2020/06/25 - 2020/06/28
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摂津の国のマーガトロイドさん
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2020年、コロナ時代を感染対策を行いながらの旅は初夏の広島へ。福塩線や芸備線などのローカル線に乗りつつ呉では大和ミュージアムや入船山記念館を訪れ船から海上自衛隊の基地を眺めて広島へ。
路面電車に乗りまくり翌日は岩徳線や宇部線、令和時代に平成筑豊鉄道などローカル線乗り歩きの旅。
最後はコロナ時代を進む阪九フェリー臨時便で泉大津に帰ってくるまでの4日間の旅。
使用した電車などは以下の通り。
1日目
新大阪2018→さくら573号→2121福山
2日目
福山545→普通府中行→632府中
府中634→普通三次行→858(定刻842)三次
三次1030→快速みよしライナー広島行→1158広島
広島1200→快速安芸路ライナー広行→1233呉
呉港1610→クルーズフェリー四万十川→1655広島港
広島港1704頃→1714頃宇品三丁目
宇品三丁目1730頃→1739御幸橋
御幸橋→中電前
中電前→銀山町
銀山町1826→広島駅行→1830的場町
的場町1835頃→広島港行→皆実町二丁目
皆実町二丁目1850→広島港行→1851頃皆実町六丁目
皆実町六丁目1859→西広島行→本通
紙屋町西→横川駅行→十日市町
十日市町→横川駅行→横川駅
横川2038→普通岩国行→2122岩国
3日目
岩国638→普通徳山行→800徳山
徳山805→こだま833号→819新山口
新山口827→普通宇部新川行→916宇部新川
宇部新川918→普通宇部行→930宇部
宇部934→普通新山口行→957新山口
新山口1204→みずほ551号→1223小倉
小倉1259(定刻1239)→特急ソニック21号大分行→1314頃(定刻1254)行橋
行橋1336頃(定刻1333)→直方行→1438金田
金田1445→田川後藤寺行→1458田川後藤寺
田川後藤寺1520→金田行→1533金田
金田1539→直方行→1559直方
直方1606→普通若松行→1628折尾
折尾1700→普通若松行→1715若松
若松渡場1733→若戸渡船→1736戸畑渡場
戸畑1744頃(定刻1741)→区間快速門司港行→1803頃(定刻1749)小倉
小倉駅新幹線口1840→阪九フェリー連絡バス→1915新門司港
新門司港2000→阪九フェリーひびき→830泉大津港
4日目
泉大津港838→阪九フェリー連絡バス→853頃泉大津駅
泉大津858→急行難波行→915天下茶屋
天下茶屋→中略→自宅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前編のあらすじ
福山で1泊して福塩線・芸備線といった中国山地ローカル線に乗り三次へ。
三次で雨に打たれて芸備線・呉線と乗り継いで呉で海自カレーを食べて入船山記念館へ。
まるで艦娘と提督がいるかのような(というか本当に呉鎮守府司令長官が住んでいたわけだが)呉鎮守府司令長官官舎を後にしていよいよ大和ミュージアムへ向かう。 -
ということで入船山記念館から歩いて大和ミュージアムへ。
それにしても暑いw熱中症になりそうだ。
そんな筆者を迎えてくれたのは戦艦陸奥の主砲。さすがはビッグ7の陸奥。主砲も非常に大きい。
こんなので夜戦されたらそりゃ(ry -
陸奥のスクリューもとても大きい。
バックの潜水艦はなんだって?てつのくじら館に展示されている「あきしお」だ。今回は時間がとても足りず行けていないが2016年に訪れているので詳しくは2016年広島・松山旅行2日目(2016/8/8)を参照。
この時は大和ミュージアムも訪れているが今の携帯&デジカメの画質と比べるとさすがに4年の時の流れを感じるw
(2019年7月の東京遠征以降の旅行記では基本的にデジカメと携帯を併用、それ以前は携帯オンリーである)
熱中しそうなのでさっさと館内に入ろう。館内に入る前には手のアルコール消毒が義務化されていた。
ちなみに入船山記念館の半券を見せれば100円引き。入館料もICOCAで払えるので現金の受け渡しは無い。 -
ということで4年前同様大和ドーン!しかしこの見た目では本当に宇宙戦艦に見え(ry
-
主砲部を拡大してみる。この辺りは艦これよりも鋼鉄の咆哮の方がよく似合う。
しかしとても精巧に作られている…デジカメでズームしてみると本当によく分かる -
こう見るといかにも宇宙戦艦w
-
そしてこう見ると呉港に滑り出すように見える(ように設計されている)
-
その呉港からは松山行きの石崎汽船の先代翔洋丸が出港。
この年の8月1日から新しい翔洋丸が就航した為この先代翔洋丸は引退となった。
ということでこれが最初で最後の一枚。 -
次は後ろ側から大和を撮影。後方も詳細に作られている。
-
その大和のプレートはこちら。
最後の一段落がとても熱い思いが込められている…相当に呉を愛しているのだろうという思いが伝わる。 -
では展示室に入ることにする。
こちらは戦艦金剛のボイラーの再現。これだけ見ると蒸気機関車のボイラーと変わらなくもないが… -
高さはやはり戦艦のボイラー。さすが高速巡洋戦艦…金剛デース!
-
解説はこちら。
ヤーロー式ボイラー(wikipediaではヤーロウ式ボイラーと紹介されている)は高速性があるが燃料の消費が激しく鉄道車両としては向かなかったようだ。 -
日本海軍の艦船命名規則も紹介されている。
海外だと割と人名もよくつくのだが日本では明治天皇があまり快く思わなかった為に人名が艦船名にならなくなったという話もある。
(ならば南極へ行くしらせはどうなるのかという話だがあれは名目上は白瀬氷河が由来である) -
海軍軍縮展が上野松坂屋で開催されたというのも大概なパワーワードだが、「海軍軍縮とは!」というキャッチフレーズもなかなかなパワーワードといえよう…
ここで注目すべきはこの海軍軍縮展は軍縮の動きに批判的になっており、海軍軍縮は国家防衛の国益に反するというニュアンスでこの展覧会が行われているという点である。
守るには力が必要、という論法になっている。
現代でこういう展覧会を行えば大騒ぎになると思うが、単純に当時の世間がどういう視点をもって海軍休日の時代を見ていたかという興味深い資料であることに間違いはない。 -
1935年に行われた国防と産業博のパンフレットも展示されている。
こちらは呉市街地の鳥瞰図。 -
こちらはよりパンフレットらしい内容。
ちなみに右側には「春の観光と博覧会」というタイトルでこの国防と産業大博覧会と新興熊本大博覧会が取り上げられている。
どちらも軍都であるのが時代を感じさせるがそれでもまだ「観光」の名が前面に押し出されるなど国内に限ればまだ平和な時代だった。 -
左側は有名な山本五十六提督、右側は「多聞丸」こと山口多聞提督と海軍の代表的な提督2名が紹介されている。
-
当時の海兵の様子を描いたイラストが残されている。
ここではいよいよ海兵になった新兵たちの様子が記載されている。 -
上陸が楽しいのはいつの船乗りもどこの船乗りも同じ。
そして誇り高き観艦式の様子も描かれている。 -
故郷からの手紙が4通も…よかったな
一方のボートレースは競艇ではないw -
楽しいだけではないのが軍艦。
掃除や救助の訓練も欠かさない。 -
腹が減っては戦はできぬ、特に海軍だと食事が部隊の士気に大きく関わる。
スコールの方には「ぐずぐずしていると止んでしまうぞ」との発言www
スコールはシャワーではないwww -
体が小さいと大砲の中に入れるというw
ちなみにこの他にも「教練」という題のイラストもあったが撮った画像が乱れているので写真は無し。 -
一航戦の食べる方
-
ぱんぱかぱーん
戦前の軍オタ少年憧れの船が続く。
(ここからしばらく館内の2ヶ所で展示されていた模型を紹介していく。雰囲気がなんとなく異なると思うがそれは撮影場所の違いである) -
そして戦前の軍オタ少年が最も憧れた船、陸奥も鎮座している。
戦後の知名度は大和が上回るが戦時中の建造である大和は軍事機密ということもあり国民の間で最も有名な軍艦は長門型の長門と陸奥であった。 -
続くのは高速巡洋戦艦榛名。榛名は大丈夫です
-
近鉄特急…ではなく某界隈で有名な「ぜかまし」
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武蔵…ではなく清霜。
この頃の駆逐艦は戦況の悪化に伴い、報われない扱いが目立ってしまう。 -
バニラ…ではなく鈴谷もいる。
一方の熊野の模型は存在しなかった…どういうことですの!?艦隊のトッッッップスタァのこの私…あれ?作品が違うぞ? -
戦闘機の模型もある。紫電改や彗星といった鋼鉄の咆哮おなじみの戦闘機も並ぶ。
-
こちらは彗星。
最も有名な零戦は後程紹介する。 -
愛国イロハカルタというものがある。いきなり「伊勢の神風敵国降伏」から始まるという香ばしい内容だ…
あの有名な「桜と散った小楠公」もこの愛国イロハカルタから。
ただ完全に軍国主義的かといえばそうでもなく「笑顔と笑顔で明るい職場」や「山の奥にもこいのぼり」といった言葉もある。 -
そして大和の最初で最後の戦い、坊ノ岬沖海戦のパネルもある。
-
大和とそれを護衛する軍艦の位置関係はこの通り。いわゆる輪形陣である。
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戦死者はここに入っていない大和が最も多いのだが、矢矧と朝霜の死者も多い。
その中で唯一戦死者無しの初霜が目立っている。 -
戦死者の名簿が展示されている。
地元の広島県も多いが大阪府と兵庫県出身者が異様に多い。
そして東京都は異様に少ない。 -
呉で建造された軍艦などの一覧も写真入りで展示されている。
しかしこの中には写真の無い艦船もそれなりに見受けられる。 -
回天…
還らない潜水艦(回天も考え方によっては潜水艦ともいえる)といえば大西洋で自決したUボートに乗っていた
海軍将校(おそらく友永英夫大佐と思われる)の子供達への遺書に自分がヨーロッパで住んでいた場所を記して「参考までに記しておくから洋行の際は訪ねてみよ」と書いていた辺りは鳥肌が立った…最期の時に至るまで親心を忘れなかったのだ… -
連合艦隊旗艦長門に
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戦時中の軍事機密から今や日本戦艦の象徴となってしまった大和に
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最後の連合艦隊旗艦大淀もいるが…
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中にはこのように沈んだ状態がカラーで撮影されている潜水艦も存在する
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そして戦後の呉も実はわずかながら紹介されている。
最初は旧海軍の軍艦解体に始まり、旧軍港市転換法に賛成を呼びかける様子などが紹介されている。
大淀も天城も解★体 -
他には海軍水道の市への譲渡も行われている。
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そしてここに鎮座するのが零銭である。
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間近で見ると結構な迫力だ。ちなみにこいつはなんと琵琶湖に沈んでいたという。
その後一時は白浜で展示され呉に移設された歴史を持つ。 -
そして人間魚雷回天の試作品も展示されている…
この国ではいつの時代も犠牲になるのは若者である。
コロナ戦争でも全く成長せず、若者の貴重な日々が自粛の波によってかき消されていく… -
2Fからも見ることができる。
コロナ戦争下の平日という事もあり訪問客が少ないことが分かる。
それにしてもコロナ戦争の影響で「観覧は1時間程度で」というお願いがあったがこれを1時間でとか無理があるぞw -
2Fからデジカメのズームで計器類を撮影してみる。
見事に英語は見当たらない。さすが鬼畜米英時代… -
さらに上から主翼を見ると…
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ノルナwアルナではない。
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この2Fは見晴らしがよいので海自の船も見ることができる。
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掃海艇ゆげしまとながしまが見える。
どちらもこの撮影後、2010年10月1日をもって除籍となった。 -
掃海母艦ぶんごが見える。この辺りはデジカメの本領発揮。
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3Fは閉鎖中だったが上から見下ろす大和も魅力的である。
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銀河を駆け巡る宇宙船の世界…何を目指しているんだw
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ということで大和ミュージアムを後にする。
今回はてつのくじら館は残念ながらスルー。時間が足りない。
ということで少しだけ街を歩いていると熱中症の前兆症状が出たのでたまらずコンビニに駆け込みポカリスエットを購入。
一瞬で500mlを飲み干せた辺り相当にヤバかった。
ということで呉港に戻り乗船券を購入。
カードで払って2%還元が受けられた。 -
暑いが桟橋に出ることにする
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桟橋に出ると江田島行きの船が出たところだった。
遠くに掃海艇なおしまも見える。 -
コンテナ船も建造している。
春吉という船名が見えているが下には「WANHAI231」の名も見える。 -
松山からやってきた四万十川が見える。
これからあれに乗って宇品を目指す。 -
沖合には第一くろしおが停泊している。
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そうこうしていると四万十川が着岸。
呉から乗るのは2名のみ。下船客もさほど多くない。
早速デッキを目指そう。 -
呉港を出港していく。楽しい広島湾クルーズの始まりだ。
さみだれが停泊している。 -
何らかの整備作業を行っているのだろうか。作業員の姿が見える。
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新造船だろうか?解体中にしては船番号の跡もみられない。
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春吉の奥に実はもう一隻いる。
こちらは春祥という船であり番号もWANHAI322と春吉の続番だ。 -
訓練支援艦のくろべも停泊している。
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こちらは輸送艦くにさき。船尾が特徴的な形をしている。
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そしてこいつである…一航戦の歌う方ことかがである。
かがを見るのはこれが初めてではない。2017年に舞鶴を訪れた際に舞鶴初入港のかがを目撃している。(当時の様子旅行記もある) -
やはり大きさは他の護衛艦と段違い。
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掃海母艦ぶんごが停泊している。こちらは整備作業はこの時は特に行っていない様子。
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ぶんごの隣にはたかぜも停泊していた。
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潜水艦も停泊しているが潜水艦は船名を出さないので特定は不可能…
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気付けば呉の街が遠くになってきた。
いよいよ広島湾クルーズに移る。 -
沖合に停泊しているのは輸送艦しもきた。
これの船番号や船名を特定するためにかなり苦労して何枚もズーム写真を撮影していた。 -
民間船もいくつかみられる。
2011年建造の内航船恵綾丸が停泊中 -
神晴一号が航海している。
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こちらは小松島船籍の第八栄隆丸
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最後に別角度からしもきた
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少し離れた場所には海保の巡視船こじまが停泊している。
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意外に陸地も近い。
陸に目を向ければ227系が走り去るのが見えた。
…だがこの写真に写り込んでいるラーメン店、四日市でも食べた「うまいラーメンショップうまい」(当時の様子は別旅行記にある)だと思うがよく見ると「うまい?」「まずい?」と書いてないか? -
遥か遠くに広島の街が見えてきた。だがクルーズはまだ続く。
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剣丸が停泊している。だが気になるのはそのファンネル…
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ファンネルを拡大してみた。こいつは…
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これに見えて仕方がないw(2016年に地下鉄博物館で撮影。大阪市営地下鉄の消滅後どうなったかは2019年7月の旅行記を参照。)
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PHOENIX-1も航行している。どうやらかなりの重量物を運んでいる様子。
それにしても重心がかなり後方に傾いているように見える…(船体下部の赤色の部分に注目。最初はデザインかと思ったがそんなわけはなかった) -
そして行きの呉線でも見ることができたピースボートことオーシャンドリーム。
コロナ戦争によって平和でなくなったので狙ったのか知らないが広島湾に停泊していたが、後に解体されることになったという皮肉。
平和なんてそう簡単には来ないということを身をもって教えてくれたのである。
それにしても錨もしっかり降ろして完全に「沖止め」状態。個人的にはクルーズ船の沖止めは初めて見た。 -
この船名ももう見ることができない。
そうこうするうちにまもなく広島港に着岸するとの放送。
広島港で下船して約40分のクルーズは終わり。
意外に広島港電停まで遠かったw -
広島港電停には京都市電から来た1900形が停車中。乗ったのはこの車両ではないが…
-
早速宇品三丁目で下車。広電はICカードで乗れば後戻りしない限り途中下車ができるという素晴らしいルールがあるので早速活用。
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続いて乗ったのはこちら。この角ばった車番は間違いなく神戸市電から来た1150形。
色が変わってもみどりの市電神戸市電 -
御幸橋で電車を待っていると(先程下車したのは御幸橋)次は1900形が反対側にやってきた。
大阪の市電戦士900形は見当たらず… -
郵便局を巡りつつ銀山町まで来た。
さすがに本線系統は最近の新車がほとんどだ。 -
その車両はこんな風にカープに占拠されていたがw
-
停車の電車は内科へご相談ください
ここからいわゆる「比治山線」に乗る。この区間が最後の未乗区間である。 -
3000形も走っている。やはり広島の街にはこんな光景が良く似合う。
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今の広島ではこのように新車と各地の市電から来た車両が入り交じる光景が繰り広げられるが、大阪市電から来た900形がもう絶滅危惧種であることを考えると、いつまでもこの光景が繰り広げられるとはいえないのかもしれない…
-
皆実町六丁目で広電完乗!
ここから再び御幸橋経由で横川を目指す。
途中本通で下車して広島バスセンターに立ち寄る。
今回広島駅には行かないのでここでないともみじ饅頭が買えないのだw
お土産用と別に自分で食べるバラ売りも購入。
西広島へ行くか横川へ行くか迷ったが900形を期待して横川へ。
しかし900形は今回も見ることができなかった…残念…
それにしても広電のICカード途中下車サービスの効果は恐ろしい…
今回広島港~横川駅間で広島港→宇品三丁目→御幸橋→中電前→銀山町→的場町→皆実町二丁目→皆実町六丁目→本通&紙屋町西→十日市町→横川駅と乗り降りしているが、これで190円で済んでいるのだ。
どうやら周回しても後戻りしていないので途中下車扱いになる模様。 -
疲労困憊で227系に乗り込み岩国へ向かう。コロナ戦争下でも座れるわけがない。
宮島へ渡るにはJRフェリーと自動放送でも肉声放送でも案内。
一方広電は「宮島へお渡りのお客様は宮島松大汽船をご利用ください」と自動放送で案内する。
今時ここまで対抗意識が強いのも珍しい。
227系は大竹で座れるようになった。 -
ということで疲労困憊のまま岩国に到着。
濃縮された1日もここで終わり。ホテルに向かってこの日の旅は終了。
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2020年広島遠征
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