2017/05/16 - 2017/05/16
116位(同エリア145件中)
オータムリーフさん
- オータムリーフさんTOP
- 旅行記115冊
- クチコミ159件
- Q&A回答43件
- 225,931アクセス
- フォロワー18人
その③旧奥州街道一人歩き9回目第3日目(西平内駅~青森)の旅行記です。
浅田次郎さんの小説「流人道中記」を読みました。この小説は、名のある旗本で罪人となった青山玄藩が蝦夷松前藩に預かりとなり、それを護送する江戸の与力見習いで押送人・石川乙次郎が奥州街道を下り、津軽の三厩(みんまや)まで歩いた物語です。この小説に触発されて、旧奥州街道一人旅の旅行記を書いてみる気になりました。
今回は西平内駅から青森出来迄の奥州街道一人歩きで、浅虫温泉や青森駅を初めて訪れました。尚「流人道中記」と明記した後の分は小説からの引用文が多いのですが、ご勘弁下さい。
その①旧奥州街道一人歩き最終回1日目(七戸十和田~野辺地)編
その②旧奥州街道一人歩き最終回2日目(野辺地~西平内駅)編
その③旧奥州街道一人歩き最終回3日目(西平内駅~青森)編
その④旧奥州街道一人歩き最終回4日目(青森~蓬田)編
その⑤旧奥州街道一人歩き最終回5日目(休養日・青森市内観光)編
その⑥旧奥州街道一人歩き最終回6日目(蓬田~高野碕)編
その⑦旧奥州街道一人歩き最終回7日目(高野碕~三厩~龍飛岬)
その⑧旧奥州街道一人歩き最終回8日目(休養日・龍飛岬周辺観光)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
西平内駅到着
今回の旅、3日目は青い森鉄道で青森から昨日の電車と同じ時刻に乗車し、西平内駅に8時25分に到着した。これから一人歩きで浅虫温泉や野内宿を通り、青森まで歩くのです。
今日も朝から雨の洗礼を受けました。青森地方は5月は雨が多いのだろうか、今年だけだろうかと余計な心配をする。 -
西平内駅
昨日の足の痛みはなくなった。この無人駅では4~5人が降りたが、その内の
1人のおばあちゃんが待合室で座っているが、雨なので誰か迎えの人を待っているのだろうか?
レインウエアに着替えて出発するが、雨は本降りである。西平内駅 駅
-
西平内駅前通り
駅から伸びている一本の道沿いに民家が並んでいる。ここは旧奥州街道ではなく、便利上に歩いているだけだが、この集落は静かで、未だ朝の目覚がないようだ。 -
国道4号線
道は直ぐに国道4号線と合流する。やっと奥州街道に戻ってきた。昨日と同じであるが、人っ子一人歩いていない。雨は小降りになってきたが寂しい一人歩きだ。 -
コンビニに寄る
4号線に合流すると歩道があって快適な歩きだ。右手にコンビニがあったので寄ってみた。何か買ったはずだが主出さない。多分、コーヒーでも買ったのだろう。 -
4号線分岐点
右の道に入ると夏泊半島へ、真っすぐは青森に行く国道4号線である。雨は上がってきた感じ。 -
浅虫温泉まで4km
4号線の標識を観る。浅虫温泉迄4kmとある。空の雲が少し切れてきたように見える。 -
旧奥州街道に入る
4号線から分岐して旧奥州街道に入る。4号線の交通量はそこそこあるので横断には気を付けて渡る。 -
この道は昔の国道4号線だったのだろうか、今は車一台も通らない。
「流人道中記」のお話を少し。
青山玄藩が罪人になった理由を知った石川乙次郎は云う。今から江戸に引き返して、吟味改め直しを奉行に訴えをしたい。しかし青山玄藩は云う。あんたは阿保か!何を今更!冤罪を晴らそうとはこれっぽっちも思っていない、構うなと。 -
小さなバス停
旧国道4号線の傍には勇ましい馬の看板がある。これは何を意味しているのか、どうも会社のPR看板らしいが意味不明。
その反対側には小さなバス停が有り、小さな待合室がありました。レインウエアを着ていると暑くなったので、この停留所の中で脱がせてもらった。
「流人道中記」の続き。
格下の旗本が青山玄藩の出世を妬み、その旗本が孕ませた女中を青山家に押し付けたうえ、青山玄藩は格下の旗本の妾に懸想したのみならず、奪ってわが物にしたと訴えたのである。評定で、青山玄藩は姦通罪となり、流人となって蝦夷に流されることになったのである。 -
ホタテ広場
右手にホタテ広場がありました。大きなモニュメントと左にホタテ販売所。中に入ってみると色々と売っている。メインは生きたホタテだが、ここでホタテ缶を1個540円で買いました。もっと色々と欲しかったが、これからの歩きは長丁場なので止めた。 -
土屋御番所跡
広場で一休みしていると大型バスが停まった。秋田から来たと云うが目的はホタテだそうです。
この販売所前に土屋御番所由来説明板。この土屋御番所は、明暦2年(1656年)に、黒石藩初代藩主津軽十郎左衛門信英が領地境界警備のため、黒石藩平内領の西口に設置した口留番所であった。 -
ホタテ販売所
中に入ってみるとホタテのオンパレードである。食べたいなぁ~、ホタテ焼き。昨夜食べたのではないか、青森駅前のテストランで。いや、あれはホタテが入った卵焼きですよ。 -
鴎島
4号線を潜って湾側に出ました。目の前に島がりました。後で分かったことは、この島は鴎島だそうです。鷗が沢山住んでいるのかな。
「流人道中記」の続き
青山玄藩は恥じることは何もしていないと評定所で述べ、言い訳は一斉しなかった。これは冤罪であった。青山玄藩は町人育ちだが青山家に引き取られて、かねがね、二百幾十年もでっち上げられた武家社会と偽りに塗り固められた「家」に大きな疑問を感じていた。それを潰すのが今だろうと敢えて闕所改易を受けたのである。 -
裸島
左側の浅虫温泉方向には変わった島があります。どうも、裸島と云う、将棋の駒を立てた形になっています。
伝説がある島で、昔、母親が幼い我が子を木陰に寝かせて、畑仕事をしていたら、大鷲が飛来して我が子をさらって、この裸島の上に置いたそうです。母親は狂乱して、この島に爪を立てて登って行ったそうだな。だから今でも、この島の岩肌がざらざらしているそうです。 -
旧奥州街道
ホタテ広場に現在の道路と旧街道の地図があった。良く観ると、先ほど歩いてきた旧4号線から旧奥州街道が有ったらしいが、今は灌木に覆われて、全く道は消えていました。奥州街道を歩いていると、このような旧道が長年放置されて、全く道が無くなっている所が多くある。 -
ホタテ供養塔
ホタテ広場の裏に回ってみた。ほたて供養塔、ほたて観音堂等がありました。
ほたて供養塔は、ほたて養殖発祥の地、平内町のここ平内町漁協土屋地域に、生産と流通の拠点として「ほたて広場」を建設・完成を記念して建立されたとある。 -
ほたて観音
ほたて観音像は、ほたて広場の完成を記念して、豊穣の海、陸奥湾の恵みであるほたて貝を子孫へ守りぬくことを誓い、ほたて養殖漁業が恒久的に繁栄して、地域漁村が未来永劫安らかなることを願い奉納されたものと記されてあった。 -
青森ホタテ貝絵馬
更に、その横にはホタテ貝に願いを込める絵馬が有りました。ホタテの貝殻を絵馬にして願いを書いて奉納できる絵馬掛所が有りました。受験合格や恋愛成就を祈念してホタテ貝に思い思いの言葉は、どこの神社でも見られるような風景でした。 -
イチオシ
土屋海岸
ホタテ広場の先には土屋海岸の標柱があった。その奥に見えるのは4号線土屋バイパスです。 -
浅虫温泉に入る
4号線のバイパスと旧道が合流して少し歩くと、ここは日本橋から722.7㎞地点で向こうに見えるビルは浅虫さくら観光ホテルらしい。いよいよ浅虫温泉に到着する。 -
浅虫温泉、旧道
旧街道右側に、奥州街道と書かれた大きな石塔があるらしい。旧街道ウォーカーにとっては励みになる嬉しい石塔である。しかし、この石碑は見逃しているのだ。さらに、ここには旧奥州街道の説明板があって、興味深い事が記述されていた。 -
青森県営、浅虫水族館
旧道を進むと、左側の青い森鉄道を線路を挟んだその先に、青森県営の浅虫水族館が見えてきた。
馬場山山麓に展開する浅虫水族館は、青森湾を望む本州最北端の水族館で、開園は昭和58年(1983年)。県内の水産資源や世界の珍しい水生動物など約534種、1万1千点を飼育展示している。人気はイルカショーのようだ。ここに入って見たかったが時間がないのでパスです。 -
イチオシ
浅虫温泉駅⇒浅虫温泉駅前足湯⇒国道4号線合流点⇒
天下に聞く浅虫温泉である。そんなに大きな温泉街ではないが、立派な温泉旅館も多いが、しかしながら、余り湯治客や観光客が多くない。散見されるだけなので、どうなんだろうね。どこの温泉街もそうなのだろうか。
「流人道中記」
23日目の夜は浅虫温泉の旅籠に泊まった。そこで、弘前に向かう旅芸人と相部屋になった。盲目の瞽女に胡弓弾き、幇間(ほうかん)まがいの座持ちの良い男の三人連れだ。玄藩は喜び宴席となった。この男は何故にこうも人付き合いが良いのだろうか。 -
浅虫温泉駅
何か、自分の記憶の中で浅虫温泉という地名が残っているのだが、記憶をたどると、高校時代に仙台から東北本線の列車に乗ったが、未だ煙の吐く汽車だった。その行先が沼宮内や浅虫温泉と云うような気がしたが・・・どうなんだろうか。記憶が定かでは無い。浅虫温泉駅構内を観て見たが操車状らしきものは無いので、間違いかな。浅虫温泉駅 駅
-
浅虫温泉駅前の足湯
浅虫温泉駅前に足湯がありました。靴や靴下を脱ぐのが面倒なので入るのを止めたが、一組の夫婦らしき人が来て足を入れていた。そこに、青森県の移動図書館が音楽を鳴らしながら駅前に泊まった。移動図書館とは驚いた。 中々良いアイデアであると思った。 -
浅虫温泉駅前の移動図書館
しばらく見ていたが、誰も来なかった。 -
湯の島
温泉街の旧街道を抜けると、その先は国道4号線と合流ポイントだ。ここからは陸奥湾(青森湾が良く観えて、そして湯の島がくっきりと観える。 湯ノ島は浅虫温泉街から北西1kmの陸奥湾の中にありお椀を伏せた形である。この写真から小さくなって見えないかもしれないが、赤い鳥居があり参道があって頂上に海の安全を見守る弁財天の祠があるそうです。季節によって観光船も出ていて、カタクリの花が有名でカタクリ祭りも行われているそうです。 -
国道4号線合流
浅虫温泉街を抜けると、国道4号線と合流する。 -
イチオシ
浅虫温泉遠景
一人歩きは先に進んでいくが、振り返ると東北の熱海とか青森の奥座敷と云われた浅虫温泉が観える。浅虫温泉ともおさらばである。めったに来ることは無い場所でしょうね。 -
旧奥州街道
善知鳥(うとう)トンネルわきに旧街道が有りましたが、ここは進入禁止となっています。この先には崖となり、旅人の為に梯が有ったそうです。これは近道であったが、これ以外に遠いが、山道も有ったそうです。
「流人道中記」のお話
善知鳥碕の難所で旅の一座に祝儀を渡して別れ、侍二人は足場の悪い梯の磯場伝いに進んだが、玄藩は大波を被り姿が観えなくなった。顔を覗かせたので引き上げた。二人ともずぶ濡れだった。
尚、旅芸人3人は遠回りの山道を通ったとあります。 -
第一古戦場址
トンネルの入り口に【1番古戦場址】なる石碑があるが、何の古戦場だろうか。調べてみると、
「ここは時の鎌倉政権と奥州藤原氏の残党である大河兼任らとの間で戦が行われた「大河兼任の乱」その最後の戦場と言われています。戦いは大河兼任軍が破れ一人落ち延びた兼任も後に打ち取られます。善知鳥トンネルの西側にはその顛末がかかれた案内板もたてられていました。
今では交通も整備され、道の駅ができるなどリゾート地として有名な浅虫温泉ですが、今をさかのぼること約800年前に大きな戦があった古戦場であった事はあまり知られていません。 -
善知鳥トンネルを越える
自分は今では梯もないし、山道も分からないので、善知鳥トンネッルの中を歩いた。ちょっと怖かった。 -
青森市久栗坂
善知鳥崎の難所を超えると(昔の人はね)、青森市浅虫から、久栗坂(くぐりざか)となる。国道4号線は左であるが、旧道は前方の分岐を右の海岸側を進む。県道259号線で久栗坂方面である。 -
国道4号線から分かれて久栗坂方面に入る。
-
久栗坂の集落を抜けると上り坂となるが、大した傾斜ではないけれど、何か疲れてきた。
-
観音寺と川上神社
今まで歩いてきた県道259線より、右の細い道に入る。観音寺通りというようだ。旧街道に面して右手に川上神社の鳥居がある。そして、その先には川上神社なるものがある。この神社の急な階段が登る意欲を失う。ここでしばし休むことにした。ところでこの神社は江戸時代の観音堂で、村開発の折、田地から発見された観世音菩薩を、津軽藩の中野宮一郎兵衛と村民が観音堂を建立し、祀ったのがはじまりとのこと。 -
矢倉山観音寺⇒川上神社鳥居⇒野内、青い森鉄道ガード⇒野内番所(関所)跡
川上神社を後にして歩き始める。ここは登坂で車も多いので歩道無の道は危ない。この辺りは坂道が多いし登ったり、降りたり大変だ。
途中にヤマモト食品の工場があった。それは青森でも有名なねぶた漬け、ダイヤ漬けの製造をしている場所だった。
ねぶた漬けやダイヤ漬けは海産物と野菜などを混ぜた漬物で、写真を見る限りでは美味しそうなものだった。食べたかったが後の祭りでした! -
ここは青い森鉄道のガードでここを潜ると野内の街に入る。
-
イチオシ
野内の街に入って来る。ここには野内関所が置かれていた場所である。
-
ここに野内関所あたの記念碑が建っていました。
ここは、黒石津軽藩と弘前津軽藩との境界で、津軽三関の一つであった。三関とは、日本海側の大間越(おおまごし)、羽州街道の碇ヶ関(いかりがせき)、そしてここ奥州街道の野内関である。町奉行が配され、海側(右側)に弘前津軽藩、そして山側(左側)には黒石津軽藩が番所を置いていた。そばを流れる貴船川沿いには、柵が巡らされ、厳重な構えであったようだ。 -
野内番所跡の説明板
「流人道中記」に戻る。
野内番所は仲の悪い南部藩を抑える番所である。この野内番所の番頭は26歳の若い工藤数馬が弘前奉行を兼務している。江戸の上屋敷育ちである。非番月には野内番所に努めている。この番所を通過するのは日に4,5人だけで、顔見知りの行商人と荷担ぎ人足だけで、いたってのんびりした番所である。
くたびれた身なりをした二人の侍が朱房の十手を差してやってきた。工藤数馬は仰天した。そして「ああ、まちがいない。玄藩様じゃ、玄藩さまじゃ」と玄藩の名前を10回程口にしたのだ。
玄藩は「ほっ、おやまあ、数馬ではねえか。そう言えや、あんたは津軽藩の御家来だった」江戸では玄藩に武術を習った数馬だが、彼を初め全ての門弟は玄番を慕っていたことが伺える。
そして玄藩は数馬に云う「武は戈(ほこ)を止むるの義なれば、少しも争心あるべからず、神道無念流の訓えだ。そして出世をはたして、いつの日か命を懸けてお殿様に諫言なされよ」と。
数馬は今宵は蓬田泊まりで明日は六里行って平館。先ぶれは出してあるので問屋場をお訪ね下されと。平館の先は磯場の難所が続き、五里で今別、それから1里九丁で三厩の湊と教えられた。
ここで侍二人は数馬の計らいで、乱れた髪を直し、真新しい旅装束までも準備されていた。 -
野内宿、中野内
野内関所(番所)前を抜けると、左側に「中野内」と書かれたバス停があった。この辺が、旧奥州街道108番目の野内宿の中心であろうか。幕末の野内村は、小さな商店や農漁民の家など、戸数60~70軒であった。問屋があり、往来切手を扱っていた。 -
野内郵便局、名残松⇒野内駅⇒野内川、野内橋
街道左側にある旧奥州街道名残の松。左の建物は、野内郵便局である。成程旧街道らしい風景だ。 -
さて、この先に青い森鉄道の野内駅がある。トイレを借りたいので寄って見たが、トイレがない。どうしてトイレがないのだろうかと疑問を感じる。
ここに来て、雨が激しく降って来たのでしばらく雨宿りだ。お腹も空いて来た。周囲には食堂らしきものが全く見当たらないので、駅の近くにあったコンビニでパンとコーヒーを買ってその場で食べた。いつもこんな貧しい昼食なのです。
雨は止まないので、レインウエアで街道歩きの続きに入った。野内橋を渡り、原別1丁目に入る。雨は小雨になったり本降りになったりと忙しい。野内駅 駅
-
造道1丁目、旧街道
赤川に架かる沢田橋を渡ってすぐに、県道259号線と別れ、右の細い道に入る。なんとなく、旧街道の匂いがする松並木となっている。この辺は造道(つくりみち)という。古くからの地名で、かつての大字名である。
また、雨が激しく降って来た。沢田橋を渡った先に、大きなスーパーがあったので、しばらく雨宿りをしている。小降りになったので出発するが、このスーパーの前にフラワー温泉があった。この辺りも温泉が出るのだろうか。 -
フラワー温泉やえだ⇒合浦公園入口
旧街道は、ここから合浦(がっぽ)公園内を直進する。旧街道が、公園の真ん中を通っているのも珍しいところだ。合浦公園は、青森市立の総合公園で、敷地面積は17ヘクタールもある大きな公園だ。 -
イチオシ
合浦公園、旧街道
青森市市立総合公園・合浦(がっぽ)公園である。この公園の中央を、まっすぐ一直線に旧街道が走っている。
というより、この旧街道を挟んで公園化されたというのが正しいだろう。公園が開園されたのは、明治27年である。公園内には市営球場、庭球場、茶室「合浦亭」、屋外ステージ等も整備され、青森市を代表する公園となっている。旧奥州街道が走る広い公園です。見ごたえがあります。 by オータムリーフさん合浦公園 花見
-
三誉の松
公園中央部、旧奥州街道沿いにある「三誉の松(みよのまつ)」。樹齢400年と言われる黒松で、市の天然記念物に指定されている。
-
堤川、旭橋
合浦公園を出て道は真っ直ぐ進むと間違えるので注意深く地図を見ながら進む。道は緩やかに左にカーブしているのだ。しかし、堤川に架かる旭橋が観えないと思ったら、大改修中だった。人は横を通れるようになっている。それを渡りきり、道は右に右折するのが旧街道だ。 -
青森宿入口付近
堤川に架かる旭橋を渡って右斜めの道に入る。青柳2丁目の並木通りだ。この辺が、旧奥州街道109番目の宿場・青森宿の入口付近であった。この先は、本町(旧大町)となるところだ。如何にも街道筋と言える快適な道となっている -
莨町小学校⇒モルトン迎賓館青森のチャペル⇒伊能忠敬宿泊地跡
さらに進むと、今度は伊能忠敬の顕彰碑が、シャトー本町マンションの前にひっそりと有りました。キョロキョロ探さないと見つかりません。
説明板によると、蝦夷地へ向う途中、大町(現青森市本町5丁目)の西沢善兵衛宅に止宿。そして、油川宿を通って蝦夷に向かったらしい。 -
伊能忠敬顕彰碑
49歳で家業を息子に譲り、江戸へ出て勉強して、その後に幕府の命を帯びて蝦夷に向かった。これは他の人に真似できないバイタリティーですね。頭が下がります。 -
本町五丁目バス停
本町5丁目の交差点だ。この辺は、江戸時代後期は大町と呼ばれ、有力者たちが住んでいた青森宿の中心部であった。幕末の青森宿は、商人や港湾関係者、漁民、職人、農民などを含めて、約3000戸までに発展していた。
しかし、青森宿には当時の遺構は青森空襲や開発の為に失われて、今は何も観ることが出来ないのは残念である。 -
郷土館青森県立
石器時代にまでさかのぼった青森の文化や自然、人々の暮らしを総合的に紹介している。三内丸山遺跡の出土品は是非とも観たかったが、実際の遺跡に明後日行くので我慢した。 -
青森宿出口付近
ここで、旧街道は枡形になっている。この辺が、青森宿の出口付近であったと思われる。この左後方に善知鳥(うとう)神社があるところだ。善知鳥神社は見逃せない。 -
善知鳥神社
青森市発祥の地、善知鳥神社鳥居。ここは、善知鳥神社の裏口である。青森市が善知鳥村と言われたころ、奥州国陸奥国外ヶ浜鎮護の神として勧請された。祭神は宗像三女神である。
善知鳥神社の正面鳥居の右側には、青森市道路元標が建てられている。善知鳥神社は見ごたえ沢山 by オータムリーフさん善知鳥神社 寺・神社・教会
-
イチオシ
奥州街道終点の碑
善知鳥神社辺りに津軽藩の番所が有ったらしく、ここが奥州街道の終点の碑が立っている。知らなかったなア~。それでは自分の奥州街道はここでお終いなのだろうか。いや、この先も道が有るはずで、地元の人たちは、ここから先の街道を外浜道、松前道と呼んでいたようだ。ここの地名は安方2丁目で、かつて安潟(やすかた)と呼ばれる広大な潟(ラグーン)であったところだ。善知鳥神社内にある池は、その最後の名残とされている。 -
ところで善知鳥(うとう)と云う鳥はどんな鳥だろうかと調べて観た。善知鳥と書いて”うとう”と読みます。難しいですね。善知鳥は寒冷地に生息する鳥で、現在では北海道の天売島(てうりじま)に多く見られるようです。売島は北海道の稚内より少し南下した日本海に浮かぶ島。ネットから調べました。
写真は善知鳥神社の看板から借用しました。 -
イチオシ
青森駅の到着
善知鳥神社を後して更に進むと、そろそろ青森駅だ、手前に三角形の大きなビルが観える。ここが青森県観光物産館である。入ってみると、1階が物産販売所(お土産屋だ)青森のお土産をここで買おうと思っているので少しは観て歩く。2階は展示室で誰でも休憩できる大きなスペースがある。女学生らしき人々が勉強やおしゃべりに夢中だ。更に、ねぶたの模型(本物?)も飾ってある。何か有料ではあるがパノラマ映画も観ることが出来るそうだ。青森県観光物産館アスパム 名所・史跡
-
そこを出て青森ベイブリッジを歩いてみた。中々素晴らしい眺めだが、今日は雲が多いので遠くまでは見渡せることが出来なかった。ここから八甲田丸が良く観えるし、ベイブリッジを降りるとそこはねぶたの家・ワ・ラッセだ今日の計画では青森を通過して油川宿まで歩く予定だったが、何故か歩く気がしなくなって、そこは明日に延期して、本日の歩行はここまでとする。
-
ホテルに帰り、一休みしてから駅前に出て、本日の夕飯はラーメンを頂き、又ホテルに戻り洗濯をして今日の歩行は39,794歩で距離は25kmでした。本日の行動は終了しました。
先ほどの善知鳥神社で奥州街道終点と有りましたが、自分は三厩経由、龍飛岬迄歩くので、一人旅はこの先も続きます。ここまでお読みいただき有難うございます。
しかしながら、「流人道中記」では野内番所から蓬田宿まで話は飛んでいる。青森宿で何か面白い出来事を書いてくれることを期待していたのですが残念です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
浅虫温泉(青森) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
62