左から2番目の色白の人物のようです。
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画面の上部を拡大しました。右側では資材を担いで梯子を職人が上がっています。仮設櫓の上では、巻き上げドラムを回して、下から資材を引き上げています。
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ヴェッキエッタの1441年の作品「靴職人ソロレの夢」(東壁面2番ベイ)です。
この絵でヴェッキエッタは、ヴォールト天井を持つ教会のような建物の中に複雑なシーンを描きました。ここでは、この救済院の神話上の創立者である靴職人ソロレが、自分が生まれる前に母親が経験したとされる夢を大聖堂の聖職者の一人に話しています。この二人の人物の後ろで、ドーム型の天井に、夢自体が現れます。救済院のエンブレムである梯子を登って天国に到着した幼児達は、聖母マリアに迎えられます。一方、教会の右側廊では、ソロレが大聖堂の聖職者の一人のもとに捨てられた子供を連れて来て、子供の養育費を受け取っています。建物の正面は、印象的なファサードがあり、その装飾はルネサンスのスタイルをはっきりと示しています。左側のアーチの上には旧約聖書のアダムとイヴのレリーフ、右側のアーチの上にはカインとアベルのレリーフが描かれています。 -
裸の子供たちが、上空で奏楽の天使に囲まれた聖母マリアに向かって梯子を登っています。 十字架に取り付けられた金のはしごは病院のシンボルです。
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巡礼者の広間のヴォールト天井のフレスコ画装飾です。聖人、預言者、旧約聖書の人物の胸像が描き込まれています。
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サンセポルクロ生まれで、ルネサンス期のシエナ派の画家を代表する一人のマッテオ.ディ.ジョヴァンニ(1430 - 1495)作の「嬰児虐殺」です。
サンタ.マリア.デッラ.スカーラ救済院の聖母礼拝堂には、マッテオ.ディ.ジョバンニが、10年間に描いた「嬰児虐殺」の4つのバージョンの1つがあります。このサンタ.マリア.デッラ.スカラに寄託されたキャンバスは、1482年にシエナのサンタゴスティーノ教会のために製作した作品です。
マッテオ.ディ.ジョヴァンニは、嬰児虐殺の4つの記念碑的な作品の3つはシエナの教会のために、1つはドゥオーモの床の象眼石でした。
サンタゴスティーノのために描かれたこの絵は、後掲のサンタ.マリア.デイ.セルヴィ教会のために製作された絵のように、いくつかの図像の革新があるようです。これは1481年に起こったオトラントのトルコ人の侵略と虐殺の事件の恐ろしい影響の結実であり、彼の同時代の人々の間の共感を得ていました。 ここで、古典的な印象の衣服や鎧に、オリエンタル.スタイルが顕著であり、顔付きでさえムーア人の特徴を見出せます。シーン全体が凶暴性と残酷さによって特徴付けられ、使用される色にも強調されています。ヘロデ王宮のアーチと柱は、芸術家がローマを訪れたことを示唆しています。彼は前景に空白を残しておらず、ヘロデ宮殿の広間の隅々まで叫んでいる母親、死んでいるか死にかけている赤ちゃん、そして血に飢えた兵士で占められています。大理石の床は嬰児の死体で覆われています。 -
泣き叫ぶ母親達を拡大しました。
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無表情な廷臣を側に置き、怪物として描かれている玉座のヘロデは右手を伸ばして虐殺を命令し、左手は玉座の肘掛けのスフィンクスを握っています。
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半地下にあるサンタ.カテリーナ.デッラ.ノッテ祈祷所です。
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サンタ.カテリーナ.デッラ.ノッテ祈祷所の祭壇画です。ルネサンス初期のシエナ派の画家タッデーオ.ディ.バルトーロ(1362 - 1422)の1400年頃の作品「玉座の聖母子と、奏楽の天使と聖人達」です。幼子のキリストの格好がとても可愛いです。
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救済院内のサンティッシマ.アンヌンツィアータ教会は、起源を13世紀前半に遡り、15世紀後半に完全に改装され、内陣の床が高く上げられました。17世紀には、教会の空間を天国の幻影や幻視の舞台に変える傾向が高まりました。1730年に、この教会の広大な後陣の装飾をセバスティアーノ.コンカに依頼しました。 この絵は、病人が奇跡的に癒される事を望んでいた「ベテスダの池」を描いています。「ベセスダの池」は、イエスが病人を治したと新約聖書に書かれていて、エルサレムにあったそうです。
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左側の場面を拡大しました。右に、2本の松葉杖を担いだ男性は奇跡が起こり足が治癒したのでしょうか。中央には、車付きの担架に乗せられた老人がいます。左端には目が不自由な女性もいます。
作者のセバスティアーノ.コンカ(1680 - 1754)は、ナポリで修行しローマで活躍しましたが、晩年はナポリに戻った後期バロック期の画家でした。 -
右側の場面です。キリストの後ろにも体が不自由な大勢の人々が希望を込めて集まっています。
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上空には、父なる神と精霊の鳩が見守っています。
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サンティッシマ.アンヌンツィアータ教会内の祭壇画です。チロ.フェリ(1634 - 1689)作の「サンタ.テレザの幻想」です。チロ.フェリは、バロックの彫刻家であり画家であり、ピエトロ.ダ.コルトーナの最上位の弟子であり後継者でした。彼はローマに生まれ、この生地で活躍しました。殆どの作品は宗教画でした。
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ローマのバロック時代に活躍した画家ピエトロ.ロカテッリ(1630 - 1690)作の「聖母被昇天」です。彼はローマの近くで生まれ、彼も前掲の祭壇画の画家であるチロ.フェリと同じくピエトロ.ダ.コルトーナの弟子でした。
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これもサンティッシマ.アンヌンツィアータ教会内の作品です。ジュゼッペ.マッツォーリ(1644 - 1725)作の「死せるキリスト」です。彼はローマでベルニーニから派生したバロック期に活躍した彫刻家でした。
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聖なる釘の礼拝所と呼ばれる旧聖具室です。聖遺物である聖なる釘は、キリストが十字架に磔になった際に使われた釘という事です。
この礼拝所のドメニコ.ディ.バルトロの1444年製作の祭壇画「慈悲の聖母」です。彼は、この救済院の巡礼者の広間のフレスコ画装飾に携わっています。 -
同じ聖なる釘の礼拝所の右壁面のルネッタに描かれたフレスコ画です。ヴェッキエッタの1446-49年頃の作品「最後の審判」です。
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サンタ.マリア.デッラ.スカーラ救済院の建物の中には、損傷を受けていますが、数々のフレスコ画が多くの部屋に残されています。この乙女の礼拝所と呼ばれていた部屋に残されたフレスコ画です。上部のルネッタに磔刑、その下に慈悲の聖母の絵画です。この場所は現在エントランス.ホールに続くブック.ショップになっています。
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同じ場所の壁面に残るフレスコ画「聖三位一体と、聖フィリッポと聖ロレンツォ」です。
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ドゥオーモの左側(北西)にある3階建ての司教宮殿です。プッブリコ宮殿の外観によく似ています。ここにもシエナのシンボルになっている狼に育てられた双子の兄弟「ロムルスとレムス」の像が飾られています。
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サンタ.マリア.デッラ.スカーラ救済院を出てドゥオーモに入りました。シエナには過去4回訪れていますが、ドゥオーモには訪れる度に毎回入ります。
ファサード側から内陣方向を望みます。 -
身廊のファサード側の壁面です。この中央扉の両側に立つ細かい彫刻が施された大理石の柱は、聖人クアトロ.コロナティの礼拝堂に使われていた柱の再利用だそうです。
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身廊を内陣に向かって歩き、ドーム直下の手前から天井を見上げています。身廊とドームの境に勝利のアーチがあります。ドームは6本の大型の柱で支えられています。従って、身廊両側に等間隔で並んでいる柱が、ドームの下ではドームを支える大型の柱が両側に引っ込んだ状態になっています。
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勝利のアーチで、両端の黄金の天使の上に対になった柱にもたれかかって、シエナの聖人アンサーノ、サヴィーノ、クレッシェンツィオ、バルトロメオと慈善の象徴を表した5つの小さな大理石の立像があります。この後方はギャラリーになっているようで、その中央には、ドーム内を眺められる高窓が開いています。
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ドーム下を通り越して内陣側からファサード側に振り返っています。ドームを支える大型の6本の柱の上部には、6人のシエナの聖人アンサノ、サヴィーノ、クレッシェンツィオ、ヴィットーレ、シエナのカテリーナ、ベルナルディーノが配置されています。その上全周には42人の預言者や部族の家長の像が描かれています。
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柱の頂部の装飾の例二つです。
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柱も含め壁面全体の黒と白の配色は、シエナの紋章の色の組み合わせと同じになっています。
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身廊と側廊を分ける列柱を上部で繋ぐアーチ型の隔壁です。アーチの両側には、全部で36人のローマ皇帝の胸像が飾られています。その上に、ドーム部分を除いた身廊全周に亘り、聖ペトロに始まる171人の歴代教皇の胸像が並んでいます。歴代といっても、172代のルシウス3世教皇(在位1181-1185年)迄です。しかしこの171人の教皇の像は、四つか五つの型取りから作られたテラコッタ像なので、同じ容姿の教皇が繰り返し並んでいます。
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シエナのドゥオーモの特徴の一つが床の装飾です。1372年から1562年頃までに、様々な手法で製作された全部で56枚の掻き絵や象眼のパネルで飾られています。最も古い時代のパネルは掻き絵で、大理石板に絵を刻み込み、掘った後で絵が引き立つように黒い漆喰で埋めます。その後、多色の大理石を使い象眼する方法になりました。
このパネルはシエナのシンボルになっている狼に育てられた双子の兄弟「ロムルスとレムス」を中央に置いたモザイク画です。周りは、トスカーナの都市やローマ等の都市シンボルが描かれています。 -
シエナのルネサンス絵画製作の代表者の1人サッセッタ(1392頃 - 1451年頃)作のシメリアン.シビル(巫女)のモザイク画です。
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右側廊1番ベイの祭壇画で、主にボローニャとローマで活躍したバロック時代の画家ドメニコ.マリア.カヌーティ(1625 - 1684)作の「聖母被昇天」です。場面では、聖ガエターノが、栄光のマリアの下で、聖ヨセフから子供のイエスを受け渡されています。
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右側廊2番ベイの祭壇画で、シエナで活躍したアンニバレ.マッツォリ(1658 - 1743)作の「サン.ジロラモのエクスタシー」です。
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右側廊3番ベイの祭壇画で、シエナで生まれでバロック期の画家ラファエロ.ヴァンニ(1587 - 1657)作の「フランシスコ.サレジオのエクスタシー」です。
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右側廊4番ベイにあるシエナのサンタ.カテリーナの祭壇画です。フィレンツェで活躍したピエトロ.ダンディーニ(1646 - 1712)作の「サンタ.カタリナの神秘的な結婚」です。
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右側廊4番ベイの先で、左側廊のピッコロミーニ図書室の対面に鐘楼下の部屋があります。そのファサードには、ピエンツァの司教であったトムマソ.デル.テスタ.ピッコロミニの墓碑を飾っていたレリーフの断片が貼り付けられています。このレリーフは、画家であり彫刻家でもあったネロッチノ.ディ.バルトロメオ.デ.ランディの1485年の作品です。
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右翼廊2番目の祭壇画は、フィレンツェやローマで修行した画家ルイージ.ムッシーニ(1813 - 1888)の1867年の作品「サン.クレシェンツィオの奇跡」です。
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右翼廊の更に先にはサンティッシモ.サクラメントの礼拝所があります。その祭壇画は、ルネサンス後期にシエナで活躍した画家アレッサンドロ.カソラーニ(1552 - 1606)作の「羊飼いの礼拝」です。
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床の装飾は、基本的にドゥオーモ内の全域ですが、聖堂そのものは日常の礼拝等に使われているので、主祭壇近くには長椅子が並べられています。装飾の保護のために床には板が張られています。しかし1年に1回板や椅子を取り払って床が観覧できるようにされます。この観覧のために2014年10月のドライブでシエナを訪れました。写真撮影には、柵で囲ってあるので斜め画像ばかりになりました。唯一このドメニコ.ベッカーフミの1525年の絵のみは横長のパネルだったので、あまり歪みもなく撮れました。題材は、旧約聖書の「岩壁から水を湧き出させるモーゼ」のシーンです。まず左側の部分です。
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中央部分です。モーゼが岩壁を叩いて水を湧き出させています。
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右側の部分です。
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アプス、主祭壇、聖歌隊席の方向を望みます。
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主祭壇の上にある天蓋です。身廊のほぼ全周を飾る171人の教皇の胸像は、バラ窓の下の中央に配置されたキリストの右隣りの初代教皇である聖ペトロから右回りに並べられています。キリストの左隣りは、172代のルシウス3世教皇です。
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主祭壇を右側から眺めています。左側廊にあるオルガンの下方に聖具室への入り口が見えます。
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内陣右側壁、聖歌隊席上部のフレスコ画です。
シエナに生まれローマやシエナを始めトスカーナ、ウンブリア等の諸都市で活躍したベントゥーラ.サリンベニ(1568 - 1613)の1608-11年頃の作品「シエナの聖人と祝福された者に挟まれたシエナの聖カテリーナ」です。 -
内陣正面右側、聖歌隊席上部のフレスコ画です。
同じベントゥーラ.サリンベニ作の「エステルとアッスエロの結婚」です。 -
内陣アプスのドメニコ.ベッカーフミ作の「聖母被昇天」です。
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内陣主祭壇です。内陣壁面のフレスコ画もドメニコ.ベッカーフミの作品です。アプスの下にある中央の祭壇画の「聖母被昇天」のパネルは取り外されているようです。その両側の2枚は昇天を見守る人々が、その上の2枚には天使が描かれています。
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主祭壇上のブロンズの彫刻を拡大しました。中央の灯篭のような幕屋は、ヴェッキエッタの作品で、両側の燭台になっている天使は、上段がジョヴァンニ.ディ.ステファーノ(1443 - 1506頃)、下段はフランチェスコ.ディ.ジョルジョ(1439 - 1502)の作品です。
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内陣正面左側、聖歌隊席上部のフレスコ画です。
これもベントゥーラ.サリンベニ作の「マナの落下」です。マナは、旧約聖書「出エジプト記」に登場する食物です。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたと言います。 -
内陣左側壁、聖歌隊席上部のフレスコ画です。
同じベントゥーラ.サリンベニ作の「シエナをサン.グレゴリオに捧げる祝福されたアンブローズ.サンセドニと聖人達」です。 -
聖歌隊席のモザイク画の写真2枚です。中央で湾曲して並ぶ聖歌隊席を除き、L型で並ぶ両側の36席の背面にはこのような木製の象眼細工が施されています。これらの作品は、1503年頃にフラ.ジョヴァンニ.ダ.ベローナ(1457 - 1525)が製作しました。彼はヴェネツィア近郊に生まれ、ヴェローナを中心としてウンブリアやトスカーナで活躍した象眼細工家で彫刻家でした。
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身廊の左側にあるニコラ.ピサーノ作の説教壇です。ニコラ.ピサーノ(1220/25 - 1284)は、ピサの洗礼堂の説教壇の製作や外観の一部の改修に続いて、1265年にシエナ大聖堂の大理石の説教壇の製作を頼まれました。カララ大理石で作られたこの説教壇は、1265年の終わりから1268年11月の間に、息子のジョヴァンニ.ピサーノとその助手であるアルノルフォ.ディ.カンビオ、ラポ.ディ.ライスヴート、その他数人の芸術家の広範な参加により彫刻されました。
これは大聖堂に残っている最も古い作品の一つです。 ニコラ.ピサーノは、ピサの説教壇が好評であったので指名を受けました。この説教壇は、ピサの説教壇に似ていますが、より大きく、さらに野心的であり、彼の傑作と見なされています。説教壇のメッセージ全体は、救いと最後の審判の教義に関係しています。 -
説教壇は8角形で、通路を除く7面にレリーフが彫刻されています。その1面であるこの面には、二つのシーンが彫り込まれていると説明されています。即ち、「ご訪問」と「キリスト降誕」です。右隅にマリアがエリザベツを訪問して喜び合う場面は見つかりますが、その側で横たわる女性、赤子とタライに入れようとしている二人の女性、その左のヨセフらしい老人は何の場面なのか分かりません。ヨセフを除けばマリアの誕生シーンのように見えます。生まれたてのキリストは、横たわる女性の上に彫られているようです。そして右上部分が、天使と共にキリスト降誕を祝う羊飼いの礼拝のように見えます。左端の立像は、受胎告知を受けるマリアです。
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2番目の面には「マギの礼拝」です。左側に星に導かれて向かうマギの隊列、右に礼拝の場面が掘られています。右端の立像は、聖母子です。
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3番目の面には、左に「キリストの神殿奉献」と右に「エジプトへ逃避」のシーンが描かれています。左端の立像は聖母子で、右端には二人の天使像です。
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4番目の面には「嬰児虐殺」の場面です。左上にヘロデ王がいるようです。右端の立像はキリストです。
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5番目の面は「磔刑」です。左下に悲しみ嘆く聖母マリアが掘られています。右端には、4人の福音書記者の立像ですが、シンボルの雄牛(ルカ)、ライオン(マルコ)、鷲(ヨハネ)、天使(マタイ)が組み合わされています。
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角にある8本の柱のうち4本は、柱を背負ったライオンの上にあり、中央の柱はリベラルな芸術と哲学を表す人物で飾られた八角形の台座にあります。
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子供に授乳し守るライオンの1匹です。左隅に中央の柱を飾る人物像が見えています。
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左側廊4番ベイには、1485年にカララ大理石で建てられたピッコロミーニ祭壇があります。この祭壇は、フランチェスコ.トデスキニ.ピッコロミニ枢機卿が自身の墓として作らせました。しかし、彼は教皇ピウス3世に選出されバチカンに埋葬されました。1485年に完成した祭壇は、その後数十年間に、いろいろな装飾が追加、改造されました。 祭壇の中央の壁龕の上には、ヤコポ.デッラ.クエルチャ(1374-1438)によるよる作品であると言われている聖母子の彫像があります。壁龕の両側の2段になった小壁龕には、1501年から1504年の間に製作されたミケランジェロ(1475-1564)の作品が収まっています。左下はサン.ピエトロ、左上はサンタゴスティーノ、 右下はサン.パオロ、右上はサン.グレゴリオの立像です。
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祭壇の中央にある絵画は、パオロ.ディ.ジョバンニ.フェイの1390年頃の作品「授乳の聖母」のコピーです。オリジナルはドゥオーモ付属美術館にあります。両側の彫刻の立像は、前掲で説明したミケランジェロの作品の サン.ピエトロとサン.パオロです。
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交差廊の右突当りにあるサンタンサーノ礼拝所の祭壇画で、フランチェスコ.ヴァンニ作の「シエナの人々を洗礼するサンタンサーノ」です。ここにはシエナの守護聖人である聖アンサーノの遺体の一部が遺物として収められています。
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交差廊の左側にあるマッテオ.ディ.ジョヴァンニ作の象嵌石のモザイク床のパネルです。1481年に製作されています。その中央部分の写真です。この画家の作品の「嬰児虐殺」は、宮殿のような建物内での出来事として描かれています。この写真の左端に虐殺を指令するヘロデ王が描かれています。
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マッテオ.ディ.ジョヴァンニが描くヘロデ王の宮殿の広間の上部にはギャラリーがあり、何故かこの場面を見下ろしている子供達がいます。
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左側廊3番ベイの祭壇画は、シエナで活躍したピエトロ.ソッリ(1556 - 1622)の1588年の作品「マギの礼拝」です。
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交差廊右側に円形の「誓願の聖母の礼拝堂」があります。その礼拝堂の左右の壁面に2枚の祭壇画があり、その右壁面は主にローマで活動した画家カルロ.マラッタ(1625 - 1713)作の「エジプトへ逃避」です。
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こちらは礼拝堂の左壁面にある同じカルロ.マラッタ作の「ご訪問」です。
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この円形の礼拝堂には十字の方向に4体の彫像が壁龕に飾られています。これは礼拝堂入り口の左側にあるバロック期の著名な彫刻家ジャン.ロレンツォ.ベルニーニ(1598 - 1680)作の「マグダラのマリア」です。
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こちらは主祭壇の右側にあるエルコレ.フェッラータ(1610 - 1686)作の「シエナの聖カテリーナ」です。北イタリアで生まれたフェッラータは、前述のベルニーニを信奉して指導を受けました。シエナのカテリーナは、アトリブユートとして白百合を持っています。
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誓願の聖母の礼拝堂のドーム天井です。
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交差廊右側にある誓願の聖母の礼拝堂の対面で、交差廊左側にある「サン.ジョヴァンニの礼拝堂」です。ジョヴァンニは、ヨハネのイタリア語です。これは、その礼拝堂入口の左柱の下部の装飾です。ルネサンス期に主にシエナで活躍した彫刻家アントニオ.フェデリギ(1420 - 1483)の作品です。
礼拝堂の建設は1482年に始まり、1504-1505年に洗礼者聖ヨハネの物語と共にピントゥリッキオ(1454 - 1513)によってフレスコ画が描かれ、1455年にルネサンス初期の金細工師で彫刻家のドナテッロ(1386 - 1466)によって製作された洗礼者聖ヨハネの有名なブロンズ像がそこに置かれました。 -
この礼拝堂も円形になっています。その正面中央にドナテッロ作の洗礼者聖ヨハネの立像があります。
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洗礼者聖ヨハネの立像の左側にあるピントゥリッキオ作の「洗礼者聖ヨハネの誕生」です。この画家の大作の一つが、次に紹介するこのドゥオーモ内のピッコロミニ図書室のフレスコ画です。
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こちらは聖ヨハネの立像の右側にあるシエナで活躍したルスティチーノ(1592 - 1626)作の「洗礼者聖ヨハネの殉教」です。画面の右側には、ヘロデ王の饗宴でサロメが所望したヨハネの首を受け取るために大皿を持ったメイドが待っています。
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これは礼拝堂の中央に置かれた聖水鉢で、ルネサンス期にシエナで活躍した建築家および彫刻家のアントニオ.フェデリギ(1420 - 1483)の作品です。八角形の壁面にはアダムとイヴの物語が彫られています。
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サン.ジョヴァンニの礼拝堂のドーム天井です。
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ドームの頂部の見事な装飾です。
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ピッコロミニ図書室に描かれたピントゥリッキオのフレスコ画の連作は、16世紀初頭の統一された装飾のまれな例です。ピントゥリッキオの技能や小都市であるシエナによく似合う彼の叙情的なスタイルは、中世の大聖堂の雰囲気に心地よく溶け込んでいます。主題は、シエナ出身の教皇、人道主義者であるピウス2世の生涯の出来事が描かれています。テーマの特異性は、ピウス2世という聖人でもシエナの統治者でも無い人物の物語である事です。ピウス2世は、1458年から1464年までローマ教皇を務めました。
図書室とその備品の寄贈者であるフランチェスコ.トデスチーニ(後のピウス3世)は、自身の家族の記念碑と彼の母親の兄弟エニア.シルビオ.ピッコロミニの記念碑が欲しいと考えていました。ピウス2世は、トデスチーニを枢機卿に昇格させ、彼にピッコロミニの名前と家族の紋章を許可しました。1503年フランチェスコは、教皇アレクサンドル6世の跡を継ぎピウス3世になりましたが、その治世は短く26日後に亡くなっています。
図書室の装飾に関する契約は、1502年6月19日にフランチェスコト.デスチーニ.ピッコロミニが署名し、1508年4月に絵画が完成しました。
この写真は、ピッコロミニ図書館の入り口がある壁面に描かれたフレスコ画で、ピウス2世の甥であるピウス3世がヴァティカンの旧ピエトロ大聖堂前で行われた戴冠式を描かれています。 -
枢機卿を従えて戴冠式を執り行うピウス3世です。
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戴冠式に参集した聖職者や市民達です。
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入り口の上のルネットでは、寄進者の枢機卿としての紋章が左に、右のルネットには、叔父のピウス2世教皇の紋章が見られます。
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ピウス2世の生涯からの10のエピソードは、1462年から1464年の間に書かれたピウス2世の有名な自伝書から採られました。教皇の公式の人生の物語であることに加えて、それは魅力的な政治的および歴史的年代記です。シーンは明確で分かりやすく、人物は正確に、風景は明るくはっきりと描かれています。
10の絵画は、グロテスク装飾が施された柱で区切られていますが、個々のシーンは、赤と白の大理石のパネルに似せられた幻想的な枠とアーチで囲まれています。我々は巨大なロッジアのアーチからエニア.シルビオ.ピッコロミニの生涯のエピソードを眺めているようです。物語によって認識可能な設定が要求される場合を除いて、野外劇のような出来事は、空想的な建築または風景を背景に色鮮やかな衣装の人々が描かれています。 -
10面のシリーズの最初の3つのシーンは、窓に最も近い右側の壁面から始まり、エニア.シルビオ.ピッコロミニの世俗的な履歴の初期段階を描いています。
最初の画面では、1431年にバーゼル評議会に向かうドメニコ.カプラニカ枢機卿の隊列に入った27歳のエニア.シルビオが見えます。見事な旅のマント、毛皮の襟、巡礼者の帽子をかぶった若者のエニア.シルビオが白馬に跨っています。白馬は教皇のために用意されるもので、彼の将来の地位への明らかな暗示になっています。 -
白馬に乗るエニア.シルビオ.ピッコロミニとお供を拡大しました。
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海の嵐と空の虹です。
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2番目のシーンは、「スコットランドのジェームズ1世への大使としてのエニア.シルヴィオ.ピッコロミニ」です。
1435年のスコットランド王の宮廷に場面が設定されています。バーゼルにいる間、エニア.シルヴィオはアルベルガティ枢機卿によって秘書として雇われ、アルベルガティ枢機卿はすぐにスコットランドのジェームズ1世の宮廷に彼を派遣しました。 彼の仕事はイギリスに敵対する同盟国にスコットランド王を参加させる事でしたが、彼はこれに失敗しました。 -
背景に宮殿から見晴らした海が描かれています。
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左側の暗い赤の長いマントを着たエニア.シルヴィオ大使が王座の前に立ち、典型的な討論の身振りを示しています。
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3番目のシーンは、若いエニア.シルビオ.ピッコリーノの勝利を思い出させます。フリードリッヒ3世は、フランクフルトでドイツ王に戴冠した後、最初の議会を召集しました。1442年にフリードリッヒが直接、おそらくエニア.シルビオの要請により、月桂冠をピッコロミニに被せました。
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フリードリッヒ3世から月桂冠を与えられるエニア.シルビオ.ピッコロミーニです。
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4番目のシーンは、それ以前の物語からは明確に区切られます。1445年ピッコロミニは大きな精神的な危機に見舞われ、世俗的な生活から背を向けました。彼は、皇帝と教皇の間のある種の妥協に影響を与える事に興味を抱き始めました。フリードリッヒ3世はユーペニアス4世に新しい評議会を招集するよう要請するために彼を教皇の元に送りました。ピッコロミニはその機会に教皇に信仰から外れたことを許してくれるよう頼みました。 教皇は、枢機卿を前方に並べ、高架の玉座に座っています。見事な金色のローブに身を包んだエニア.シルビオは、足元に身を投げ出しています。
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5番目のシーンでは、エネア.シルヴィオは1450年にシエナの司教に任命され、その新しい立場でフリードリッヒ3世とポルトガル王ドゥアルテ1世の娘のエレオノーラの結婚を仲立ちしました。フリードリッヒ3世は、一族のアルブレヒト6世やラディスラウスらを伴ってローマに向かいました。途中エレオノーレとはシエーナで落ち合い、ローマで戴冠式と結婚式を同時に執り行いました。
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フリードリッヒ3世とエレオノーラの出会いの場面を拡大しました。
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このシーンの背景にはシエナの風景が描かれています。左側遠くにシエナのドゥオーモが見えます。未完成の新ドゥオーモのファサードも描かれいます。また、今ではサン.ジミニャーノやボローニャに残っている高い塔の建築物も見えます。左手前の城門横の教会は、NHホテル近くのサン.ドメニコ教会でしょうか。
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こちらがNHホテルから眺めたドゥオーモです。良く似てますよね。
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これは2008年に初めてシエナを訪れた際に宿泊したカンポ広場近くのホテルに掲示してあったシエナの古図です。少し見難いですが、中央上部にドゥオーモが、その左にカンポ広場、プッブリコ宮殿、マンジャの塔が見えます。ドゥオーモの下方にはサン.ドメニコ教会も見えます。当時は丘の上にあるシエナの街はしっかりと城壁に守られていたようです。
この古図でも良く見るとドゥオーモの新ファサードが未完状態で見えます。 -
6番目のシーンは、1456年に教皇カッリスト3世ボルジアがエネア.シルヴィオ枢機卿に聖油を塗る式典を描いています。同じ式典で、教皇の甥であるロドリゴ.ボルジア(後の教皇アッレサンドロ6世)が同じ位階に昇格しました。シーンの焦点は、中央背後にあるピッコロミニの守護聖人である聖ジャコモと聖アンドレアが聖母子の側にいる祭壇画です。
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7番目のシーンは東の壁の最初のコンパートメントにあります。ここでは、エネア.シルヴィオの人生の主要な出来事である1458年のピウス2世としての戴冠式が紹介されています。この絵は、ペテロとパウロの間に立つキリストを表している後陣モザイク(この写真の上部にありますが、残念がら写っていません)によって確認される聖ペテロの儀式を描いています。
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8番目のシーンは、1459年にピウス2世によって召集されたマントヴァ公会議を描いています。そこで教皇は、1453年にコンスタンティノープルを征服したトルコ人に対する新しい十字軍に、ヨーロッパの王子達を参加させようとしました。ピウス2世は、座っている枢機卿の群を越えて、左端のコンスタンディノーブル総主教と話をしています。5人の赤い聖服の枢機卿の中に後のピウス3世であるフランチェスコ.トデスチーニがいるのでしょう。オスマン帝国のドレスを着た左下の人物は、これが1459年にピウス2世によって召集された会議であることを明確に示しています。
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場面は教会や宮殿の中ではなく、開放的なロッジアで協議が行われているようです。マントヴァは北イタリアの都市です。右端にコンスタンディノーブル総主教と討論する玉座のピウス2世が写っています。
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9番目のシーンは、1461年のサン.ピエトロ大聖堂でのシエナのカテリーナの聖人化に焦点を当てています。これは、ピウス2世のキャリアの最高点でした。1450年に聖人と宣言されたシエナのベルナルディーノに加えて、地元の女性聖人を自慢できるようになったため、この機会はシエナ派聖職者にとって勝利でした。
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前景で儀式を見守る人々を拡大しました。
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シリーズの10番目で最後の絵画は、アドリア海に面したアンコーナ港に設定されています。1464年に病んでいる教皇がアンコーナに到着し、そこで彼は十字軍を率いるヴェネツィア艦隊を待つ事になりましたが、一週間後にそこで亡くなりました。彼の死後、人気のない十字軍は中止されました。
左側に水色の帽子を被り、同じ色の服を着た変わった人物や右側にはターバンを巻いた東洋人らしい二人も描かれています。 -
輿に担がれたピウス2世を拡大しました。
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ピッコロミニ図書館の天井です。装飾は、グロテスク模様、ドナーの紋章、碑文、寓話的および神話的なシーンで構成されています。入り口の反対側で窓側のルネッタにはピッコロミニの紋章が二つ、ピウス2世とピウス3世の銘記と共に描かれています。
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壁面ルネッタにあるピッコロミニの紋章を拡大しました。
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こちらは壁面のピウス2世の物語の場面を仕切る柱の下部にあるピッコロミニの紋章です。
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天井にもピッコロミニの紋章です。
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ピッコロミニ図書室を出てドゥオーモとサヨナラします。身廊両側の最初の柱の横にアントニオ.フェデリギ作の洗礼盤があります。現在はアクリル板で囲まれています。作者のアントニオ.フェデリギは、サン.ジョヴァンニ礼拝堂の入り口柱下部の装飾や礼拝堂の中央にある聖水鉢等の作品があります。これは左側の聖水盤です。
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こちらは右側の聖水盤です。
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1時過ぎになりカンポ広場の北側でイマーニャ通りにあるトラットリア.ラ.テッリーナで昼食を摂ります。トリップアドバイザーの評価は、シエナのレストラン439軒中100位です。
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ジジはラザーニャ、ババは肉団子のトマトソース.スパゲティ、そしてトマトのサラダです。
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昼食後カンポ広場の南東にあるサンタ.マリア.デイ.セルヴィ教会に行きました。今回で4回目の訪問となります。教会は13世紀後半から建設が始まり、工事はゆっくりと進んでほぼ3世紀続きました。内部は身廊と両側に側廊を持つラテン十字形の教会です。
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これは左側廊1番目の礼拝所の祭壇画です。フランチェスコ.ヴァンニ作の受胎告知です。何かしら人物に対する色使いがウルビーノに生まれたルネサンス後期の画家フェデリコ.バロッチ(1535頃 - 1612)に似ているように感じます。
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左側廊2番ベイにある祭壇画の両脇のパネルです。ベルナルディーノ.フンガイ(1460 - 1516)作の「サン.ジュゼッペ」と下段に「イバラの冠を持つ幼子のキリスト」です。
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こちらは同じベルナルディーノ.フンガイ作の「マグダラのマリア」と下段に「十字架を持つ子供の洗礼者ヨハネ」です。
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左側廊3番ベイの祭壇画で、バロック時代にローマとトスカーナで活躍したジュゼッペ.ナンシーニ(1657 - 1736)作の「サン.ジュリアーナとサン.フィリッポ.ネリ」です。サン.ジュリアーナはオランダで人気があった守護聖人で、サン.フィリッポ.ネリはフィレンツェ生まれの司祭でした。
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中央礼拝所の主祭壇画は、これもベルナルディーノ.フンガイの1500年頃の作品「聖母戴冠」です。周りに侍る聖人の中で、聖母マリアの左下にアレッサンドリアの聖カテリーナとその上の洗礼者ヨハネです。右側では、下段で真ん中のサン.ジロラモとその上で天国の鍵を持つサン.ピエトロでしょうか。
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右側廊6番ベイの祭壇画は、マッテオ.ディ.ジョヴァンニ作の「嬰児虐殺」です。この絵画では、虐殺を指令するヘロデ王を中央に置いていますが、やはり右側上には虐殺の場面を見つめる子供達がいます。
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上掲の絵画の上部です。玉座の聖母子の周りに二人の天使と四人の聖人が描かれています。
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教会前は少し低くなっていますが、比較的眺望が良い場所です。北西の方向にドゥオーモを望みます。新ファサードの外面は近くからは良く見えませんが、この写真でレンガがむき出し状態である事が良くわかります。
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少しカメラを右に振ればマンジャの塔が写ります。
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北西に向いたサンタ.マリア.デイ.セルヴィ教会のファサードです。
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サンタ.マリア.デイ.セルヴィ教会からドゥオーモに戻って行きます。階段で下に続く小道を撮影しましたが、ランタンの下に円形の板の交通標識が写っていました。
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狭い通りからマンジャの塔をが見えました。
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新ファサードの手前下からドゥオーモの鐘楼とドームを望みます。
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シエナに来ればこれも毎回訪問する事になるドゥオーモ付属美術館に入ります。内部からも、新ドゥオーモの柱が組み込まれているのが良く分かります。
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次の3点ともサノ.ディ.ピエトロ作のパネルです。中央は聖ベルナルディーノ、左はカンポ広場でのサン.ベルナルディーノの説教、右はサン.フランチェスコ教会まえの広場での説教です。
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シエナ派の画家サノ.ディ.ピエトロ(1406 - 1481)作の「カンポ広場で説教するサン.ベルナルディーノ」です。説教を聞く人々は、赤い仕切りによって男女が分かれています。
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こちらは、「サン.フランチェスコ教会前で説教するサン.ベルナルディーノ」です。教会のファサードは、現在の姿とは違っています。こちらも男女が分離されていますが、右側が女性群になっています。
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この絵は、サンタ.マリア.デッラ.スカーラ救済院にあった「嬰児虐殺」の作者であるマッテオ.ディ.ジョヴァンニ作の「玉座の聖母子と聖人達」です。彼は、この旅行記の6日目で紹介したロンドンのナショナル.ギャラリーに展示してある大きな祭壇画「被昇天の聖母」も描いています。
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今回も展望台になっている建設中止の新ドゥオーモのファサードに上がりました。
東の方向を望みます。写真の左側にマンジャの塔とプッブリコ宮殿、その奥にサン.マルティーノ教会が見えます。右側手前の灰色の塔は、パラッツォ.チギサラチーニの塔です。右隅遠くに、先程訪れたサン.クレメンテ.イン.サンタ.マリア.デイ.セルヴィ教会も小さく見えています。 -
マンジャの塔を拡大しました。
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南東の方向を望みます。写真の左遠くに、先ほど訪れたサン.クレメンテ.イン.サンタ.マリア.デイ.セルヴィ教会が見えます。右の大きな建物はシエナ大学の情報工学および数理科学科です。
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南南東の方向にはサンタゴスティーノ修道院が中央遠くに見えています。
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南南西の方向を望みます。
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北の方向を望みます。左端にドゥオーモ、その向こうにサン.ドミニコ教会、中央より少し右の遠くにシエナ大学病院の大きな建物が見えます。
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北の方向を拡大しました。写真の中央にNHホテルの北翼を見つけました。赤い矢印で我々が宿泊している部屋を指し示しています。
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北東の方向にあるサン.フランチェスコ教会を拡大しました。
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西北西の方向にはドゥオーモです。右下手前にドゥオーモ付属美術館が見えています。この展望台は、この美術館内を通って上がります。
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ファサード中央上部は意外と薄い壁になっているのが分かります。
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未完になった新ドゥオーモの身廊部分を見下ろします。右の身廊のアーチと柱列はドゥオーモ付属美術館の建物に取り込まれ、左側は、側廊の外壁がシエナ州庁舎の建物に取り込まれているのがよく分かります。
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下から眺めるとこのようになっています。左側がドゥオーモ付属美術館の建物で、右側がシエナ州庁舎の建物です。頂上へは壁内に作られている狭い螺旋階段で上がります。交通整理がなされ、一方通行になっています。
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2013年2月に訪れた際に撮影した頂上展望台の下段の写真です。身廊より低くなる側廊の天井の高さに相当するようです。この壁の中に螺旋階段があります。右側遠くにマンジャの塔も見えています。
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この下段の通路から、一段と高くなっている新ファサードの中央を見上げます。
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ここは、ドゥオーモ付属美術館の出口で売店もあります。元々は1280年頃に建てられた不幸な母子を助けるための救済院付属のサン.ニッコロ.イン.サッソ教会でした。その後、救済院の役割がサンタ.マリア.デッラ.スカラに移転したので役割を終え、女性の教育施設になり教会も廃止されました。その後1995年にこの美術館の付属施設とされました。大変豪華な16世紀末の装飾も正面の祭壇画も以前のままに維持されています。
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白いスタッコの天井には童話の物語のフレスコ画が描かれています。
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カンポ広場やプッブリコ宮殿の北東にあり、サン.フランチェスコ教会の右隣にあるサン.ベルナルディーノ祈祷所を訪れました。この2階建ての建物は15世紀にシエナのサン.ベルナルディーノを奉って建てられました。2階の祈祷所の壁面は、聖母マリアの物語が描かれたパネルで飾られています。
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祈祷所の祭壇側の壁面には、中央に「玉座の聖母と聖人達」、その両側に「受胎告知」が飾られています。中央のパネルは、ドミニコ.ベッカーフミの1537年の作品です。左のパネルの大天使ガブリエルは、シエナで活躍したジロラモ.デル.パッチア(1477 - 1533)の作品で、右のパネルの聖母マリアはソドマの作品です。
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受胎告知する大天使ガブリエルを拡大しました。作者のジロラモ.デル.パッチアは、ドゥオーモ内のピッコロミーニ図書室を飾るフレスコ画製作でピントリッキオの助手を務めた一人です。
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左壁面で祭壇側から1番目のパネルは、ドミニコ.ベッカーフミ作の「マリアの結婚」です。
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左壁面2番目のパネルは、ソドマ作の「マリアの神殿奉献」です。
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「マリアの神殿奉献」のパネルで左側に並ぶ女性達を拡大しました。
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左壁面3番目のパネルは、ジェロラモ.パッキーア作の「マリアの誕生」です。
左端の細いパネルは、ソドマ作の「サン.ルドヴィコ」です。 -
「マリアの誕生」のパネルで右側の女性達を拡大しました。
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祭壇の右壁面で1番目のパネルは、ソドマ作の「ご訪問」です。聖母マリアが洗礼者ヨハネの母であり従姉妹のエリザベツを訪問するシーンです。
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「ご訪問」の中央部を拡大しました。右端にエリザベツ、その左に聖母マリアです。
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右壁面2番目のパネルは、ドミニコ.ベッカーフミ作の「マリアの死」です。
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そして右壁面3番目のパネルは、ソドマ作の「聖母マリアの被昇天」です。
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祈祷所の背面のパネルは、ソドマ作の「聖母戴冠」です。
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このサン.ベルナルディーノ祈祷所には上掲の祈祷所壁面を飾るパネルの他に、個別の作品が展示してあります。この絵は、マッテオ.ディ.ジョヴァンニ作の「聖母子と天使達」です。
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14世紀のシエナ派を代表する画家アンブロージョ.ロレンツェッティ(1290 - 1348)作の「授乳の聖母」です。彼の作品で最も有名な作品の一つが、ここシエナのプッブリコ宮殿内にある市立美術館の平和の間を飾る、「善政の効果」と「悪政の効果」の大きなフレスコ画です。彼の弟のピエトロ.ロレンツェッティも画家として活躍しました。
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ホテルに戻って来ました。夕日に輝くドゥオーモです。午後5時53分ですが、展望台になっている新ドゥオーモのファサードの遺構には、落日を待つ多くの人々が見えます。
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