2008/06/14 - 2008/06/15
87位(同エリア88件中)
AandMさん
- AandMさんTOP
- 旅行記261冊
- クチコミ2768件
- Q&A回答97件
- 853,274アクセス
- フォロワー24人
新型コロナウイルスで旅行も困難になりました。ウイルス蔓延が早く収束し、以前のように自由に旅行を楽しめるようになってくれればと思います。以前行った旅行を記憶を辿りながら纏めてみました。
2008年6月、ルーマニアの首都ブカレストを仕事で訪れました。滞在中の土日を利用してルーマニア観光することにしました。ルーマニア知人に観光アドバイスを頼んだところ、ガイド付きで1泊2日のドライブツアー観光をアレンジしてくれました。日本語が話せるガイドさんと運転手付きツアーです。ルーマニアは物価も安く、我々は5人グループの割り勘なので、費用は高くはありませんでした。
ブカレストを出発点に、ルーマニアの歴史的古都であるシビウ→シギショアラ→ブラショフ→シナヤを巡る全行程約700kmの周遊旅行です。ルーマニアには高速道路が殆どなく道路状況も良くありませんので、短距離移動でも結構時間を要します。シギショアラで1泊予定です。
この旅行記は、「トランシルヴァニアの古都シビウ」(https://4travel.jp/travelogue/11640860)の続編です。シビウからシギショアラへ移動する途中に要塞教会のあるピエルダンに立ち寄り、その後、シギショアラ歴史地区を観光するまでの行程を紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6月14日
シビウを出発し、長閑な田園風景が広がる106号線を80㎞ほど北東に進み、ピエルダンに到着しました。ピエルダンは山中にある少し大きめの村で、中央部の小高い丘にある教会がユネスコ世界遺産に登録されている「要塞教会、The Fortified Church of Biertan」です。山に囲まれた村にある世界遺産の要塞教会 by AandMさんビエルタン 寺院・教会
-
教会入口にあったユネスコ世界遺産に登録されていることを説明したパネルです。ルーマニア語、ドイツ語、英語で登録経緯などが記載されています。
この要塞教会は、この地がハンガリー王国に属していた15-16世紀にドイツ系の住民サクソン人達がオスマントルコの侵入に備えた防御機能を持つ教会として建造しました。1993年にビエルダンと要塞教会がユネスコ世界遺産に登録され、1999年にその他5か所の要塞教会も世界遺産グループに加えられています。
ビエルタン要塞教会は、ルーマニアで世界遺産として最初に認定されたことが分かります。 -
教会入口に立つキリスト像は新しいので、最近に建造されたものと思われます。
-
教会内のドア鍵、開錠プロセスが複雑な鍵として有名で、1889年に開催されたパリ万博で展示されたそうです。
-
要塞教会内部は装飾も少なく、祭壇も比較的シンプルな造りです。
-
教会天井の幾何学模様、注目に値します。
-
教会内にあった木彫りの小さな天蓋、彫が緻密で見事な色彩で着色されています。
-
要塞教会の時計塔です。
山に囲まれた村にある世界遺産の要塞教会 by AandMさんビエルタン 寺院・教会
-
時計塔の上部まで、塔外壁に木製階段が設置されていました。
-
見学者も自由に階段を上ることができました。仲間が好奇心から早速階段を上っていきました。階段上からの眺めが良好、との感想でした。
-
教会に木製格子で保護された場所がありました。
-
格子越しに覗いてみると、フレスコ画(Catholic Tower Frescoes)がありました。要塞教会が建造された15-16世紀頃に描かれたものです。
-
要塞教会の敷地内に小さな小屋があります。「離婚夫婦の家, House of divorcing couples」と呼ばれる小屋で、村で離婚を希望する夫婦を2週間の間、この小屋で生活をさせ、離婚の意志確認をする目的で使用されました。小屋にはベッド、お皿、スプーンなどがそれぞれ1個しかなく、夫婦で共用することが求められました。
3世紀に渡って使用されましたが、2週間の小屋生活の後、教会牧師に離婚を申請したのは1カップルだけだった、と伝えられています。面白い史実です。 -
要塞教会の石壁から見下ろしたビエルダンの光景です。カラフルな瀟洒な住居、緑に覆われた自然が広がっています。
-
要塞教会が建設された15-16世紀も、同様の景観が広がっていたと想像されます。教会敷地内にある大きな樹木から、仄かな甘い香りが漂っていました。
-
樹木の下まで行ってみました。小さな黄色の花が咲き、花から甘い香りが漂っていました。ミツバチがあたりを飛び回っています。
-
ミツバチたちは樹木の花を出入りし、蜜を集めていました。
-
教会敷地内に蜂蜜販売所があり、教会名物のハチミツとして売られていました。中世時代から教会内で生活していた牧師さんたちの副業として、蜂蜜造りと販売が行われていたことが想像されます。
要塞教会は防御機能を持っていますが、外敵の侵入が無い平時、教会内では村々と同様な長閑な時間が過ぎていたことでしょう。 -
要塞教会の防御壁は多重構造になっていました。
-
要塞教会が建つ丘を下ったところに整備された公園がありました。公園から見上げた教会です。
-
公園に記念碑と昔の乗り物が展示されていました。公園名称は「1918年12月1日広場」です。
-
ガイドのマリアさんが、記念碑の説明をしてくれました。1918年は、この地を支配していたオーストリア・ハンガリー帝国が第一次世界大戦の影響などで解体され、東欧諸国が独立した年です。
-
トランシルヴァニア地方がルーマニアとして独立したことに関連する記念碑です。ルーマニア人にとって、「1918年12月1日」は記憶にとどめるべき記念日のようです。
-
公園に綺麗な薔薇が咲いていました。
-
白とピンク系の色バランスが美しい薔薇です。ルーマニアの公園では、このような美しい花を沢山見かけます。
-
ビエルダンから東に30分ほど進み、シギショアラに到着しました。この場所は旧市街の北側で、今夜宿泊するホテルのあるところです。前方に見える建物はシギショアラ市庁舎ですので、歴史地区も徒歩圏内です。
-
マレ川沿いに至聖三者大聖堂(Basirica Sfanta Treime din Sighisoara)が見えます。ホテルの目の前です。建設は1934-1937年ですので、新しい大聖堂です。
マレ川に面して建っているシグショアラ正教会 by AandMさんシギショアラ正教会 寺院・教会
-
至聖三者大聖堂の建物は、伝統的なルーマニア修道院の形式が踏襲されています。
-
左手にあるのが我々が利用するホテル(Aparthotel Sighisoara)です。
-
ホテルの部屋は、改装されたばかりでした。
-
部屋も広めで、清潔感があります。宿泊費も50ユーロ程度で高くはありません。
-
ホテルにチェックインした後、夕食を兼ねてシギショアラ歴史地区を訪ねました。要塞への入り口になっている「時計塔, The Clock Tower」です。14世紀に建造された高さ64mの塔で、シギショアラ歴史地区のシンボルになっています。
シギショアラ歴史地区のシンボル、時計塔 by AandMさん時計塔 建造物
-
旧市街中心部の中央広場を見下ろす所にあるレストランで夕食を取ることにしました。
歴史ある建物に囲まれた小さなひろば by AandMさん中央広場 (シギショアラ) 観光名所
-
ルーマニア料理のレストランは結構混みあっていました。旧市街で人気のあるレストランのようです。
中世景観が保たれている美しい町、シギショアラ by AandMさんシギショアラ歴史地区 旧市街・古い町並み
-
ルーマニアのスープはどれを注文しても殆ど期待外れはありません。野菜と肉のバランスが絶妙のスープです。
-
仲間が注文したトマトベースのスープです。
-
ルーマニア料理、結構なボリュームもありました。
-
夕食を終えると日が暮れていましたが、歴史地区の観光を続けます。
-
時計塔の手前に、歴史を感じさせるレストラン兼ホテルがありました。
ドラキュラ公の生家は、現在、観光客に人気のレストラン by AandMさんヴラド ドラクルの家 (カサ ヴラド ドラクル) 建造物
-
ブラッド・ドラキュラ・ハウスと表示が出ています。ガイドさん説明では、「ドラキュラ公の家」という名称の旧市街での名所だそうです。ドラキュラ公が生まれた場所とも説明されており、海外観光客の人気も高いようです。
ドラキュラ公の生家は、現在、観光客に人気のレストラン by AandMさんヴラド ドラクルの家 (カサ ヴラド ドラクル) 建造物
-
中を覗いてみました。中庭に古風な感じのレストラン席が設けられ、結構な数のお客が入っていました。
-
レストラン前の通路にあった人形?です。ドラキュラ公にちなむ人形で、ルーマニアの方は意味を承知されているようです。
-
時計塔の下の通路を上って、高台に向かいます。
シギショアラ歴史地区のシンボル、時計塔 by AandMさん時計塔 建造物
-
日暮れ後の時計塔に明りが灯されていました。
シギショアラ歴史地区のシンボル、時計塔 by AandMさん時計塔 建造物
-
高台に登る階段には屋根がありました。照明がありますので、日没後でも見学可能です。階段を上った高台に教会がありましたが、閉まっており、暗いので見学はできませんでした。
-
高台から見るシギショアラ歴史地区の夜景です。闇に中世風の住居や教会の塔がほんのりと浮かんでいる静かな景観でした。
シギショアラ旧市街中心部の丘上にある教会 by AandMさん山上教会 寺院・教会
-
夕食後の歴史地区散策を終えてホテルに戻る途中で見かけた像、ローマ神話として伝わる狼に育てられた双子の兄弟「ロムルスとレムスの像」がありました。ルーマニアはローマ帝国の一部だったことを思い出しました。
シギショアラ旧市街南側の大通り、12月1日通り by AandMさん12月1日通り 広場・公園
-
マレ川沿いのホテルに戻ってきました。明日は、ドラキュラ公の居城のブラン城やブラショフを観光予定です。
-
6月15日
ホテルのビュッフェスタイル朝食です。種類は多くありませんが、新鮮な生野菜にハムやチーズがあるので問題ありません。 -
ホテルをチェックアウトして、次の目的地に向かいます。ただ小雨が降っており、天候が良くありません。
-
シギショアラ市庁舎を後にして、E60号線を南に下ってブラショフに向かいます。
-
E60号線沿いにある世界遺産のサスキス要塞教会(Fortified Church St. Stephen)に立ち寄りました。昨日訪れたピエルダンと同様な山村の村にある教会で、どっしり感のある高い塔が目を引きます。
この地がハンガリー王国であった15-16世紀にドイツ系サクソン人達によって建てられた要塞教会です。世界遺産登録されている小さな村のサスキズ要塞教会 by AandMさんサスキズ要塞教会 世界遺産
-
以前、教会周囲が防御壁で囲まれていましたが、現在は殆ど壁は残っていません。教会て前にある駐車場を兼ねた広場から塔を見ることができました。塔に時計が設置されていました。
世界遺産登録されている小さな村のサスキズ要塞教会 by AandMさんサスキズ要塞教会 世界遺産
-
要塞教会の背後に聳える山の上に、史跡(Cetaea Taraneasca)があります。サスキス農民要塞と呼ばれる史跡で、サクソン人達が1347年に建造した要塞です。5000平方メートルの広大な要塞が保存されていましたが、ナチスドイツ治世の1945年に非ドイツ人住民によって破壊されたそうです。
要塞教会や山上の農民要塞は、中世時代、この地域で争いが絶えなかったことを教えてくれているように感じました。 -
朝からの小雨がまだ続いています。観光に残念な天候ですが、南東約100kmにあるルーマニアの古都ブラショフに向かいます。農村地帯が続く山岳地方をE60号線、13号線を経由して中世の街並みが残るブラショフを目指します。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
シギショアラ(ルーマニア) の人気ホテル
ルーマニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ルーマニア最安
421円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
55