2017/05/17 - 2017/05/17
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その④旧奥州街道一人歩き9回目第4日目(青森~蟹田)の旅行記です。
浅田次郎さんの小説「流人道中記」を読みました。この小説は、名のある旗本で罪人となった青山玄藩が蝦夷松前藩に預かりとなり、それを護送する江戸の与力見習いで押送人・石川乙次郎が奥州街道を下り、津軽の三厩(みんまや)まで歩いた物語です。この小説に触発されて、旧奥州街道一人旅の旅行記を書いてみる気になりました。
今回は青森駅から蟹田宿迄の奥州街道一人歩きです。尚「流人道中記」と明記した後の分は小説からの引用文が多いのですが、ご勘弁下さい。
その①旧奥州街道一人歩き最終回1日目(七戸十和田~野辺地)編
その②旧奥州街道一人歩き最終回2日目(野辺地~西平内駅)編
その③旧奥州街道一人歩き最終回3日目(西平内駅~青森)編
その④旧奥州街道一人歩き最終回4日目(青森~蟹田)編
その⑤旧奥州街道一人歩き最終回5日目(休養日・青森市内観光)編
その⑥旧奥州街道一人歩き最終回6日目(蓬田~高野碕)編
その⑦旧奥州街道一人歩き最終回7日目(高野碕~三厩~龍飛岬)
その⑧旧奥州街道一人歩き最終回8日目(休養日・龍飛岬周辺観光)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテル青森駅前ルートイン
青森駅前でのホテルで05:30に起床して06:40~07:00に1階に下りて朝食をとった。朝食と取っているビジネスマンは愛想が悪いのだ。と貴方は云うが、自分もサラリーマンの時は同じで、朝からヘラヘラ出来ないので理解は出来る。朝食のメニューは余り代り映えしない。07:30にホテル出発する。今日は青森駅前を通り最初っから歩いて出発するのだ。駅前のコンビニで昼食を買おうと思ったが、先にもコンビニあるので、そこで買う事にした。出時点で天気は曇りであるが、予報は晴の見込みだ。 -
青森駅跨線橋
旧奥州街道(松前街道)は青森駅構内を横切っているが、今は通れないので、回り道をする。
青森駅の東口の前を進むと、右側に大きな跨線橋があった。ここを渡るが、ここからの青森駅構内が良く観える。青森ベイブリッジも良く観える。通勤客がすれ違う。そして反対側(西口)に回り、旧奥州街道に合流する。青森駅 駅
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篠田地区の街道を歩く
旧奥州街道に復帰して歩き始める。この道は非常に気持ちの良い道だ。地元の人たちが、外浜道、松前道と呼んでいるところだ。この先のコンビニによって、昼食を調達する。(これ、覚えておいてね!昼食を買っておきながら、この人は昼食に食堂に入ったのですよ!) -
イチオシ
青森、森林博物館
旧街道右側に、一際目立つ白い建物の青森市の森林博物館が目に飛び込む。青森県産ヒバ材を利用し、明治41年に建てられたルネッサンス式木造建物の青森営林局庁舎を利用したものだ。
昭和54年に、自然・森林と人間生活の関わりあいや、緑化・林業知識の普及を図るための全国初の森と木を考える博物館となったそうです。。 -
森林博物館の脇に沖舘川が流れている。この川の上流には有名な縄文遺跡の三内丸山遺跡があるところである。ここには明日の休養日に行く予定だ。
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イチオシ
青森港とフェリーターミナル
280号線、松前街道は右に折れて、そしてすぐに左折する。その280号線をしばらく北上するとやがて、道標があり右に曲がると青森港と青森フェリーターミナルに着くが、しかし、曲がるのが早すぎてしまったが方向はあっている。
青森港は、陸奥湾の最奥部に位置する天然の良港だ。青函連絡船の就航により、本州と北海道を結ぶ港となった。青函連絡船の運航終了後も、北海道と本州を結ぶフェリーの発着地となっている。
早く右折したために、海岸にぶち当たってからしばらく歩くとフェリーターミナルが見えて来た。3隻のフェリーが停泊中で、その内の1隻が津軽海峡フェリーと横腹に書いてあった。青森港フェリーターミナル ラーメンコーナー グルメ・レストラン
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フェリー大橋⇒新城川
街道に復帰して北上する。新城川の新井田橋を渡ると、青森市油川に入る。油川は大字名で、旧奥州街道110番目の宿場油川のあったところだ。面白い館、イタリア館である。説明板に依れば「ジュセプ・ファブリーは慶応2年(1866)にイタリアで生れ来日する。鰮(いわし)油漬缶詰製造の将来性を考え、鰮の産地を求めて歩いた。陸奥湾でとれる鰮が良質であることから、大正5年12月、油川に居を構えた。事業は成功し予想以上の成果を得たので翌年、規模を拡張するため、赤レンガ造りの西洋館、事務所と工場を建設した」 -
青森銀行壁には「青森発祥の地油川」とペイントされているが、これは何だろうか? 色々と調べて観たが結局何が発祥の地なのか不明だ。
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イチオシ
羽州街道追分
西田酒造店の北のかどは、かつての羽州街道と松前街道の追分で、「羽州街道 松前街道 合流之地」と刻まれた石碑が建っていた。説明板によると、ここが羽州街道の終点であり松前街道の起点であった。油川駅 駅
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このような石碑を観ると嬉しくなります。いつか羽刕街道も歩いて見たくなりました。
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「この合流地に夢を託して」と題した記念碑説明板
「ここはみちのくの主要道・羽刕街道の終点であり、松前街道の起点でも有りました。かっては制札場もあり馬の蹄の音や、旅人たちが交わす話声でいつも賑わいを見せていた。しかし、明治4年(1871)、新城―青森間に直通道路が通され、ここを通る人馬の列は急に途絶え以来百二十数年の月日が流れた。江戸時代、この道を上り下りした幕府の巡見使や多くの文人墨客の姿をしのびつつ、近世交通史上重要な地点、腐臭・松前両街道合流の地を永く記念するため、ここに碑を建立した。
羽州街道:福島園桑折より油川まで 約五百キロ、松前街道 油川より三厩まで 約60キロ」 -
油川音頭
一軒の民家にド派手な看板に「油川音頭」が書いてあった。その歌詞を紹介すると「元気が良いぞ 老いも若きも 八十八ケ所 サッサそれそれ出会いの里だ 町をあげての心意気」 -
ねぶた発祥の地油川
商店のシャッターにはド派手なねぶたの絵があります。ねぶた発祥の地を調べてみたが、どこからも油川の名前は出てこなかった。 -
五所川原分岐
青森五所川原線(県道26号線)分岐。左折すると、五所川原市に通じる県道です。県道26号線は、「津軽あすなろライン」と愛称がついている津軽半島横断道路なのです。 -
イチオシ
青森海岸
「青森海岸」の標識が気になり海岸に出てみる。 -
写真は、北側を見たもので、この海岸には砂浜は無く、波浪の浸食を防ぐ護岸工事が延々と続いている。青森海岸は、陸奥湾に面した津軽半島の東岸を言い、青森市、蓬田村、外ヶ浜町(旧蟹田町、旧平館村)にわたる海岸だ。沿岸には、これから歩いていく旧松前街道(現国道280号線)、津軽線があるところである。
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西田沢沖津街並み⇒西田沢小学校⇒飛鳥沢羽黒神社
ネットで調べると次の様に有りました。
「飛鳥羽黒神社の御祭神は、倉稲魂命、大巳貴命(大国主)、大山祗命。創建立年不詳、寛永7年(1630)勧請。江戸時代は羽黒権現、明治初年に大山祇神社に改称、その後羽黒神社と改称。国道280号沿いに社号標あり。かつての参道はりっぱだったことでしょう。」 -
西田沢沖津街並み
旧松前街道の面影は全く感じるものは何も無かった。 -
国道280号線松前街道
この辺りは奥内という地区です。 -
前田湯ノ沢バス停⇒奥内小学校⇒JR奥内駅入口⇒JR奥内駅
JR津軽線の奥内駅である。ここで一休みとする。昭和26年に開業した駅で、青森駅より11.5kmである。東京より青森駅までは739.2kmであるから、合計すると750.7kmである。ここまで750kmも、飽くことなく良く歩いてきたものだと、自分ながら感心した。一歩60cmとすると、何と125万歩にもなる・・・奥内駅 駅
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津軽線の駅案内と料金表
青森駅から駅にして3つ目が奥内駅で、未だそれだけしか歩いていないのです。 -
津軽線の時刻表
奥内駅の列車の時刻表がありますが、上りは青森駅まで、下りは蟹田駅迄です。三厩行きは蟹田で接続があるみたいですね。 -
つがる・五所川原分岐
奥内駅を出ると、つがる、五所川原への分岐がある。県道2号線(屏風山内真部線、びょうぶざんうちまんぺせん)だ。旧奥州街道(松前街道)の龍飛、蓬田方面は直進である。 -
天満宮、内真部川⇒大山祇神社
内真部川を渡ると、左側には津軽半島の山々が観える。 -
内真部川河口
河口に目をやると、陸奥湾の先に見える山々は下北半島である。 -
蔵尊⇒JR左堰駅口⇒小橋、街並み⇒六枚橋⇒六枚橋、昇龍の松
六枚橋川を渡ると、青森市六枚橋字不浪知(なみしらず)地区となる。 -
昇龍の松
街道右側にある黒松の古木だ。青森市の天然記念物に指定されており、「昇龍の松」と呼ばれている。説明板に依れば「所有者である赤平家は、代々松前藩の参勤交代の時に宿泊所を務めた家だ。藩主より黒松の盆栽を一鉢贈られたのを、ここに移植したところ、樹勢が強くそのまま成長して現在に至るとのことだ。樹形が龍が天に昇るような威容と樹皮が龍のうろこのようなことから「昇龍の松」と呼ばれるようになった。軒廻 3.14m、樹高 4.4m、推定樹齢500年。」 -
青森市指定文化財 黒松一本の説明板
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後潟漁港口⇒後潟集落⇒蓬田村、旧街道
後潟漁港入口を右手に見て、歩行を進めると、後潟小学校が左手にある。そして、その先にはこの旧道唯一に買い物が出来るスーパー「かなやマート」があった。計画ではここで食料を調達する事を考えていたが、そのスーペーに併設された食堂があったので、ここでラーメンを註文した。特に、ここでは買い物をしないで、昼食後の休憩を海岸でとった。
ここから青森湾(陸奥湾)が綺麗に観える。天気は上々で、青森市街地や八甲田山が良く観えるし、下北半島も観える。連絡船も望遠で撮影したものが良く写っていた。
あら、あなたは弁当を持っているのに、ここでラーメン? どうするの弁当は? -
昼食のラーメン
普通のラーメンでした。 -
ここから青森湾(陸奥湾)が綺麗に観える。天気は上々で、青森市街地や八甲田山が良く観えるし、下北半島も観える。連絡船も望遠で撮影したものが良く写っていた。
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イチオシ
下北半島を背に連絡船が通る。
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望遠モードで写真を撮ると、遠くに青森市街地、特にアスパムが少し歪んで良く観える。
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JR津軽線、蓬田駅(よもぎだえき)
スーパーを過ぎると、青森市は終了して、蓬田村に入る。青森市は浅虫温泉地から入り、ここ迄なので、長かったなア~。
国道280号線を更に進むと、やがて、JR津軽線の蓬田駅は、昭和6年の開業で、青森駅より19.1km、東京より758.8kmの駅だ。駅舎は、平成20年に竣工した新しい駅舎であった。無人駅で、待合室のみの駅舎である。蓬田駅 駅
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この辺りが蓬田宿のあった辺りかな。
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江戸時代に入って奥州街道が整備されると蓬田宿が設けられました。蓬田宿には本陣はなく正法院が松前藩主の休憩所として利用して本陣の役割を担っていました。正法院の創建は建長18年(1613)と云われている。
この先の阿弥陀川を渡ると、旧奥州街道111番目の宿場・蓬田宿である。 -
阿弥陀川に架かる阿弥陀橋を渡ると、蓬田村字阿弥陀川地区から蓬田となり、蓬田宿の中心であったところだ。
蓬田宿は松前藩以外は参勤交代で利用されなかった事もあり大きな発展は見られず当時の戸数は70戸程で比較的小さな宿駅だったと思われます
「流人道中記」江戸を発って24日目の夜、流人の青山玄藩と押送人の石川乙次郎は蓬田宿に泊まっている。ここは手前の宿場「油川」と違い、誠にのんびりした集落で野内代官の紹介の旅篭に入ったのである。ここでは二人とも海水に濡れた刀の手入れをしている。彼ら二人以外の宿泊客はおらず、媼の歌うのんびりした歌が眠気を誘う雰囲気だった。 -
玉松海水浴場
郷沢駅を通過すると、その先には玉松海水浴場があった。余りにも綺麗な景色なので立寄ってみた。陸奥湾が素晴らしい。ここからも下北半島や津軽半島、そして八甲田山系のやまやまが雪を被り美しいものだった。 -
玉松海水浴場の側にはマルシェ・よもぎたなるお店が有りました。この街道にそぐわない店構えだった。
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海水浴場の様子だが、どこで泳ぐのだろうか。
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瀬辺地駅通過
瀬辺市駅辺りまで歩いて来た。ここに道路標識があり、外ヶ浜6km、平館17kmそして自分の目的地である龍飛までは47kmとある。龍飛までは2日間掛けての歩行であるが、あと少しで、この奥州街道歩きも終了するのだろう。瀬辺地駅 駅
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民家が切れてJR津軽線、国道280号線、そして陸奥湾の海辺を歩くが、江戸時代はどんな道が有ったのだろうか。多分左に山が迫り、右はごつごつした磯で、幕府の五街道のような幅4~6mの立派な道は無かったのだろうと思いながら歩く。
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遠くを見ると連絡船らしきものが青森港に向けて走っている。
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左の線路、津軽線を貨物列車が通る。
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蓬田漁港⇒郷沢駅入口⇒外ヶ浜町蟹田、旧奥州街道
蓬田村から外ヶ浜町蟹田(かにた)に入る。外ヶ浜町は、平成17年に、蟹田町、平舘村、三厩村が合併して誕生した町だ。旧奥州街道の終点・三厩宿のあった三厩村の地名が出てきた。
いよいよ、長かった旧奥州街道の徒歩の旅も先が見えてきた感じである。旧蟹田町に入ると、左側にJR津軽線の蟹田駅がある。ここも職場でもある。 -
大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)
日本最古の縄文遺跡と云われています。ネットでは「陸奥湾に注ぐ蟹田川左岸の標高約25mの河岸段丘上に所在する、縄文時代草創期の遺跡です。
土器は縄文時代の開始とともに出現しますが、土器がいつ、どこで誕生したのかはまだはっきりしていません。
大平山元遺跡から出土した無文土器は、最も古い約16,500年前のものと考えられており、土器誕生のプロセスを探る上で極めて重要な遺跡です。」だそうです。ここは街道からかなり離れているのでスキップしました。
そんなに前かぁ~。今、自分が歩いている昔の道は高々160年前の江戸末期の時代なのです。 -
外ヶ浜町蟹田地区の集落に入りました。ここはかなり大きな町です。ここも奥州街道と云うか松前街道の宿場町でもあります。
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八幡宮
街道歩きをしていると、神社仏閣が数多くあるが、何故か知らいないけれど、必ず寄るか、写真に残す習慣が付きました。ここでも写真に残した1枚です。 -
イチオシ
風の広場・ウェル蟹
蟹田駅に向かい左折すると、左側に風の広場がある。風の広場の「風」は、太宰治の「津軽」に記されている「蟹田ってのは、風の町だね」からきている。蟹田駅前市場「ウェル蟹」である。「ようこそ(ウェルカム=ウエル蟹)外ヶ浜町蟹田」のネーミングは面白い。
何か面白いお土産が無いか物色したが、購買意欲をそそるものは無かった。ウエル蟹 お土産屋・直売所・特産品
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蟹田駅前広場・休憩所
風の広場にある蟹田駅前休憩所と観音像。
トイレに行きたかったので、休憩所のトイレを借用したが、びっくりしたことに、ここのトイレは洗浄トイレだった。有り難い。 -
観音様
駅前休憩所の前に観音様がありました。 -
JR津軽線、蟹田駅
今日の目的地である蟹田駅には15:00頃到着した。予定では16:00頃の予定だった。少し早い時間に到着した。
JR津軽線、津軽海峡線の蟹田駅舎である。駅舎前には灯台の形をした時計台がユニークだ。蟹田駅 駅
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蟹田駅内部
人は殆ど居なかったが、綺麗で静かな駅でした。 -
ようこそ外ヶ浜町
次回の一人歩きは蟹田宿から高野碕までだが、明日は歩かない。明日は休養日で青森市内観光と洒落てみたい。明後日に再びこの蟹田駅に来る予定だ。 -
つぎの電車は16:34なので1時間半も待つことになるが、もったいないので、外ヶ浜町の様子を見に出かけた。280号線に出て、北に進む道を少し進むと長楽寺があった。ここを観て、駅に戻る。
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蟹田駅の待合室は綺麗だったし、テーブルもある。ここで今日歩いたルートのメモを作成した。やがて切符500円で購入する。電車は16:20分には入ってきますよと駅員の言葉でその頃にホームに向かった。電車は非常に空いている。青森駅には17:12到着となる。
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青森駅に向かう電車の車にの様子。殆ど空っぽでした。
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ホテルに戻り今日の夕食は昼飯として購入したものがあるので、ホテルの部屋でとることにした。そして洗濯して、神奈川県大和市に電話を入れた。
本日の歩行は44,139歩、27.8kmの距離を歩きました。4日間連続で歩いたので、多少、くたびれた。早めの就寝となる。
以上が4日目、青森から外ヶ浜町蟹田迄の一人歩きの様子でした。ここまで面白くもない旅日記をお読み頂き有難うございました。次は休養日ではありますが、その旅日記も書きます。
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