2015/10/31 - 2015/11/07
57位(同エリア304件中)
nasunoさん
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3月に続き2度目の区切り打ちです。
阿波「発心の道場」が終わり、土佐「修行の道場」を歩きます。
・10月31日 自宅~羽田~徳島(日和佐)【民宿弘陽荘】
・11月 1日 日和佐~ 室戸へ 【生本旅館】
・11月 2日 室戸へ 【民宿徳増】
・11月 3日 24番最御崎寺~26番金剛頂寺【金剛頂寺宿坊】
・11月 4日 27番神峯寺 【民宿浜吉屋】
・11月 5日 宿~大日寺へ 【海の宿しおや宿】
・11月 6日 28番大日寺~30番善楽寺 【ホテル土佐路】
・11月 7日 31番竹林寺~33番雪蹊寺、高知~羽田~自宅
土佐路が修行の道場と言われるのは、札所間の距離があり室戸~足摺までひたすら歩くしかありません。ほぼ毎日海を眺めながらの遍路路です。
当然、宿の料理も毎日お刺身付きですが、新鮮なお刺身も毎日だと飽きてくるのも事実です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JALグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
前回の区切り打ちの帰りの電車で納経帳を見ていて、何と記帳(ご朱印)漏れがありました (">_<")。19番札所の立江寺です。
この日再度、立江寺でお参り・記帳を済ませて前回打ち止めの23番薬王寺の日和佐まで来ました。
(この後結願までもう1度記帳漏れが。ボケが始まっているのかな。)
今日の宿は日和佐の「民宿弘陽荘」です。 -
「民宿弘陽荘」1泊2食、\7,000
-
11月1日。
2度目の区切り打ちのスタートです。(7時出発)
幸い天気も良く ^_^。
再度厄除け橋からの薬王寺。 -
薬王寺傍の右に見えるうどん屋さんで、前回の区切り打ちの疲れを癒しました。
-
こちらはかめ遍路休憩所。8時38分
誰か休んでいましたが・・。 -
こちらも遍路休憩所。9時5分
-
長尾屋跡:10時56分
放浪の俳人「種田山頭火」の句碑。
「しぐれてぬれて まっかな 柿もろた」昭和14年11月3日。
【山頭火は晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と記している。
その時にはすでに無一文の乞食であったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けている。その放浪日記は1930年(昭和5年)以降が存在し、それ以前の分は自ら焼却している。死後、遺稿日記が公開され、生涯の一部が明らかになった。】
*資料ウィキペディアより
我が人生も毎日〃 無駄を積み重ね、毎日〃 酒を注いでいますが。
人生、山あり、谷あり、せめて残りの人生悔いのないように。 -
牟岐の浜にてコンビニ弁当(\500)で昼食+缶ビール。11時45分
-
草鞋大師。12時12分
台座には草鞋供養と刻まれ、難所である当地を無事通過できるように祈願している。 -
12時26分
誰か名前を知っちゅう人は?。 -
旧遍路道の松阪峠へ。12時42分
遍路道は極力昔の旧道を歩きました。 -
峠を下ると海辺へでました。13時
何を釣っているのか聞くと烏賊でした。
下:海岸沿いに遍路札が。 -
-
室戸へは63kmと。13時25分
まだまだ遠い ('-_-')、1日半かな。 -
「鯖大師」着。13時40分
四国別格二十霊場四番札所、
「弘仁年間(810年 - 823年)に空海が八坂八浜を訪れた際に、行基手植えの松の下で野宿し行基の夢を見た。そこを塩鯖を馬に背負わせた馬子が通りがかった。空海が塩鯖を所望したところ、馬子は口汚くののしり断った。
坂にさしかかったところで馬が急に苦しみ動かなくなった。慌てた馬子は先ほどの僧は巡錫中の空海に違いないと思い、空海に鯖を差し出し馬を治して欲しいと懇願した。空海が加持水を馬に与えたところ、馬はたちまち元気になった。」
また、サバは仏教語で鬼神等への供物を意味する「生飯(さば・さんばん)」が同音である鯖へと変化したものではないかと考察している。
鯖大師伝説もこのような祖霊信仰が行基伝説へと変化し、大師信仰の隆盛と共に旅の僧が行基から弘法大師へと移り変わったものと指摘している。」
*資料ウィキペディアより -
赤いくちばしのような花。やはり南国です。14時14分
誰か名前を知っちゅうかな?。 -
海洋町にて、可愛い貝作りの人形。16時4分
-
今日の宿「生本旅館」に到着です。。16時5分着
(29km、43,100歩) -
やはりご馳走が出て来ました(^_^)。
今日の疲れを忘れます。
この宿も88ヶ所のベスト10に入ります。 -
11月2日
朝食です。1泊2食+お酒、¥8,262
7時15分に出立。 -
上:乳の崎狼煙台:江戸末期の外国船の対応で設置。
下:島弥九郎事件跡:元親の末弟弥九郎が非業の死をとげ、元親の阿波侵攻の
口火となったと。 -
宍喰町へ。8時30分
-
天気が悪くなり雨が降りゆう。
「ホテルリビエラししくい」で休憩・合羽を着ました。8時33分
自転車で日本一週中の女性に出会いました。 -
海の駅東洋町(甲浦)着。9時40分
この先コンビニは無いので昼食用の弁当他を買いました。¥830 -
生見海岸サーフィンビーチ。10時20分
雨には関係ないサーファー達が大勢泳ぎよる。 -
古目大師着。11時
清水豊かな古くからの大師堂であるが由緒不明である。 -
白小石の6部塚。11時8分
-
上:私は国道55号線から海岸へ降りて昼食。
下:55号線(ふれあい海道)へ戻ると、休憩所で食事中の遍路さんが。12時32分
室戸へは後30kmと。 -
同じ地名の黒磯を見つけて。12時38分
私の住んでいる那須地方は明治以降開拓で山口県、徳島県から移住した人も多く、海の無い県ですが海に因んだ地名、名前の人がいます。 -
誰か名前を知っちゅう人は?。
-
佛海庵。13時13分
手入れをする人がいないのか?、少し寂れてきていました。 -
室戸に入りました。
-
まっこときれいなハイビスカス。
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久しぶりの自撮り。15時23分
-
今日の宿「民宿徳増」に到着。15時55分(33.5km、46,500歩)
メモ帳には両足の小指にマメが出来たと。やはり雨のせいかな?。 -
11月3日6時30分。
残念ながらダルマ朝日は見えません。 -
宿を7時15分に出立。1泊2食¥8,260(お酒込み)
-
鹿岡の夫婦岩。7時35分
「南路志に云う往古より大晦日の晩夫婦岩の間鵜の碆に「竜燈」がともるとこの神火を地元では「かしょうさま」と云い立岩の峯々を超えて大滝の上に舞い上がり四方山麓の家々に請じ入れられて六年を迎える浄火となったと云う」 -
3日がかりで室戸岬に到着です(^^)。10時
とりあえず大師行水池へ。 -
大師が修行をした御蔵洞(みくろど)、10時10分
-
タービダイト層の奇岩、10時35分
「砂(白)や泥(黒)が海水と混ざった流れによって海底に降り積もってできたシマシマの地層のことです。水平に堆積した後、隆起して立ち上がったので、縦向きの縞模様になっているのです。約1600万年前」
-
アコウ(赤榕)の木、11時11分
何とイチジクの仲間です。根ががいな(すごい)!。
古いですが、天空の城ラピュタを思い出したぜよ。 -
やっと24番札所「最御崎寺」に到着です。11時40分
薬王寺から遠かったな。(2日半) -
「最御崎寺」
詠歌「明星の、出でぬる方の東寺 暗き迷いは、などかあらまじ」
大師が19才の時室戸岬を訪れ御蔵洞で修行をされ、その後、嵯峨天皇の勅願を受け、本尊の虚空蔵菩薩を刻み開創したとされる。
室戸岬では東西に対峙している第二十六番札所の金剛頂寺を西寺(にしでら)と呼ぶのに対し、東寺(ひがしでら)と呼ばれる。
重文:木造薬師如来像、木造月光菩薩像、石造如意輪観音半跏像。 -
空海の七不思議の「鐘石」
斑レイ岩で小石で叩くと鐘のように音を発し、この響きは冥土まで届くと。
また、本堂すぐ横には空海の七不思議の「クワズイモ畑」がある。
昔、土地のものが芋を洗っているところに弘法大師が通りがかり、その芋を乞うたところ「これは食えない芋だ」といって与えなかった。
それ以来ほんとうに食べられなくなったと伝えられる。現在は胃腸の薬として利用される。 -
ヤッコソウです。初めての出会いです(^_^)。12時5分
秋に咲くとは知っていましたがまさか出会えるとは。
高知の生んだ植物学者「牧野富太郎」が命名しました。
雄弁花類・ヤッコソウ科・ヤッコソウ属の寄生植物です。
高知県の特別天然記念物。 -
室戸から25番札所「津照寺」へ。12時25分
-
25番札所「津照寺」着、13時52分。
詠歌:法(ほう)の船、入るか出るかこの津寺(つでら) 迷うわが身を、のせてたまえや」
大同2年(807年)に大師が不慮の災難に会う漁民を救い、航海の安全と豊漁を願って刻んだ延命地蔵菩薩を本尊として伽藍を建立された。 -
26番札所「金剛頂寺」着、15時20分
-
「金剛頂寺」
詠歌「往生に、望をかくる極楽は 月のかたむく、西寺(にしでら)の空」
大同2年(807年)に平城天皇の勅願により、大師が本尊薬師如来を刻んで開基された。西寺と呼ばれて明治の初頭まで女人禁制の霊地でした。境内の白檀樹は大師が唐から持ち帰ったと伝えられる。
重文:朝鮮鐘(高麗時代、高さ57cm、口径43cm、天女歌舞の模様がある)、木造阿弥陀如来像、銅造観世音菩薩立像、板彫八祖像(鎌倉時代、嘉暦2年(1327年)仏師法眼定審の作)。
ここにもヤッコソウの自生地があります。 -
境内にはがん封じの椿霊木があります。
-
今日の宿は「金剛頂寺」の宿坊です。15時50分
(25.5km、38,900歩)
広くて一人で泊まるのは勿体ない位です。 -
広い部屋から室戸岬方面の眺め。
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豪華な夕食です。宿坊でこんなにご馳走が出るとは!。今回の区切り打ちでは1番です (^^)。
この日の泊りは5人だったと思います。
下は中華テーブルです。お腹一杯になりました。
1泊2食、¥7,500 -
11月4日、部屋からのご来光、6時31分
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この日は7時20分に出立。
大師が修業をされた不動岩へ。 -
不動堂に到着、8時30分
下が修行をされた御座石。 -
西の窟の籠堂。
-
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室戸市吉良川の街並み、9時6分
台風から守るための壁ですね。 -
吊るし柿が一杯。
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お腹が空きレストラン「なぎさ」へ、12時6分
唐揚げ定食+ビール=1,600 -
北川村へ、13時15分
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27番札所「神峯寺」着、15時55分。
14時40分に宿に荷物を置いてからきました。 -
「神峯寺」
詠歌「みほとけのめぐみの心、こうのみね 山も契ひも、高き水音」
天平2年(730年)に聖武天皇の勅を受けて行基が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として神仏合祀し開創したとされる。その後大同4年(809年)に大師が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたとされている。
三菱財閥創始者岩崎弥太郎の母は弥太郎の開運を祈願し、安芸市から片道20キロメートルの道のりを素足で37日(21日間)通い続けた逸話がある。
・神峯の水 - 土佐の名水40選の湧水19箇所の一つ。 -
本日のお宿「旅館浜吉屋」に到着、17時12分
(34.5km、49,400歩)
結構この日は歩きました。 -
夕食です。
この宿は前民主党の菅総理も泊まられていました。
1泊2食、¥7,900 -
11月5日、宿を7時に出立。
地蔵洞、8時 -
大山岬の愛妻の碑、8時8分
江戸末期に高知城下に残してきた妻を思い詠んだ歌です。 -
安芸市へ、8時42分
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安芸市着、9時40分
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安芸城址へ寄り道です。10時15分
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武家屋敷の土塀。
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野良時計へ。10時35分
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安芸市、11時50分
コンビニ弁当を買い昼食です。¥602
写真は確かカリオンだったと?。 -
南国土佐です。
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安芸自転車道を歩きます。赤野休憩所より。12時40分
下:遍路休憩所です。 -
今日の宿「海の宿しおや宿」着、16時
25km+寄り道、42,700歩。
今日は札所のお参りはありませんでした。 -
夕食です。18時
1泊2食、¥6,860円 -
11月6日、朝の散歩にて、6時45分
宿を7時30分発 -
朝の散歩にて。
手結(てい)岬へ。 -
夜須の観光案内。
高知は、私の転勤生活で一番長い、7年間を過ごしました。
子供達を連れて手結の海水浴、この先の赤岡では地引網を楽しみました。
色々な思い出が・・・。
毎年、愛媛に帰省した際は高知に泊り旧友と一杯、家内は友達と食事をしています (^^)。 -
手結灯台、夫婦岩。6時55分
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28番札所「大日寺」に到着です。9時55分
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「大日寺」
詠歌「つゆ霜と、罪を照らせる大日寺 などか歩みを、運ばざらまし」
聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開基された寺で、本尊の大日如来も行基作。
弘仁6年(815年)に空海が楠の大木に爪で薬師如来像を彫って荒廃していた本寺を復興したとされる。
重文: 木造大日如来坐像(非公開)、木造聖観音立像 -
29番「国分寺」手前の地蔵渡し。13時5分
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明治30年(1897年)に国分橋が掛けられるまで地蔵渡しを徒渉していた。
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29番札所「国分寺」に到着です。13時10分
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「国分寺」
詠歌「国を分け、宝を積みて建つ寺の 末の世までの、利益のこせり」
天平13年(741年)に行基菩薩が千手観世音菩薩を刻み本尊として安置し開創したとされる。その後弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が毘沙門天を刻んで奥の院に安置、また、星供の秘法を修めたことから、当寺は星供の根本道場となり、大師像は「星供大師」と呼ばれている。
本尊の千手観音菩薩、脇士の不動明王、毘沙門天が行基作。
写真は酒断地蔵です。確かお参りはしなかったと(^^)。 -
遍路休憩所。14時55分
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30番札所「善楽寺」に到着です。15時35分
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「善楽寺」
詠歌「人多くたちあつまれる、いちのみや むかしもいまも、さかえぬるかな」
大同5年(810年)空海(弘法大師)が高鴨大明神(土佐国一宮で現在の土佐神社)の別当寺として、神宮寺とともに創建したといわれている。 -
高知市内へ、16時38分。
-
今日の宿「ホテル土佐路」に到着です。17時40分
(31km、48,000歩)
やはり夕食は居酒屋へ(^_^)!。¥3,150
1泊朝食、¥6,860 -
11月7日
この日は7時40分と遅い出立です。
竹林寺(牧野植物園)へ、8時20分 -
牧野植物園、8時30分。
2度程きていますが、建物がすっかり変わっています。
菊花展が開催中です。 -
31番札所「竹林寺」に到着です。9時40分
-
「竹林寺」
詠歌「なむ文殊、三世諸仏の母ときく 吾れも子ごころ」、乳こそほしけれ」
聖武天皇が行基菩薩に、唐の五台山に似た霊地があれば伽藍を建立せよと勅命され、栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したのが起源とされる。 -
「竹林寺」五重塔
-
「竹林寺」
五智如来 -
竹林寺から32番札所「禅師峰寺(ぜんじぶじ)」へ。
武市半平太の生家へ立ち寄ります。10時30分 -
「優れた剣術家であり、黒船来航以降の時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成。参政・吉田東洋を暗殺して藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した。京都と江戸での国事周旋によって一時は藩論を主導し、京洛における尊皇攘夷運動の中心的役割を担ったが、八月十八日の政変により政局が一変すると前藩主・山内容堂によって投獄される。1年8か月20日の獄中闘争を経て切腹を命じられ、土佐勤王党は壊滅した。」
*資料ウィキペディア -
32番札所「禅師峰寺」に到着、11時25分
-
詠歌「静かなる、我がみなもとの禅師峰寺 浮かぶ心は、法の早船」
聖武天皇の勅命を受けた行基が海上安全を祈願して堂宇を建立したのが起源とされる。
後に大師が十一面観世音菩薩(船霊観音)を刻んで本尊として安置した。
重文:仁王門の金剛力士像(仏師定朝の作)
禅師峰寺からの土佐湾。 -
「禅師峰寺」
-
33番札所雪蹊寺へ。13時40分
雪蹊寺への遍路道は浦戸湾の渡し(フェーリー)を利用しますが、浦戸大橋を歩きました。歩道が狭い上に、車も多いで す(>_<)。
浦戸大橋:1972年(昭和47年)7月12日開通
全体延長:1480 m、高さ:50 m、歩道部は幅75cmと狭く、橋からの自殺が相次ぎ、高さ約3メートルのフェンスが設置されている。
30数年前、転勤先の青森から愛媛に帰省の際、東京(晴海)からフェリー「サンフラワー」で橋の下を通りました。
有名な「よさこい節」にも歌われている竹林寺の僧「純信」と鋳掛屋の娘「お馬」のロマンスは有名で、駆け落ちした二人は讃岐で捕まり、純信は伊予川之江に追放され、お馬は須崎の庄屋にお預けとなり、後に大工と妻となりました。
土佐の高知の~♪はりまや橋で~♪坊さん~♪かんざし~♪買うを見た・・・。
因みに「よさこい」とは「夜さり来い(夜にいらっしゃい)」という意味深?な古語です。 -
今回の区切り打ちの最終札所32番「雪蹊寺」に到着です。15時
19.5km、32,800歩
詠歌「旅の道、うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月」
延暦年間に大師が開基されたお寺。長宗我部元親の菩提寺となり雪蹊寺と。
重文:運慶作の本尊、薬師如来、日光・月光菩薩。湛慶(運慶の長男)作の毘沙門天、脇士の吉祥天如。海覚作の十二神将十体。 -
お参りを済ませて休んでいると、流暢な般若心経を唱えている外国人の母娘に出会いました。お話をするとカナダ人で40日間のバカンスだそうです。カナダの紅葉も綺麗だと。
同じ高知駅に行くバスに乗りましたが、はりまや橋で降りられました。
私は高知空港発18時20分~羽田の飛行機で無事帰宅しました。
2度目の区切り打ちも無事に終えました。
拙い旅行記(写真108枚)最後までご覧いただきありがとうございます。
ただ、何もご利益は無いぜよ(^_^)。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- olive kenjiさん 2020/07/29 06:25:59
- 美しき遍路道 ただ歩くとなると・・
- nasunoさん ご無沙汰しております。
今回のお遍路コースは、私の好きなドライブコースで何回も走っていますが、歩いてみる異なった道や風景や出会いは違ったものがあるのでしょうね。
それにしても、歩き遍路で周るタフネスさには驚くばかりです。
旅行記は断片的に投稿されていますが、もう結願はなさったのでしょうか。
nasunoさんが愛媛出身で高知に長くお勤めとは知りませんでした。
今になって四国の事、偉そうに書いてたのが恥ずかしです。
また今は那須にお住まいとの事、徳島からの移住者も多いと知り、なぜ移住したのか経緯も知りたくなりました。
遍路宿にも、いろいろなタイプがあり、こんなご馳走もあるのかと興味深々です。
また、人との出会いがいいですね。Ⅿさんとリーさんとの同行遍路や、それからの交流などがしんみりと来ます。
ご利益はたっぷりありました。
知らない遍路さんの生活や、四国の詳しい知識を学ばさせて頂きました。
よさこいがそういう意味だったのも。
8月にお山に行くのですね。お元気でいて下さいね。 olive kenji
- nasunoさん からの返信 2020/07/30 09:10:11
- RE: 美しき遍路道 ただ歩くとなると・・
- olive kenjiさん こちらこそご無沙汰でした。
早速のコメントありがとうございます。
>
> 今回のお遍路コースは、私の好きなドライブコースで何回も走っていますが、歩いてみる異なった道や風景や出会いは違ったものがあるのでしょうね。
私も四国100名山で車ではあちこち走ったのですが、遍路道を歩いてみて色々と新たな発見がありました。歩き遍路の皆さんは同世代の方が多いのですが、70過ぎの方、若い女性、外国の方と様々な方が歩かれています。
> 旅行記は断片的に投稿されていますが、もう結願はなさったのでしょうか。
実は行ってきますに投稿したのですが、3月31日に無事結願致しました。最後の2回の区切り打ちは家内も同行しました。讃岐路でもお接待を受け香川の印象もアップしましたので。
> また今は那須にお住まいとの事、徳島からの移住者も多いと知り、なぜ移住したのか経緯も知りたくなりました。
私も詳しくはないのですが、那須は明治維新後に薩長が入り開拓を始めたかと。(乃木神社、大山記念館、青木周蔵別邸等があります。)また、徳島は山が多く吉野川の氾濫等で移住して来たのかも?。(町名に豊浦、阿波町、黒磯等)
私が借りている家庭菜園も、塩水さんと言い先祖は徳島だそうです。
> 遍路宿にも、いろいろなタイプがあり、こんなご馳走もあるのかと興味深々です。
> また、人との出会いがいいですね。?さんとリーさんとの同行遍路や、それからの交流などがしんみりと来ます。
宿の食事が歩き遍路遍路の疲れを癒してくれます。食事を見れば大体宿のおもてなしが分かり、たとえ質素でも気持ちが伝わります。歩き遍路は一期一会の出会いですが、その後皆さんどうしているのかと思います。
Mさんからは先日BSで巡礼の道が放送されるとメールがあり、次回の参考になりました。多分コロナで来年も無理かな?。
> ご利益はたっぷりありました。
> 知らない遍路さんの生活や、四国の詳しい知識を学ばさせて頂きました。
> よさこいがそういう意味だったのも。
ありがとうございます。私もアップするまで辰砂、よさこいを知りませんでした。ネットで調べたりと私自身が勉強になっております。
> 8月にお山に行くのですね。お元気でいて下さいね。
コロナも心配ですが、梅雨明けが遅く天気も心配です。駒ケ岳は家内がづーっと一度登りたいと言っていた山なのです。
もし、山に登れなくても温泉&地酒(八海山、緑川)が待っています(^_^)。
nasuno
olive kenji
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